【十二話】「子孕んだ母の脳裏」

 霞命かなの部屋以外で寝るのは何気に初めてだ。

 彼の部屋よりは少し広めだが、月なんて見えもしない叢雲の窓から寂しさだけが語りかけてくるようで少し落ち着かない。


 そんな一室、おっとりとした口調を保ったまま終始しゅうし隣で話しかけてくる人物がいた。


「ふふっ……まるでお泊り会みたい。同性の人と一緒に寝た事なんて無いからなんか新鮮。──ありがとう、衆能江しゅのえさん」


 私が一緒に寝て良いものなのだろうか……本人から許可は得ているけど。

 何か言い返さねばとそれっぽく口調を合わせてみる。


「いえいえ、私こそこんな綺麗な人と寝床を共に出来るなんて光栄です」


 一人で寝るにはちぃと広すぎる布団の中、二人並んで横になっている。

 今日は霞命かなが帰って来るまで一日中起きているつもりだったんだけど。


「お布団が大きくて少し落ち着かないの。お父さんったら、わしをまだ赤ちゃんだと思っているのよ? 赤ちゃんは結婚もしないし子供も産まないっていうのに」


 ──よく喋る。


 尻目に観察してみる。──隣で寝ている長髪の女は莞爾かんじとした笑みを保ちながら、無惨に“縫われた双眸そうぼう”で此方を凝視している。

 眼さえ正常ならば彼女は絶世の美女であっただろうに。庄司家に産まれてしまったが故の不幸か。


 それにしても意外なのが一兎とは別室ということだ。盲目な永進丸えいしんまる一人で寝かせるなんて、少しは心配しないものだろうか。


「──夫が一緒じゃなくて変?」


 驚いた、読心どくしんしてきたぞ。


「お父さんがね、一緒は駄目って言うのよ。新婚の時、一緒の部屋で寝ようとしたら一兎かずしげさん斬られかけたんだから」


 微笑しながら語る内容に面を食らうと、私は天井へ首を回した。

 十六夜いざよい……本当ほんと、何処までも嫌な男だな。

 こんな話を聞いてしまえば永進丸が身籠ったと知った時、と想像してしまうではないか。


 到底一人息子の母親とは思えぬ、二十歳はたち一歩手前と表現すべき若い見てくれの小娘

 五感の一つを封じられようとも不思議と不自由が無さそうに見え、病もなく元気に生き長らえられている。


 すると途端に彼女は私を見つめたまま黙り込んでしまった。

 起きているのだろうか、此方から話してくるのを待っているのだろうか。

 一度も話した事の無い女の顔をまじまじと見ながら少し考え、友達と喋るような声色で舌に乗せる。


「旦那様とする際、どのようになさったんですか?」


 彼女は無言を貫く、それでいい。きっと寝たのだろう。まったく、変な質問をしてしまった。


「そうね……」


 予想外──永進丸は小さな顎に人差し指を乗せ数秒ほど沈黙した後、平然と語りだした。


「ようは、男性をその気にさせれば行為の成立はほぼ確定でしょう? だから衣服を全て脱いで一兎さんに身を寄せて……」

「──参考になりました。こんな話を聞いてしまい大変申し訳ございませんでした」


 此方こちらから聞いてなんだが、内容が生々しすぎて謝罪の言葉しか浮かばない。

 彼女は霞命の母親だ、そうやって霞命が産まれてきたと考えると失笑すら禁じられてしまう。


 話を中断された永進丸は不思議そうな表情で沈黙していたがすぐに元の笑みに戻り、まとめを言いだした。


「まぁ、『男とはそういう生き物です』という結論です。霞命にもをしてあげてくださいね」

「はい、奥様の話を参考に──んー?」


 唐突の違和感に言葉が詰まり、怪訝な表情を浮かべる。

 つまりこの母親は、自分の息子とそういう事をしても良いと言っているわけで。


「儂ね、貴方に少しだけ嫉妬していたりするの」


 暗きに静まる部屋の中、藪から棒に無垢で愛らしい声色が吐露してくる。


「嫉妬……ですか?」


 彼女の言葉を聞き──まるで幼子の話を聞くかのように、私は喋り方を変えた。

 それに頷き、無垢な幼子永進丸は語りを続ける。


「貴方が初めて来た日──貴方がどんな人だったかを霞命に聞いてみたの。そうしたら『とても綺麗な人でした』って。

 人? 鬼じゃ無くて? って不思議に思ったけど、あの子が言うのなら貴方はとても綺麗な人なのでしょうね」


 彼が話したという私の第一印象を聞き、私は無意識に唇を閉ざしてしまう。

 ──皆が悪鬼と怖れていたのに、霞命だけは最初から私を人だと認識していたの?


