第4話 崩壊と始まり
学校正門前。景色はすでに闇の中に溶けていた。時刻で言うならば、午後9時といったところであろうか。
鈴鹿は結局、強引にも押し付けられてしまった約束を果たすために、夜中の学校に忍び込もうとその第一歩踏み出していた。
「はあ…… 何を言い出すかと思えば、まさか夜の学校に忍び込もうなんて……」
しかし、その約束を断りきれずに来てしまった自分自身も大概であると鈴鹿は思う。本来の自分であれば、もし愛花と出会ってなかったならば、このようなことをすることなんて生涯で一度もなかっただろう。
改めて愛花からの影響を強く受けてしまっている自分に驚いてばかりだった。
こういう存在はどう表現したらいいんだろうかと鈴鹿は考える。人生に良い影響を与えて、自分を変えてくれる友人か。いや、そんないいものじゃないだろう。一番言い得ているのは、悪友だろうか。
「うわぁ……これだ。これしかない」
愛花という友人の存在を改めて考えて思い当たった言葉に顔が引きつってしまう。
確かに、愛花は良い影響を与えて人生を変えてくれる人ではない。むしろ、悪い影響を与えて人生を歪めているまである。
そう考えると、少し、笑いが込み上げる。
それにしても、事前にルイに伝えておこうと思って家に戻ったが当の本人が不在だったことは気になる。まさか、ルイも今きているのだろうか。
進んで昇降口前。
そこには夜の誰もいないはずの学校には似つかわしくない人影があった。
「化野さん」
鈴鹿は天を仰いで星を眺めていた愛花に声をかける。
黙っていれば美しいとはまさにこのことだろう。夜の視界の悪さにも関わらず、月光を浴びて輝く彼女はとても綺麗だった。
「お! 本当に来た!」
「いや、断る前にここで待つって言われたら来るしかないでしょ……」
「…………いやあ、来てくれてよかったよ……本当に」
先ほどとは打って変わって、憂いていた何かが晴れたような安堵の表情。その神妙な表情を携えたまま愛花は学校への扉を難なく開ける。
「学校が閉まるまで中にいて、巡回をやり過ごしてから内側の鍵を開けるなんて最高に狂ってるね……」
「でしょう?」
「出た後に閉められなくて、結局バレそうだけどね」
「いや、清水君はそれを気にしなくて良いよ」
「……?」
愛花は扉を開け、中へと入りながら鈴鹿を横目に見た。
教室への道すがら。なんとなく月明かりが薄らと入ってはくるものの、足元は覚束ず、またお互いの表情もはっきりとしない。
コツ…………コツ、コツ……
その空間にはただ、リノリウムの廊下を歩く音だけが小さく反響している。
今日の昼間に話していたあの明るい雰囲気はそこにはなく、二人の歩く速度と、その音、目の前に広がる闇によって、この廊下は永遠に続いているのではないかと錯覚してしまう。
「…………」
「………………」
長い沈黙。まるでどちらかが話を切り出すまで様子を窺っているような静寂だった。
「ねえ。」
静寂を破る一声が、深い暗闇で塗りつぶされた空間に足音と共に混ざり合う。
「清水君はさ……」
愛花は鈴鹿が返答をする合間もなく次の言葉を紡ぎ始めると、教室のドアに手を掛け、「ガタッ」というわずかな音を立てる。
なぜだろうか。ここまで凍てつくような愛花の会話のトーンを聞いたことがないからだろうか。話の続きを聞きたくない。そう、思った。
「【夷伐者】って知ってる……?」
愛花は扉を一思いに開けると、窓から月光が零れる教室に引き込まれるかのように入っていった。
「……いばつ、しゃ……?」
なんだ。全く聞いたことのない単語だ。
そもそもどのような漢字を当てているのかすらわからない。
「……あは…!そっかそっかあ! 知らないんだ。それは良かった……!それじゃあ、【幕府】の関係者でもなく【
知らない単語。知らない単語。突然何を言いているんだ。
