【十四話】「先生と永遠少女」

「じぃじ、僕に十握剣トツカノツルギを貸してください」


 炊き立ての新鮮なお米を噛み締め、ほどよい熱が染み込んでくるみそ汁で喉を温め、だし巻きの絶妙な糖分のバランスに舌は安堵する。──朝食を終えると霞命はすぐに貸出の件を全然さらりと口にして小さな頭を下げた。

 五メートル十六尺五寸ほど後ろから見守っていた私の方にも、彼の声色は凛として鼓膜の中に響き渡った。

 帰って来たばかりでこの要求にも関わらず、同じ場にいる彼の父も母も、そして祖母ですら誰一人として反対意見や疑問すら口に出さず、ただ沈黙してその会話の行き先に耳を通している。

 腕の怪我くらい聞けば良いのに、憐憫れんびんの情すらも無し。


 霞命の誠意を聞き取りつつも十六夜いざよいは茶をすすり、お盆へ静かに置いた。


「良いぞ、持って行け」


 迷いも、間も、決心も、理由も聞かず、それは淡泊あっさりと承諾されてしまう。

 孫に甘いなんて話じゃない、朝食に食べていただし巻き卵よりも考えが甘い。


「本当はお前が前に出る必要は無いんだがな……警護係があんなんだから、いつ死んじまうか解ったもんじゃねぇ」


 縫われた視線は、遠くにいた私の方を確かに睨みつけていた。


「んじゃあ、取って来させるからな。ちょっと待ってろ」

「はい」


 彼の肩を優しく叩きながら不気味な笑みを浮かべると、十六夜はお手伝いさんに話しかけた。


 私はこの部屋全体を──怪訝そうに、庄司の一族を見回していく。

 愛孫あいそんが自ら立ち向かおうとしているにも関わらず、何故素直に大事な刀を渡すのであろうか。


 正直言って、彼は戦いには向いていない。

 いまだに馴れぬこの家族に不審の念を抱きながらも、此方を見てきた霞命に私は『グッド』という感じで親指を立ててみせた。


 ※


「……ん」


 霞命の海水ひとみの中にひかりが泳ぎだしていく。

 窓から浸透してきた日の光か、木箱から姿を現した刃に吸い込まれていくかのように、彼の穢れ無き双眸は決して離れようとはしなかった。

 部屋の全体的に何処となく影を落としていながらも、目の前に在る一点の刀だけは異彩を放っていた。


 白銀の柄を持つ、漆黒の剣。これが『十握剣トツカノツルギ』──日本神話において度々出てくる有名な武器であり、スサノオやイザナギが使用したとも言われている。

 そんな剣を何故か神でもない清姫の父が守り刀として所持しており、清姫が安珍を追いかける際にそれを持ち出し、剣が起こした奇跡によって彼女の水面に映る姿は人ではなく、末恐ろしい大蛇に映らせたのだとか。

 しかし、霞命の『安珍あんちん・清姫伝説』の内容にはそのような展開はなく、『日高川入相花王ひだかがわいりあいざくら』という人形浄瑠璃の方の出来事であり──本来、そんな物は持たないはずなのだが。


