【八話】「夏前の乾杯は呪われり」其の三
「あ、ああ、あああああ、ああああああああ、なんと、ナントォ……なんとこれは……」
何の変哲もない公園のベンチで、美少女が大粒の涙を流している。
其処まで感動だったのか
今までの場合──『少女』とは霞命の様な“偽性別”に対して言っていたが、目の前で泣いているのは本当の少女だ。
背丈は
そんな美々の子が割り箸を片手に大号泣しているこの状況は、何とも異様である。
「こ、こんな美味しい物食べたの……、お、お母様が、作ってくれたホットケーキ以来だ……あぁ……ぁあ、母様ぁ……」
突如、まだ一口しか食べていない茶色一色弁当を前に彼女の意識は過去を巡りだし、嗚咽を洩らした。
“コンビニ弁当”を食べてここまで泣く人間を、生まれて初めて見た。
そんなにひもじかったのか、ひもじかったのだろうな。水道水生活だもんな。
「そんなに美味しいの?」
芸能人顔負けの心へ直接不法侵入して訴えかけてくるような食レポを見て、少しだけ食べたくなってしまった。
霞命が買って来たのはコンビニで売っている物の中でもとてもボリュームがある、どちらかと言えば大人の男性向け弁当だった。
ちらりと弁当に書いてある値札を見る。
炭火焼牛カルビ弁当大盛サイズ、
「──
ずっと探し続けていた恋人とようやく再開を果たせたかのような深い溜息をつき、小さな声で答える。
辛みのあるソースが掛かった牛肉とご飯を口に含んだ
「あ、ありがとうございます……最近、粉砂糖と小麦水と塩とマヨネーズで生きてきたんで。
私にも……こんな物を食べられる権利があったなんて……」
何処にでもある様な物を食べ、貧乏少女は自身の主食を蔑みながら吐露する。
それを聞き、私は何とも言えない表情を浮かべ、霞命はいつもの真顔ながらも小首を傾げていた。
「……僕、タオルを濡らしてきますね」
そう言い残すと霞命は小走りで
長く伸びた白髪で隠された背を垣間見つつ、弁当を少しずつ頬張る少女に話しかけてみる。
「君さ」
口の中を動かしつつも少女は振り向き、耳を傾ける。
「剣とか使うの? 鍛えてるね、その腕は」
銜えていた箸先を一瞬の別れを惜しむように離すと一旦弁当の上に置き、顔色一つ変えぬまま少女は私の両腕を観察した。
「そういう貴方様も、着物越しで見た限りですが心得はあるようで」
微笑を浮かべ、彼女は何かを納得するかのように小さく頷く。
「
いきなり
言った方が良いべきか、と考えたが、分からないままの方が何かと面白いので教えない事にした。
「あの子、右手にギブス付けてるでしょ? 練習に力み過ぎちゃって掌を怪我したの。──何やってんだか」
言葉尻で少し笑い、顔を上げると濡れたタオルを持って霞命が駆けつけて来るのが見えた。
「濡らしてきました、これでお体を冷やしてください」
そっと手渡されたタオルを受け取り、少女は後ろ首に掛けるようにして自分の体温を抑えた。
食事の手は未だ遅く、一口一口を宝の如く
何口目かを飲み込むと、少々嬉々とした様子で喋りだした。
「しかし驚きました、こんな美人方に助けられるなんて……仏はやはり存在致します」
寺娘の様に手を合わせる姿を見つめ、霞命は立ち尽くしたまま真顔で彼女を見つめていた。
顔色解らぬ子、されど彼が言いたい事は凄くわかる。
それを横目に、意地悪そうに内心ほくそ笑むのが私。
「……男です」
吐き捨てるかのように小さく呟かれた言葉に、少女は不思議な顔を見せた。
「男です、僕」
不貞腐れたかのように、二度宣言する。
意味を理解できず少女は数秒の間を置き──理解を得た。
「え⁉」
瞬間、彼女の細躰がベンチから
「え、えぇ、だって、え、えぇぇぇ⁉」
故障した機械の様な反応をし、予想外の情報を整理していく。
次第に衝撃は収まっていき目を丸くしたまま、ぺたりとベンチへ座り直す。
そして、七十度くらいまで上半身を下げ。
「し、失礼いたしました!」
綺麗な謝罪をした。
「命の恩人でありながら
少々丁寧語混じりに声を張り、少女は顔を上げず頭を垂れたままとなる。
なんだろう、貧しい子がお金持ちの子に謝罪しているところを見ると風刺画に見えて、何処か心苦しい。
されど我らが仏様、庄司霞命。顔色は冷たいままではあるが言の葉は優しく語る。
「いえ、このような事にはもう慣れています。──ですから頭を下げるなんて
霞命は背を低くし、彼女の顔と合わせる様にして優しく語りかける。
礼儀作法などではない、彼自身が持つ純粋な善意なのだろう。
だとしたら、あんなバイオレンス祖父母がいてもこう出来上がっているのは奇跡なのだろうか。父親がこういう性格とか。
霞命のお父さんは他の庄司家の人と違って普通そうだけど、あまり話をしたことはない。
少女は顔を上げ、その曇りなき双眸を潤わせるとまたも涙をぽろぽろと溢しだした。
中々に感情豊かで面白い少女だ、まだ少しだけ話を続けていたいまである。
ふと視線を逸らすと公園に設置されていた時計柱が目に入り、私は現実に戻された。
「やっっっばい! 坊ちゃん! そろそろ帰らないと勝手に外出しているのがバレちゃう!」
休日の公園で堂々と酒とアイスを口にし、貧困少女を助けていたが──実は、お忍びで来ていたのである。
急いで帰ろうと霞命の手を引っ張ろうとするも、霞命は抵抗しベンチに置いていたゴミ袋を手に取った。
「ゴミをちゃんと捨てないと」
「あ? あ~~~……わかったよ」
『無視すりゃいいじゃん』と思おうが、警護相手の命令には絶対服従であり聞かねばならない。
彼の細かい性格に苛立ちながらも霞命の持っていたゴミと缶を奪い取り、空へと放り投げてみせた。
大空で散らばりだし地へと落下してく数々のゴミたちが──最後には全て、ゴミ箱へと入っていく。
分別も完璧。
投球力を見せつけながらも霞命の小さな体を抱きかかえ、私はその場を全速力で離れて行った。
私の腕で収まっていた霞命は赤き双眸で私を見つめ──「今後は、ゴミを投げないでください」と説教を垂れだしたのだ。
「……ご、ごめんなさい、もうしません……霞命様」
顔を引きつかせながらも素直に謝罪している風を
※
正に疾風の如くだ。
慌てた様子で彼女らは瞬く間に走り過ぎ、公園からあっという間に退散してしまった。
少女は別れの挨拶や名前を名乗っていなかった事を後悔するも、もう間に合わないと弁当を見つめ直す。
──本当に神様や仏の遣いなのかもしれない。
すると首からずるりとタオルが崩れ落ち、弁当の上に落としてはいけないと手に取った。
「タオル……お忙しい方達なのでしょうか。──ん?」
濡れた感触が伝わってくる真っ白なタオルを見つめると──端っこに縫われてあった文字に視線が移り、「え?」と意外そうな声を溢した。
「……庄司」
水墨画の如く縫われていたその刺繍を、少女は思い返す様に呟く。
先程まで泣き続けていた顔色は徐々に凛々しい物へと変わる。
まるで戦場へと
“これからの事”と“今してもらった事”を脳内で入り混じらせ終えると、小さく溜息をつき心底ウンザリしたような顔を見せた。
「霞命……ちゃん、でしたか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます