第12話 呪縛からの開放
学校から悲鳴が聞こえる。
バルーンの破裂に驚いてのことだろう。
それに対して、何人が対応できているか――だ。
「始まった! 急ぐぞ、フレディ」
ジョステアが速度を上げた。
「校庭はガスだらけだよな。どうする?!」
「弱性だから、すぐ空気に拡散するよ。だけど、大きく広がるということは、校庭にいる人には満遍なく行き渡るってこと」
「つまり、みんなしびれちゃうってことか。ジッチャンのいるのはどこだ!」
フレデリックは校舎を思い起こす。
「一番高い所――」
「あれだ!」
ジョステアが指したのは新校舎の屋上だ。一階分、他より高くなっている。
フレデリックも同意見であった。
「コーディくん、こっち!」
正門には向かわない。
いくら弱性でも、突っ切るリスクは冒せない。
風上から回り込み、校庭を避けて屋上を目指すルートを取った。
街道脇の植樹を足場に、塀の上に飛び乗る。そこから旧校舎の外階段へ飛び移れるのだ。
外階段からはドアに鍵がかかっていて入られないが、最上階まで登れば、階段の手すりを伝て回り込み、屋上へ行けた。
目的地の新校舎とは渡り廊下で繋がっている。
屋上へ上がったジョステアとフレデリックは、渡り廊下を目指して走った。
新校舎の屋上に、二つの人影が見える。
視線を固定したまま、スピードを落とさず、無蓋の渡り廊下へ飛び降りた。
屋上からは一階分下ではあるが、着地時に法力を足へ集中させて衝撃を緩和させた。
さっきの教訓を生かしたのだ。痺れを感じないから足を止めることなく、よどみなく走っていくジョステアの背中をすぐに追いかけられた。
恐らくジョステアは無意識にそれをやっているのであろう。
「まだアンデッド化していない」
ジョステアが前方で声を上げた。
校庭が見える。
三分の二は倒れている。
不測の事態に対応できたのは三分の一ほどで、まだ防御魔法を発動している。
「みんな、頑張ってる!」
「オレたちも急ごうぜ」
速度を上げたジョステアを、フレデリックは必死で追いかけた。
新校舎の真新しい床を、靴底を鳴らしながら駆け抜け、更に二階分上へ。
ドアを押しやって、屋上へと出た。
殺伐とした空気とは裏腹に、穏やかな淡い青空が広がっていた。
二つの人影――一つはトベルだ。金網に身体を沈ませるように、無理矢理立っている。その足下には血溜まりが、円を描いていた。
プラチナブロンドに透き通る肌と純白のワンピースが、青い空に浮き立つ白い少女。
もう一つの人影はシーラであった。トベルを見守るようにその奥に立っている。
「シーラさん――」
「お前、何やってんだ?」
「別に――」
ジョステアへ無愛想に答えると、心持ち声のトーンを下げた。
「全てが終わったことを、彼に教えただけ」
フレデリックはトベルを見た。
「皆、死んだか……」
「村長に会いました」
「ジッチャンの幸せを祈ってたぞ」
「ワシだって同じなのに――」
「だけど方法が間違ってたな」
ジョステアがいつもより抑えめに指摘した。
そうだな――トベルは薄く笑った。唇が震えている。笑みの形にする力も弱まっているようだ。左目を覆ったタオルが紅く染まっていた。
もうだいぶ血を失っているはずなのに、彼はまだ立っていた。
「門を閉じてるんですね」
「迷っていた。村長たちの望みは王国のアンデッド化。開けば叶うんだ」
血を吐くようにトベルが呟いた。
「ジッチャンが選べ。開いたってオレたちが止めてやるさ」
ジョステアらしい言葉だ。フレデリックもそのつもりだった。
「フ――、面白い子だ。お前らの名、もう一度聞かせてくれないか?」
「ジョステア・コーディ」
「フレデリック・マーリン」
トベルの視線は、ジョステアとフレデリックへ動き、そしてシーラで止まった。
「私――?」
