【三話】「君は護られる者、その正体」其の二

 古来より日本にも人間形成操法が存在している。


 『居合術』──刀を抜き収める、刀を抜くと共に敵を閃光の如く斬る戦闘技法。

 それを元に一人の剣客けんかくが自らの手で改良を施し、生み出されたものに『居合道』というものがある。

 それは『人を殺めぬ、不殺の心得』。

 人を殺す為に作られたはずの刀を持ちながら、刃を抜かずに敵を圧する──相手に敬意を払い、共に相和を図る矛盾剣技。

 居合道は江戸時代から日本に広まると様々な流派が生まれていき、現日本でも『演武』の一つとして引き継がれている。


 そして、今まさに隅っこでそれを見学中。


 学校が終わり放課後、車で一つの道場へと脚を運んだ。

 少し古めでありながら、玄関からは雰囲気に似合わずアロマが香り──奥に進むと一人のさむらいが霞命を待っていた。

 長身ながらも痩躯だが隙一つ見えない、その男の険しい形相には鋭い双眸が宿っていた。

 霞命はすぐさま着替え、礼を交わし、彼らの“いつも”が始まる。

 引き締まり皺一つ無い胴着姿で稽古に励むは、我らが庄司霞命坊ちゃん

 されど、風貌は美少女、返事は逞しい貴女、髪は邪魔にならぬよう馬尾ぽにぃてぇるで結ぶ。

 身なり、腕、脚、背丈……誠に申し訳ないが美少女にしか見えぬ。


 面、胴、袈裟と素振りを繰り返す太刀筋は、小柄な童子ながら見事と言ったもの。

 それでも、彼の師は自直に霞命のブレを指摘した。

 一振り一振りに言葉を掛け、手本を見せる。

 しかしてこんな広い道場だ、他に生徒はいないものだから二人だけだとどうも寂しく見える。

 ──いや、庄司十六夜クソジジイの孫だからか。

 きっと多額な授業料を払ってでも、一人でやらせるようにしているのだろう。


 時計をちらり見て、まだ二十分しか経っていない事に落胆する。

 静閑で延々同じ事を繰り返す様を見続けると、私はバレない様に欠伸をしながら姿勢を変えた。

 ──ていうか刀って嫌いなんだよね。血から植え付けられた記憶のせいで少しトラウマなのだ。

 ……酒飲みてぇ。


 ※


 稽古が終わり、外は既に夕陽すらも仕事を放棄して電灯のみが夜街を照らす糧となっていた。

 帰りは車ではなく徒歩で、通り過ぎる車のライトが彼の白髪を曲線的に撫で通り過ぎる。

 此処から家までは歩いてニ十分程度なので大した距離ではないが──着物女と一緒に歩いていれば逆に目立つと判断して、私は見えにくい位置や高い所から彼を尾行する事にしていた。


「お、おろろろろろ~……?」


 すると予想外、突然ピタリと止まったと思ったら左右を見渡して──単身コンビニへと来店して行った。

 意外性点火、あんな庶民が行く場所とは縁など無さそうに見えて案外学生っぽいところがあったのか。

 数分後コンビニから出てくると、両手には一つずつ肉まんの袋が握られていた。そろそろ販売が終わるというのによく買えたものだ。

 しかして、まだ何があったのか美少年女びしょうねんじょ其処そこから一歩も動くことなく、またも辺りを見渡し始めた。


 ──待ち人でもいるのか?

 それでもまだ誰かを待っている様子だったので疑問に思い、建物から飛び降りて彼の元へと駆け寄っていった。


「どうしたの、霞命坊ちゃま?」


 私の声に反応し、視線を合わせると霞命は無言のまま──持っていた肉まんを差し出してきた。

 相も変らぬ無表情のまま状況が理解できず、少しその場で考えようとする。

 すると私の様子に気付いてか、霞命はモゾモゾとしながらも口を開いた。


「お一つどうぞ」

「……くれるの?」

「二つ欲しいですか?」

「いや、良いよ。ども」


 きょとんとしながらも彼の御厚意を素直に受け取り、二人で歩きながら袋を開ける事にした。

 ──警護相手と一緒に肉まんを買い食いする事になろうとは。

 雑に破った肉まんを貪る霞命を打ち見、私も真似するように噛みついた。

 弾力のあるまんに隠されていた牛肉が舌を焼き、肉汁が同時に流れ込んで刺激を暴発させる。


 数年ぶりに食べたが……なかなかどうして。

 まだ少々冷えこむ涼しい春先には、まだ現役の食だ。

 最近は点滴と水しか取ってなかったから、久しぶりの食事に身が焦がれるというもの。


 ──欲を言えば、これが人の血肉だったら良かったのになぁ。


 ※


「ここって……」


 寝る意味はなんて無いから就寝時間なんて必要ない。されど何の意味も無く屋敷を一人彷徨うろつこうものなら、十六夜に首を斬られてしまうので──私の部屋兼寝室となる部屋へと訪れた。

