第6話 冬枯れの小国

 全てが山――

 それがサンデ村の印象だ。斜面に家屋を建て、斜面に畑を作り、斜面で生きている。

 マヘリアの説明だ。

 まだその入口だが、その言葉が誇張ではないとすぐ分かる。

 馬車を降りると、まず粘着質のある霧が出迎えた。ひんやりとした空気に身震いを感じつつ、辺りを見回す。

 霧は奥へ行くに従い濃さを増し、視界を隠しているが、ぼんやりと浮かぶシルエットは、正しく山村であった。

 村の入口から既に勾配は始まり、一軒目はここから三メートルは高い。

 そこを一段目とすると、山を切り崩したひな壇が五段ほど見える。上に行く程にひな壇の幅は狭くなるようだが、馬車がある位置からでは三段目以上は霧に呑まれ、シルエットのみで判断しているに過ぎない。

「ここで待っててくれ。一時間で戻る」

 マヘリアは御者に言うと、先行していたフレデリックたちに追いついてきた。

「そんな短くて済みますか?」

「村人の総数は五十を超えるくらいだ。すぐに見回れるさ」

 ジョステアが山の方を見上げ、鼻をひくつかせている。

「どうした、ジョステア?」

「何か、ヤな感じだ。気を付けた方が良い」

 そう言うと、一人で上がっていった。

「そうかな――? 霧のせいで景色は見えないけど、空気は清々しいくらいだよ」

「だけどジョステアが言うんだ。警戒しても悪くないぞ」

 言葉ほど警戒せずに、マヘリアはジョステアに続いた。

 フレデリックは多少の反感を覚えずにいられなかった。

 ジョステアが感じているような感覚は、フレデリックに分からない。彼の言動は突拍子が無くて、全てを真に受けていたら振り回されかねない。

 ――役職付きがそんな態度じゃ、周りが大変じゃないか?

 フレデリックは変な心配をしていた。

「オレ今、発見」

 ジョステアが、一軒目に走っていった

「気を付けろって言ったのはお前だろ」

 マヘリアが村の入口で足を止めていたので、フレリックは追いついてしまった。

 ジョステアを好きにさせているのも分からなかった。

「何で彼の勘を信じるんです?」

 思わず訊いていた。

 マヘリアは横目で見下ろしてきた。

 真意を測っている――というより、心を見透かしているようで落ち着かない。

「納得いかない――というより、ジョステアを認められないんだな」

「そんなわけでは……」

 言葉で表せばそうかもしれないが、それでは嫌な奴になってしまう。

「あいつと少し行動してみただろ」

 マヘリアは視線をジョステアが消えた一軒目に戻して言った。

「あいつの何気ない一言とか行動に、救われたことはなかったか?」

 ――言われてみれば……。

 フレデリックは思い至る。

 フレキシスコ山での犬のアンデッド。墓地の裏返ったアンデッドたち。確かに彼に助けられている。デイ先生やその他の手助けがあったとはいえ、ジョステアと行動する事でここまでたどり着いている。

