第8話 魔法使いの献身

 門からかなり離れた位置で、トベルは壁に寄りかかっていた。

 その隣にシーラが佇んでいる。

 表情からトベルへの感情は読み取れない。

 外壁に沿って幅広の道が延び、西街区へと続いている。いつもは人の行き来の多い道だが、今は誰もいない。

 フレデリックとジョステアは、彼らの十メートル手前で足を止めた。互いの魔法を考えれば、決して離れてはいない。

「またお前らか――。何の用だ」

 トベルが横目で見ながら言った。昨日の夕方に会った時よりも、生気が更に落ちていた。顔色も青く、太陽光さえ通り抜けているようだ。

「あなたを止めに来た」

 フレデリックはそう言わざるを得なかった。このままでは本当にトベルが死んでしまう。

「ジッチャンたちは入院に来たわけじゃなさそうだな」

「ワシは命を賭してでもやるべきことがある。邪魔するなら――」

「殺しますか、僕たちを?」

「そのつもりだったけど……。失敗したみたいね、あいつら」

 答えたのはシーラだ。『あいつら』とは、サンデ村の人たちであろう。

「全部あなたが仕組んだことですか?」

「私は忘れなさいって言ったはずだけど?」

 微妙に答えをはぐらかされた。

 確かに言われたが、それと今ここにいる理由は違う。

 フレデリックはそれを声に出せずにいた。

「あの時は、あなたが山へ行ってアンデッドがいた証拠を、警備隊に残すだけで良かったの。ただそれだけなのに」

「それって、つまり――」

「お前をアンデッドにするつもりだったんだ」

「そんな――」

 フレデリックは突きつけられた現実に押しつぶされそうになった。

 ジョステアに指摘され、頭でも理解した気になっていた。

 それなのに、ここへ来てまた弱い心が頭をもたげてきた。

「私の苦労も水の泡。あなたが捨て犬みたいに寂しそうにしてたから、声を掛けたら甘えてきちゃってさ。ぺらぺらと聞きたくもないことを言うわ、言うわ。助けを請うと、良い気になって必死さをアピール」

