【五話】「浴槽に流れぬ血溜まり」

 色情と肉欲を司り、末に手駒とするのがここは最善。

 彼は私によく懐いている、その情を利用すればここから逃げ出す事など容易い。

 見た目はお嬢であろうが、の子と知れば楽なもの。

 白乳色に揺らめく長髪へお湯を掛けると、水を吸い煌めきと共に纏まっていく。


 ──清姫の髪、か。

 本物の清姫かのじょとは一度も会ったことはないがこの髪色、並大抵のストレスではこうはならない。

 それ程までに安珍という男を好いてしまったが故、そうでなければここまで白くなるか。

 その色をそのまま受け取ってしまった子らも、不憫と言えば不憫であるが。

 霞命のこれは、素直に美しい。


 女が入って来たにも関わらず先から何も申さぬ小さな背、彼の体を見て気付いた事がある。

 常日頃から長袖に隠されていた四肢、そこから薄らと見える筋肉の線はやはり男のもの。

 当たり前の事を再認識しながらも、私は彼の長髪にシャンプーを付けた。

 泡立ちよく、霞命かなの長髪にぬめりとした色艶が出てくる。嗚呼、素晴らしい髪質の持ち主よ、こんな容姿であれば、愛など無くとも欲しがろう。


 それにしても静かすぎる、緊張でもしているのか。伝わってくる呼吸は平常と差して変わらないが。

 逆撫でるようくしで研ぐみたいに指を使い、鏡越しに様子を伺うが前髪に隠れて垣間見えさえもしない。


 さて、汚すことになるが取り入る為、致そうか。


 シャンプーを洗い流し彼から滴り落ちていく雫を眺め終えると、首から両腕を通し背中から密着するようにして抱きしめた。

 初めて彼を抱いたがやはり子。小さく今にも脆く崩してしまいそう、その可愛い爪も剥いで胃袋へと収めたい。

 力を緩めぬまま逃がさず、小さな耳に言葉を送る。


「ねぇ、霞命ってさ。何か欲しいものとか無いの?」


 今まで聞いた事のない奥底に眠る欲を問う。

 彼は何も答えない、されど話は続ける。


「何でも良いよ。……金で手に入らない物でも、まだ買って貰えないものでも、えぇ、体でも」


 わたしに惚れろ、庄司霞命清姫

 内に眠るしきを私に委ね、虜にし、私を自由にさせておくれ。

 そしたら、幾らでも抱き殺してあげ──


 すると突然、霞命が立ち上がり私の体からするりと抜けだした。

 『何事か』と思い再度話しかけようとすると、霞命は体育座りの体勢を取り右手で自らの両眼を覆った。


 企みに気付いたのか、清姫伝説が持っているであろう技がここにて来るか。

 下場が濡れていようとも警戒する様に足腰を構えさせ、彼の攻撃を探る。

 少し待つと彼は一つ深呼吸をし、肺一杯に溜めた空気を吐きだし終え優しい口調で喋りだした。


「ありがとうございます、衆能江様。──あなたのおかげで髪が普段より良い質を得られたような気がします」


 小さく、一礼。

 私は拍子抜けした様な表情を浮かべ、その場にあった椅子へと腰かけてしまう。

 妙だ、彼の言葉のせいか。いつもの調子へと自分が戻りつつある。


「ですが、お風呂に一緒に入りたければ先に一言ください。一応、男女なのですからいきなり来られると……その、少々小恥こっぱずかしいです」


 途切れ途切れになりながらも話すの様子は、まるで処女。そこだけは子供らしいとも言えなくもないが。だから目を隠しているのか。


「我が儘ばかりで申し訳ございませんが、平にご容赦を」


 そしてまたも一礼、今度は慇懃いんぎんとお願いするかのように頭を下げてみせる。


「あー……んー……いや、私が悪かった。仲良くなってきたからスキンシップがてらって思って」


 ここは諦めて笑い誤魔化し、この場を凌ごうと考えに至る。

 霞命は小さく頷くと前を隠しながら広い湯舟へと歩き出し、肩まで体を漬かり始めた。


「髪も体も洗ったので、最後に百秒だけお湯に浸かることをお許しください」


 背中越しに話すその小さな姿に、つい北叟笑ほくそんでしまう。


「わかったよ、んじゃあその後は私の貸し切りっつーことで良い?」

「是非も無し、日ごろの疲れをお癒しください」


 警護者の言葉に甘え、私は自分の体を洗いだした。見た目や匂いからして高級そうな石鹸を手に取り、垢を全て落とすように満遍なく泡をつけていく。

 柔らかくふわりとした白泡、どおりで霞命や肌は白く柔らかい訳だ。使っている物が違う。


「百、出て行きます。裸見ないでくださいね、僕も見ませんから」


 激しい水音と共に、手で目を隠しながら霞命は湯舟を上がった。


「どーしよ、見ちゃおっかな~。本当に男の子か知りたいし」

「……見なくても男です」


 少しふくれた様な声色を発すると霞命は白髪を翻して、風呂場を後にした。

 扉の閉まる音を聞き終えると全身に付けた泡を落とし、湯舟に爪先を入れ風呂の温度を確認する。

 『良い』と実感すると膝まで浸かり、全身の心地よい痺れを感じたまま下半身を入れ肩までをお湯に落とした。

 湯舟に身を任せ、情けなく蕩けた聲を上げつつ肩を回し、大きく凝り固まった音を大きく反響させた。


 なかなかどうして……酒がないのが、ちとおしいが。


 水浴びなんて、最近は──というか今日の食事が終わった後の全身消毒以外やっていないから、全身を焦がすかのように染みてくる。

 昔ならまだしも、現代で風呂に入らないというのは死活問題だ。


「はぁ……、霞命に頼んで、またお風呂に入らせて貰おう……」


 ……完全に目的を見失ってしまった、結局風呂に堪能するだけになってしまうとは計算外。

 否、あの男を甘く見ていたという事だ。色仕掛けでどうにかならないとは。

 もしや女に興味ない? 清姫は坊主の安珍が好きだったみたいだけど、それと関係あるのかな。

 三人目だから記憶は引き継がれていないはず、嗜好に影響してくる類は稀に見るけど。

 霞命について頭を回そうとするが、不意な眠気が思考を妨げようとしてくる。

 眠らずともいい私がまさか眠りかけようとは、そこら辺はやはり普通の人なのだろうな。

 もう、今日はこのまま堪能させてもらうとしよう。


 窓から見える今宵の月は、今の私の姿を見て「無様だ」と嘲笑うかのように輝きを増している。

 覗くな、変態衛星め。


「あっ、髪……後で洗お」

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