「ワタシはある」

 マヘリアは静かに言った。

「一度なら偶然だが、二度なら? 三度なら? あいつは落ちこぼれ学生だが、決してダメ人間ではない」

 その評価ならフレデリックも納得だ。

「何となく分かります」

「優秀――とも言いたくないけどな」

 そのマヘリアの気持ちも理解できる。

 彼女の苦笑がうつったように、フレデリックの口角が上がった。

 と、ジョステアが家を飛び出してくるなり言った。

「誰もいない。食卓の上のご飯は腐ってて、とても食べられないぞ」

「食べる気だったのかよ」

「でも――静かすぎますね」

 ジョステアを少し認めると、彼の言った感覚を拾ってみる努力に変わる。それが、自分でも気付かなかったことを感じさせた。

 結果、ジョステアが馬車を降りて感じた『ヤな感じ』を、フレデリックも掴めた。

 村だけではなく山全体が沈黙している。

 イメージとしては、昨日の夕方に訊ねた、共同墓地の空気だ。

「そうだな。家が分散してるせいか?」

 マヘリアの言葉を待っていたかのように、霧が薄くなっていく。

 家屋は密集していた。一段目なら四ブロックほど。二十軒は見える。岩山の斜面にはもっと民家が建ち並んでいた。

「こんなに家があるのに、人の気配がしないなんて」

 フレデリックは自分の声に怯えの響きを聞いた。

 メインストリートらしき道を進む。

 メインストリートとフレデリックが思ったのは、教会へ通じているからだ。

「この村の八割は老人で子供はいない。ホーキンスが若い年齢層に入るくらいだ」

「みんなもう寝てるんじゃねえか?」

「午前中だよ……」

 ジョステアがすぐ近くのドアを叩いた。

 薄い板の揺れる音がやけに大きく響いた。

「コーディくん?!」

 意表を衝かれ、フレデリックは思わず名を呼んだ。

 反応したのはフレデリックだけで他にはいなかった。

 ジョステアはドアを開けた。

「誰もいない」

「眠ってるかも――と言ったのは君だよ」

 フレデリックはノックに対しての指摘を済ませると、ジョステアの横から家屋内を覗き込んだ。

 光が届かない以上の暗さだ。

 つんとした臭いにむせ返った。廃屋の荒廃したものではなく、腐敗した時に発するものだ。暗くとも出所はすぐ分かった。

 誰もいない空間にぽつんと置かれたテーブル。その上からだ。

「さっきと同じだ」

「食卓そのままで、いなくなるなんて有り得ない」

「こっちの二、三軒も同じ状況だ」

 マヘリアが隣家から戻ってきた。

 ――余りに異常だ。

「おーい、誰かいないかー」

 ジョステアがその場で叫んだ。

 余りに唐突で、フレデリックは小さく驚きの声を洩らしそうになった。

 ジョステアの声だけが、木霊となって遠ざかっていく。まるで、この村自体に気付かないように。

「返事はないようですね。……でも、びっくりした」

「何かの事件に巻き込まれたか?」

 ジョステアはメインストリートを奥へと足を進める。マヘリア、フレデリックの順で続いた。

「あの送られてきた人たち……。ホーキンスさんがこの村にいた時には、まだ生きていたらしいです」

「アンデッド化してたから詳しいことは分からないが、死亡推定日はこの数日内らしい」

「その間に何かがあったんですね」

 ジョステアが足を止めている。

「この村って山岳野菜を作ってるんだったよな」

「王国にも売りにきてた。それがどうした?」

 ジョステアが腕を斜面の方へ向けた。指差す方に畑がある。

 彼の言わんとしている事は分かった。

 野菜は全て枯れていた。環境に負けたわけではない。人の手が入らなくなったのだ。

「この村は既に死んでる」

 ジョステアは苦々しく言うと、再び歩き出した。斜面に作られた道を登っていく。

「どこへ? 後はホーキンスさんを捕まえて訊くしかないよ」

「村の仲間が死んでいることをジッチャンは知らなかった。この状況を知っているとは思えない。何が起こっているのか。それを知るにはここの奴に訊くのが一番だ」

 ――誰もいないじゃないか。

 フレデリックは渋々と坂道を登った。

 ジョステアは二段目のブロックから横へ向かった。岩肌の冷たい道が奥へ続いている。

「誰もいないはずはないな。移動魔法で死体を送ったやつがいるはずだ」

 ジョステアが足を止めた。

 教会の裏手を見下ろす位置だ。

 マヘリアがその横へ、遅れてフレデリックも並んだ。

「そいつが村を殺したやつだ」

「殺してはいない。これから生まれ変わるのだ」

 声が返ってきた。

 教会の裏手には霧が沈むように溜まっているが、墓地だと分かった。