何を話し出すかと思えば、全く知らない単語を羅列させて、ただでさえ訳がわからず頭の中が混濁しているというのに、愛花がまるで人が変わったかのように話していることに鈴鹿はただならぬ恐怖を感じる。
「ちょ……ちょっと待ってくれ。さっきから一体なんの話をしているんだ……?」
「……そりゃそうだよね! 何のことかわからないよね。いいよ。少しだけ、教えてあげる」
愛花が窓側の机に腰を預けると、月光が彼女を照らした。鈴鹿はその光景に引き込まれるかのように愛花の傍らに歩みを寄せた。
「この世界にはね、古くから人間が【
「……本当に待ってくれ、全くわからない! もっと理解ができるように説明してほしい……! それに私たちのようなって、どういう……」
理解し難い話の数々に鈴鹿が頭を抱えているのを意に介することもなく、愛花は残酷なほどに淡々と、まるで面倒臭い手続きを踏むような作業のように語る。
「まあ、そんな説明なんかどうでもいいよ。 それにしてもさあ……! 昼間に夷伐者っぽい人間がいるっていうから、まさかと思って計画を早めちゃったけど、やっっぱり!案の定、清水くんは野良の人間なんだね……! 本当によかった!」
「…………???」
「ああ〜…… その感じだと完全に無自覚だね。はあ…… 清水くん、君はね。一般人にしては多すぎるほどの【夷力】を持っているんだ。なんでかはわからないけど、まあそれはそれとして。君は一般人だから、この上なくリスクが低く力を得られる恰好の獲物なんだよ」
「は……? 何を言って……」
「わっかんないかなあ〜〜! だ・か・ら! 夷である私は高校生を演じて君のその力を得ようとして近づいたってわけ、お分かり?」
どういうことだ? わからない。
なにが? そもそも何の話だ……?これ。
いつも授業を受けている何も変わらない教室、何の変哲もない夜、少し前までの彼女と同じ人間のはずなのに、彼女の異様な雰囲気と理解の及ばない話の数々のせいで、まるで自分が存在していた世界ではない場所に紛れ込んでしまったようであった。
そして、鈴鹿が尤も受け入れ難く、理解し難い話が1つあった。
仮に今の話が本当だとして、彼女は僕の力を得るために騙していた?
今までの会話も、時間も、表情も、感情も、言葉も……全て嘘だった……?
「嫌だ」鈴鹿の口を吐いたのは、そんな惨めったらしい認め難さの言葉だった。
「ん……? 今何か言った?」
「嘘……だったのか……? そんな。だって……今まで、あんなに……あっ! そうか。そっかそっか! これ、あれだ!ドッキリってやつだ、そういうことか……」
ドチャッッ
錯乱する鈴鹿のすぐ横で何かしらの大きなものが落ちたような鈍い音が、二人だけの教室の静謐せいひつにゆっくりと飲み込まれていく。
途中で話を遮ったその鈍い音に多少の苛立ちを覚えつつ、その正体を明らかにしようと、視線をそちらに移動させる。
は…………???
なんだ……?これ。腕??? 腕って、誰の?
鈴鹿が視線を少し上げると見えたものは。
いや、正確には何もそこには見えなかった。なぜなら、本来そこにあるはずの左腕が床に投げ出され、代わりに、それがついていた場所から滝のように血が吹き出しているだけだったからだ。
つまり、それは間違いなく鈴鹿のものであった。
「あ、あ、あ? う”ああ”あ”ぁ"ぁ"ぁ"あ”あ!!!!!」
鈴鹿は確認するまで気づかなかった腕の損失に、今更ながら理解し、その激痛によってその場に座り込んでしまう。
「もう良いよ。これ以上話したってどうせ死ぬだけなんだし無駄。だからさ今、楽にしてあげるね?」
ちょうど、座り込んでいる鈴鹿を見下ろす形で立つ彼女は、背後の窓から入ってくる月明かりに照らされて神秘的な輝きを放っていた。
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