第10話 魔導師の孫と魔封一族

 深みのある弦楽器の音が絡み合い、部屋を飽和状態にしていた。

 60㎡ほどのワンルームが、フレデリックたちの入る隙間がないほど音楽に満ちていた。

 ジョステアだけが動じることなくズカズカ部屋へ入ると、年配の警官、若い警官がそれに続き、最後にフレデリックが音に包まれた。

 部屋はカーテンが閉められ、照明は床に置かれたルームランプの青のみ。

 海の底のようだ。しかもかなり深い海底だ。

 こんなに広い部屋でありながら、ベッド等の家具は左奥にまとめられ、他はフローリングが晒されていた。

 その左側に、貝の片側をひっくり返したような形の椅子がある。背もたれも肘掛けの区別もない。

 ショーンはその椅子に包まれるように座り、音楽を聴いていた。

 フレデリックたちが入ってきたことに気付いているはずだが、変わらず目を閉じたままだ。

「ショーン・ロレンス、署までご同行願えないだろうか」

 年配の警官が低い声で言った。距離は四メートル強。滑らかな曲調を通り抜け、ショーンには届いたようだ。

 ショーンはチェアからゆっくりと立ち上がった。大きく外に跳ねた前髪が上下に揺れた。

 だが、まだ目は閉じ、指揮棒を振るように腕を動かしながら、うっとりとしている。

 服は昨日と同じだ。

「この曲、良いだろう。天才作曲家――ヌーヴィッヒ・アンラーレルの作品だ」

「誰だ、それ」

「アンラーレル……」

 フレデリックには聞き覚えのある名前であった。

 ちょっと失礼――と、警官たちの耳に手を当てて、法力を放出する。これで、暫くの間は聴覚に対しての魔法を防げる。

 若い方の警官が脅えた。

「何を?」

「ヌーヴィッヒ・アンラーレル――。彼の曲には、幻惑魔法と同等の効果があるらしいのです。法力を持たない普通の人は、聞いただけで催眠、麻痺、躁心されるというので――」

「マジックキャンセラーを使ったんですね。ふふ。さすが、大魔導師の孫。私が見込んだだけのことはある」

 ショーンが嬉しそうに言った。

「やはり僕のことを知ってたんですね」

 ショーンは口元を笑みの形にしただけで答えなかった。

「お前は法力がないと住民票に書いてるのに、何故この音楽が平気なのだ?」

「住民票を操作したのか!」

「ふふ。生まれつきなんですよ。魔法は使えないけど、魔法が分かるんです」

 ショーンが警官二人に答えた。

「このアンラーレルも同じです。彼も魔法は使えません。それなのに、作った曲には魔法が乗っているのです」

「そんなことって――」

 若い警官が驚いていた。

 魔法が生活に密着していながらも、法力を持たない者たちにとって、魔法はおとぎ話であった。魔導師には周知の事実が、日常を瓦解する情報になり得るのだ。

「私は彼に親近感を覚えずにいられないのです」

 ショーンにとって<魔法>はどういう意味なのであろうか――。

 使えないが分かる――その感覚はフレデリックには理解の範疇を超えていた。

「調べた所、魔導府の端末から、研究所のシステムに入り込んで、情報を書き換えましたね」

 マヘリアが調べておいてくれたことだ。

 これにより、ショーンが黒幕だと、部屋へ入る前に確信できたのだ。

「僕を墓地へ誘導するためだったんですね」

「あれは悪いことをしました。私はただ単にサンデ村のことをあなたへ教えたかっただけなのです」

「ホーキンスさんの門の進行具合が速く、アンデッドが裏返りました」

「そうですね」

 ショーンの手の動きは曲にぴったり合っている。大きく振られた今、弦の重なりが厚みを増した。

「フレキシスコ山の時も、サンデ村の時も、私はあなたにヒントを与えるよう指示しただけなのですよ」

 ところが、こいつがね――ショーンの陰から、シーラが現れた。

「命令違反をして、あなたを殺そうと画策していたんです」

「う――どこから?」

「さっきからいたぞ」

 身構えた若い警官に、ジョステアが答えた。

 ――え?