 それにこの刀どう見ても……。


「……これで」


 終始黙り込んでいたはずの霞命が突然いつもより少々声を大きく上げだした。


瀏鑪哢るるるさんと、再戦が出来ます」

「あのね、死ぬだけだよ。正直言って」


 直球無慈悲な発言だが、命に関わる事なので率直に告げた──しかし、私の言葉は耳にも入っていない様子でいろんな角度から霞命は十握剣を眺め続けていた。

 蛇女の表情とは真逆に紅い眸は和笑にやりとしている。清姫伝説の血からくる興奮かは知らないけど。


「だからこそ、来た時に備えて練習します」


 すると彼は納得しながらも大切そうに十握剣を包み直して、出かける準備を始めだした。


「まさか……今日も道場に行くの?」

「はい、出来る事は少ないですけど毎日やっておかないと腕が鈍ってしまうんで。今日は元々午前からでしたし、昨日の後れを取り戻さないと」


 鈍るどころか千切れそうになってたくせに。

 止めようにも霞命は止まってくれず、『やれやれ』と溜息をつきつつも部屋を出て行った彼の背中を早歩きで追いかけて行った。


 ※


「無謀は、強さではない」


 日差しに照らされて霞命の白髪がこうを帯びていたが、道場の玄関前にある屋根によって光は暗がりへと落とされていく。

 霞命が扉を開けると、仁王立ちでその場に立っていた霞命の先生と目が合い、無言のまま迫られた霞命はその小さな頭に拳を置かれ──張りだした声でそう告げられた。

 どうやら事前に襲撃されたことを聞かされていたようで、今日は休みにする予定だったそうな。

 しかし来たならば、と部屋の奥へと招かれていく。


「今日一日、刀を持つ事を禁ずる」


 先生に言われた稽古内容を聞き、霞命からは気落ちした焦燥感が伝わってきたが──軽めの運動を続けていくと、彼もいつもの冷静さを徐々に取り戻していった。

 道に迷いそうになったら初心さいしょに戻れ、とはよく言ったもの。


 小休憩を挟み、ハンドタオルで顔を拭きながらトイレに行く霞命を見届けると、私は先生の方へと恐る恐る近付いて行った。

 初段審査の時から一度話してみたかったのだ。


「襲撃事件──君は私のところまで来て、霞命の忘れ物を取りに来ていた。だから、彼が戦闘している事に気付くのに時間が掛かってしまった」


 聞いていて気分の良いほど鋭い声、されど予定調和、台本の様な台詞回しで不可解な事を語りだしてくる。

 だって、のだから。私はコンビニで酒を買っていた、忘れ物を取りに行ってなどいない。

 言われた内容を幾ら咀嚼せども意味が解らず、私は気づかれない程度に下唇を噛んでいた。


「……と、


 違和感混じりの正体は、すぐにうち開けられる。


「いう事?」


 子供じみたオウム返しをすると、答えはすぐに帰って来る。


「霞命のついた嘘だ」


 嘘、嘘? あの子が? 嘘を言うイメージが思い浮かばない。


「その嘘に私も乗っかった、それだけだ」

「どうしてです? メリット、ないでしょうに」

「きっと……霞命は初めて嘘をついた。

 生徒の始めての嘘、本当のことを言わなくてはならないんだろうが……これは、せめてでも君を守りたいと言う男の嘘だ」


 せめてもの嘘、私を護ろうとついた。

 となると、私が十六夜に痛めつけられた件は霞命に黙っておいた方が良いのかもしれない。


「失礼ながら高名な大江山絵詞おおえやまえことばが付いているといえど、一人だけではご苦労が絶えないと見える」


 同情の言葉、一瞬で脳内に一寸の光が灯りだした。

 やっと、私の苦しい状況を理解してくれる人が現れたのだ。長いマラソンを走っている最中に飲む水が如く、私の中から嬉々の気持ちが溢れ出していく。


「そ、そうなんですよ~……私一人でやらせてるんでマジふんなんですよ。

 学校は終わるまでずっと屋根の上で待機だし、給料なんて無いし、失敗すると痛めつけてくるしで何考えているんだか──アレ、私が創人そうじんだってご存じですか?」


 声を上げながら愚痴を襤褸ぽろぽろとこぼしていくと、先程先生が喋っていた言葉が振り返ってきた。


「君が初めて来る前から十六夜さんの部下から話は聞いていた、因果なものだな君たちは。

 ……そのせいで霞命の筋肉作りも苦労している、性別は男なのに肉付きはのだから普通の男児ともやり方が異なってくる」


 心中ご察しすると言いたげな言い方から変わり、霞命を教える師としての困難が伝わってくる。

 言われてみても彼の体付きは鍛えてるため多少男に見えども、その殆どが女とあまり変わらない。──だから、霞命はいつも個別で受けているのか。


「そうですよね、私だってよくわかっていませんもん……。まったく、何で私が霞命の護衛に拉致さ雇われたのか。いまだに意味不明ですよ」


 髪を掻き揚げまたもや愚痴の様に呟くと先生は眉を少しだけ寄せ、妙な事を聞いたかのように首を傾げだした。


「まさか……だが、十六夜さんは言ってないのか? なんで霞命に君を付けているのか」

「……? はい、ものの見事に『命を懸けても霞命を守れ』と一言だけ」


 私の言葉に瞠目した様子を浮かべていると、先生は後頭を搔いて「……なんでそんな大事な事を言わないんだ」と困り果てたように言葉を溢しつつも、いつもの顔つきへと戻り冷静な口調で話を続けていった。


「……霞命はもう時期『十三歳』になる。十三歳といえば、逸話によって異なるが……清姫が安珍に恋をし、殺した年だ」


 開いていた窓から冷風が侵入して来て、穏やかな空気をひずませる。

 話は知れど、清姫彼女の年までは知らず──それだけでを理解することが出来た。


「創人達の間では妙な噂があるらしいな──『同じ創人を喰えば不死に近づける』。

 それも力を使えるようになったばかりであればある程に」


 変異で信憑性の無い噂、放浪中に会ったいけ好かない奴も不気味に笑いながらそんな事を言っていた。

 物語創造物で出来た肉を喰うなど酷く嘘らしいカニバリズムこん思考。


「普通の人間の血が濃くなっていき、創人の出生率は年々減少しているからこそ幼い霞命を狙っている者は少なくない。──よくある『人魚の肉』の様な話だ、本当に信じている者がいるとは馬鹿々々ばかばかしい。元から不老不死なのではないのか」