シーラが戸惑った。
彼女は低級霊。ショーン・ロレンスにより与えられた偽りの命だ。名前などない――そういう迷いであろう。
シーラの唇は動かない。
「シーラだ」
沈黙を破ったのはジョステアだ。
驚いたのはシーラだけであった。
「そうか……。お前は、ワシの望みのために尽力してくれたな。ありがとう」
「だから、それは――」
「ワシらは騙されて動いてた訳じゃない。全て自分の意思だ。気に病むことはない」
それこそがショーンの巧みさだ。自分が判断して行った――と思わせているのだ。
だがフレデリックはあえて言わなかった。
騙されていることが分かっていない人は、騙されていないのも同じなのだ。そう思うことにした。
「お前らに看取られていくのも、悪くないな」
「そうかあ?」
ジョステアの反応はあくまで真っ直ぐだ。
納得いかない響きに、トベルは力なく笑った。
「そろそろワシの命も尽きるな――」
トベルの目が空へ向く。色のトーンが薄まった目には、恐らく何も見えていないだろう。
「門はこのまま閉じて逝くよ」
「そうか……」
シーラの声も穏やかだ。
「コーディ、マーリン。お願いがあるのだが」
二人に向けられた彼の右目が紅く光った。
「アンデッド化?」
「そうすれば門は無効となる」
そんな――とシーラが愕然とした声を上げた。
「お前らには後始末を頼みたい」
「後始末?」
「まかせておけ」
ジョステアが即答した。足をほぐし始める。
「まさかホーキンスさんを倒す?」
「すまないな。門を閉じる方法がそれしか思いつかなかった。大丈夫。お前らなら勝てるさ――」
「心配するな。向こうで村のやつらも待ってるぞ」
ジョステアが冗談のようなことを真顔で言った。
そうだな――トベルの身体が崩れるように沈んでいく。
「父さんのスープは絶品なんだ。また飲めるかな」
最期の言葉を、フレデリックとシーラは呆然と聞いていた。
ジョステアだけが変わらず、腕を廻しながら二歩前へ出た。
「フレディ。辛けりゃ、オレ一人でやるぜ」
「指名は僕らだ。――やるよ」
座り込む直前で、トベルの身体が止まった。
「シーラ。お前も離れてろ」
ジョステアに言われ、シーラは無言で姿を消した。
――なるほど、神出鬼没なわけだ。
「トベル・ホーキンスを殺す――。そう言ってるのか?」
聞き覚えのない声が言った。
ゆっくりと<トベル>が立ち上がる。
「ジッチャンはお前が殺したんだ」
「僕らはアンデッドのあなたを倒すだけだ」
「それは叶わぬよ」
ぐい――首を曲げて見せた笑みは、もはやトベルの表情ではなかった。紅い目が煌煌と光り、口が大きく割れた。
「お前らは返り討ちにあうのだから――」
トベルだった外側が弾け飛んだ。
裏返ったのだ。
妙に長い腕と指先に一体化した翼、大きな耳と豚鼻に割れた口から覗く鋭い犬歯――一瞬で捉えるイメージはコウモリだ。
しかし二度見で、違うこともすぐに分かる。
赤黒い肌はウロコを纏い、外骨格のように骨が前面に露出し、鎧の印象と共に強固さがアピールされていた。
骸骨のように突出した頬骨と、黄色く光る下卑た目には、トベルの面影が全く残っていなかった。
おかげで迷いはなくなった。
コウモリ男が翼を大きく開いた。その勢いに金網が吹き飛んだ。
ばさ――と風を巻き上げて空へ舞い上がる。
破損していた指や左眼は復活していた。
「どちらが先に死ぬ――?!」
コウモリ男が言葉を呑んだ。
当然だ。
眼前にジョステアがいたのだから。
飛翔よりジョステアの跳躍力が勝り、既に彼の間合いであった。
更に上昇することで逃れようとするコウモリ男の脚を、ジョステアが掴んだ。
フレデリックが炎の弾を撃つ。
コウモリ顔が炎に包まれる――と同時に、ジョステアが振り回して投げ下ろした。
火と煙が尾を引く。