 これにはフレデリックも心で驚いた。訊き返している暇はない。

 シーラの目が紅く、挙動がおかしい。

 これではまるで、アンデッドだ。

 シーラが吠えた。

 人が出せる声ではない。まさしく獣だ。

 警官二人が、腰の銃を引き抜いた。

「シーラさん……」

 フレデリックも左前腕の魔窓紋へ指を伸ばした。

「主人の言うことを聞けない獣は不要なので――」

 ショーンの動きが小さくなる。

 シーラがそれにリンクし、四つん這いになっていく。

 ショーンはぴたっと動きを止めた。弦楽器が力強い音と共にブレイク――

「始末しちゃってください」

 その言葉が隙間に聞こえた。

「何――?」

 なだらかな調べが再び始まった刹那、シーラが駆け出した。

 撃たなきゃ――と、撃てるのか――の狭間で、フレデリックは迷う。

 す――とジョステアが、シーラとフレデリックたちの間に立った。

「コーディくん!」

「ん――?」

 ショーンが珍しく、メガネの奥で目を見張った。

 シーラが床を鳴らして飛びかかる――が、ジョステアは左腕を伸ばしただけだ。

 ぱしっと音がした。

 ジョステアのグローブの中に、小さなマペットのようなものが掴まれていた。

 身体の比率に反し、頭が大きい。脚は無く、シーツの端のようなものが伸びているだけだ。それが頭を激しく揺らして、左手の中で暴れていた。

 漂うだけの低級霊に、魔法で姿を与えた時の姿だ。授業で見たことがある。

「フレディ、あのプレイヤーだ!」

 ジョステアの声に、フレデリックはベッド奥のレコードプレイヤーを見た。その時には既に、火の魔法陣を左手の前に翳していた。

 小さな炎の弾が、プレイヤーを壊した。

 音楽が止まった――

 全身を包んでいた、妙な重圧感も消えた。

 ジョステアの手の中で、低級霊がおとなしくなった。

 ――アンラーレルの曲で操られていたのか。

 フレデリックは理解した

「おや、おや。そのプレイヤー、高かったんですよ」

 ショーンは感情のこもらぬ声で言った。

「しかし使えない子は使えないまま終わりますね」

 ジョステアはショーンをじっと見ている。

「どうぞ握りつぶしてください。君なら簡単でしょ、ジョステア・コーディくん。ふふ」

「ダメだよ――コーディくん」

 フレデリックは思わず言ってしまった。

 ジョステアは、ちら――とフレデリックを見てから、手の中の低級霊を見た。

 瞳のない目がジョステアを見上げている。そこにどんな感情があるか、全く分からない。

 ジョステアは左手を開いた。

 すると、彼の横にシーラが現れた。困惑の表情を浮かべている。

「君には幻惑が効かないみたいですね。初めからその子は低級霊の姿で見えてたんでしょ」

 ――そうか

 フレデリックは思い至った。

 幻惑魔法を常時発動しているからシーラの姿を保っているが、ジョステアには幻惑魔法が効かない。だから何度会ってもジョステアにはシーラが見えなかったのだ。低級霊の姿では遠目に探せない。