 フレデリックは崩れ落ちそうなのを必死に堪えていた。

 シーラを信じていた心の一部が壊れた。

 たった一角なのに、ひびは全てを覆うように伸びていくようだ。

「さすがマーリンの孫。偽善者の血は争えないわね」

「おじいちゃんは関係ないだろ」

 自分の失態で、家族が馬鹿にされるのは納得いかなかった。

 あるのよ――と、シーラはフレデリックを正面に血を吐くような表情で言った。

「あいつのせいで世界は狂ったんだから」

 言葉はゆっくりとフレデリックの耳から頭を侵食していく。

「狂った?」

 自分の言葉が遠く聞こえる――

 このまま崩れ落ちれば、全てが終わっていた――……

 もしジョステアが声をかけなければ。

「フレディ。アンデッドの言うことに耳を貸すな」

「アンデッド? シーラさんが?」

 改めて視線をシーラへ向けるが、フレデリックには普通の少女にしか見えない。

「やはり気付くか。これだから魔封一族も嫌いだ」

 認めたも同じだ。それなのにフレデリックはまだシーラに頼ろうとしている弱さを感じている。

 ――これはおかしい。

 そう思う自分にやっと気付き始めた。

 言葉巧みに対象者の心情や感情を引き出し、その時に対象者が掛けて欲しい言葉を会話から導き出し、効果的に使う――デイの言葉だ。

 ふと思い出した。

 もしそうだとしたら、フレデリックを言葉だけで潰すことも可能だ。

 魔法だというのなら、魔法で対抗できる――

 フレデリックは魔法防護を施すことにした。

「皆を騙すのがお前の役目なら、その目的は何だよ」

「フン。計画が狂ったのは全部、あんたのせいだ。本当に邪魔な一族だ」

 ジョステアが一歩前に出る。トベルの方を向く。

「ジッチャン、サンデ村へ行って来たぞ」

「何しに――?」

「みんなアンデッドだったぞ」

 トベルの唇が少し動いた。やはり知らなかったのだ。

「ジッチャンは、誰のために、何をしようとしてるんだよ」

 ジョステアは本気でトベルを心配しているのだ。

 トベルにもそれは分かったようだが、迷いは一瞬だけだった。

「どんな姿になろうと、恩のある人たちに変わりはない」

 それが答えであった。

 シーラはずっとジョステアを睨んでいる。

 もうフレデリックには彼女へ庇護を求める心はない。

 法力を薄くレインコートのように覆っていた。精神攻撃に対する防御魔法だ。知っていながら使えてなかった。デイの助言が無かったら押し潰されていただろう。

 ――大丈夫だ。

 フレデリックは自分に言い聞かせた。

「ホーキンスさん、あなたは自分の身体で魔法陣を作っていますね」

 結界を無効化して、サンデ村のアンデッドたちを一気に移動させる――その古代魔法を発動させる魔法陣。その代償は自分の身体を使うことだ。

 ポイントには自分の身体の一部を埋め、流した血を使って魔法陣を描いているのだ。

 タオルで覆われた両手、そして紅く染まった靴――恐らく指を切って埋めたのだ。

「魔法陣まで知られてるのか――」

「諦めろ。上手くいきっこない。オレがいる以上な」

 ジョステアは迷いも無く言い切った。

 ふん――シーラが吐き捨てるように言った。

 表情にはまだ余裕がある。

 それがフレデリックは気になった。

「そんなに弱りきってよ――。ジッチャンは、村のやつらのために死ぬ気か?」

「お前らには分からんさ」

 トベルは弱々しく笑った。

「村はな、作物が育ちにくい地盤の上、変わりやすい天気、動物や魔物の被害、生きていくのに、必死にならなければ駄目な土地なんだ。そんな中で、ワシを拾い、育ててくれた恩があるんだ」

「だからって魔界の門を身体に?」

「それが恩に報いるということだ」

「違うだろ、それ!」

 トベルの笑みは悲しみを内包していた。

 しかし、それは変わらない決意を意味している。

 止めるには、トベルを倒すしかないのだ。

「いいから、トベルは急げ。時間がないよ」

 シーラに言われ、トベルは頷くと、よろよろと西街区へ向かい始めた。

「ホーキンスさん――」

 追いかけようとしたフレデリックの前にシーラが立った。

 更にジョステアが間に入ってきた。

「お前に何か出来ると思ってるのか」

「村の奴らには、ここに死体を送る必要はないと言ってある。なぜだと思う?」

 嬉しそうな声色でシーラが言った。

「え――?」

 その言葉の意味は、まず耳に悲鳴で届いた。

 病院からだ。

「何だ――?」

 トベルが外壁に目をやった。そこからでは、建物の屋根も見えないだろう。

「そうか。死体安置所がある――」

「それに瀕死のケガ人や、死を間近に控えた老人もいる。そんな奴らで充分アンデッドを作れるのさ」

 シーラが補足した。

「お前――!」

「さあ、どうする? 私たちに構っている暇はあるまい」

「オレ今、憤怒! そんなこと許されないぞ!」

 ジョステアが怒鳴った。

 トベルが足を止めたままだ。病院を見上げる横顔で深い皺が更に深くなっていた。

「フレディ、ここを頼む。オレは病院を助けに行ってくる」

「どうやって!」

 何の考えがあるわけでもないと想像がついた。何とかしてしまうかもしれないが、一人だけを危険な目に遭わせるわけにはいかない。

「小僧――」

 呼んだのはトベルであった。

 ジョステアは何の迷いも無く、トベルの方へと駆けて行った。余りの自然さに、シーラも見過ごしてしまっていた。

 トベルはジョステアの掌に、指の血で魔法陣を描いた。

「光系の除霊魔法だ。死体のアンデッド以外はこれで何とかなるはず」

「トベル!」

 シーラの叱咤は、虚しく誰にも届かなかった。

「ありがと、ジッチャン!」

 ジョステアは言うと、また走って戻ってきた。今度はフレデリックの横も過ぎて、門へ入っていった。

「そんな年齢じゃねえって」

 トベルが苦笑を見せると再び歩き出した。

 血が地面へ落ち、しばらくすると線として繋がり、沈むように消えていった。魔法陣が作られているのだ。

 追いかけようとしたフレデリックの前をシーラがまた塞ぐ。

「いい加減、学校へ戻りなさいな」

「放っておけないでしょ!」

「偽善もいいところね」

「人が悲しんだり、辛い目に遭うのを、止めようとすることのどこが偽善なんですか!」

 フレデリックは本気で怒鳴った。

 シーラが、ふ――と目を伏せた。

 一呼吸で顔を上げ、ニヤリと笑った。

 フレデリックは眉を顰めた。

 透明感があった川が、急に濁って川面さえ見えなくなった――そんな感覚の笑みであった。

「アンデッドになるって、悲しいことかな? 辛いことかな? どう思う、フレデリック・マーリン」

「そんなこと、訊くまでもないでしょ!」

「人間はね、実におもしろい」

「え――?」

「サンデ村を見てきたかね?」

 ――誰だ?

