第2話 特殊能力開発科

 フレデリックが目を覚ますと、殺風景な天井と壁しか見えなかった。寝ているのは固い簡易ベッド。

 これはどういう状況だろうと、一生懸命に思案していたら、どやどやと騒がしくジョステアが一人の女性を伴って入ってきた。

 その女性は警備隊隊長のマヘリア・ボーセンと名乗った。

「ということは……」

「ここは警備隊中央署だ」

 マヘリアがよく通るハスキー声で答えた。

 真っ当に生きていると、警備隊の取調室には縁がないものだ。悪いことをしたわけではないのに、警備隊隊長を前に恐縮してしまうのも仕方がない。

 マヘリアは、街の淑女が羨みそうなほどの深いブルーの瞳をしていた。青みがかった黒髪も腰まで伸ばし、充分フェミニンなのだが、大柄で厳格そうであった。

 彼女が事の顛末を説明してくれた。

 昼前のことだ。慌てたジョステアが、フレデリックを背負ってここへ駆け込んで来たという。

 警備隊中央署は王宮の南方一キロメートルに位置し、フレキシスコ山からは優に十キロメートル離れている。

 フレデリックはやっと思い出した。その山でアンデッドと戦い、気を失ったことを。

「君が運んでくれたんだね。ありがとう」

「いやあ」

「ところが褒められたもんじゃないんだ」

 マヘリアが薄い眉を顰めながら、両手を挙げて頭を横に振った。

「今日は実習の日だから、こいつは通信器を持っているはずなんだ」

「うん。持ってる」

「この通信器なら、山だろうと圏内なのだから充分届いただろう」

「そうだ」

「現場を離れるなんて素人過ぎる」

「だってフレディが倒れて、オレどうしようって思ってさ――」

「何かあったんですか?」

「こいつの報告を受けて、山へ人を行かせたんだが、アンデッドの死体は無くなっていた」

「ジッチャンもいなかったらしい」

「当たり前だろ。そのまま残ってるわけがない」

「どういうことです……?」

 フレデリックが堪らず訊いた。

「その辺の魔導師的見解については、こいつの先生と話せ」

「先生?」

「その前に事情を詳しく聞かせてくれ」

 マヘリアがファイルとボールペンを取り出した。フレデリックは頷き、朝からのことを話した。ジョステアがその間に、横のモニターに通信器らしい箱をセッティングした。

 画面に『アクセス中』の文字が表示される頃には、取り調べは終わっていた。

「ジョステア、お前には失望したぞ。遅刻で実習を欠席なんて」

 また、お小言タイムへ突入した。

「オレ今、消沈」

「でも彼は、僕のアクシデントに巻き込まれたんです」

「君と会った時に既に遅刻なんだ。気に病む必要はない」

 援護射撃をしてみたが、マヘリアに容易く撃ち返された。

 確かに、本人は『遅刻だ』と走ってきている。

 他に援護できるネタを探したが、思い至る前にジョステアの右腕の包帯に目が止まった。

「そうだ。ケガをしたんだよね!」

「かすり傷だ。もう治療済みだ」

 ジョステアは右腕を見せた。もう血も止まっているようだ。

「アンデッドから受けた傷だ。君までアンデッドになるよ」

 ジョステアとマヘリアが顔を見合わせた。

 答えはモニターの方から聞こえた。

「コーディくんは魔封一族だから、アンデッドの呪いは効かないんです」

「え――?」

 フレデリックがモニターへ目を移すと、魔導師のローブを着た男性が映っていた。涼やかな口調通り、紳士的な顔付きをしている。ただ、その目は閉じられたままだ。

 ローブと一体になったフードを被っているが、それが魔力を制限するためのものだと、フレデリックは一目で分かった。監視の魔法を示す、幾何学な目のマークが縦に三つ並んでいるのだ。

