第6話 失意、喪失、愛の花




「すずかっ!!」ルイは愛花を撃退したことを確認すると、瞬時に鈴鹿の元へと彼の名前を呼びながら駆け寄った。


「…………ル、イ……」


 息も絶え絶えの返事を喉のさらに奥、腹の中からなんとか振り絞ったが、もう目の前は薄暗く、これ以上は声を出すことも叶わないほどだった。


「クソッ……! 失血しすぎている……このままだと……!」


 ルイはこの状況を打開するための方法を、自らの知識を総動員して模索する。


 (出血が止まらない!どうする?! 私の【夷能】には欠損部位を回復させるようなものはない……!)


 ルイが止血を試みていると、鈴鹿は残った右腕の力を振り絞り、彼女の手を弱々しく握った。


「ルイ……は、いなくなら、ない……で……」

「……!」


 (そうか……! 失念していたが、一つだけある……!私はもとより完全な実体を持たない中途半端な存在。謂わば、【夷力】で固められた虚構……つまり、この体全ての【夷力】をすずかに譲渡すれば……)


「はは…… すまない、すずか。それは出来そうにない」

「え……?」


 今にも消えそうなほどの声。ルイが今から何をしようとしているのかを問いただすことさえできなかった。


「平たく言うと、私の命と引き換えに……すずかを救う」

「まっ……て……!」

「……これしか方法はないんだ、すまない。」


 言いながら、ルイは自らの手を鈴鹿に添えて夷力の譲渡を始める。

 途端、ルイの身体が仄かに発光すると共に、鈴鹿は自らに生命力のようなものが流れてくるのを感じる。


「そんな顔するな! 大丈夫。いずれまた出会えるさ。廻り、廻った因果の果てで、邂逅しよう」

「僕の……大切な……人は……もうルイしか……」

「あ、そうそう。回復したら、屋上まで逃げろ。少々癪だが、私の夷能の効力が切れることによって、隠していた力の気配に気づいたあいつが来るはずだ」

「な、に……言って……?」


 ルイの身体は徐々にその光度を増し、その度に生命力という絶望感が鈴鹿の体を、心を、満たしていくが、一方でルイの方は飄々とした態度で鈴鹿に接していた。


「すずか……私とまた会えるその時まで誰かを愛し、誰かに愛される人になるんだ。それが私からの最後のわがままだ。本当は……本当は私が叶えてやりたかったけど……すまん……できそうにない」


 絶望、安心、悲しみ、それから愛しさ。それら全てが混濁した感情の中で鈴鹿ができたことは、ただ一筋の涙で頰を濡らすことくらいであった。


「あ、えっと……それとな、すずか……」


 何かを言い忘れたかのように言葉を紡ごうとするが、いつになくルイは意地らしく、頬を赤らめながら、何かを言い淀む。

 間も無くして、意を決したように鈴鹿に向き直ると、ルイは満面の笑みを浮かべて、言い放った


「大好きだ……!!」


 瞬間、ルイの身体の発光が絶頂に達し、五体が霧散するとルイを掴んでいた手が空を切った。


「…………っ」 


 鈴鹿は自らに活力が多少回復したのを感じると共に、失われたはずの腕が生えていることに気づいた。


 握って、開いてを交互に繰り返し、確かに腕が存在することを実感する。


「………………行かなきゃ。」


 感情の整理がつけられないまま、鈴鹿は無惨にも荒らされた教室を後にする。青白い月明かりに照らし出された教室は、先ほどの出来事が全部嘘だったかのように、静寂に包まれていた。


