【十六話】「速まりすぎた衝突」

「はい……はい、理解しております。いえ……申し訳ございません」


 格安ビジネスホテルにある狭い一室の角で、瀏鑪哢るるるは自分の父のように携帯電話越しに頭を下げ続けていた。

 室内の全域は人が来る前のように清潔に保たれ、清楚に敷かれたベッドシーツには汚れどころか皺一つとて無い。

 借りている身として、汚くするなど千石せんごく瀏鑪哢にとって許されざる行為なのだ。


「──……ですが相手の強さ、護衛である大江山絵詞おおえやまえことば創人そうじんの強さが桁違いでして」

『──それは前にも聞いたぞ、にわとり頭が』


 弱々しく下手に出ていく瀏鑪哢とは真逆に電話の相手は彼女の対応に腹を立て、低い声を荒げさせながら度々舌打ちを溢していた。

 その度に瀏鑪哢の体が反応して額から垂れ落ちていく汗を拭きとり、不安を抱えながらも耳を傾ける。


『それをどうにかするのがテメェの仕事だろ。

 なぁガキ、し・ご・と・な・ん・だ・よ』


 嫌味たらしい言葉遣いに、彼女は唯々頭を下げ「申し訳ございません」と呪文のように繰り返し謝罪するしかない。


 度々近くの壁に立てかけてある三本の刀をちらり見ては、少しだけ勇気を貰い、少しだけ焦燥する。

 嗚呼ああ、この相手に抗えぬまま他者を殺めようとする自分が恥ずかしく悔しい。

 それもこれも録に稽古もせずに家や沢山所持していたという刀の殆どを売り払っては、女や賭け事にうつつを抜かしていた亡き祖父のせいである。

 怠け者である祖父が世渡りを誤ったせいで、一代にして千石は廃絶の憂き目に遭った。

 身分から収入までも失い、その余波、祖父の残した借金に祖母や父は代わりに追われる身となってしまったが──先代、そして父たちが何とかして守り続けてきた名刀であるこのだけはここにあるのだ。


『──おい、答えろガキ! いつやんのかって聞いてるんだよ!』


 相手の怒声で瀏鑪哢は憎悪から現実に帰還し、我に返った。

 いけない、もういない者のせいにするなど。この道を選んだのは私自身なのだから、その責任は果たせねば。


「では明日、彼を仕留めにきます」


 このホテルも明日でチェックアウトだし、戦いに敗れ命を落としたところで私の因果応報で済む。


『チッ、その言葉忘れんなよ』


 粗暴な口調を崩さぬまま、相手は瀏鑪哢の返事も待たずに電話を切った。

 連絡用に渡されていた携帯電話を机の上に置き、ベッドへ飛び込むようにして彼女は横になり全身を丸めた。

 最近になって初めてベッドで寝た。ずっと床で寝てきたから、この弾力による心地良さが異常なまでに伝わってくる。


 名残惜しいけど明日は速く出よう、深い眠りにつこうと瞼をゆっくりと閉じた──瞬間、瀏鑪哢はすぐさま立てかけてあった打ち刀を手に持ち、扉の前で構えだした。


 顔を枕に埋めようとした時、何か物音が聞こえてきた。それもホテル内から。

 他に滞在している客などではない、遠くからでもわかる程の正真正銘の足音だった。


 音は階段を人ならざぬ速度で駆け上がり、瀏鑪哢がいる階へ辿り着くと強く激しい足音で地響きを鳴らしながら恐るべき速度で接近してくる。

 狙いは私だ。この部屋は狭く、ドアの横幅は二尺九寸七分九十センチ程で通路も九尺二寸四分二メートル八十センチしかない。──となれば、先手を打つようにして頭を二つに斬るぐらいで向かわねばなるまい。

 怪獣が迫るかのような気魂けたたましい緊迫感が、脈の流れを速まらせる。


 刹那、ドア一枚越しに放たれた凄まじい飛び蹴りによって瀏鑪哢は敵の侵入を許した。


  からすのように艶めかしい黒髪が彼女を中心に回り、池のほとりから汲んできたかのような藍玉あいぎょく色の双眸が瀏鑪哢を捕らえながら朱殷しゅあん色の着物をふわりと浮かせ、着地する。

 そのまま着物女は名乗る事もなく接近し、即座に刀を振り下ろしたが着物の袖を切るだけに止められてしまう。


 ──懐に潜り込まれた……!