 のだが、私はその場所を聞いて目を丸くした。

 によっては、埃塗れの屋根裏部屋やもう何年も使ってないぼっとん便所、立てつけが悪い物置部屋の方がまだマシかもしれない。

 確かに警護人であれば、其の部屋が一番最善なのだろうが。


 朝来たのと同じ部屋の前で、私は待ちぼうけをくう。


 見た目が少女であろうと、アレは一応の子、なのだろう。

 霞命の性別に疑問を抱きながらも、十六夜が昨日霞命に向かって話していた事を思い出す。

 そうか、だから『将来の練習道具』と──その時はてっきり、霞命が女の子だと思っていたから冗談かと思っていた。


 はてさて、今日から毎晩慰みものか。

 優しくて美麗な見てくれ、それだけで判別をつけるのは甘く──優しくしたのだから抱かせておくれと陰部を触ってくる者もいる。

 その際、私は毎度殺して来ていたのだが今回は勝手が違う。殺したら、此方も死ぬ。故に……身を捧げるしかない。

 それに彼も年。色を知り始め、女に興味を持つ時期。だからこそ危険。慣れればなんてことないのだろうが。


「失礼致します、霞命様」


 屋敷内なので一応礼儀は整え、襖を静かに開けた。

 ──際に、またも予想外の光景ものが拡がっていた。

 布団を敷く着物姿の少女しょうねんが一人。それ自体問題は無いのだが敷かれた布団は二つで、距離が一定に保たれている。

 全て敷き終えるのを見届けると、霞命は私へと視線を移し布団の上で座ったまま旅館の女将さんの様に深々と一礼をした。


「お待たせいたしました、衆能江さん。──布団を敷きましたので、お体をお安めください」


 そう言って彼は窓際に敷いた布団へと手を差して、襖前の布団へと潜り込んだ。


「先に寝ますので、お好きな時間まで起きていて大丈夫です。最後に電気を消してくれれば。

 ──では、おやすみなさい」


 美少年女は縷々るると話していき、パチリと眸を閉じた。

 私はその場で茫然としてしまった。あまりの手際の良さ、これが現代に生きる侍ちゃんなのか。

 この年頃って、『夜中だからなんだー! 俺は夜を知らない男だぜー? お、良い女が一人! 姉ちゃん、夜まで遊びあかそうや! 人生経験が勉強や! おら、保健体育すんぞ!』的なイメージがあったんだけど、古い? 婆脳?

 しかして、相手は礼節を重んじる侍という事だ。

 腰を休められる暇もあまり無かったし、ここはお言葉に甘えて寝かせて貰おう。


 部屋の電気を消し、彼の寝る布団を踏まぬよう避けながら私は窓際の布団へと横になった。

 一驚、程よい温もりと枕の丁度良い弾力。全てが心地よい、これが金持ちの布団。

 野宿をしたり、金持ちの家に転がり込んで高いベッドに死体と一緒に寝ていた事もあったが……こうも心地よいのは生まれて初めてやもしれない。

 にしても、と寝返りをして彼を見つめるも後頭部しか見えない。

 初日だから様子見として何もしてこないのか、それとも……正真正銘の人畜無害か。

 疑いすぎやもしれぬが、相手は惚れた男に速攻夜這いをかけるような実直娘──三人目であろうとも清姫だ。

 月夜に照らされて青白く霞む白髪のつむじを凝視しつつ、不思議と思った事を口にした。


「起きてる? 霞命」


 されど無言。息は深い、もう眠りについたのか。

 聞いていなくとも良いと、話は続ける。


「霞命……坊ちゃんさ。布団の配置、なんで私が窓際で霞命が襖側?」


 深い理由は無いのであろうが、気になり問いてみるも言葉は帰らぬまま私は天井を見つめる。


「……侵入者がもしこの部屋に入ってきたら、男である僕が貴方を守らねばなりません」


 すると、凛とした少女の声が隣から靡く。


「それに……窓側そこからだと月がよく見える」


 霞命なりの配慮、か。

 彼の後頭部を再度見つめ、頭へと手を伸ばすとつむじに指先を突き刺した。


阿呆アホ


 そのまま円を彼の後頭部に描くも、反応を示さず返事すら返ってこない。

 

 ──侵入者って、授業中の妄想か。

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