【十一話】「骨肉が裂かれるお辞儀」

 美々な着物を裂いて腕に食い込んできたから、刹那にして電撃が流れ込んでくる。

 視界が霞み、髪はふわりと一種の生き物の様に逆立つ。──感電で筋肉が縮小しようとして、奥歯が小刻みに震えるのを必死に抑えた。


 火蛋白石ひたんぱくせき色の澄んだ眸で、瀏鑪哢るるるは目の前の怪物女性を見据える。

 一度会ったことのある女、言葉を交わした女、恩を仇で返す事になるもう一人の女。

 この様に敵対する事は瀏鑪哢るるるが嫌う一つの行為であるというのに、何故こうも上手くいかぬものか。

 渾身の一振りを受け止められると、瀏鑪哢は急いでその場から二十歩ほど距離を置きだした。

 まともに戦ったら事は、この身と思考が認識している。


 腕から伝った血液の雫が垂れ落ち、白い電撃が一瞬地面を走りだして行った。

 血肉に残留する電撃を諸戸もろともせず衆能江しゅのえは痺れた片手で、先程よりも彼を強く抱き抱えた。


「一、二週間ぶりの酒で高揚しちゃってた。まさか気付かない程に感覚を鈍らせるなんて、不覚。

 停電した時点で向かっていれば……まさか一、二分でこうなっていたなんて」


 言い訳を混ぜながら懺悔を吐露する、まるで独り言のように投げ捨てた目線は下に留まっている。

 顔は地面に向けたまま、藍玉あいぎょく色の視線だけをぐるりと少女の方へ回す。──すると目の前にいた瀏鑪哢は頭を下げ、直角九十度のまるで手本のようなお辞儀をしてみせていた。

 ゆっくりと前身を起こしている間に『首を刎ねようか』とも思ったが少し様子を見る事にした。


「ご無沙汰しております大江山絵詞おおえやまえことば様。私は大友興廃記おおともこうはいき創人そうじん──千石瀏鑪哢せんごく るるると申します」


 生真面目か、未熟か、何を血迷ったのか、対峙している場で突然自身の素性を明かしだす瀏鑪哢。

 これは、彼女なりの強い者に対する礼儀作法である。

 その挨拶を見聞き、衆能江は淑女の形相をしかめだした。一つ気がかりがあったからだ。


「……“るる”?」


 不思議そうに呟かれた二字に瀏鑪哢の唇が反応し、眉を寄せる。


「“瀏鑪”です、一文字足りない」


 ムッとした表情、納得のいかぬと言いたげな声色で訂正を要求してきた。

 『あぁそれで合っていたのか』と衆能江は自身の聞き間違いでなかった事を確認した。『るるる』ではまるで適当に書いた歌詞の様でどうも歪だ。『るる』の方がペットの様で可愛かわゆい。


