【九話】「大器晩成者は恩を仇で返す」
「
数分後に始まる審査に身を置くため、眸を閉じ座っている
霞命は小さな手を差し出すと自分の手に乗せられた
「これは私の元気を詰め込んだ元気玉ならぬ“元気飴”、食べたらきっと上手くいく」
そう言ってもう二個、彼の手に献上した。
──夜な夜な監視の目を搔い潜ってようやく手に入れた夜食だけど、今は彼こそが食すに相応しい。
霞命は少しの間、飴を凝視しているとまるで薬を飲むかのように三つ全てを口の中へと放り込んだ。
その隙を逃がさず──舌で味わう前に彼の頭と顎に手を片方ずつ置き、くるみ割り人形の応用で飴を粉砕させる。
風鈴が割れるような音が口内から響きだすも霞命は表情を全く変えぬまま舌をゆっくりと動かし、不変な音を鳴らしていく。
「飴の内に眠る元気を一気に吸収するんだ……味わうな、飲み込め。人生甘くない」
元気の吸収法を教えると彼は言葉通りに実行し、ゆっくりと口の中にある飴を飲み込んでいく。
審査員であろう関係者たちが音に反応し此方を驚いた表情でちらり見てくるも、
欠けている歯や口内出血がないかが解ると口を閉ざさせ、私は笑みを見せた。
「いってらっしゃいませ、霞命様。貴方様の成功、この眼に焼き付けて見せます」
いまだに慣れぬ丁寧語に霞命は小さく頷き、その場から静かに離れて行った。
あんなに練習したのだから落ちるなんてことないだろうが、はてさて……。
その場でゆったりと正座をし、『それにしても……』と半目で彼の背を追いかけ物思いに耽る。
──予定ではもう屋敷を抜け出しているはずなのに、何やってんだろう、私。今の暮らしがそんなに楽しいのか? 冗談じゃないなぁ、酒も出ないし、屋敷中探しても出てきやしないし……。
それから数分して、審査員の老人が立ち上がると初段審査の開幕を告げだした。受ける者は霞命一人で、他の受段者は見受けられない。
これも過保護な
ふと、首を左へ回すと──霞命の師範が正座を崩さず、双眸を瞑している姿が伺えた。
足音どころか気配すらも感じ取れなかった──幽霊の如く私の隣へとやって来て平然と座り込んでいる。
まるで巻物に出てくる
すると、薄くであるが瞼を開眼させた。
まるで刀の刃の様に彼の視線は鋭く、見据える先で居合刀を腰に掛けるは
渋くも険しく見定める形相に、霞命を見ることすら忘れかけてしまう。
「
突然、沈黙を保っていた男は口を開け、彼の
彼の声を聴くのは、ここで見学するようになっていったい何回目であろう。両手で数えても指が余るほどだ。
「右足首の動きがやや怪しいが……状態は悪くない。──功労者は君か?」
男が簡略的に状態確認を終えると、今度は此方の方へ視線をぐるりと回してくる。
全てを切り裂くであろう男の瞳は、私に恐れること無く視線を合わせていた。
「……怪我をした際、応急処置ですがテーピングなどを施してあげました。もっと早く辞めさせてあげるべきだったと自負しています」
「生徒を指導する身である私がちゃんと厳しく教えなかったことが問題だ。
──寧ろよくやってくれた、霞命は腕が折れてもやり続けるに違いなかったからな」
右手を怪我した次の日、師範はいつもとやり方を変え、彼に基礎を叩きこませていた。──その時の霞命はどこか気持ちが沈んでいて、焦燥としているようにも見えていた。
寡黙なまま弟子の姿勢を見つめる師範に一つ、気になってたことを
「良い香水ですね」
先程から漂ってくる断じて男の物ではない香りを纏った師範は、表情も目線も変えぬまま──
「ティファニーのミドルノート、嫁の嗜好だ」
素直に答えた。
そうこうしていると、霞命の審査が開始された。初段で落ちる人間はいないにしても、見学していると此方にも緊張が伝染してくる。
師範の背筋に似た美麗な正座から頭を下げ、刀を一寸のブレも無く腰へと掛けていく。
手から刀を落とさない事を祈りつつ、霞命は立ち上がると共に閃光を切り裂いた。
斬の軌道──天井の電灯を浴び白く明々となった