 霧の中に紅い点が幾つも浮かんでいく。

「アンデッド……か――」

「すごい数――」

「死んだら終わりだ。生き返ったものは別物。アンデッドと同じだ。この村が元に戻ることはない」

 一番手前に立つ男へジョステアが言い捨てた。

 禿頭の目付きの鋭い男は冷笑を投げてきた。割れた口から牙が覗く。

「君と議論するつもりはない」

 周囲の霧も晴れてきた。

 薄い銀幕の向こう、紅い点はアンデッドの目だと分かる。シルエットではあるが、数十人はいる。

「君らがトベルの邪魔をする愚か者か」

「だったら――?」

「はじめまして。サンデ村の村長だ。そして、さよならだ。若き魔導師たちよ」

 紅い点を揺らし、後ろの村人たちも笑った。

 マヘリアとフレデリックは魔窓紋へと手を伸ばした。

 その時――

 背後の小屋を突き破り、何かが飛び出してきた。

 ジョステアが一歩前に出た。ぶつかった――と思った刹那、投げ飛ばされたのは大きな影の方であった。ジョステアが走ってきた勢いを利用したのだ。

 大きな影は、牛の姿に裏返ったアンデッドだ。

 斜面へ落ちずに、真っ直ぐ一段目へと叩きつけられた。

 その風圧が霧を揺らした。

 四十人近いアンデッドが姿を見せた。

 その奥の墓場が掘り返され、死体が地面へ寝かされている。

「マヘリア、フレディ! あれを!」

 死体が一つずつ消えていっている。

「送られてる?」

「止めなきゃ――」

「待て!」

 紅目たちが呪文の詠唱を始めた。魔法陣に頼らない魔法が発動した。途端――幾つもの魔法がジョスティアたちに飛んできた。

 フレデリックたちは頭を低くした。炎や、土くれが、頭上を通り過ぎていく。

「わしらの大儀に首を突っ込んだ報いだ。学生の身で死ぬことを悔やめ!」

 牛男が立ち上がった。

「馬車へ!」

 マヘリアが叫んだ。

 魔法弾が打ち上げられてくる中、三人は走り出す。

 牛男が一気に跳ね上がってきた。

 マヘリアとフレデリックが宙の牛男へ魔法弾を放ったが、着弾にも全く揺らがず、二段目へ着地した。マヘリアとジョステアの間だ。

 獣の目付きがマヘリアを見た

 牛男が動き出すよりも先に、ジョステアが背中へ飛びついていた。

 しかし体重差は三倍強。まともに力比べしてかなうはずがない。今度跳ね飛ばされたのはジョステアの方であった。

 ジョステアが背中から地面へ落ちた。

「コーディくん!」

 近付こうとしたフレデリックを、下からの援護射撃が止める。

 牛男が振り向く。

 ジョステアは立ち上がりざま、牛男の角を掴んだ。

 ここでも体重差が物を言う。ジョステアが押されていく。斜面の方だ。近寄り過ぎれば、晒された背中は下からの良い標的だ。

 とは言っても、フレデリックも動けずにいた。

 マヘリアが横で空中に指を動かし始めた。光の点を作って結んでいく。光の円と幾何学模様が浮かび上がった。

 爆炎の魔法陣だ。

 ――なぜ魔窓紋があるのに魔法陣を?

「ジョステア、行くぞ――」

 叫んだ所で、マヘリアの右肩に炎の球が直撃し、そのまま左へと倒れこんだ。

「マヘリアさん!」

「ワタシはいい! ジョステアを!」

 フレデリックはジョステアを見た。今にも落とされそうだ。

 ――落ちてもアウトだ。

「その魔法陣をジョステアへ投げろ! 大丈夫、お前なら出来る。届けば、あいつがなんとかする!」

「投げるったって――」

 そんなことが出来るなんて聞いたことがない。

「無駄だ! お前たちはここで死ぬ。死んだら王国へ送ってやるぞ。死体でな」

 村長を名乗る禿頭の声が下から響いた。

 フレデリックが見えているのであろうか、魔法弾が彼に集中している。

 逃げるように頭を抱え込んだ。

「僕には無理だよ!」

 踏ん張ったまま、ジョステアがまた数歩分、後ろへ滑った。

 ふとフレデリックが顔を上げると、ジョステアと目が合った。

 ジョステアは、にいっと笑った。

 ――コーディくん。

 フレデリックの口が小さく名を呟く。

 その笑みに意味を持たせるとしたら、『大丈夫』だろうか。

 フレデリックは宙に浮かぶ魔法陣へ向かった。

 魔法弾がフレデリックを追ってくる。

「これでどうだ!」

 フレデリックは弓を具現化した。雷の矢を放ちながら魔法陣へ走った。

 下からの攻撃が目に見えて減った。

 魔法陣へたどり着くなり、フレデリックは勢い任せに光る円を蹴り飛ばした。無我夢中であった。法力を足に集中して魔法陣に触れたのだ。滑るように魔法陣がジョステアへ向かっていく。