 刀の間合いを振り切り、顔同士の距離が三寸三分十センチと近い。今から上にかけて撫で斬り、腕一本を落とす事も可能ではあるが首をに入っている。瀏鑪哢の刀よりも相手の手刀の方が今は速い。

 着物女は彼女の頭を掴み上げ、床へと体を強く叩きつけた。


 鈍い音が響き、視界に一瞬光が走るも態勢をすぐに立て直し敵の方を見た──着物女は部屋の窓を突き破り、三階から夜の街へと飛び降りて行ったのだ。


 それを見た瀏鑪哢も残り二本の刀も腰に背負った瞬間、に気付き眉を顰めながらも──迷うことなく、後に続いて飛び降りた。

 高い所から始めて降下、着地時に痺れを覚え、窓硝子の破片を踏み潰すも追跡を開始する。


 ──取られた、取られた取られた!


 ※


 千石瀏鑪哢から多少は距離を開き、着物を斬られた件を十六夜に問い詰められそうだな、とかっかたるそうに思いながらも──走りつつ盗み出した物を確認した。


「これで良いんだよね……うん、良し」


 霞命の言われた通り、それっぽい物を入手してきたけど……私が気にしても仕方ない。さっさと繋げよう。

 着物から借りてきたスマートフォンと幾つもあるケーブル、そして小さな箱状の機材を取り出して盗んできた“携帯電話”とのを探しだした。

 同じ規格の物を携帯の充電差し込み口と何本も渡された様々なケーブルから探し、見比べ、差して、見比べ、差して、見比べ──


 急いで霞命に連絡を取る。


 霞命はすぐに電話に出て、「はい」と彼の柔らかな口調に『ド』で始まり『テ』で終わる店内BGMをスマホ越しに聞かせてくる。


「霞命……一大事」


 深刻そうな声色を出しながら走る私に、「どうしたのですか?」と霞命は聞き返す。


「手に入れてきた携帯さ……あって持ってきたんだけど」


 「はい」と一つ小さなトーンで返した言葉に、彼も事の重大さを少しずつ感じ取っている。


「これ……


 瀏鑪哢から盗み出してきた携帯電話──またの名を『』の充電差し込み口を開け、刺すケーブルを探せど、どれもこれもスマートフォン用の物ばかりで絶賛積んでいる。

 霞命は数秒程だけ沈黙を続け、「まぁ」と相も変らぬおっとりとした口調で返した。

 声色も表情もあまり変わらないのはいつもの事なので、別に怒りもしない。


「だからさ、ついでにガラケー用の充電ケーブルも買ってきて!」

「……すみません、衆能江さん。“ガラケー”って何ですか?」


 嘘だろお前。


 変わらない声色で非常事態にも関わらず、時代進人考変化ジェネレーションギャップを叩きつけてくる我が警護相手。別に怒りもしないけど。


「……スマホ持ってるんなら、調べて」

「えっと、えっと……。

 か……き……く、け、こ、が、ぎ……あ、間違えました……か、き、く、け」


 電話越しに伝わる鈍足なキータッチ、操作は老人以下。百年以上生きている私の方が現代社会のデバイスに適応できている。

 別に怒りは──いやごめん、する。


「あぁぁぁ~~~もう! 店員に聞け! それか、それっぽい充電器いっぱい買ってきて!」


 怒り気味で即座に電話を切った瞬間──目の前に閃光が奔りだし、バク転で回避した。

 正面を向き直すと、空振った打ち刀を再度構える千石瀏鑪哢の姿があった。

 その身を雷光らいこうにでも変えられたら間違いなく追いつかれてしまう、まずい状況。

 瀏鑪哢の美々しい貌は武士の気迫に化粧さ塗られ、街灯を纏いて神々しく煌めく刃毀れ刀の先を私の方へと定めている。

 心を決めた殺気に睨みを返しつつも両手に持っていた物を全てしまい込み──来た道を引き返した。


「──ッ! お待ちなさい! 逃げるのですか!」


 声を張り上げ、瀏鑪哢は何の躊躇いもなく私の後を追跡してくる。

 生憎、私は霞命の様な侍ではない。真剣勝負などするだけ無駄だと思っている主義だ。それに追跡してくれた方が、此方こちらとしてもが後々速く済むのだが──

 肉を切り裂きそうな風のを聞き首を斜め左に曲げると、突如射出された打ち刀が後ろから通り過ぎて近くの木に深く刺さりこんだ。

 現代の侍女子は命よりも大事な刀を投げるというのか、時代は変わる。


 ※


 カゴに買い物を全て入れ、落ち着いた真白ましろを基調とした着物を羽織った白長髪の美少女しょうねんは周りから浮きながらもレジの前に立った。