 病院前で雷の矢が当たらなかった理由も、人の姿が幻惑でしかないからと説明がつく。

「お前さ――」

 ジョステアがショーンへ向かって、いつになく不機嫌そうな声を上げた。

「何がしたいんだ?」

 ショーンは答えない。

「妹の仇だからフレディを狙ってると思ったけど、命を奪うつもりはなさそうだし」

 青い深海の部屋が沈黙を押し付けてくる。呼吸さえも憚れる中、ショーンが部屋の空気と同じトーンで語り始めた。

「私がマーリンくんを殺さない理由(わけ)。それはね、彼に大事な役目を与えたからです。私を逮捕する――という役目をね」

「ワケ分かんね」

 ジョステアの言葉は皆の気持ちを代弁していた。

「ふふ。犯人の私を逮捕しながら、自分の力及ばずに国が大混乱となって落ち込む様を、間近で見ようと思っていたのです。中途半端な勝利ほど打撃力はありますからね」

 ショーンはヤレヤレというように頭を振って続けた。

「しかしこんなに早いとは思いませんでした。まだ大混乱の前なのですから。思った以上に優秀だったということですね」

「騒動にはならんよ。警備隊が王宮に集まってるんだからな」

「でしょうね」

 ショーンはこけた頬を動かし、ニヤリと笑いながら、若い警官に答えた。

 それがフレデリックには気になった。

「何か謀んでます?」

「あなたを生きながら辛い目に遭わせる。それが私の仇討ちなのです」

「まだ言うか?」

 ジョステアが呆れるように言った。

「何がです?」

「お前、仇討ちなんて考えてないだろ」

「私は妹を愛していました。マーリン家への恨みを忘れたことなんてありません」

「アンデッドに愛する家族の姿を与えたりはしないぞ」

 ジョステアがぴしゃりと言った。

 確かにその通りだが、『ん?』となったのは、ショーンだけであった。

「お前、何らかの方法で低級霊を捕まえ、何らかの方法で姿を与えたろ」

 警官二人は何のことやら分からない顔付きになった。しかし言った当人もその方法を曖昧にしか覚えていないのだろう。説明が出来ていないのだから当然の結果だ。

「幻惑魔法を教えて人の姿にする時に、妹の姿を選んだ」

「それこそ愛してる証」

「その時点でおかしいし、使えないから始末していいってのもおかしい。そもそも妹の姿を獣のように操るって、普通はしないだろ」

「所詮アンデッドですから。ふふ」

 そんな――シーラが苦鳴のように小さく洩らした。

 彼女にとってショーンは、少なくとも大事なマスターなのだろう。

 ジョステアが閉口した。

 呆れたわけではない。

 恐らく何かを考えている。

 フレデリックにはそれが分かる。

「なるほどね。あなたが私の計画の不確定因子でしたか」

「コーディくんが?」

「フレデリックくんには、犬のアンデッドを見かけたことで事件に巻き込まれるという形で参加してもらうつもりでした。結果、犯人を捕まえるが事件は阻止できなかった――としたかったのです」

 そいつが――ショーンは顎でシーラを指した。

「先走って君を殺そうとしたせいで、危うく出だしで頓挫する所でした。その崩れた計画を戻したのがジョステア・コーディくんだったのです。まあ、彼は計画を戻しつつ、更に崩してしまったのですがね」

