第5話 岩崖の谷間に導かれ

 固い岩盤の山道を馬車が走っている。大きな車輪を軋ませる音だけが山間に響く。蹄の音が聞こえないのは、魔法により具現化された馬だからだ。

 舗装されていない道への遠出は、自動車よりも馬車がいいんだ――と、ジョステアが言っていた。

 一晩経ったおかげで少し落ち着き、ジョステアとは普通に話しが出来るようになった気がする。

 『わたし、強くないの』と言っておきながら、実習が始まった途端に強力な魔法で攻撃されたことは授業で何度もある。

 それと同じだと思うことにしたのだ。

 普通の科と違う生徒と、見下した所があったかもしれない。

 自分が嫌いにならないように、フレデリックはそういう気持ちを除外するよう努力した、とも言える。

 四人掛けと言いつつ、二人で並ぶと肩が押し付けあうぐらいに狭い。

 向かいに座るマヘリアは一人でゆったりしている。もっとも書類を見ながら、通信機で指示を出したり、叱咤を送ったり、仕事をしているのだ。おまけのフレデリックが文句を言う所ではない。

 ジョステアは隣で腕を組んで窓へもたれている。目を瞑っているが寝ているわけじゃない。

「コーディくん、一つ訊いても?」

 フレデリックはマヘリアの仕事の邪魔にならないように小声で言った。

 ん――ジョステアは目を瞑ったまま応えた。

「君は本当にシーラさんが見えなかったの?」

「嘘言ってどうする」

「でもホーキンスさんにも見えていたし」

「オレが異常だと?」

「そうは言ってない……」

 また嫌な自分が出てきそうで、必死に押さえ込んだ。

 ――<見える>と<見えない>の境界を確かめたかっただけだ。

「たとえそうだとしても、見えない人がいるような奴も正常とは言えんだろ」

「まあ――」

 そう思いたくないからだ、とフレデリックは心の深い所で思った。

 ジョステアが目を開けてフレデリックを見た。

「お前、どうしてあいつにこだわるんだ?」

 『あいつ』とはシーラのことだ。瞬時に思い至るが、何故か後ろめたさがあった。

「こだわってないよ」

「ジッチャンもそうだったが――」ジョステアは首を傾げた。「なんて言うんだろ……心の拠り所? みたいな扱いだったぞ」

「そんなはずないって……」

 心当たりはあった――

 昨日の朝、シーラとフレキシスコ山へ向かう途中、どの会話の流れからか、自然と自分の悩みの話になった。彼女と話していると心が氷解する感覚があった。誰にも言えなかった事も、容易く口を滑り出てきた。