だが、コンクリート床には叩き付けられなかった。
フレデリックの風魔法が、コウモリ男を浮かび上がらせたのだ。
炎を脱したコウモリ男に、上空からジョステアが落ちてきた。
下からは風が、上からはジョステアの蹴りが――
コウモリ男はくの字に身体を曲げた。
ジョステアが間髪を入れず、顎を蹴り飛ばした。
コウモリ男は、反対側の金網へ飛ばされた。
着地したジョステアの横に、フレデリックは並んだ。
「天下一コンビをなめるなよ」
ジョステアが嘯いた。
「な――なんだと? 子供に――このワタシが?」
コウモリ男が金網から抜け出して、立ち上がった。
「まだ魔導師見習いの学生じゃないか」
「見習いのレベルが違うんだよ!」
「どんなレベルなのさ」
コウモリ男が翼を広げて、飛び上がった。
「今は見逃してやる。今度会うときは――」
ジョステアが既に駆けていた。服に装飾されていた鎖を外し、じゃらん――と鳴らしながら投げつけると、コウモリ男の足へと絡みついた。
「逃がすと思うのか? ジッチャンと約束したんだ。後片付けをするって」
と、引っ張った。
「離すなよ」
コウモリ男がニヤリと笑った。
強い羽ばたきを三度で、ジョステアの身体ごと浮かび上がった。
屋上からどんどんと遠ざかっていく。
「やはり子供だ。浅はかなんだよ!」
「オレ今、憤慨」
ジョステアは身体を前後に大きく揺すった。
「な――?」
コウモリ男がバランスを崩した。
構わずジョステアは、コウモリ男を中心に鎖で半円を描いて上空へ。そこで体勢を入れ替えて、そのまま落ちてきた。
ジョステアの飛び蹴りだ。
コウモリ男は振り向き、腕をクロスして蹴りを受けた。
二人の身体がそのまま落ちていく。
そのコースは屋上からずれていた。
真っ直ぐに地面へ向かっている。
「馬鹿な小僧め! ワタシはまだ宙へ逃げられる。だが、お前はこのまま地面へ落ちるのだ!」
「それはどうかな――?」
フレデリックが、二人を追うように屋上から飛んでいた。
驚愕の表情を浮かべるコウモリ男の眼前へ、フレデリックは風の魔法陣を突きつけた。
両者の間で突風が生まれた。
コウモリ男は風に押され、翼を使う暇も無く、地面へと叩きつけられた。
逆にフレデリックとジョステアは、その風の跳ね返りを利用し、落下速度を緩めた。
さっき村長と戦った時の応用だ。あの時は地面に向かって風を跳ね返したが、今は対象物へ向けることで攻撃と防御を同時に働かせるのだ。
着地も上手くいった。足も痺れていない。
「なんなのだ、お前ら――なぜ飛び出せる。死ぬ気か!」
コウモリ男が地面から身体を剥がすように起き上がった。
校舎に囲まれた中庭だ。短く刈り込んだ芝生が一面を埋めている。
「絶対にフレディが来てくれるって信じてたからな」
ジョステアは鎖を服に戻しながら言った。
フレデリックは鼻の頭を掻いた。他人からの評価が心地良いのは初めてであった。
「ワタシはアンデッド! 死をも超越した存在だ! なのに何故諦めん? お前らではアンデッドに勝てん。結局は負けて、死ぬのはお前らだ!」
「どうかな――。生憎だけど僕らは負ける気がしない」
「よく言った、フレディ。まだまだオレの領域には達していないが、お前も最高だ」
コウモリ男が牙をむき出しに笑った。
「弱い奴らがいくら集まった所で強くなれるものか!」
「そう――。弱いと思うからこそ、より良くなろうと努力する。だから進化するんだ」
「努力もない! 進化もない! お前らはここで死ぬのだから!」
コウモリ男が再び、羽ばたき上がった。
「死から生まれたあなた達は死を恐れない」
「そうだ! だから勇敢なのだ!」
「そんな勇気に宿る未来はない。僕らは死が恐いんだ。行き続ける方が大事なのを知っているから――。だから足掻き続ける。じたばたしてでも生き残る」