カツン……カツン……


 来た時とは違い、リノリウムから反射する音は鈴鹿のものだけ。本物の孤独の証明であった。


 とっくに使い物にならない脳みそを回転させ、なんとか、屋上階段のある方に向かっていたが、失血とルイからの力の反動だろうか。身体が重たい。


「はあ……はあ…………」


 吐息すら苦しい。だが、もう少し。もう少しで、屋上階段に辿り着く。


「清水くーん。夜更かしの続きをしよう」


 目的地の寸前。鈴鹿は、先ほどルイによって外へ飛ばされ、身体に風穴を空けられたはずの化野愛花を視界の端に捉える。

 しかし、そこにいたのは。


「……その、姿は……」

「ああ、これ? びっくりさせちゃった?」


 そこにいたのは、鬼であった。

 しかし、童話のような鬼の姿ではなく、かつての愛花に角、爪、牙を加えたような姿であった。


「くっ……!」


 まだ多少距離を保っているアドバンテージを活かし、鈴鹿は力の限りを尽くして目的地へと走り始める。


 「逃げても無駄。ていうか、そっち屋上じゃん! 自ら袋小路に逃げるなんて、もしかして、意外とノリ気?」


 言い放つが早いか。愛花の方も鈴鹿を追い、走り始める。

 走る。走る。

 後ろからの気配を感じながらも、屋上階段を駆け上り、そして、ドアノブを掴むと勢いよくドアを開ける。


「追いつい…た!!」


 屋上に辿り着いたその瞬間、愛花は鈴鹿の襟首を掴み、人ならざる膂力で勢いのままに投げ飛ばし、地面に叩きつける。


「ぐはっ……!!」


 投げ飛ばされた鈴鹿はちょうど、尻餅をついているような体勢になり、愛花はそれを見下ろしていた。


「ふぅ。やっと捕まえた……ってあれ? 飛ばしたはずの腕が治ってる……」

「これは、ルイが……直したんだ……!」

「ルイって……ああ!あの子! あはは!なるほど!中途半端ってそういう……」

「何を笑って……?」

「いやあ。あんなに強いのに、自分を犠牲に他人を治して、その人も今から死ぬんだから、この上ない無駄死にだなって!」

「っっ……!! 一体どれだけ僕たちを馬鹿にすればっ……!」


 ルイを馬鹿にされ怒りが沸点に達した鈴鹿は、最大限の憎しみを込めた表情で愛花を睨む。


「あはは、怖い!怖い!でも、そんな怖い顔せずとも大丈夫。すぐに向こうに送ってあげるから!」


 そう言って、愛花は自身の鋭く禍々しい爪を鈴鹿へ向けて振り上げる。


 「うぐっっ!!」


 鈴鹿は攻撃が当たる直前のところで回避し、体勢を立て直す。

 ルイの力の恩恵だろうか、以前よりも動体視力や反応速度が上がっている。


「往生際が悪いなあ……!」


 愛花は声を荒げて、鈴鹿に接近すると今度は避けられないよう蹴りを繰り出す。しかし、鈴鹿は咄嗟に腕を使って防御した。


「どうしてそこまでして力が欲しいんだ!!なんのために!!」


 鈴鹿は脚を跳ね除けて距離を取る。


「は……?どうしてってそりゃ……あれ……?」

「何か言えよ……そんな理由のない行動のせいでルイは……僕の中の化野愛花は死ななくちゃならなかったのか!?」

「めんどくさ。そんなの後で考えればいいよ」


 愛花は腕を振り上げて斬撃を発生させると、あえて建物を破壊して視界を遮る。

 刹那。鈴鹿の喉元に爪が届く寸前。愛花の右腕を左手で弾いて、右ストレートのカウンターを当てる。しかし、愛花は残った左腕で鈴鹿の右腕を掴むと、圧倒的な膂力で組み伏せる。


「終わりだね」

「どうかな」


 鈴鹿は不敵に笑うと左手で銃の形を作る。


「はっ!?まさかっ……!?」


 一か八か。薄れる意識の中で見たルイの技。


「【悪路王】」


 呟くと同時に鈴鹿の目の前で爆発が発生する。結果は不安定な力による暴発だったが、愛花には十分なダメージとなった。その証拠に右腕が吹き飛んでいる。

 しかし、鈴鹿を掴む片腕が離されることはなかった。


「今度こそ終わりだ」

「くそっ……」


 死を覚悟した鈴鹿が目を固く閉ざした、その瞬間。


「【草薙剣くさなぎのつるぎ】」


 聞き慣れない声に恐る恐る目を開けると、神々しさを纏う蒼碧の剣が愛花の胸を貫いていた。


 愛花は刺されたまま後ろを振り返り、徐に口を開いた。


「おま、えは……なぜ……ここに」


 剣が抜かれると、愛花は力尽きたようにその場に倒れ、その人は鈴鹿の元へ歩みを進める。


「……」

「あなたは……旧校舎ににいた……?!」

「……?」


 女性は鈴鹿に近づくと両手で頬を挟んで顔をまじまじと確認する。


(間違いない! この人はあの袴姿の女性……そしたらルイの言っていた人っていうのは……)


ガシャーン!!


 物凄い大きな衝撃波と共に愛花の倒れていたはずの場所から、それは現れた。


「まだまだぁあ! こうなったらお前ごと殺すまで!」

「……! 化野さん……?!」


 否。そこから現れたのは、かつての化野愛花とは似ても似つかない存在、本物の鬼であった。


 次の瞬間。その鬼は女性と鈴鹿のいる方へ以前とは比べ物にならない速度で飛び上がり、左手を大きく振りかぶった。


「危ないっっ……!!」

「【ソハヤノツルギ】」


 女性がそう言い放つと、何もない場所から、先ほどとは異なる剣が現れる。いや、そこにあったと言う方が正しいであろう。

 まるで、アニメーションの次のカットで突然書き足したように、最初からそこにあったかのように現れた。


 女性は、飛びかかってきた鬼に向けて剣を構え、それを切り上げて一刀の元に胴体を両断した。


「クソォオ!なんで、なんでお前がぁあ!」


 ドシャッ


 切られた胴体が地面に激突したのに数秒遅れて血飛沫が雨のように降ってくる。

 はらり、はらり。


 切られた胴から花の咲くように噴き出す血。それは花びらのように鈴鹿と女性の元に降る。「愛の花」が咲き、そして散った。

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