 ジョステアが左腕を差し出した。左手の手前数センチの所で吸い付くように魔法陣が止まった。

 それを牛男の突き出した頭へさっと翳す――

 円の光が強くなり、牛男を押し戻した。

「オレ今、最強!」

 ジョステアは右拳を握り、魔法陣へ思いっ切り突きを繰り出した。

 光が魔法へ変換された。拳に爆炎が宿り、角の間の眉間を殴った刹那、爆発が起こった。

 牛の頭を炎が包み、巨体が大きく後方へ飛んでいく。

 地を揺らして倒れたその身体には頭部が無くなっていた。

「すごい――」

 フレデリックはこんな魔法の使い方を初めて見た。理論的には可能なのは分かる。しかし実践するとなると、理論だけでは済まない。

 魔法の契約とはかなりいい加減だ。描いた魔法陣に所有権や独占権は無い。その場で描いた魔法陣を、法力さえ備えた者なら誰でも使える。契約の一番の目的は魔窓紋のためと言っていい。

 一人が魔法陣だけを次々に描き、他の者が発動だけをする――そんな戦法を聞いたことがあるが、これはそれとも違う。

 ジョステアが膝に手を置いて息を整えている。

 下からの攻撃は続いている。

「ボ――っとするな。撤退のチャンスだ」

「そうか! コーディくん、逃げるよ!」

 マヘリアの叱咤に我に返ったフレデリックは、ジョステアに声をかけた。

 すぐにジョステアが走り出した。

「ナイスだ、フレディ!」

 言いながら、マヘリアへ駆け寄った。

 肩を貸すつもりだろうと、フレデリックは思った。当の彼女もそう思っていたろう。

「すまない。だが走れるぞ」

「よし!」

 ジョステアはマヘリアを抱きかかえた。両手で横抱き――いわゆるお姫様抱っこだ。

「おい、よせ!」

 マヘリアが目を点にして怒鳴った。

 ジョステアは意に介せず、走り出した。自分より頭一つ大きい大人を抱えても、足の速度は落ちない。

 追いかけたフレデリックは、遅れずに走るので精一杯だった。

 坂道を下っていく。

「お前たちは計画の邪魔になる。ここで始末させてもらう!」

 村長の声が響く。

 メインストリートに出ると、霧に霞む教会の前に村長たちが立っていた。

 向こうは教会の裏手から正面へ回ってくるだけだから早いに決まっている。

 まだ距離はある。

 馬車へ走るジョステアに続く。

 村長の前に男性と女性が前に出てきた。着ているものはよれよれの山岳服だが、二人ともそれに似合わぬバイタリティのある若者であった。

 トベルより若い人はいない。その村の状況から考えると、アンデッド化して若返ったのだろう。

 二人が身を縮め、大きく広げた――

 瞬間、人だった部分が弾け飛んだ。

「また裏返った!」

「裏返りの大安売りだな」

 ジョステアが冗談にしては笑えない言い方をした。

 男性は昆虫の要素を、女性は猛禽種の要素を併せ持ったアンデッドになった。譬えるなら、蜂男と鷲女だ。

 村の入口まではたどりついた。もう少し下れば馬車がある。

 二つの羽ばたき音が背中へ急速に近付いた。

 ――来た!

 フレデリックは魔窓紋に手を伸ばしながら振り向いた。

 メインストリート半分の位置に、二体の空飛ぶアンデッドが霧を割って飛び進んできた。

「まず馬車へ乗るんだ!」

「このままじゃ追いつかれます!」

 フレデリックは風系魔法を発動し、カマイタチを投げつけた。

 鷲女が羽根を一振り。カマイタチは相殺された。

 横を抜ける蜂男へ、今度は炎の玉を打ち放った。これもかわされ、距離は更に近付いて来た。

「マヘリア、上手く着地しろよ」

「え?」

 ジョステアがマヘリアを馬車の方へ投げ飛ばした。

 バカやろううううう――声が遠ざかる。

 その所作にフレデリックは意表を衝かれて、攻撃を忘れた。

 ジョステアが駆け戻ってきた。いつのまにか手には枝が持たれていた。隣に並ぶなり、それを近付く蜂男へ投げつけた。

 当然ながら容易く避けられたが、蜂男はフレデリックの魔法も警戒し、一旦距離を取るように遠ざかった。

 フレデリックはちらと馬車へ目を移す。

 何とか着地したマヘリアが、馬車へ走るところが見えた。

「フレディ、馬車へ走れ!」

「でも――」

 蜂男が、元は口だったであろう孔から針を撃ち出してきた。

 フレデリックは後ろへ跳ねた。地面へ一本の針が突き立つ。

 横へ回った鷲女が、羽根を硬質化して投げつけた。

 ジョステアは地へ転がってかわした。起き上がりながら拾った石を投げつけた。

 慌てるように鷲女は上昇して、石をやり過ごすとそのまま上空の霧へ消えた。

 蜂男も針を撃った後、霧に紛れていた。

「チャンスだ、コーディくん!」

 フレデリックは、斜面を駆け下り始めた。

「フレディ!」

 ジョステアの警戒への呼び声だ。

「え――?」

 右手の谷側、厚みのある霧の向こうに、二体のアンデッドが滞空していた。

 どちらも攻撃態勢――狙いはフレデリックだ。

 ――やられる!

