第8話 田村麻呂と鈴鹿
「ボクの名前は––––––––––––坂上田村麻呂だ」
眼前にいる袴姿の麗しき女性は、その
「坂上……田村、麻呂––––––––––––!? いやいやいや! 待ってください、坂上田村麻呂ってあの平安時代に東征で名を馳せた武人の!?」
「おや? ボクのことを知っているのかい?」
田村麻呂は少し面食らったような様子で、自らのことを知っているそぶりの鈴鹿に問い直す。
「知ってるも何も、教科書レベルの人物ですよ?」
「教科書……そっか教科書か。この時代でも坂上田村麻呂という名前は結構有名なんだね」
何か感慨深いものがあるのか、田村麻呂は優しさと哀しさと郷愁などのものがごちゃ混ぜになったような表情で鈴鹿を見つめる。
「というか、冷静に考えたら自分のことを坂上田村麻呂と思い込んでる痛い人が妥当なところでは……しかも女性って。」
「違う違う! ……いや、全く違うという訳でもないか。ボクたちは、その英雄に最も近しい存在と言うべきだね。性別が女なのもおいおいわかるはずさ」
「……まあ。僕としては色々起きすぎていて、この際そんなことはどうでもいいです。」
この感情は事実だ。鈴鹿は何の疑いもなくそう言い切ることができた。
なぜなら、友人として信じてきた愛花には裏切られ、自分を愛してくれたたった1人の家族だったルイもいなくなったからだ。
自分を構成するものが一度に失われた鈴鹿にとって、もう何が起ころうと心底どうでも良かったのだ。
そうだ。と田村麻呂は何かを思い出したように口を開き、再び鈴鹿に対して疑問を投げかけた。
「まだこの時代の君の名前を聞いてなかったから、教えて欲しいな」
「……僕の名前は、清水鈴鹿です」
「清水、鈴鹿……?」
田村麻呂は、何を言われたのか理解が及ばなかったと言わんばかりに、その宝石のように輝く瞳をキョトンとさせた。
がしかし、次の瞬間には––––––––––––
「ふっ、あははは! これは何の因果の巡り合わせかな! 一体どうして君がそんな名前になってるんだい?」
先ほどとは一転。田村麻呂は鈴鹿の名前を聞いた途端、堰を切ったように笑い始めた。
一方の鈴鹿は、自分の名前に関してそこまで面白い要素があろうかと疑問に思った。
「と言われましても–––––––––––」
鈴鹿が言いかけたそのとき。
「というか、君–––––––––––––」
田村麻呂は鈴鹿の頬を両の手で挟みながら顔を近づけると、先ほどまで機嫌の良さそうだった表情が途端に曇っていく。
「……これは……君、どうしてこんなものが混じってるのかな?」
「……それは––––––––––」と言いかけたところで、鈴鹿は口を
「いや、まあこの状態でも問題ないか––––––––とボク個人としては言いたいところだけど、このことは少し上で話した方がいいかな」
田村麻呂は自分の内側にルイという存在の一部が在ることを今見た情報だけで理解したのだろうか。そう思った鈴鹿は、それとなく田村麻呂に探りを入れることにする。
「……一体何が混じってるんですか?」
「うーん……ボクを以ってしても、何が混じってるかは理解し難いんだけど、どう考えてもこれは、えみ––––––––––––––––––」
田村麻呂がそう言い終えようとした直後のこと。
「長官っ!」そういいながら現れたのは、月の光度くらいの明るい髪色を携えた青年で、少し幼さを包含する顔とスーツ姿は微妙にアンマッチであった。
「なんで勝手に職務放棄するんスか! あとから尻拭いするのは––––––––––ってこれどういう状況スか……?」
明るい髪色の青年はそう言いながら辺りの状況を見回すと、鈴鹿と視線が合う。
「アアン? 誰だお前?」
青年が鈴鹿を見るなり暴力的にその存在について訊こうとしてところで、田村麻呂が間髪入れずに回答する。
「ボクの恋人」
「「は?!」」
鈴鹿と青年の反応は阿吽の呼吸のようにぴったりと重なり合った。
「ちょ、ちょっと待ってください、どういうことっスか?!」
「ちょっと、田村麻呂さん?! 僕まだ何も返事してないですし!」
「そんなことよりも、船坂。」
狼狽する鈴鹿と船坂と呼ばれた青年を尻目に、田村麻呂はそう尋ねた。
「【幕府】に戻ろうと思う。車の手配をして欲しい。ここにいる清水鈴鹿くんも連れて行く」
田村麻呂はさも当たり前のように、江戸時代には滅びたはずの幕府という組織の名前を口にする。
鈴鹿は、もはや次にどんな単語が飛び出してきても驚きはしないだろうなと思った。
連れて行かれるということには正直驚いたとは絶対に言えない。
「それなら、樋口が下に回してるッス」
「ありがとう」と田村麻呂は言い、校舎屋上を後にするために階段の方へと向かう。
時刻は夜中。月光というスポットライトに照らされながら踊る彼女の長く透明にも近い白い髪は幻想的な景色を作り出していた。
「……絶対認めねぇ」
先を行く田村麻呂を追うようにして歩き、鈴鹿の横を通り過ぎるのと同時に目線を合わせることなくボソッと呟く。
「……」
スーツなら合っているけれど、やはり学校と袴姿は違和感があるな。と、屋上を後にしようとする2人を見て、鈴鹿は思った。
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