姿勢を戻し、また同じ動作を繰り返す。地味ではあるがそれでも煌びやかに映りこむは最たる美男子。
形相は仮面の様に崩れずも、私には彼の額に
芸術の戦闘技法。最初は嫌々だったが見届けてきた彼の鍛錬の行く末、その動作一つ一つに瞬きなど出来ようか。
私は心の中で何度も「がんばれ」と応援している事にこの時、気付いていなかった。
人殺しばかりしてきた自分が応援するなど──彼と暮らしてから考え方が完全に変わってしまったのだな。
正座に直り、霞命は小さな頭を下げる。
たった数分で
──完璧だ、合格は間違いない。後は筆記試験だが心配いらないだろう。
審査に来た老人たちが話し合う隅で、霞命は脱力したかのように眸を凝らし
何を考えているのかはよくわからない。きっと私たちには理解できない眸。
しかし誰にも理解できないってのが、たぶん人なのだろう。
※
「歩いて帰りたい」着物の裾に手の甲を触れながら霞命が言った。
声色も顔色も零からプラスにもマイナスにも振れていなかったが、可愛い
辺りは既に暗く、街灯や家の明りだけが世界と私たちを導いてくれる。
彼は喋らない、私も喋らない、車の排気音と
少し歩いていると、霞命が肉まんを買ったコンビニが目の前に見え、今日も通り過ぎようとしたが──店前で彼が脚を止めだし、私も少しして脚を止めた。
白い店の電気が彼の顔を美々的に照らしている。
すると何か言いたげに薄桃色の唇をもぞもぞと動かし、霞命は赤の眸で上目遣いをした。
「お酒……買ってきて良いですよ」
彼のその一言に一瞬脳が停止するも、唖然としたまま彼の真顔を見つめ返す。──本当に……良いんですかい? と言いたげな顔で。
霞命は夜空に浮かぶ星々へと顔を上げ、見惚れたまま話しを続けだした。
「今日は……気分が良いんです。──しかし、前と同じ一本だけです。一本」
「気前良いね、モテるよ坊ちゃん」
霞命から財布を受け取ると私はにんまりと口角を上げ、軽い足取りでコンビニへと駆け込んで行った。
※
店の
それに対し、ぎこちなく返しながらも霞命は静かに店前で待ち続け、今日の審査を思い返す。
何の間違いもなく完璧にできていたはず。これは通過点に過ぎないのだから上手くいってる……はず。
今回はどちらかと言えば
「終わるまで外で待ってて欲しい」と言うべきだったか、それはそれで
済んだことを悩み返しても無意味だと知っていても、深い溜息は夜風にただ流れていくのみ。
瞬間──空気に電撃が流れ出し、何とも言えぬ痺れが全身を襲いだした。
目上にある電線たちがバチバチッと横一直線に電撃を纏わせると、周辺の電気が一瞬消え、元に戻りだす。
赤信号だからか、制服姿の彼女は動こうとしない。──背丈は霞命と同じくらい、腰には三本の刀を備えていた。
上が二尺三寸の打ち刀、中が二尺六寸の太刀、下が一尺一寸の脇差──大きさも全て異なる刀たちの鞘を透明なビニール糸で結び、粗雑に吊るしている。
信号を待つ二人の間を車や自転車が度々通り過ぎ、刹那にライトで全身を照らされるとお互いの顔を確認した。
霞命は驚きを顔に出さぬまま気を引き締め、コンビニの方を一瞥する。
衆能江はレジで並んでいるのか、此方の様子にまだ気付いていない。
信号が青に変わり『ピピピピ……』と音響が鳴り始めると、少女は霞命の方に向かって歩行を始めた。
下に装備してある脇差の鞘を引きずっている事に気付き、時折持ち上げるがすぐ引きずられていく。
地面と擦れる時の重音からして、アレは本物に違いない。
「お久しぶりです」
目の前まで接近してきた少女はぺこりと擬音が付きそうなお辞儀をし、すぐさま顔を上げた。
「早速ですが、
恩を仇で返すようで恐縮至極の極みでありますが……あなたには死んで貰おうと思います」
あの時、助けた少女は霞命の前で刃毀れを起こしている打ち刀を抜き、彼の首へと
撤退は不可能となった。
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