 人はこういう時、動きが止まってしまう。動かないと死ぬ、と知っていても。

「魔窓紋、借りるぞ」

 声は左側から聞こえた。

 ジョステアだ。フレデリックの魔窓紋へ触れている。

 大きな魔法陣が現れ、一瞬で炎を発動して、二体へ撃ち放たれた。大きな炎の塊であった。鷲女はかろうじて上空へ逃れたが、蜂男はまともに呑み込まれ、炎の尾を引きながら谷底へと落ちていった。

「すごい――」

 フレデリックは息を呑んでいた。自分ではこれほどの攻撃力を引き出せていない。同じ魔窓紋だというのに――。

 馬車が駆けて来た。

「早く乗れ!」

 マヘリアが御者台から叫んだ。

「あれ、御者さんは?」

「やられてた――。ワタシが運転する。急げ!」

 ジョステアに続いて、フレデリックも乗り込んだ。

 ドアを閉めるより早く、馬車は動き出し、村の入口を利用してUターンした。

 メインストリートを走ってくる村人たちの姿が見える。

 だが、追いつける距離ではない。

 馬車は山道へ入り、限界のスピードで走り下りていく。

 フレデリックは深く息を吐いた。安心した途端、動悸が激しくなってきた。速い呼吸を繰り返し、整える。

 ジョステアはもう平気のようで、後ろの窓から様子を見ている。

「魔法、使えたんだ」

「何度も言ってるだろ。オレは魔法を使えないって」

 岩肌の地面が、固い音を跳ね返している。

「まだ安心できないんだ。二人とも、迎撃態勢を!」

 マヘリアの声に、フレデリックは谷の方を見た。

 鷲女が追撃してくる。

「フレディ、行け。お前の魔法で撃ち落とせ」

「――君がやればいいだろ。魔法が使えるんだから」

「オレは使えないって言ってるだろ」

「使ったじゃないか! ウソをつくなよ」

 ジョステアが、フレデリックの正面へ向き直った。

 鷲女の羽根手裏剣に、馬車の屋根が削れ飛んだ。

 ジョステアの頭上が吹き飛んだにもかかわらず、彼は微動だにしない。じっとフレデリックを見ている。フレデリックも言葉を発した以上、目を逸らさない。

「何をしてるんだ! お前らが対抗するしかないんだぞ!」

 寒々とした空を覗かせたまま、馬車は山道を下っていく。

「魔法って発動できれば、使えることになるのか?」

 ジョステアが言った。彼にしては低いトーンの抑え目な声であった。

「え――?」

「馬に座れれば乗れたことになるか? 野菜や肉を切って煮れば料理が出来たことになるか?」

「どういう意味?」

「馬を思いのままに操れてこそ『乗れる』、人の舌を満足させられる味にしてこそ『料理が出来る』、効果的に無駄なく使えてこそ『魔法が使える』――じゃないのか」

「――」

「だからオレは魔法を使えない――と言ってるんだ」

 残りの屋根が更に吹き飛んだ。

 マヘリアが更に速度を上げる。

 フレデリックの目の端で、鷲女と距離が開いた。

「オレは魔法の契約なら出来てる。だけど『魔』を排除する封印紋のせいで、魔窓紋は『魔』と認識されて浮かばないんだ。魔窓紋がないなら魔法陣を描くしかないが、実戦で描いているヒマなんてないだろ」

「魔を排除? 封印してるんじゃなくて?」

「何でそんなことをする必要があるんだよ」

「ああ……そうだね――」

 フレデリックは本人不在の評価をジョステアにしていたのだ。噂だけで人を判断し、それを自分の評価とした上で、彼に接していた。自身が受けて辟易していた行為を、他人にもしていたのだ。