 きっと目を閉じているのも近い理由だろうと推測した。

 瞳力だけでも魔法となりうるのだ。魔法界では常識である。

「やっと繋がったか」

 マヘリアが身を乗り出すように、モニターに身体を向けた。

「デイ先生だ。オレの担任をしてる」

「特能科を担当しているストラド・デイです。はじめまして、フレデリック・マーリンくん」

 ローブの男性――ストラド・デイは微笑んだ。

「特能科――?」

 挨拶より先に、聞き慣れない言葉をオウム返ししてしまった。

「何も知らないんだな。君は本当に王立クシュリナーダ学園の生徒か?」

「仕方ないですよ、マヘリア殿。どちらの情報も公開していませんからね」

「特能科ってのは特殊能力開発科のことだ」

 ジョステアの言葉はフルネームを教えただけで何の説明にもなっていない。

「聞いたことないけど……」

 マヘリアの言う通り、自分が本当に学園の生徒かどうか心配になる。

「癖が強すぎる、はみ出し者が最後にたどり着く科だ」

「言い換えれば、オレのような最高なやつが行く所だ」

 ジョステアが胸を張った。

「その通りですけど、マーリンくんのような本当に優秀な生徒には縁遠い学科です」

「僕は優秀じゃありませんよ」

 そんな所だけまともに返答できる自分が情けなかった。

 デイはフレデリックの様子を見て、でも何も言わずにマヘリアへ顔を向けた。目を瞑ったままでも、話している人や対象となっている人へちゃんと顔を向けている。

 強すぎる法力を目に結界をすることで抑えている先生の噂を、フレデリックは思い出した。

 それでも足りず、ローブにも法力制限の呪印が施されている――と。

 ――この人が噂の先生だ。

「事件の状況を教えてください」

 デイに言われ、マヘリアは調書を開いた。

「まずマーリンがシーラという少女に会ったことから始まっている。時間は今日の朝九時半――学校が始まっている時間ではあるが、それは先生であるデイに任せる」

 ちら――とフレデリックはデイを見たが、そこには触れるつもりはないらしい。

「シーラが犬のアンデッドに追われ、橋を逃げてきたという。フレデリックは彼女を助けたが、まだ伯父さんが残っているから助けてくれと、シーラに助力を請われる。マーリンはその伯父さんを助けるため、シーラと共にフレキシスコ山へ向かう」

 今朝のことだと言うのに、遠い昔の出来事のように思えてならなかった。

 マヘリアが続ける。

「現場に着いたのが十時過ぎ。すぐにシーラを見失い、代わりに犬のアンデッドに遭遇。戦うが法力に限界を感じて撤退。逃げ込んだ作業小屋で、遅刻して登校途中のジョステアに会う。二人で協力するが、一匹に逃げられる。行方不明のシーラを探すため、竹林へ戻る」

 ジョステアが大きく頷いた。

「二手に分かれたマーリンを、逃げたアンデッドが襲う。法力が切れた彼を助けようとしてジョステアが負傷。最後の一匹を倒したのは謎の男――。これで合っているな」

 最後の言葉はフレデリックに向けたものだ。

 頷いて、了承した。

「その謎の男は、シーラって子と関係がある」

 ジョステアだ

「お前がその男を確保していれば話は早かったんだぞ」

 マヘリアの追及は、もはやジョステアには効かないようだ。平然としている。

「それ以外にも、疑問はいくつか残りますね」

「オレが寝坊したワケか?」

「寝坊は寝坊だ。理由なんてないだろ」

「そんなもんか?」

 首を傾げるジョステアに、マヘリアは呆れてため息をついた。デイも構わず話を続けた。

「まず、シーラという少女。彼女は何者か?」

「叔父さんと旅をしている途中だと言っていました」

 フレデリックが答えた。

「ということは王国外の人間か。入国管理課で聞けば分かるな」

 自分で答えを口にしておきながら、フレデリックはそれが合っていないような不安定さを感じていた。

「違和感があるんですね。何です?」

 デイが訊いてきた。彼は瞼を閉じていても、本当に見えているのだ。

 思い返してみれば――と付け加えてから、ゆっくりと思考を口にしていく。

「旅の疲労感が見えませんでした」

 シーラは余りに軽装だった。

「あのジッチャンにもなかったぞ」

「じっちゃん?」

 聞き返したのはマヘリアだ。

 土の魔法でアンデッドを倒し、フレデリックを救ってくれた男性を、ジョステアは初めから『ジッチャン』と呼んでいた。ジョステアには不思議と馴染む言い方だ。

「そうなると、もう一つの疑問がより鮮明になります」

「何だ?」

「何故フレキシスコ山へ行ったのか――です」

「学校への近道なんだ」

 答えたのはジョステアだが、

「君に訊いたのではなく、シーラという少女と伯父さんへの問いですよ」

 あっけなくデイにあしらわれた上に、

「それに、全然近道ではないですよ」

 と返された。

「なぬ?」

 ジョステアが驚いている。確かにあの道を通っても学園には行けやしない。何故近道と思えたのかが不思議であった。

「あの山はどこの国にも通じていません」

「そうか。旅の途中で通りかかったにしては不自然なのか」

 マヘリアは納得という形でデイの意見を受け、視線を流すようにフレデリックへ向けた。

「お前を誘い込むのが目的だったんじゃないか」

「え?」

「そうですね。マーリンくんが狙いだったと思う方が自然です。ただ、山へ誘い込んだ少女と、助けた男性とで、行動に一貫性がありません」

「捕まえりゃ分かるよ」

 ジョステアの呑気な声が答えた。

 確認なんだが――と、マヘリアがブルーの瞳でフレデリックを見据えて言った。

「本当にシーラという子はいたのか?」

「どういう意味ですか?」

「現場検証はほぼ終わって報告書が来てる。さっきも言ったようにアンデッドの遺体はなくなっていたが、争った跡や魔法を使った跡は残っていた。その他に、お前と大人の男性の足跡、それに血痕は検出されている」

 フレデリックは頷いた。

「だがシーラだけは分からない。山の入口辺りも調べさせたが、君以外の足跡はないらしい」

「そんな――」

「だから、まずシーラのことを訊ねたんだ」

 フレデリックは自分のことを疑い始めていた。

 ――もしシーラが自分の頭の産物だったら?