 好きで大魔導師の孫をしているわけじゃない――

 初めて明かせた相手だから……なんて、言えるわけがなかった。

 ジョステアがじっと見ている。大きな目は全てを見透かしているようで、居心地が悪かった。

 フレデリックから目を逸らした。

「全然やましいことなんてないよ」

「なら良いけど」

 ジョステアはまた目を瞑った。

 フレデリックは逸らした顔を窓へ流した。景色を見ているわけではない。ネガティブな感情が凝り固まる前に放出したかったのだ。

 ガラス越しの灰色がかった谷底は、そういう感情を捨てるのにちょうど良い気がした。

「よく今日も遠出が許されたな」

 マヘリアが訊いてきた。

「親はうるさくないので」

 フレデリックは答えた。これは本当だ。というより、父親は魔導学校自体を認めていないから、学校関係には口を出さない。

「式典の方さ」

「ええ――」

 こちらは答えを濁した。

 実は式典には出るよう学園から親へ言伝があったらしい。祝辞をフレデリックに読んで欲しいらしく、午後三時までには来るように、と言われた。

 間に合うかもしれないが、出席したくなかった。逃げるように警備隊中央署へ来た。

「それよりも何故ホーキンスさんの村へ? 本人を捕まえた方が早いと思うんだけど」

「それは警備隊に任せられるからさ」

 マヘリアは続けた。

「国内ならアンデッド対策は万全だ。だが国外にはその対策がないから、どうしても優秀な奴に頼らざるを得なくなるんだ」

「対策ですか?」

「王国には結界があるから、アンデッドの方に能力制限が出るんだって」

 ジョステアが目を瞑りながら言った。

「まあ一割、二割の差と見ておいた方がいいだろう」

「そんなにですか?」

 法力が一割違えば、発せられる魔法にはもっと差が出る。フレデリックでもそれが分かった。

「国外では不測の事態が起きる可能性が高いからな。少数精鋭で臨むのだ」

 分かる話であった。

 少数精鋭に自分が含まれているということが、フレデリックはこそばゆかった。

「あの墓地から何か出たか?」

 唐突な質問はジョステアだ。

 マヘリアが一仕事終えたのを待っての問いであった。

 それに対してのマヘリアの返答は大きなため息から始まった。

「あれだけ荒らされたら、その『何か』を発見するのがどんなに大変か」

「アンデッドに言ってくれ」

「墓地を元に戻すのだって、警備隊の経費になったんだぞ」

「なるほど。村にその金を請求しにいくのか」

 ジョステアが冗談とも取れない言い方をした。

 マヘリアも真顔で、「それもいいかもな」と返した。

 どこまで本気か分からず、フレデリックは苦笑も浮かばせずにいた。

「でも移動魔法で送ってこられた死体のうち、残った二体からは何か分かったんじゃないですか?」

「思った程でもなかった。今向かっているサンデ村は、君らが会ったトベル・ホーキンスという名前と、彼の似顔絵から特定したに過ぎない」

 ジョステアが、マヘリアからファイルを受け取った。

「後は会話から導き出して、残りの二人も村の人物であることを確認しただけだ」

「三人は同じ村の人間ってことだ」

「そのままだね」

 今度こそフレデリックは本当に苦笑いを浮かべた。

「裏返ったせいで残っていない二人も、同じサンデ村から送られた可能性が高い――ということだ」

 なるほど――と、ファイルを見ながらジョステアが声を上げた。

「どうした?」

「死体の一人が、王国に出入りしている」

「それが?」

「サンデ村の山岳野菜を売りに来てるんだ」

 野菜というキーワードで、ジョステアが言わんとしていることが分かった。

「生鮮屋だ」

「移動魔法が使われていた所か」

 フレデリックはマヘリアに頷いた。

「先週、大量に野菜が入荷されてる。しかも安値で」

「そうか。マーキングのためだ」

「野菜に何かを仕込んでいる可能性もあるな」

 マヘリアが推測を述べた。

「そうですね。確実にマーキングとするために」

 ジョステアが調書を見ながら、珍しく考え込んでいる。

「どうした?」

 訊いたのはマヘリアだが、ジョステアはフレデリックの名前を呼んだ。

「何?」

「やっぱり、シーラって分かんないぞ」

「まだ言うの?」

 さすがに辟易してきた。その議論は本人不在ではもはや成り立たないと思っていた。

「ジッチャンに姪はいない。っていうか、あの人に親戚はいない」

「どういうこと?」

 シーラ自身のことではなく、シーラの嘘を攻めてきた。

 補足はマヘリアからであった。

「トベル・ホーキンスの出身はサンデ村だが、生まれは村じゃない。それどころか、どこの生まれかも分かってないんだ」

「それって――」

「ジッチャンは捨て子だ。村長に育てられたらしい」

 フレデリックはまた窓へ顔を向けた。今度は感情を投げ捨てるためではなく、ただ室内から目を逸らしたかっただけだ。

「シーラがトベルの姪だ――なんて、本気で思ってたわけじゃあるまい」

「そうですけど……」

「トベルだけでなく、シーラもまた捕まえなきゃいけない容疑者だ」

 反論したい気がするが、フレデリック自身、シーラを信じきってはいない。その疑いの部分が反論を削り取っていた。

 ジョステアは調書をマヘリアへ返し、また目を瞑った。

「神出鬼没で、ジョステアには見えない――か」

 マヘリアはそこまで言うと、口を閉ざした。

 山道の振動が、身体と耳に同時に伝わる。

 かなり高度も上がったようで、室内に寒さが滲んできた。

「意外とただの幻だったりしてな」

 気圧が耳を圧迫しかけた時、唐突にそう聞こえた。

 え――訊き返そうとしたが、その一言さえ口に出なかった。

「そろそろ村が見えてくるぞ」

 マヘリアが別のことを言っていたため、訊き返しそびれた。

 フレデリックが持つ心の疑念に、マヘリアの言葉がこびりつくように残った。

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