【十三話】「怪物が見続ける悪夢」

「今日みたいな秋空の下で、お前は産み落とされていたんだ」


 ──山奥にある古いお寺の石橋で住職の父はまだ幼い少女を膝に乗せながら、彼女の出生を語っていた。

 細切れにおろされた巻雲けんうんの早朝。産まれた姿のまま寺の前で放置されていたまだ赤子だった少女の上に、手よりも大きな秋葉が舞い落ちて、あやすかのようにお腹をくすぐっていたと言う。


 血の繋がりがないにも関わらず同い年である住職の娘とは姉妹の様に毎日を過ごし、寺で寝泊まりをしている十人の修行僧たちとも楽しく暮らしていた。


 春は花──桜の下を歩いては、片々ひらひらと落ちゆく花びらを舌の上で受け止める。

 夏は水──熱さを凌ごうと娘や修行僧の少年たちと川で水遊びをし、父が友人から貰ったという西瓜すいかを食べた。

 秋はあゆみ──下町まで歩いて行っては野菜やお魚を皆で買い込み、いろんな食を楽しむ。

 冬はさび──雪が胸の中を刺してきたが少女達はそれを逆手に取り雪で遊んでやることで痛みを忘れ、両手に冷たさを覚えた。


 そのうち二人は、山どころか下町でも知らぬ者はいない。美人姉妹として皆が憧れるまでに成長を遂げていた。


 酒が飲める年頃になると住職の娘は重い腰を上げ、修行僧の一人との結婚を決意をした。

 婚姻は正月を過ぎてからと話を決め──その年の大晦日はいつもより入念に大掃除をして、例年よりも増して大盤振る舞いに料理を作り込んだ。


 初日の出を祝うべく早朝に起きよう、などと約束を交わしながら囲んだ暖かい食卓。

 お酒を飲み交わし、少し酔いが出たのか私は住職の娘と住職に感謝し始めた。


「どこの誰の子かもわからない私を受け入れてくれて本当にありがとうございます、本当に感謝しています」


 少し泣き上戸になってしまったのか、それが皆に伝染し目頭が熱くなってくるも住職はただ一人温和な笑みを崩そうとはしなかった。


「あぁ……そんなの当然だ。■■■は天が我々に与えてくれた子だ。そんな子を見捨て──」




 ──……ん、映像が変わった、




 涙を溢してしまいそうな暖かいから一変。


 灯は全て消されたのか辺りは暗がりになっており障子から浸透してくる青白い月光のみが立ち尽くしている少女を照らしていた。

 どうしたのだろうか、あんなに楽しそうだった大部屋にはこれでもかと赤い水が飛び散っている。

 汚らしい、なんだこれは。折角大掃除をしたのに、料理もたくさん作ったのに、料理はひっくり返され畳の上で見るも無残に多くの肉が転がっているではないか。


 という事は……はて、死んだ? 死んだのか? 兄弟同然だった修行僧たちの腕や頭が取れている。

 住職……お父様? なぜ腹にあなが? 塞がないでどうして寝ているの?

 娘さん……? 姉妹同然に育った娘さん……? 少女に髪を引っ張られたまま、何故抵抗もしないで虚ろを見ているのだろう。

 唐突に何故このような暴挙に出たのか、傍観者である私には解るはずもなく。


 すると少女は突然娘さんの頭部を引き裂いて脳みその赤黒い断面を露出させると、床に落ちた頭頂骨を手に取り、盃の形へと腕力で加工し始めた。

 血がこびりつく盃の中に住職が持っていた酒を注ぐと頭頂骨を両手で持ち、平静なまま飲み干しだす。

 初めての飲酒。

 少女の持つ娘の頭頂骨さかずきにはまだ血が残っており、喉に流し込むは小汚い狂気酒。

 味も何も感じぬまま盃を投げ捨て、袖で口元を拭き、自分の造り上げた惨状を見下ろしてもなお少女は豚の屍骸を蔑むような眼差しを向けていた。


 なんで、どうして。

 何故、何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故こんなことをしたの。こんなことをするの。

 非道ひど非道ひど非道ひど非道ひど非道ひどむごむごむごむごむごい。


 この少女に対して腹の虫が収まることを知らない、家族同然の人たちに対し恩を仇で返すなど何を考えている。

 こんなヒト、早く殺してことにしてやりたい。


 すると、少女は吸い込まれていくようにして血みどろの手で襖を開け、外へと出て行った。

 よどんだ鉄の匂いに腹を下しそうだった大部屋に新鮮な冬風が吹きこんできて、侵入してきた雪たちが死体となった家族に触れていく。

 慌てた様子もなく少女は月光を浴びた青白い雪の上に裸足を乗せ、どこか空虚に見せる背中で月を見上げた。

 まるでこの世界に降り立った神秘の妖精、家族を殺して少女は初めて目覚めたのだ。




「……そろそろ年が明けた頃かしら。」




 月から視線を逸らさず、さりとて行く当てもなく死人しびとが残されたお寺を後にする。

 初日の出を一緒に祝う事も、もう二度とない。


 家族を殺したにも関わらず平然としている少女を殺してやりたかった。──しかし、既視感か同情か、少女を見ていると次第に気持ちが薄れていき──少女の心を理解してしまった。


 不可解だ、私はあの子が一目見た時から嫌いだったのに。


 ではなぜ──私の服と手が紅く濡れていて、口の中が不味いのだ。


 ※


 目が大きく開き、夢から現実世界へと帰還する。

 外から微かに漏れてくる群青色で今の時間を把握する。──四時半、夜明け前といったところか。

 鼻から大きく息を吐くと布団を口元まで覆いかぶさり、隣で深い眠りについている永進丸えいしんまるを横目に一瞥した。笑顔ではない彼女を見ていると何処か新鮮さと不安が募りだしてくる。


 ──心地良かったのか寝てしまっていた。


 夢なんて最後に見たのは何時いつぶりだろう。それに悪夢ときた、酒を飲まないからこうなる。絶対そう。

 どうせ見るのであれば──十六夜いざよいと紗を殺し、屋敷の外で酒を溢れんばかり飲む。

 そんな今現在渇望してやまない楽園を見せて欲しかったものだ。

 もっとも、その場合でも現実に戻させるなと文句を垂れ流すだろうが。


「……霞命かなが帰ってきた」


 永進丸のか細い声に驚き、私の体が大きく反応した。

 熟睡中かと思いきや、縫われていた眼の奥はとっくに覚めていたのだ。

 耳を澄ましてみると、微かに遠くから何人かの聲が聞こえてくる。


「行ってあげて」

「行かないのですか? ……ご一緒致しましょうか?」

「ううん、まだちょっと寝ていたいの」


 子供の様に呟くと口角を上げ、いつもの笑みを浮かべだす。

 いつの間にかこの表情に安心感を覚えてしまっている自分がいた事に気付きながらも、布団から起き上がり襖を静かに開ける。

 出て行こうとした私の背中に「一つだけ、最後に」と、彼女は倒置法で話しかけてきた。


「見えない物が当たり前になれば、見えない物に恐怖する事も無い。だって全てどんな形や色かもわからないんですもの」


 盲目についての事なのか、彼女はいつもと変わらぬ声色で短くも教えるようにして話を終える。


「……そういう人もいるって事を覚えておいて欲しいってだけの、弱者の戯言よ。いってらっしゃい」


 調子が狂いそうになりながらも部屋を出て行き、玄関へと足音を立てず急ぎだす。

 長い廊下を突き進み、玄関を出ると周りにいた多くの者が私を見て瞠目し、お手伝いの女性は「ヒッ」と小さく悲鳴を上げた。


 リムジンの後部席からゆっくりと霞命が体を出し、朝焼け前の空が長髪を薄水色に染め上げようとしている。

 人の中を堂々と進み、霞命の前に立つと見上げた彼は目を見張り、「衆能江さん」と軽く呼んでくれた。

 寡黙なまま彼の手を優しく取ると付き添って、そのまま屋敷へと誘導していく。

 私の大きな歩みに追いつこうと、霞命は小さな足取りを合わせた。

 すると、玄関の目の前にいた人物と目──もとい気配が合い、私は怨色へと顔色を変えた。


「どうだ霞命、傷はまだ痛むか?」


 十六夜の問いかけに霞命が脚を止めると、私は霞命の足元へと視線を移して十六夜を視ないようにした。


「いえ、清姫の治癒力も相まってもう大丈夫です。

 二日程安静にしていれば良いようでしたし」


 『清姫の治癒』、そのような力があったのかと疑問に思ったが、荒れた山道で傷だらけになりながらも愛した男を追いかけ回した女だ。それくらいあっても不思議ではない。


「おうおう良かった良かった、じゃ朝飯まで自分の部屋でゆっくりしてろよ」


 縫い目の引きつった破顔一笑の笑みで霞命の肩を叩くと十六夜は私の横を通り過ぎ、重い足取りでリムジンの運転手の方へと出向いて行った。


「行こっ」


 この場をすぐに立ち去りたい思いが先走り、霞命の手を引いてさっさと玄関へ戻って行った。


 ※


 霞命が左膝で左脚の太腿をこついてきたので、左へとページを捲る。

 霞命は胡坐をかいた私の脚に軽い体を乗せて、本を読んでいた。

 私から提案した事であり、霞命に腕を使わせない為の方法だ。無論、彼は最初断っていたが。


 両手で彼の読みやすい位置へと小説を見せ──目の前に映る彼のつむじを眺めていた。可愛いつむじ。

 長く伸びた白髪はくはつのせいで後ろからだと女にしか見えず、霞命の姿にくを凝視しては慣れたはずの違和感が脳を駆け巡っていく。