「そこで『お母さんとどっちが綺麗?』って聞いてみたら、黙り込んじゃったの。霞命恥ずかしがり屋だからついつい意地悪しちゃった」


 母親の溺愛話にしか聞こえぬ何の変哲もない唯の息子語り。しかし、その優しい言葉には微かに劣等感が入り混じっている。


「一緒の部屋で過ごすって聞いたらすぐに布団を広げたり畳んだりする練習をして、最近はいつもより稽古に身が入るって」

「……さようですか」


 今度はどこか嬉しそうで誇らしげ、永進丸の声色に含まれる感情は喜怒哀楽と様々な色彩をいろどらせていく。


「あの子、貴方に恋しているわ」

「ほぉ……はい?」

よ」


 自らが産んだ子に対する直感なのだろうか、息子の心情を平然と目の前の女へ小悪魔的に暴露する。

 今のは果たして、私が聞いても良かったのだろうか。


「いつだったかしら……急いだ様子で廊下を走っていて、霞命の通った後に足を置いてみたら濡れていたの。

 髪からも水滴が聞こえていたし、ドライヤーどころか全身も拭いていなかったみたい。そんなに慌てるなんて……いったい何があったのか」


 と呟きながら、縫われた眸でじろりと見定めてくる。

 身に覚えがないと言えば嘘になる、私が入浴中に侵入した日の事。

 私は顔色を変えずに息を呑んだ、その時しようとしていた策略が露見しているのではないかと脳裏に過ぎりだす。


 そんな焦りもいざ知らず、思い出したかのように永進丸は話を紡ぎだしていく。


「そういえば、『こんびに』……? に、付いて行ってくれたんですってね」


 しまった、霞命に釘を刺すのを忘れてしまっていた。どうしたものか。


「まぁ……ありがとうございます」


 だがしかし、彼女は横のまま嬉々として会釈をした。


「一緒に付いて行く事も出来ないし、一兎さんも仕事で忙しいから本当に助かるわ」


 今度は嬉し気でされど悲し気な声色。思いがけない感謝の言葉を送られ、私は言葉を返せなかった。


「儂はこんな眼だから、あの子と同じ景色も視れなくて思い出も共有できない。

 庄司しょうじに産まれた創人そうじんじゃない人たちは全員産んでくれた母親から決まりがあるの。儂はあの子を縫わずに澄んで安心したけど、お母さんはどんな気持ちで赤ちゃんだった儂の目を縫ったのかしらね……」


 庄司家の宿命たる清姫ならざぬ者の後産、これが先祖代々とは如何いかがな狂気か。


「儂にとって目に見える世界は前も後ろも地面も天井も全て白。

 だから霞命が創人に産まれて少しだとは思ったけど、儂は良かったと思っているの。あの子がいろんな色や形を自分の目で触れられるんだから」


 そう言いながら永進丸は布団から自分の痩躰そうくを起こし、私の方へと頭を下げて土下座の姿勢を取りだした。

 彼女の姿を見た反応か、私も起き上がる様にして上半身を上げた。


「奥様……」

「どうか儂の代わりに霞命にを作ってあげてください。一人のちっぽけな取るに足らない盲目人間の願いという事は承知の上。それでも一人の母親の望みとして身勝手ながら聞き入れて欲しい。腹を痛めて産んだ大切な子供宝物なのです。

 ──どうかよろしくお願いします、酒呑童子しゅてんどうじ様。儂を腹に収めても構いませんから……」


 そう一匹の鬼へ願うと、彼女は押し黙ったまま顔を上げなかった。

 永進丸が晒す小さな背には上位者に対する震えなど微塵も無く、誰にも屈する事のない私の持ち合わせていない強靭さを見せつけていた。

 この母親の言葉に何かしらの共感を覚えるのは、自分が一応人の身であるからだと信じたい。


「──そんなことを私に頼むのは無粋な賭けですよ。

 私が霞命を食い殺す可能性もあるのですから」


 そのような願いに値する者ではないと畏怖いふさせるべく、私は脅すようにして永進丸を諭しだした。

 意地の悪い突き放しだが、私自身そんな事を出来る自信が無いのだ。


「あなたは食べないわよ」


 永進丸は確信とした口調で返事をし、遂に顔を上げた。

 その表情はいつもの笑みへと戻っており、口調もになっている。


「だって、もしそんな事をしたら脳や心臓や首がボンッ! ……なんでしょう?」


 まるで嘲笑うかのように、父親の言った言葉を微笑で口走る。

 嗚呼、やっぱり十六夜の娘だ。こんな悪いところが遺伝しているなんて。


 永進丸はそのまま横になり、私も元の位置へと寝転がった。

 ずっと彼女は笑みを保っていた、話している最中さいちゅう声色は微かに変われど顔だけは変化が無い。考えが読めぬというところも似ている。


「あ、あと──」


 またも思い出したかのように喋りだす。


「儂のことは気楽に『永進丸』って呼んで。奥様じゃ貴方も堅苦かたっくるしいでしょ?」


 ──こういうところは、霞命の母親だと実感する。

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