第2話 家族




 黄昏時。日没近くで徐々に温度が下がりつつあったが、それとは反比例するように街中は夕焼けの赤色に染まり、その端から闇が顔を覗かせている。


 街に住まう人々が帰るべき場所に向かって皆足早に歩き、そこに混ざるように鈴鹿も家路についた。


「愛想を良くすればみんなから好かれる……かあ」


 今日の夕食は何にしようかと二人分の献立を考える鈴鹿の頭の中には愛花の言葉が繰り返されていた。


 清水鈴鹿には親兄弟がいない。幼い時分、どのような理由でいなくなったのかは定かではないが、鈴鹿が孤独に生きなければならないのは明らかなことだった。その境遇ゆえに普通の人にはできるような誰かに愛想よく振る舞ったり、好かれようとすることも鈴鹿には難しいことだった。


 そうして、いつしか誰かを愛すること、誰かに愛されることを忘れかけた頃、彼女は唐突に鈴鹿のもとに現れた。


「ただいま」


 皆帰るべき場所に分かれていき、雑踏の少なくなった街中。鈴鹿も自らの帰るべき場所に辿り着いた。


「すずかぁぁぁあああ!!おかえり!!!」


 玄関へと猛スピードで向かってくる足音と、鈴鹿の名前が家中に響き渡る。


「ルイ、出迎えはありがたいけどもう少し静かに頼む……」

「仕方ないだろう!鈴鹿の夕食が早く食べたかったんだ!腹が減った!」


 歳の頃は14、15くらい。身長は150センチ前後といったところだろうか。綺麗に整えられたセミロングの髪の毛に、少し幼さを残しつつも見る人を美しいと思わせる魅力を持った童顔。そしてそれと比例するような成長過程の控えめな肢体に、制服のような和装を身に纏っていた。彼女こそがルイと呼ばれた少女だった。


「すぐ作るから、大人しく待っててくれ」

「む。わかった!」


 慣れた足取りで自室に荷物を置き、手を洗い終えるとキッチンに戻り、夕食を作る準備を始める。その間、何か気になるのかルイは鈴鹿について回った。


「ルイ……腹減ったのはわかるがついてきても何も出ないからな」


 鈴鹿が呆れたようにルイを諭すと、頬を膨らませて抗議するような眼で鈴鹿を見る。


「違う!そうではなくて、今日も特に問題はなかったのか……?」

「……ああ、何もないよ。強いて言えばワンピース着た女の人がいたくらいだ」


 鈴鹿とルイの間に刹那の沈黙が横たわる。


 二人の話し声の他には包丁で食材を切る音や火にかけられた鍋の水の音のみがあり、やけに沈黙の時間を長く感じさせた。


「何度も言っているが、変なものが見えるなんて他の人に知られるんじゃないぞ」

「それはわかってるよ、それに話したところで信じる人はいないだろ」


 鈴鹿が諦めたような口調でルイに反論すると、彼女はムッと口先を尖らせる。


「すずか、だとしてもだ……! 私はすずかに普通に幸せに生きていってほしいと思っているんだ……だから、お願いだ」

「ああ……大丈だよ。ごめんな心配かけて」

「うむ……わかれば良い!」


 ルイが如何に鈴鹿を思って発言しているかが、嫌というほどに伝わってくる。しかし、鈴鹿はここまで心配するのも理解できているつもりでいた。なぜならば、ルイこそが鈴鹿の特異性を理解してくれている唯一の存在だからである。鈴鹿はそんな自分の理解者には誠実でありたいと心から思い、ルイの願いに応えることでそれを成し遂げようとしていた。


 清水鈴鹿が抱える特異性。それは、この世にあって人ならざる者の存在、平たく言えば幽霊や妖怪のようなものを認知できることだった。


 鈴鹿とルイはしばらく他愛もない話を繰り広げ、その間に着々と夕食の準備が進んでいた。鈴鹿は盛り付けの終わった料理をルイに渡し、彼女はそれをテーブルに配膳していた。


 ルイの特徴的な格好と相まって、その姿はさながら大正時代の和装メイドのようである。


「それにしても」ルイはそう口火を切ると何かを懸念するように話し始める。


「最近、すずかの学校はやたらと多いな」


 不意に口を吐いた言葉だからか、主語が抜けた不完全な文章だったが鈴鹿には何が言いたいのか瞬時に理解することができた。


「確かにな、最近は学校付近で見かけることも多い」

「ああ、だから近くすずかの学校へ調査に行こうと思ってる」


 そう言い終えるが早いか、ルイと鈴鹿は最後の料理を配膳して席についた。


「お前なあ……いくら他の人に見えないからって……」

「見えたとしても、私なら超絶美少女の転校生で通用するんじゃないか?!」


 鈴鹿は呆れたようにルイを嗜めようとするが、当の本人はすっかり調子に乗って自慢げな顔を見せていた。

 しかし、普通に暮らしていると忘れそうになるが、このことがルイが鈴鹿の理解者たる最大の理由なのだ。それはつまり、ルイも人ならざる存在だということだ。


「いや、どう考えてもただのロリ、良くて中学生だろ……職員に連行されるのが簡単に想像できる」

「誰がロリだ!!こう見えても私お姉さんなんですが!?」


 二人の笑い声が響く食卓。多くの人を愛し、愛されるというのは難しくとも、一人の家族と一人の友人がいる。今はそれだけで十分だと鈴鹿は思った。


「さ、ご飯にしよう」

「うむ!!」


 二人は顔を合わせると、再び目の前の食事に向き直って合掌した。


「「いただきます!」」







 都内某所。


 人の気配すらなさそうな暗くて湿気の多い裏路地に男女二つの影、そして既に肉塊となった人ならざる者があった。


「最近この街での発生量がやたらと多いっスね」


 男が訝しげに尋ねる。


「そうだね。 ここまでの発生には何か原因があるはずだ」


 女は同意を示すと、何かを催促するように一瞥した。


「だからと言って、長官が出てくる必要があるんスか?」

「発生源の中心である学校付近に出たレベルを考えると、一応ボクも出ないと不安が残るからね」

「不甲斐ないっス……」

「はは、そう言わないでくれ。別にキミたちを信用していないわけじゃない。さあ、次の地点に移動しようか」

「はい。路地を抜けた先に樋口が車を回してます」

「そうか。それはありがたいね」


 女はそう言うと、踵を返して裏路地の出口へと向かった。その後を追うようにして男も歩き出す。


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