【六話】「夏前の乾杯は呪われり」其の一
桜は既に散り、日照りが少々強まってきた今日この頃。
反響する少女の発声、
今の一撃は敵の首を刎ね、血飛沫で辺りを汚したのが容易に想像できる気持ちの良い抜刀だ。
大きく開脚していた股を閉じ、ゆっくりと居合刀を鞘に収める動作もまた日本の芸動を体現していると言えよう。
お見事──と褒めてやりたいとこだが、同じ動作を続けてはや三十八回目が経とうしていた。
午前中はいつもの道場で師範から稽古を受けていたが、午後になると屋敷にある小さな稽古部屋を使い一人黙々と同じことを繰り返す、鍛錬の鬼となってしまっているのだ。
日本人全員が愛してやまないゴールデンウィーク初日にも関わらず、青春を謳歌しようとしない若者が目の前にいるというのだから世間は狭い。
「霞命ぁ、初段の審査っつったって、まだ先でしょ。そんなんじゃ体持たないって~」
つまんないと言いたげに話しかけるも、彼は聞こえていないかのように此方を一瞥すらしないまま鍛錬を続けた。
疾速のまま何度も
掌は赤く腫れだし痛みが伴うものになっているが、彼はそれでもやめようとしなかった。
そして四十五回目に突入した時であった。抜刀の際、彼の手は突如電撃を与えれたかのように停止した。
痙攣する手から途中まで出していた居合刀が抜け落ち、霞命は苦しそうに手を抑え こんだ。
「お、おいおい。言わんこっちゃない」
駆け寄って小さな掌を確認してみると想像よりも赤く腫れ、皮も剥がれかけており、手首を少しでも動かそうものなら霞命の表情は苦痛に歪みだす。
「この馬鹿、師範さんがいないで一人やらせると歯止めが利かなくなっちゃうのね」
「うーんっと」と少し考えてから稽古部屋を飛び出し、近くにいたお手伝いさんを捕また。
肩を掴まれ振り向いた女性は驚きと共に悲鳴を上げ脅えるも、私は気にせずに話を続けた。
「あのさ、テーピングとかサポーターとかない? あと保冷剤、スポドリ」
「て、テーピング、で、ですか……ぁ?」
「んっ、霞命が……霞命様が手を痛めちゃったから必要なの。急いで、早く!」
「は、はいっ‼」
話す度に威圧感を増させ急かす様に言うと、女性は顔を青ざめながら廊下を小走りで駆けて行った。
※
テーピングやサポーターなど生まれてから一回もやったことが無いので、霞命に支持されながらやるが、これまた雑な感じにテーピングを巻いてしまった。
霞命は保冷材を当てながら少しの間、自分の手を見つめ「これで良いです」と会釈する。
警護相手とはいえ、この子にこんな事する義理なんてないのに……何やってんだろ。
二人並んで隅へ座り水分補給を勧めた。昔の運動部じゃないんだから飲んでも
「霞命、焦るなよ。そりゃあ七月にも武道錬成大会があるかもしれない。
力み過ぎ、少しは他の子達みたいに休みを満喫するのも良いんじゃない?」
体育座りで少し不貞腐れる霞命を一瞥し、私は胡坐をかきながら稽古部屋の周辺を見渡した。
「何事にも一生懸命に……繊細な動きをしなくてはならないんです。
それには一日の球速も仇となります」
小さな唇が静かに開き、ぽつりと吐き捨てる。
この時だけの彼は、まごうことない童子の姿であった。
「そうかもしれないけどね、素人の私が言うのもなんだけど美しいとは思った。
素晴らしいってね、でもなんか……それってどっか教科書っぽいというか模範的というか……だからこそ評価されやすいんだろうけど」
霞命は一言も返してはくれないが、話はこのまま続行する。
「何事も一生懸命か……、力みすぎたなぁ。手首に刀の重さを乗ったまま敵を切ろうとすれば此方が返り討ちに会う。
基本中の基本を忘れているようじゃまだまださ」
そう言って私は霞命の居合刀を手に取り、目の前に立ってみせた。
居合道とは関係ないかもしれないが、一つお見せしよう。
「刀とは腕の力をどう抜くかってのはわかるよね。そして刀の重さを相手へと流す様にして……斬るッ」
数十年ぶりの抜刀。なるべく力を抑え、ビョンッと風の音を創り上げる。
しかし、自分の手が久しぶりの刀に震えているのを感じ、これ以上は格好つかないので、このまま鞘に収めて霞命に返した。
「それを頭から消しちゃってるからまだ未熟だと言える、捻挫とかしなくて良かったね」
霞命は宝石のような双眸を大きく見開き、此方と刀を交互に見つめていた。
「……どこで剣を習ったんですか?」
聞かれるだろうと見越していた発言がいざハッキリ来て、気まずそうに苦笑をこぼす。
「あー……どっちかっつーと最初から覚えていた感じで、私
──
視線を逸らしながら微妙そうに語る姿を、霞命は師の教えを拝聴する弟子であるかのように「ほぉ」と感心して言葉を溢した。
「でも
口を尖らせながら話す私を見て、何かに引っ掛かったのか彼は不思議そうな表情を浮かべた。
「どうして?」
「……酒呑童子は寝てる所を頼光たちに抑えつけられて首を切られたんだ。
自分が切られた訳じゃないのは解ってるんだけど……どうもね。それが記憶の一部として私に埋め込まれているんだから、刀を持つとどうも落ち着かない」
まったく困った物だ、と渋々考え、霞命の隣に座り直す。
「今日はもう終わりにしよう、無茶は死ぬ」
霞命は残念そうに頷き、居合刀を片付けに歩き出す。
私は小さな背を追い抜き、前へ回り込むと耳元に近づきある提案を持ち掛けた。
「坊ちゃんさぁ……ちょっとぉ、近くのコンビニとか行きません?」
悪笑を浮かべそうになるのを必死にこらえ、彼の顔色を伺う交渉
「……え、は、はい」
優しきかな少年よ、戸惑いながらも表情を変えず了承を得た。
「それと、もう一つ……」
私は『今から全てを投げ捨てる』という意気込みと共に深く深呼吸し、心を整えると──両手の掌を強く重ね、深々と頭を下げだした。
「……庄司霞命様‼ 不祥な私めに──お酒を恵んでください‼
スパゼロ一缶で良いんでっ‼」
言葉通り、私は中学生男子に酒を買って欲しいと頼み込んだ、この二百年以上生きて初めての物乞い。
他人から見たら屑人間でしかない、人生最大の恥願いである。
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