 その疑問に囚われ、フレデリックは答えられなかった。

「私は彼らに方法のみを伝えただけなのだよ。何一つそそのかしてはいない」

「どういうことですか」

「光属性の移動魔法、魔界の門を開く術、魔法陣、そして、アンデッドへのなり方――。彼らが王国にしたいことに対し、私は提案をしただけ。ふふ」

「サンデ村の人がしたいこと――。それが、これですか?」

 シーラはその問いに答えなかった。

「山岳野菜に少しずつ村人の血をつけて、それを大量に王国へ。これをマーキングとし、トベルが潜入を果たす。私が教えた通り、魔法陣にポイントをチェックしていく」

「それじゃあ、門も魔法陣も発動しませんよ」

「その通り! そのためには生け贄が必要なのだよ。ましてや人の身体の中に門! 興味を引くだろ? 引くよな。そう、教えてあげたさ。その方法を」

 ――さっきまでのシーラさんじゃない。

 それは確信があった。ならば、この不快な存在は、誰なのか。フレデリックは、会話から答えを導き出そうとしていた。

「村人たちは自らを生け贄にした。しかも喜んで受け入れたのだよ」

「まさか、そんなはず――」

「あるのだよ、マーリンくん。彼らは致死性の高い魔法霧を発生させたのだ。村人全員の合意の上でな」

 フレデリックはサンデ村の霧を思い出した。あれは毒性が抜けて、霧だけ残ったものだったのだ。

「アンデッドとして甦る方法、実は確率的には五分五分だった。それが、八割強の村人が目覚めた。しかも数人は裏返りまで見せたのだ。彼らの精神力の賜物かな」

 実におもしろい――シーラは続けた。

「これにより生け贄の数は達し、契約は結ばれた。門が開き、魔法陣は発動する」

 シーラの口を借りて話している人物に、フレデリックは苛立ちを感じていた。

 誰かは分からないが、この人がトベルをそそのかし、サンデ村を殺したということは分かった。

 これ以上の話しを聞いていられなくなっていた。

「アンデッドの力を得て、老人だった彼らは見る見る若返っていった。トベルと同い年に見えるくらいに下がった者もいた」

 フレデリックは魔窓紋に手を伸ばした。

「ふふ。会ってもトベルには分からないかもな。自分の腹に開く門が、育ての親たちの命を利用しているってこともな!」

 ――もう限界だ!

 フレデリックは雷の弓を具現化した。構えるや、雷撃の矢を放った。

 稲光の尾を引き、矢はシーラに一直線。

 シーラが珍しく驚愕の表情を浮かべたが、矢は彼女の身体をすり抜けた。

 気配はフレデリックの背後へ移動していた。

「速い――!」

 だが、シーラは攻撃の意思を全く見せず、

「もしパラスティ・マーリンがいなかったら、こんな事件は起こらなかった――としたら、君はどうする?」

 それだけを言った。

 フレデリックが訊き返そうとした時、病院から光が溢れた。

 シーラが後ろから、か細い悲鳴を洩らした。

 ジョステアだ。

 手加減知らずの除霊魔法が、病院では収まらずに外まで届いたのだ。

 光は三十秒も続き、やがて拡散するように消えていった。

 フレデリック自身、視界を奪われないように目を瞑っていた。

 開けた時には、既にシーラの姿はなかった。

 路上に立っているのはフレデリックだけであった。

 病院の前庭を駆ける音がすぐに門を飛び出してきた。

「オレ今、解決!」

 ジョステアが叫びながら走り寄ってきた。

 フレデリックの横に並ぶと、

「シーラは?」

 と訊いた。

「逃げられたみたい。――ごめん」

「そうか。じゃあジッチャンを追うか」

 フレデリックはそれが正しいとは知りつつ、どうしても身体が動けずにいた。

「どうした?」

 ジョステアが不思議そうに見ている。

 祖父がいなければ起こらなかった事件とは、どういう意味だろうか。

 シーラの言葉が、いつまでもフレデリックの心で反芻され続けた。

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