 フレデリックからはジョステアの背中しか見えない。

 まだじっとショーンを見ている。

「実におもしろい」

 ショーンの勝ち誇った声が部屋を支配するかと思った瞬間――

「分かった」

 ジョステアが打ち消した。

 ショーンは、ばつが悪そうにメガネを押し上げた。

「何がです?」

「お前が嘘つきだ――ってこと」

「私が――ですか?」

「今までの会話で、お前が本心で語ったことは何一つない」

 今度はショーンが押し黙った。

 海の底で彼は青い影になる。冷たい水に溶けていくようだ。自分で作った静謐を自ら壊した。

「この世界に、<本当>――なんてものはないと思わないかね」

「思わないね」

「君の目には<嘘>が見えてるじゃないか。その娘の正体が見えていたように」

 シーラのことだ。

「オレ今、憮然。それって本当のものしか見えてないってことだろ」

 二人は同じことを言っている。ジョステアの方が真っ直ぐ過ぎるのだ。

「オレに分かるのは、お前が嘘つきだって事だけだ」

「そうか。あなたと私では相容れない――ということかな」

 ショーンはまた口を閉ざした。少し残念そうに見える。

「オレの母親が言ってた。頭の良いアンデッドは危険だが、それ以上に危険なのは、頭の良すぎる人間だ――ってな」

 初めて聞く言葉だが、経験を重ねた人しか導き出せない、重みのある真理に思えた。

「良いお母さんですね」

「良い? あいつ、強いんだぞ、お前……」

 ジョステアは身震いした。

「本当に脅えてどうするのさ」

 フレデリックは苦笑しながら言った。

 ショーンの視線に気付いた。

「さすが魔封一族――。ここでまたマーリン家と組みますか」

「また?」

「君の祖父パラスティ・マーリンは警備隊の前身<警察魔導課>にいましたが、最後の相棒が魔封一族の娘だったのです」

 初耳であった。

 そういえば、祖父の仕事に関しての話は、全く聞いたことがなかった。父母も話さないし、祖母は現在別居中だ。大魔導師マニアの方が孫より詳しい――これが現状だ。

「あれだろ――何とかっていう一族」

「知らないのかい」

 呆れた声で言ったのはシーラであった。

 答えは年配の警官がくれた。

「イージョ・ヘインのことか」

「それだ。でもコーディ家とは全く関係ないぞ」

「マーリン家の相棒は皆死ぬ――ということですよ」

「当たり前だ。死なない奴はアンデッドだろ」

 多分、そういうことじゃないかも――若い警官が控えめに言った。

「イージョ・ヘインは、アンデッドに殺されました。事件の捜査中にね」

「殺された――?」

 目を塞いできたこととはいえ、知らないことが多過ぎであった。

「あなたも気をつけるんだな。ジョステア・コーディくん」

「おう。ありがとな」

「脅しだよ。バカだね」

 これもシーラだ。

 ジョステアがシーラへ視線を動かした。

「お前、まだいたのかよ」

 シーラはそっぽを向いた。

「そろそろ、私の方は終わりだな」

 ショーンが両腕を差し出した。

 その仕種を見て、警官たちがフレデリックを見た。

 意味は、『近寄って良いのかどうか』だ。

 フレデリックは頷くと、自らショーンとの距離を詰めた。警官たちも続いてくる。

 ふふ――ショーンが嬉しそうに笑っている。

 フレデリックはショーンの正面、一メートルほど手前で止まった。

「何でしょう?」

「今日は<パラスティの日>。君の祖父が、魔人と相打ちで亡くなった日。私はこの日を君との因縁の始まりの日にしたかったのです」

「因縁――?」

「私は君の手で捕まり、君は私へ恨みを抱くようになる。いつか決着をつけてやる――とね」

「僕があなたを恨む? どうして……?」

「ふふ。では私を捕まえることができたご褒美です。昨日、微弱な精神ガスが奪われました」

「あれもお前の仕業か」

 年配の警官が手錠をかけながら、驚愕した。

「それが今どこにあると思います?」

「遊びのつもりか!」

「ヒントです。バルーンの中」

 激昂する若い警官に構わず、ショーンは言った。

「バルーン?」

 それだけで分かるはずが無い。警官たちも眉間に皺を寄せて、顔を見合わせていた。

「式典じゃないのか。<パラスティの日>のさ」

 後ろから、ジョステアが言った。

 皆がジョステアを振り向いた。

「なんだよ――」

 その余りの勢いに、珍しくジョステアが慄いた。

「学校に連絡を――」

 フレデリックが言うと、若い警官がホルダーの通信機を使ったが、

「何だ? どこの放送だ、これ――」

 と、すぐに困惑の表情で、フレデリックと年配の警官を見た。

「無駄ですよ。一帯には通信妨害用の結界が張られています。遮断ではなく混線なので、妨害とは思われません」

「直接行くしかないだろ」

 ジョステアは軽く言うと、もうドアの方へ向いていた。

「アンデッドになる危険を冒しに行きますか」

「ガスだけでアンデッドになるわけなかろう」

 年配の警官が言った。

「まさか……?」

「察しが良いですね。そこにトベル・ホーキンスがいるからです」

 全部、ばらすのかよ――シーラが苦々しく言った。

「何でジッチャンが?」

「魔法陣はオトリ?」

 トベルが王宮でポイントを作らなければ魔法陣は完成しない。

 ――そこへ向かってもないということか?

「いえいえ。魔法陣はそろそろ完成した頃だと思いますよ。ふふ」

「そんなバカな――警備は完全だ」

「トベル・ホーキンスを警戒しているからでしょ。もし来たのがお仲間だったら? きっと通すでしょうね」

「何を言ってる……?」

 警官たちは知らされていないらしい。警官が一人行方不明になっているのを。

 シーラかトベルが、催眠魔法で代理をさせたのだ。

「サンデ村のアンデッドたちが、今頃王宮に到着してますよ」

「そっちはマヘリアに任せれば良い。オレたちは式典へ行こうぜ」

 動揺することなく、そして何の躊躇いも無く、ジョステアは部屋を出て行った。

「後はお願いします」

 フレデリックが言うと、警官たちは頷いた。

 気付くと、シーラの姿もなくなっていた。

「検討を祈るよ、魔導師の孫と、魔封一族。ふふ」

 フレデリックは、その言葉を背に、海の底から出ていった。

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