 美麗な佇まいで置いた物は、何本もの充電ケーブルと四リットルもあるボトルが一つ。

 レジをしていた金髪の青年アルバイトは顔をしかめ、どうした物かと考えた末に目の前に立つ着物っに話しかけた。


「君……」

「はい」


 霞命の凛とした聲、震えは無い。


「未成年、だよね……?」


 差し出された偽造の身分証と彼の美少女の様な顔立ちを何度も見比べる、背丈はどう見ても小中学生、されど年齢は

 いつもならチラ見で気だるそうにパスする彼でも、流石のこれには違和感を覚えてしまう。

 されど、霞命は事前に組んでおいた台本通りのまま焦りを顔には出さず、口を開きだした。


「ぼ──私、こう見えても……二十歳なんです。

 福祉の大学……に通ってるんですけど」


 ちょっと声を張り、大人に見せようと──嘘をつきました。

 本当は十二歳ですけど。


 ※


 先程から霞命が買い物をしているディスカウントストアを中心に、五十メートル範囲内に街を時計回りに走って時間稼ぎをしているのだが、相手もそろそろ気付いている頃合いであろう。

 まだ速さでは此方の方が有利だが彼女は木から打ち刀を抜き取った後も、すぐに私を追いかけ続けていた。

 彼女の俊足は落ちることを知らず、雷光化を使われずともそのうち追いつかれるかもしれない。

 相手が歩き慣れていないであろう道を走りたかったが──霞命から五十メートル以上離れると爆弾が起爆するので、買い物が終わるまで何とかこうしてやりきるしかない。

 くるりと回って爺に酷い目にあった分、瀏鑪哢を滅多滅多めっためたにして殺してやりたいけど、我慢。

 霞命に電話をし敵に追い続けられる程十五分後、スマホの着信ブザーが鳴り、すぐに携帯を取りだした。


「霞命ぁ! 買えた⁉」

「はい、なんとか。今、外ですけど、どこで合流します?」


 電波越しで聞こえてくる子猫の様な愛らしい声、愛おしかったぞご主人様。さっきは怒ってごめん。


「いや、そこから一歩も動かないで‼」


 電話を切り、私は空中で踵を返すと建物の壁を蹴った。──突然、自分の方へと向かって来た私に驚きつつも瀏鑪哢は太刀を振るいだした。

 されど、その攻撃も空振り、私は向かいの歩道に移り霞命の方へと向かう。

 青信号機から追いかけてくる彼女に、『大丈夫か、アレ』と思いながらも私は彼がいる場所へ急ぐ。


 一分も掛からずに眩い建物が視界に見え──大きな買い物袋を両手に、ちょこんと立っていた頭の白い着物少年を発見する。

 わかりやすい目印に飛び込み、彼と視線が合うとすぐさまその小さな体を抱き抱えた。


「ただいま~……そんで行くよ!」


 紅白着物男女が揃い、笑みを浮かべど休みなどない。地面を蹴り上げて、空へと再びその場を離れる。


「霞命ちゃん⁉ どうして⁉」


 彼がいる事への驚嘆を耳にしながらも、霞命が次々と出してくるケーブルを繋げ、「あれでもない、これでもない」と差し続けていく。

 をケーブルの詰まった袋の中から垣間見ながらも遂に──


「来た、繋がった!」


 接続できるケーブルを発見し、そのまま持って来ていた小さな機械へと繋げた。

 ガラケーを操作し、直近──十分ほど前に電話をしていたところへとカーソルを合わせ、操作を実行する。

 コンパクトに仕上がっている位置を特定する為の最新型逆探知機。

 しかし、計測が終わるまで私は瀏鑪哢の攻撃から霞命を守らなくてはならない。

 夜風の中、瀏鑪哢は太刀を振り上げ、三人の長髪が重なっていく。

 振り落とした瀏鑪哢の斬撃軌道を、霞命は視線で追いかけ続ける。


「霞命ちゃん、お願いです! ここで……死んでください‼」

「死ねって人に言うな! この女児ガキぃ!」


 瀏鑪哢の太刀を人差し指と親指で受け止め、そのまま強く投げ飛ばした。

 彼女の華奢な躰は重力に負け、家の屋根の上へと着地する。


 するとピピッと音声が鳴り、一文字ずつポイントが特定されだした。

 それを二人で確認し、私は一人微笑を浮かべる。


「へぇ、すっげぇ目立つとこにいんじゃん」


 そのまま霞命にナビを任せ、私は指定された方向へと脚の向きを変える。

 私に合わせ、瀏鑪哢も付いて来ている。良い調子だ。


 怪物たちは夜街の空を疾走し、一点の場所へと向かって行った。

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