フレデリックは魔窓紋へ指を置いた。
「だから、あなたには負ける気がしない!」
雷の弓を具現化して、雷撃の矢を番えた。
構えた先で、コウモリ男が右に左に、揺れるように飛んでいる。
「それがお前の切り札だ。だがワタシの見立てでは、お前の法力は切れかかっている。それが最後の魔法だ」
コウモリ男は笑いを残しながら、不規則な軌道で飛び続けていた。
「それを撃ち損じた時、お前らの運命は決まる――」
フレデリックは狙いを付けながらも、まだ撃たない。
「ふははは。撃たなくても、具現化しているだけで法力を使うぞ!」
「承知の上だ。その代わり、一発当てれば僕らの勝ちだ」
ジョステアがしゃがみこみ、地面に魔法陣を描いた。
「無理だ! 無理だ! 無理だ!」
「僕らは成長する。一分一秒と、同じ自分はいない。さっきまでの僕らだと思っていると――」
フレデリックは不規則性の規則性を見つけた。
「後悔するよ」
静かに深く息を吸って――――止める。
矢を放った。
稲光を伴って、矢は五方向へ分散した。
コウモリ男は、ぴた――と滞空した。
雷の矢は彼の周囲を通り過ぎた。
「ほらな――」
しかし、コウモリ男の哄笑は長続きしなかった。
コウモリ男が振り向いた。
そこに浮かび上がっているのは魔法陣だ。
フレデリックは五本の雷の矢で五点のポイントを描き、レベル1ながら雷の魔法陣を空へ作り上げたのだ。
そして、黄白色に光り輝く魔法陣の向こうにジョステアがいた。
自分で呼び出した棍棒の上だ。
胸を張って立ち、コウモリ男を睥睨している。
やっとコウモリ男が翼を動かした――だが、遅い。
「オレ今、躍動!」
ジョステアが飛び降りた。魔法陣を蹴りの体勢で突き抜ける。右足に雷を帯びて、逃げかけたコウモリ男の背中を捉えた。
赤黒い肌を電撃が走った。レベル1の魔法ではその程度だ。痺れを与えるくらいだ。
「その程度! まだワタシを倒すには足りんな!」
「コーディくんがいれば、必ずチャンスを作ってくれる」
フレデリックはもう一度、矢を番えた。
コウモリ男の見立てより、法力がもう一回分あったのだ。
「言わなかったかい? あなたを倒すのは、僕ら(傍点)だって――」
コウモリ男が牙をむき出して吠えた。
それが唯一の、そして最後の抵抗だ。
フレデリックは矢を放った。
一直線にコウモリ男の額を撃ち抜いた。
大きく光が膨れ上がった。悲鳴のように一度だけ強く――。
そして爆音と共に散った。
ジョステアが降りてきた。体勢低く着地する。
きらきらと紙ふぶきのように無数の光が降り注いだ。
トベル・ホーキンスの光だ。
彼の生きてきた力が、最後に光となったのだ。
「見たか、ジッチャン! オレ今、勝利!」
ジョステアは涙を流しながら、光へと腕を突き上げた。
トベルは風に吹かれ、輝きを奪われるかのように徐々に小さくなり、そして、手に触れる前に消えていった。
「コーディくん――」
ジョステアの気持ちを真っ直ぐに表現することは、感情をずっと押し込めて生きてきたフレデリックには新鮮であった。
嫌ではない。寧ろ好感が持てる。
――彼と一緒にいたら、僕もそうなれるかな?
ジョステアが新校舎の屋上を見上げている。
フレデリックも視線を合わせた。
シーラが縁に立って、こちらを見下ろしていた。
彼女の悲しげな表情は、トベルへの慰霊を含んでいるのだろうか――
風が一陣通り過ぎると、その姿は消えていた。
「シーラさん……」
「大丈夫、また会えるさ」
「そうだね」
ジョステアが拳を突き出してきた。
にいっと笑う。
「お疲れ」
フレデリックも、笑顔で拳をこつんと合わせた。
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