「それも捕まえりゃ分かるさ」

 ジョステアがやはり呑気に言った。

「いなかったかも知れない――。そう言われてるのに?」

「お前は会ったんだろ?」

「自信がなくなってる。魔導捜査は信用があるから」

「一番大事なのは自分の五感だ。それをまず信じようぜ」

「そんな簡単に……」

 静けさは突然にやってくる。ほんの数秒だが、通信機の稼動音がやけに大きく聞こえた。

「シーラという少女は君たちに任せます」

 デイが言った。

 フレデリックがその言葉の意味を考える間もなく会話は進んだ。

「アンデッドが発生していた事実は見逃せないから、ワタシはそこから調べよう」

「ジッチャンはどうするんだ?」

「シーラを追っていれば、自然と会えるんではないでしょうか?」

「そうか」

「アンデッドの発生、そして消滅。これらは繋がっています。とすれば、登場人物も繋がるのではないでしょうか」

 ふうん――と、マヘリアは納得したような顔で、背もたれに倒れていった。

「今回の事件は不可解なことが多すぎます。不可解なことが多いのは、何かが起こる前触れかも知れません」

 これは勘なのですが――と、デイは続けた。

「この事件は、早めに解決した方が良い気がします」

 マヘリアが慌てるように、またテーブルへと戻ってきた。

「おいおい。お前の勘は当たるんだ。大事件なんて勘弁してくれよ」

「私たちはまだ戻れません。コーディくん、マーリンくん、君たちが警備隊に協力してやってください」

「僕も――ですか?」

「了解!」

 フレデリックとジョステアが同時に答えていた。

 ここで、ようやくフレデリックは、さっきデイが言った『シーラは任せる』の意味が分かった。

「特能科は机上の授業よりも、実戦に重きを置いています。課外授業と称して、警備隊では手が回らない事件を手伝っているのです」

「今日もそのはずだったんだが、遅刻して一人残ってるんだ」

 ジョステアが大きく伸びをしながら、大きく欠伸をした。皮肉は耳を右から左へ抜けていっている。

 マヘリアは端正な顔を歪め、デイは苦笑を浮かべた。

「これもその一環と思ってくれて良いですよ」

 デイはそう提案してきた。

 フレデリックには不安しかなく、単純に首肯できずにいた。

「僕なんか足手まといにしかなりませんよ」

「知られていませんが、警備隊でちゃんと魔法が使える人材は意外と少ないのです。マヘリア殿はその中でも貴重な隊員なのです」

 フレデリックはマヘリアへ視線を動かした。

 彼女は肩をすくめて見せただけだ。

「魔法が絡む事件では、手が足りなくて、私たちがよく借り出されるのです」

「楽しいぞ。遠出ができる」

「ポイントはそこかよ」

 ジョステアの発言をマヘリアが即座に切って捨てる。

「担任の先生には私から言っておきますから、マヘリア殿に協力して事件を解決してくれませんか」

 フレデリックはジョステアを見た。

「僕でも大丈夫かな?」

「オレたちは天下一コンビさ」

 答えではない返答にフレデリックは困惑したが、何となく気は楽になった。

 小さく息を吐くと、「僕で良ければ」と答えた。

「よっしゃ! オレ今、満々」

「『やる気』が抜けてるよ」

「ん? やる気ならあるぞ」

「――……もういい」

 さすがにマヘリアが呆れて閉口した。

「意外と必然的な偶然かもしれませんね」

 騒々しさの中、モニターからそう聞こえた。

 え――フレデリックは聞き返しそびれた。

「では、逐次連絡をお願いします」

「おう」

「また、頼むな」

 デイは『視線』を、ジョステアからマヘリアへ、そしてフレデリックに動かした。

「マーリンくん。私は縁というものを信じています。絡まないのも縁なら、絡み合うのもまた縁です。この日、この時、マーリンくんがここへ来たことに、何か意味があるかもしれません。それを大事にしてください」

「はい――」

 その返事を確認して、すうっと通信は切れた。

 アクセスなし――の文字のみの画面に、部屋が反射している。

 意外とすっきりした表情の自分が映っていた。

「ストラド・デイ先生――」

 不思議な人であった。

 彼が、この事件に関わることがフレデリックにとって必然だと言うのであれば、全力でやってみようと思えた。

「お前ら、こっちへ来い。まず似顔絵を作るぞ」

 マヘリアがドアを開けて、そう言った。

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