第1話 唯一の
「人生って難しいなあ」
教室の隅、窓側の席に座っている鈴鹿はふとつぶやく。開け放たれた窓から入った風がカーテンをひらひらと揺らしている。
ぽつりとつぶやいた言葉はそこから夏の蒸し暑く澄んだ空気の中に溶けていった。
東京都の郊外、田舎でも都会でもなく、地方の街と言われれば納得してしまいそうな場所に鈴鹿の通う高校はあった。
偏差値は中の上くらい。至って普通の高校生。
そうであれば悩むことは少ないのだろうかと鈴鹿は意味のないことを考える。
「今日も元気に不貞腐れてるなあ」
呆れたように一人の女子生徒が話しかけてくる。
女子生徒と言ってもこの学校ではそこそこの有名人。すれ違えば自然と目で追ってしまうような端麗な容姿。肩にかからないくらいに切られた黒髪にやや垂れた目を携え、健康的な夏服からは季節に似合わない白く透明な腕が覗いている。
それがこの女子生徒、
「元気に不貞腐れてるってなんかすごい矛盾してない?」
時刻は放課後。夏場ということもあってまだこの時間は日が落ちきっていない。窓際の席に座る鈴鹿のそばに近寄ってきた愛花に首だけで向き直り、机に肘をつく。
「矛盾してないよ、まさに清水くんって感じじゃない?」
「えぇ、全く自覚ないんだけど、どこら辺が?」
「見た目は良いのに愛想なさすぎて友達いないところとか……?」
愛花は生徒のいなくなった鈴鹿の隣の席の椅子を引き、そこに腰を下ろす。
清水鈴鹿という人間の特徴としては、男性の平均身長より少し大きい173センチくらい、髪の毛は清潔に整えられているものの、くせ毛が少し目立つ黒髪に、少しつり目の中性的な顔立ちの高校生。容姿はどちらかと言えば人の視線を惹きそうな整ったものだったが、とにかく愛想のない雰囲気が立ち昇っている。
つまり、愛花は鈴鹿のような愛想のない人間でも仲良くできる超絶コミュ力人間か、もしくはただの変な物好きの人間ということになる。そう考えると少し笑えてしまう。
「はは、何だそれ、だとしたら化野さんはそんな奴にも仲良くできる物好き?」
鈴鹿が軽快に笑って見せると、愛花はむっと眉間に皺を寄せて、抗議の眼を向けてくる。
「なんかすごいバカにされた感があるんだけど!」
そう言い放つとともに身を乗り出し、座った椅子が傾く。
周囲は放課後が持つ懐かしさを帯びた青色の雰囲気に包まれながら、一人、また一人と生徒が立ち上がっては教室の外に出ていった。
出ていく生徒は別れの挨拶を交わす者や部活に向かうと言う者、これから街に繰り出して遊ぶ予定の者など様々であった。
やがて人がまばらになっていくにつれて他の生徒の話し声が強調され、自然と耳に入りやすくなる。
「見てみろよこれ、やばくない?」
一人の男子生徒が少し興奮したようにもう一人の男子生徒にスマホの画面を見せている。
「ああ、これめっちゃバズってたよな。東京のいろんなとこで魚とか変なものが降ってきたっていう」
ネットを中心に流行っているらしいその映像を見た男子生徒は興奮している生徒とは対照的に冷静に答えていた。
「そうそう、ファフロツキーズ現象だよ!」
再生していた動画を停止すると、スマホをポケットにしまい、その内容について熱弁していた。
「お前、そういうのほんと好きな」
熱弁されている生徒はまた始まったかと呆れた顔をしながらうんうんと頷いている。
鈴鹿たちは自分たちの話をしながらも、男子生徒たちの話を聞くともなく聞いていた。そして鈴鹿は聞き耳を立てていると思われたくないと考え特に言及はしなかった。
しかし愛花はどうやら違うようだった。
「世の中不思議なことってあるよねえ」
愛花は男子生徒の方を一瞥すると、鈴鹿の答えを確かめるかのような目で返事を催促する。
「化野さんってそういうの信じそうなタイプだもんね」
鈴鹿は手をひらひらさせながら少し小馬鹿にしたような返答をする。
「誰が毎朝占い確認してそうって!?」
愛花が食い気味なボケを披露し、鈴鹿はその勢いに少し気圧されてしまう。
「いや、言ってない言ってない」
「それじゃあさ」と愛花は前置きを据えて話し始める。
「最近学校とかSNSで話題のさっきの人たちが言ってたおかしな現象とか、変な生き物の話……それから最近学校に出るって言うワンピースを着た女性の幽霊も信じてないの?」
明らかに先ほどとは異なる真剣な口調。先ほどまでいた生徒もすでにいなくなっており、鈴鹿と愛花のみの教室には静寂が横たわっていた。
鈴鹿はその雰囲気に少し戸惑いながらも、その真剣さに応えようと努める。
「そもそもそんな話があるなんて全然知らなかったよ」
「そっか。それならいいいんだけど!」
先ほどの真剣な表情からは一転して愛花はいつもの調子に戻って朗らかに笑ってみせる。
言い終えるや否や、愛花は座っていた席からガタッと音を立てて軽快に立ち上がり、帰りの支度を促すように学校カバンを肩に下げる。
「さて。そろそろ遅いですし帰りましょうか」
愛花は誰もいない教室を満たす夕焼けの光に彩られながら、きらきらと輝いていた。
「ああ」
鈴鹿は愛花の方を見るともなく同じように立ち上がり、持ち帰るべき荷物を肩掛けの学校カバンの中に押し込んだ。
「あ、そだそだ」教室のドアの方へと歩みを進めていた愛花は何かを思い出したように鈴鹿の方を振り返る。
「やっぱり清水くんはもっと愛想良くすれば、みんなから好かれると思うよ」
悪戯をするように笑う愛花は見た目こそ麗しいが、まるで小悪魔のようだなと鈴鹿は思った。
「はは、余計なお世話だよ」
「それもそっか!」
くだらない何の要領も得ない会話。これが唯一の友達とするべきの会話なのかは他に友達のいない鈴鹿にはわからなかった。しかし、鈴鹿はこんなくだらない毎日が続くならそれで満足だと、そう思っていた。
しかし、誰かに好かれることや誰かを好きになることなど今の鈴鹿には到底器用にできることではないのだ。なぜなら、それを教えてくれるはずの人が鈴鹿にはいなかったのだから。
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