 とりあえずこの場は誤魔化そう、真面目に謝れば許してくれそうだ。


「……珍しい名前だったから聞き間違いかと思っちゃった。いや、悪気は本当に無いの。御免なさい」


 相手の顔色を伺ってみると瀏鑪哢の眉は元の位置へと戻っており、冷静な物になっていた。


 それにしたってとは何事か。私の正体に感づいて、攻撃の瞬間を練っているのか。

 流石に何度もあの電撃で斬られれば此方こちらも躰が鈍くなり、そのうち殺されてしまう。


 霞命と合流して三十秒が過ぎたその時──瀏鑪哢はその手に持っていた脇差を古い鞘へと仕舞い込みだした。

 それを見て、またも顔をしかめる。


「…………素手でやり合おうって事?」


 それであったら此方にがあるのだが、彼女の態度からしても如何せんそうでもないようだ。


「貴方の事を頭から外してしまっていた私のです、この状況では勝てません」


 名残惜しそうに事情を包み隠さず語り、地面へとズレ落ちていた脇差を元の位置に戻す。


 三本の刀を繋げているのは、引っ越しなどで使う“ビニール糸”であろうか? それに鞘の方は所々“ダンボール”で補強してある。

 時代劇や創作でもお目に掛かれぬであろう継ぎぎの三つの鞘。なんとも歪で夜の雰囲気も相まって、妙な気持ちへと陥りそうになる。

 刀はの様だが手入れすらもされてない。何故だ、あんな状態では瓦落多がらくたに近く本領すら出せない。


「本来ならこの様な状況でも戦うべきなのでしょうが、今は生憎……自分の命が惜しいので」

「その判断は、正しいね」


 そう、正しい。その行動すら悔やむ程に生真面目で馬鹿真面目な子。きっと嘘をつく事すら出来ないのだろう。


「では……また」


 衆能江が追撃してくることを警戒しながらも瀏鑪哢はその身を雷光へ変え、刹那のうちに住宅街を離脱した。


 彼女がいなくなった瞬間辺りの街灯が元の光を取り戻したかのように明るくなり、重なる二人の影を濃くしていく。

 片腕を強く振り回して流れ出ていた血を払うと、地面に付着した液体たちは光ることなく、その場に収まっていった。

 躰に帯電していた電気が全て消滅した事を実感し、衆能江は小さく吐息を溢す。


 ──本当は逃がさないで殺しておくべきだったんだろうな。


 そのような事は容易であった。あの程度であれば雷光化する前に首を引き抜けばどうにかなる。

 「命が惜しい」と口走ってきたからか。情とやらか。やっぱり、といてから私は弱くなっている気がする。

 少し悔やみながらも、衆能江は片腕の中でやつれ苦しんでいる霞命を見つめた。

 白かった袖には大量の血が付着し、骨まで到達したのか痛々しそうに滲んでいる。


「……“助けて”って、声ぐらい上げて欲しかったよ」


 車すら通らぬ夜道で、女人にょにんの面をした鬼はか細い聲で呟いた。

 力量などを考えず突っ走った事を怒っているのか、求められなかった事に腹を立たせているのか──衆能江自身、己が感情すらも理解できぬのだ。

 今宵の月は如何な物かと見上げても、夜の朧雲おぼろぐもによってその正体は搔き消されてしまっている。


 ……どう報告したものかな。


 ※


 鳥たちがさえずり、人々が様々に活動を開始する休日の清々しい早朝。

 庄司家の十畳もある広間──その一室では、今まさに大量の血液が活気よく溢れ出されては障子や畳、襖一面に飛び散っており、部屋のみやびさがあかによって塗り潰されている最中であった。


 斬られているのは私。

 抵抗できぬよう専用の注射を全身に満遍なく打たれると、畳の上に私はそのまま寝そべさせられ──聲一つ上げる事すら出来ぬまま、鋭利な太刀で躰の隅々まで斬りつけられていった。


 太刀を鞭の様に振り回す者は、修羅が如く形相に顔を歪めた庄司十六夜しょうじ いざよい

 時折雄々おおしい咆哮を上げては臓器や骨が露出した我が女体にょたいを容赦ないのまま、くうと共に引き裂いていく。

 縫われた双眸も相まって、その見て呉れはまるで邪鬼の憤激となっていた。


「一人で行動させるたぁ何事だ……腐れ鬼ッ‼」


 大きく張り上げた怒声は無論霞命を一人にさせた件についてだ。

 溺愛していた孫が死線にいたというのに放置していたのだ、怒るのに無理もあるまい。

 ビールを買いに行ってたなんて事が更にバレようものなら、体に詰められた爆弾を速攻起爆させるであろう。


「霞命は手前てめぇと違って、まだんだ……。

 誰かが守ってやらなきゃいけねぇのに……今の霞命では、創人相手に普通の人間が立ち向かっていたもんだってのは手前てめぇが一番理解してるくせしてぇッ‼」


 腹を裂かれて──この世にその気色悪さを晒した私の赤黒い内臓の中に、音もなく刃物が侵入してくる。

 背骨や助骨を直接叩かれ、頬を切り裂かれるとそこから肉がジッパーの様に開き、歯茎を露出させた。


「腕の筋肉があのままイっちまったらどうしてくれるんだ……責任取れんのかよかすがぁ‼」


 十六夜雇い主からの体罰は十分じゅっぷん近く続いていき──部屋の隅で此方こちらの様子を見つめ続けていた白い防護服の男らは、唖然としながらも骨や臓器が出てもなお死なぬ私の肉体すがたを物珍しそうに凝視していた。

 すると、終わりを告げるかのように十六夜は息を切らしだし、血まみれの太刀を投げ捨ると近くにあった座布団へ座り込んで置いてあったお茶に手を取りだした。

 まるで見えているかのような動作のまま喉を癒すと溜息を溢し、次の言葉を紡ぎだしていく。


「……今度会ったらその女、殺せよ。絶対だ」


 圧を含んだ声色声色で指を差してくると、何事も無かったかのように立ち上がり部屋を後にした。

 出て行った瞬間──先程まで待機していた男たちは道具を取り出し、外へ運ばれると私は横の状態のまま救急車へと乗せられた。


 自分の治癒力が恨めしい、これではただの立木打ちではないか。


 ※


「糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が糞が」


 沸々ぶつぶつと呟きながら、延々と夜の廊下を有漏うろうろと散歩し続けている。

 時折全身の関節から、まるで折れていくかのような痛々しい音が鳴り──胃腸からは、腹の虫とは違う今まで聞いた事も無いような気色悪きしょくわるい悲痛のを響かせていた。


 たった半日で怪我は完治して午後九時頃に屋敷へ戻されると、最初に私は霞命の部屋へと足を運ばせた。

 部屋の前へ着き強めに襖を開けてみるも、たのは月明かりに照らされた伽藍洞がらんどうのみ。

 そこら辺にいたお手伝いさんを捕まえて聞いてみると、明日までは病院から帰らない、と歯を震わせ目頭に涙を浮かばせながら教えてくれた。


 霞命がいないと解ると──私は同じ言葉を怨念おんねんの様に何度も呟き、廻廻ぐるぐると歩き回ることで十六夜への憤怒を滾らせていた。


 “瀏鑪哢”って子の顔は完全に覚えている。次来たら絶対仕留めてやる。首をボキリとねじ切ってやる。

 それにしたって、あの糞爺くそがきがァ……。十六夜を殺した時には睾丸きんたま抉りとって屋根に括りつけ、縫われたまぶたの下に潜んでいる目ん玉り出して、り潰して、からすの餌にしてくれる。


「……ぁ、ん」


 すると、突然目に飛び込んできた光景に私は聲と脚を止め──足首の関節からは骨の軋む音が鳴りだした。

 丁度ちょうど右にある一室のふすまが少しだけ開いているのが見え──その下へ首を下ろすと細くか弱い腕が「こっちに来て」と言いたげに手引いているのだ。

 霞命と勘違いしかける程酷似こくじしている一つの手部、しかし


 疑問に思いながらも私はそっと襖を開き、まるで導かれるようにしてその部屋の中へと入って行った。

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