「私みたいなのは不老ですが、創人が皆、不老とか不死なわけでは無いのですよ」


 先生の発言からして彼も全ては理解しきれていないとみて、言葉を紡ぎだした。

 我々は『物語の再現体』に過ぎない。人という小さく不十分な器の中に物語を詰め込んでやっとの思いで動きだすだけの生物であり、体は人間とさほど変わりない。


「まぁその噂が本当だとして、まだ物語を再現できていない霞命を襲うなんてとんだ臆病者です。熟成前の肉で不死身になれるかって」


 年頃的に信じそうではあるが……しかしあの瀏鑪哢とかいう少女、不老不死になりたいだのそんな欲は無さそうに見えていたが。


「霞命の命を守る、だから君が付けられたのだろう。そしてもう一つ……」


 霞命の先生は最後にとっておいた本命を口にしようとする、それは少々重く、言いずらそうにしながらも続けていった。


 が、私はその本命をもう理解している。嫌な事だけど。


「霞命が……誰かを、かもしれない、って事でしょう?」


 彼から言葉が返ってこず、無言に確信を得る。

 『物語の静止』、そのために自分は霞命の下にいるのだろう。

 誰かを殺めそうになったら止めに入る、そして彼らにとって何より良い結末が。


 ──霞命を私に惚れさせて、殺すこと。


 一度やってしまえば、彼は完全になる。そして私は、体に仕掛けられた爆弾で抵抗が出来ず無意味に殺されていく。

 私が今まで犯して来た事への贖罪のつもりか、あぁ良い処分の方法を思いついたものだな。

 まったく嫌なことだ、最悪なことだ。


 すると静かな足取りで霞命がやって来て、私たちの方へと珍しそうに視線を向けていた。

 平静とした顔で突っ立っている彼を見ながらも、先生の耳もとに語り掛けていった。


「ちょっと口出しして良いですか?」


 意図を感じ取ってくれたのか先生は頷き、私は霞命の方へと近づいていった。

 小さい子、小さき子、いつか愛する者を殺めるかも知れぬ馬尾ぽにぃてぇるの可愛い子。


「霞命」

「はい」


 気持ちの良い返事が、耳で小躍る。

 いつか来るかもしれぬ運命さだめに、私は心配しているのだろうか。彼を。

 今から見せようという“技”を使って、いつか私を愛し殺すかもしれぬのに。


 私が……私が初めて物語ちからを発現した時、誰も教えてくれなかったな。そういえば。


「少しだけ、頼光よりみつの技を見せてあげる」


 「え」と驚いたように溢した霞命の一言を聞き流しながらも、壁に飾ってあった一本の居合刀を手に取った。

 ──最近、刀を振るう機会が増えたな。嫌いなのに。


 私の虚空目の前に幻想の竹──すなわちイメージの目標を描き、五つ綺麗に標的を整列させた。

 鞘を抜き、姿を現すは白銀色のやいば。これが切り裂くモノはくうであろうが、今、きみを握っている使い手は一味違うと信じて欲しい。


 そして──我武者羅、唯我独尊、電光石火にからだを縦横無尽に飛ばせ、全てを斬り刻む。


 床を飛蝗ばったの様に跳ね、刀を蟷螂かまきりが如く振るい、蜂よりも俊敏に射る。

 道場内に自分の脚音が『ダンッ』と強く残響していきながらも剣技は終え、妄想の敵を全て斬った事を確認した。


「これは……私だから出来る事、真似しろとは言わない」


 霞命の心は、きっと今震えている。

 その場を動かずに視線で追いかけ続け、重ねながら握りしめていた両手は静かに震えた。

 やってしまった……だが、プライドだけでは勝てない。

 私は長く生きすぎて、その事と向き合うのに時間が掛かってしまったけど。


「瀏鑪哢対策の為の技を一緒に作って、いつ来るかわからない襲撃の為に叩きこんでいくよ」

「……はい!」


 気迫のある声──我流とは己が生み出す技なり。


「先生から教えて貰う本来の鍛錬も怠らずに……出来る?」

「はい!」


 気持ちの良い返事がまたも来る、私にも姉弟がいればこの様なものだったか。


「すまない、良いか?」


 すると、先生が突然話しかけてきて私は慌てながらも居合刀を差し出した。

 彼の顔つきがいつもより渋い、怒ってはいなそうだが。


「ごめんなさい、余計な事をして」


 「うむ」と小さく呟きながら刀を受け取った先生の眼も、いつもより研ぎ澄まされて見える。


「……名を言ってなかった、私の名は網師野一誠あじの いっせい


 突然、鋭く呟かれたことに少々たじろぎだしてしまう。

 いきなりどうしたのだろう、まるで今から剣を交える侍の様に名乗りだして。


「あなたの剣技に驚きを隠せぬ者だ」

 

 嗚呼ああ成程なるほど。驚きは安堵に変わる。

 意外にこの網師野一誠先生も『男の子』という生き物だったのだ、刀で己が身と心を鍛え上げ続けた唯の中年などではない。見た事も無い技を見れば興奮もしよう。

 自分の技かと問われれば怪しいところだが思いのほか感動されてしまい、私は目を瞑りながら照れ隠しをした。


「……ふふっ、ありがとうございます。

 改めまして、私は大江山絵詞の創人『衆能江』。酒呑童子でも好きなので呼んでください」

此方こちらこそ、今後とも霞命を頼む。……衆能江殿」


 ウェットティッシュで拭きだした手を差し出されると、私は迷うことなく手を握り返した。

 手の皮が厚くて硬い、これは幾度となく剣を振るった武士の握手であった。

 一方、霞命はいつもの様子と違う自身の先生を見て、目を丸くしながら首を傾げていた。

 男って皆こう、君もだよ霞命。

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