第7話 再会
女性はへたり込む鈴鹿に歩み寄ると、手を差し出して言い放った。
「ああ、やっと見つけた。ボクの愛しいひと。どうか……どうかボクと結婚してほしい」
滑らかな磁器のような肌をした手をこちらに差し伸べながら発せられた彼女の透き通るような第一声はそのようなものであった。
「…………はい?」
両手をついているコンクリート造りの地面からは微かな冷たさを感じられる。
「はは。すごい気の抜けた返事だね。まあ、無理もないか。こんな状況だからね。でも……とりあえずさっきの返答は考えておいてもらいたいな」
女性が鈴鹿に向き合うようにかがみ、その手を握った。
時刻はすっかりと夜の帳が降りた後、やけに強い月の光が煌々と輝き、鈴鹿を少し見下ろす体勢だった女性の姿が月明かりに照らされる。
世界を飲み込むような夜の闇とは対照的な白色のロングヘア。大和撫子的な日本っぽさがありつつも彫りの深い顔の造形。まるで彫刻かと見紛うような人間離れした美しい身体のライン。腰からブーツを履いた足首までは、彼女の履いていた袴によって隠れていたが、腰の位置からして足もすらりと長いことは容易に想像がつく。
袴姿とは現代ではなかなか見ることもないが、彼女の着るそれは和洋折衷のようで、現代ファッションとしても成り立ちそうなものであった。
「いや、いくら何でも唐突すぎじゃ無いですかね、僕たち今会ったばかりですよ?」
鈴鹿はさきほど握られた手を握り返すと、地面についた手にも力を入れ起きあがりやすい体勢をつくる。
何とも陳腐な返事だが、この状況でこれ以外の返答ができる人間はこの世界を探してもいないだろう。いるなら是非とも会ってみたいものだ。仮に将来自分がこの時のことを思い出したとしても、自分を褒めるだろう。よく言葉を発することができたなと。
「そんなことないよ、なんて言ったってボクたちは……」
彼女が何かを言いかけたところで鈴鹿が口を挟む。
「とりあえず、あなたのおかげで本当に助かりました」
しかしながら、それにしても。全くもって意味がわからない状況だ。
確かに現代の科学技術を持ってしても解明されていないことは多く、その中にはスピリチュアルや陰謀論、都市伝説などもあるだろう。生きていれば予想にし得ないことも多く起こることだろう。
しかし、自らがまさか現実離れしたフィクションのような事件に巻き込まれて、その上さらに、今会ったばかりの女性から求婚されているこの状況は全く予想だにし得ないものだ。
そう鈴鹿が考えていると、女性が懐かしむような笑顔を受けべながら、再び開口した。
「感謝は結構だよ。ボクが君を守るのは当然だからね。なんて言ったってボクたちは
そう言い終えるが早いか、彼女は鈴鹿の手を強く引き、体を起き上がらせた。身長が同じくらいの二人は自然と目が合う。
しかし、その容姿に惑わせれていたが、冷静に考えたら突然あった男を婚約者認定して話を進めるのは相当やばい、関わったらいけない種類の人間なのではないかと鈴鹿は思う。
突然の飛躍した愛の告白をしてくる見知らぬ女性の存在の違和感と、もう自分を襲ってくる者はいないという安心感。そしてこの戦いで失ってしまった愛する2人の死という喪失感によって感情が混沌としていた。そんなまるで情報の完結しない状況の中で、しかし、鈴鹿は極めて冷静に言葉を喉のさらに奥、腹の底から振り絞った。
「夫婦は流石に飛躍しすぎだし、あなたの名前すら知らないので……まずはそこからでいいですか?」
鈴鹿は冷静に努めつつも、やや困惑したと言った表情と少しの苦笑いを携えて、女性の目をしっかりと見据えてからそう言い放つ。
鈴鹿はこれを至極真っ当な返事だと思った。これ以外に正解があるのかと疑いたくなるくらいには。少なくともこの場凌ぎくらいにはなると思う。
しかしながら、当の女性の方はどうやらそうは思わなかったらしい。鈴鹿の返答を聞いた彼女は自分が予想してた展開と違っていたと言わんばかりに、面食らった様子だった。
「あはは。確かにそうだね……そっか。ごめんね、残念だけどこればっかりは仕方ないことだよね……」
鈴鹿が握ったままの彼女のその手は微かに震えている。彼女も自らのそれに気付いたからか鈴鹿から目線を逸らし、握っていた手を解いて俯いてしまう。
この場で女性と対話しているのは鈴鹿しかいなかったが、女性がかけている言葉は鈴鹿であって鈴鹿に向けられたものではないような違和感があった。
彼女はどこか遠いところに思いを馳せているようだった。
「あの……?」
鈴鹿はそれが自分に向けて放たれている言葉なのかどうかが分からず、困惑の色を浮かばせながら首を小さく傾げて様子を伺った。
「ああ。なんでもないよ。こっちの話だから」
鈴鹿の困ったような表情に女性は遠い場所へ思いを馳せることを中断し、再び目の前の人物に向き直ると、先ほどのことを誤魔化すようにクシャりと笑った。
その笑いの動作は一見とても溌剌なものであったが、その表情にはどこか悲しみも含んでいるようであった。
どうしてそんな、表情とは裏腹な声色をするのだろうか。
彼女の求婚の目的も、表情の謎も鈴鹿には何1つとしてわからないままだった。
けれど、なぜだろうか。そこに隠された真意を知りたいと思わされるような不思議な表情だと鈴鹿は心の底から思った。
もはやそれは本能に近いような、前世の記憶がうずくような感覚。
「……なんでかわからないんですけど、何となくあなたのことをもっと知りたいと思いました。教えてください。僕じゃなきゃいけない理由を、あなたがそんな顔をする理由を」
鈴鹿が言いながら再び彼女の手を握ると、その返答を聞いた女性は今度は歓喜にも似たような表情を浮かべる。
その刹那。
彼女はその勢いのままに鈴鹿の腰に腕を回すと、彼を自分の方へ力強く引き寄せる。その勢いを殺すように鈴鹿の頬に優しく手を当てると、彼女は彼の唇を奪った。
「へ……!?」
一瞬の出来事。
そう身長に大差のない二人。
だが、起き上がったばかりの体勢の悪い鈴鹿の方がリードされているような状態だった。これではまるで男女が逆転している状況である。
刹那の後、女性が鈴鹿の体勢を正して少し距離をとる。
嬉々としながらも冷静でいる彼女とは対照的に鈴鹿は自らの身に起きたことについて理解ができず、ただ唖然とするばかりだった。
きっと自分の運命が大きく動き始めたのは、この時からだろうと鈴鹿は思う。
天涯孤独の身である鈴鹿がこれから経験するであろう、喪失、衝突、葛藤、そして出逢い。彼はその苦しみの中で、自らの〝愛する存在〟を探し求める。そんな呪縛にも似た宿命の根拠はひとえに誰かを愛して、そして愛されてほしいという、自分を愛してくれた人の〝最期の願い〟だったから。
鈴鹿と少し距離をとった彼女は感傷に浸るように、夜空に輝く月を仰いでいた。
夜の闇に支配された屋上を照らす月光、その月光をスポットライトのように浴びて踊る彼女の長い髪。
そんな幻想的なシーンの中、鈴鹿の理解が追いつくことを待たずに、彼女はゆっくりとこちらに向き直り、口を開けて自らの名前を言い放った。
「ボクの名前は………………
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