 魔法を使えないというジョステアは正直なのだ。

 登録は誰でも出来る。しかし、それを効果的に使えてこそ、魔導師だ――それが学校や、一般の考えなのに、この部分だけ自分のものさしを持ち出して、ジョステアを責めたのだ。

 土系魔法のレベル1の巨大さ、自分の炎系の魔窓紋を使用した攻撃力の高さ、そして、マヘリアから魔法陣を受け取ってからの打撃技――アンデッドの戦闘において、ジョステアはフレデリックをはるかに凌いでいる。

 フレデリックはそれに嫉妬していた。

 彼を見下していた証拠だ。

 ――僕はなんて醜いんだ。

 フレデリックは自分が嫌になった。

 それに比べ、ジョステアは噂に負けず、自分の哲学を持って真っ直ぐ立ち向かっている。

「魔法を使えなくても……、それでも魔法科を諦めてないんだね」

「手はいくらでもある。だから諦めない」

 山道はカーブ続きだ。出せるスピードにも限界がある。鷲女が再び追いついた。

 今度は馬車のドアが弾けた。山の冷たい風が、車内に吹き込んでくる。

「前向きだね。――羨ましいくらいだ」

 フレデリックは正直にそう言った。

「フレディ、自信を持て。学園一の魔法センスは、かろうじてオレを上回ってる」

 ジョステアは立ち上がると、椅子の上に乗った。

「オレたちが揃えば天下一だ!」

「僕は――」

 迷いつつ、フレデリックは立ち上がった。

 ――僕は優秀じゃない。矮小だとしか思えないよ。

 そう思い至ったばかりだ。だが、ジョステアが言うなら信じてみよう、とも思える。

 彼と並んでも見劣りしないように、頑張ってみよう――と決意していた。

 だから立ち上がった。

「やっと来たか」

 マヘリアがジョステアに魔法陣を渡した。

「それで何とかしろ」

「任せろ」

 鷲女は馬車の後方へ迫っている。

 フレデリックは、雷の魔窓紋へ手を伸ばした。

 ジョステアが左腕を鷲女に向け、魔法陣の光円を翳す。

 鷲女が二人の動きに気付いた。羽根を大きく羽ばたかせた――

 それより先にジョステアの右の突きが魔法陣を前方へ弾かせた。

 炎は数十個の火弾となり、分散した。魔法陣は炎。攻撃方法は術士のセンスにより異なる。飛び回る相手には散弾の方が確実だ。

 しかしジョステアの法力を制御し切れていないのか、分散したうちの数発が馬車の後部を貫いた。

 鷲女が羽根を硬質化させ、刃としてばら撒いた。火の弾は羽手裏剣に相殺された。ぶつかった瞬間にその場で強い炎となってかき消えた。

 鷲女がしてやったりの表情は、一瞬で強張る。

 フレデリックが弓から、雷の矢を放ったからだ。

 雷の矢を貫通力を高めるために細い針の形状とし、やはり分散放射した。

 鷲女は羽根で制動をかけ、飛び上がろうとしたが間に合わなかった。

 分散した雷の針は、まだ浮かぶ炎たちを突き抜けた。炎を纏った電撃の鏃(やじり)という相乗効果を生んで、止まった鷲女を貫いた。

 雷撃は鷲女を突き抜け、炎はその羽毛で止まって、彼女を燃やした。

 馬車は鷲女が底へと落ちていく所までは見せてくれなかった。勢い良くカーブを曲がって山道を下っていく。

「よし! オレ今、最高潮!」

「やっとか――。どうなることかと思ったよ」

「すみません」

 フレデリックは謝りながら座った。

 正面でも、ジョステアがどかりと腰を下ろしていた。

 度重なる攻撃に、ジョステアの攻撃の巻き添えも加わり、馬車はシートと反対側のドアしか残っていない。

 フレデリックは、御者台のマヘリアへ声を掛けた。

「腕、大丈夫ですか?」

「かすり傷だ」

 マヘリアは答えた。

 追っ手のなくなった今でも、出せるスピードギリギリで馬車を走らせている。

 彼女の背中は怒りに満ちて見えた。

「帰ったら、部隊を編成して村へもう一度乗り込むぞ。絶対に殲滅してやるからな!」

 そう呟いた。

 フレデリックの見立ては間違ってなかった。怒っている。

 馬車はマヘリアの怒りを乗せて、王国を目指した。

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