 黙々と読み進め、読書は十分足らずで終わった。残り数ページで読み終わるところだったようで、まぁ仕方ないが。

 小説をその辺に置くと霞命が起き上がろうとしたので、離すまいと後ろから抱きしめた。

 それに抵抗もせず身を任せる彼、端から視て今の私たちは姉弟の様に映っているであろうか。


「よく耐えたよ、お坊ちゃん」


 いつもの態度を振り撒き、霞命の頭に話しかけていく。


「初陣でアレだけ抵抗できれば上出来じょうでき上出来じょうでき、次からどんどん強くなろうね~」


 嬉しそうにしながらも嘘くさい態度で褒め称えて、彼の後頭部に顔を擦りつけると永進丸と似た暖かい匂いを感じ取った。

 親子は似るって事か、私の知らない世界だな。


「本当に運が良いよ、もし暗殺者が『国産み』とか『クトゥルフの呼び声』とかだったら私でも対処しきれなかったもん。

 いや~良かったよ、相手が鈍刀なまくらがたなで」


 相手が助けた少女だと知った時は多少なりとも驚いたが。

 いったい何の目的があってかは知らぬが、奴も創人そうじんである事には変わりない。どう霞命に接近させずに殺すかが今後の課題となる。

 ふと、あの悪夢が脳裏を過ぎり鳥肌を立たせた。──私から離れようとせず永遠と付きまとってくるあの忌々しい悪霊。


「霞命、私たちって“人”だと思う?」


 思いがけず霞命にずっと思っていた事を問いてみた。さて、どうくるか。

 霞命は斜めに顔を上げ、無表情なままに思いついたことを答えだしていった。


「人、ではないでしょうか。体の殆どは人と一緒だと聞きますし、普通の人たちと変わらない日常生活を送れていると思います」

「……それは霞命が恵まれていて、愛されているから、人と変わらない生活が出来ているだけだよ」


 少し意地悪そうに放った言葉を聞き、霞命は塞ぎ込むように小さな唇を閉ざしてしまう。

 されど、普通の人として暮らせていない者の方が多いと、私は思う。少し人と違うだけで差別され、すさむか自害か犯罪を犯すか。

 人間社会で生きていくには私たちはのだ。


「私も自分は人だって思いたいけど、きっと人から見たら私たちは『人に似て遥か非なるモノ』ってやつなんだよ。

 老いも遅くて、簡単に他者を捻じ切る生物界の上位存在よ」


 私たちは決して人としては生きられない、生きる事が許されない。

 人を捻じ切る力を持つ動物たちのその殆どが、人の知恵によって捕獲され絶滅させられている。今の私だってそう。

 いつか創人全員がそうなるのではないのだろうか、と悪い事を想像してしまう。


「……ねぇ」


 ……だから、なのかもしれない。でも聞いてみなきゃわからない。


「霞命、私のこと好き?」


 同じ創人だから、惚れただけなのかもしれない。──永進丸が吐露した事を訊いた。

 霞命は少し黙り込んでから、「好きですよ」と素直に白状してきた。


「お優しい方です、嫌いになるはずがございません」


 異性ではなく警護者として信頼していると言いたげな声色で、霞命は私の膝から立ち上がった。


 しかし、霞命。──好きかを問いた時、君の唇が少しだけ痙攣していたところを私は見逃してはいないぞ。

 となると確信は少し明確となって、私は自分の髪を掻き揚げた。


「朝ごはん」


 一言だけぽつりと言うと霞命は部屋を出て行き、その後に私も続いて行った。

 調子を戻そうとしているのか、前を進む足取りがいつもより早い。


衆能江しゅのえさん」


 すると今度は少し大きな聲を出して、白髪は朝の光を纏って尻尾の様に揺らした。


「朝ごはんが済んだら、じぃじに“十握剣トツカノツルギ”を貸して貰えぬか聞いてみます」


 神話に出てくる名を語り、柘榴石ざくろいしの眼差しを向けた彼の眸には決意が入り混じっていて不思議と身震いをしてしまう。

 この子──自分で決着を付ける気なんだ。


 こういう人ほど、直ぐに命を落としてしまうというのに。

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