母娘と父娘
会議室を出て、待合室に移動すると真希が口を抑えながら俯いて立っていた。ロックバンドのドラムのような貧乏揺すりだった。
職場から急いで駆けつけてくれたらしく、前髪が汗で顔に張り付いてしまっている。
「お母さん」
呼ぶと、真希はタックルしそうな勢いで丹恋を抱き締めた。左手は腰を、右手は頭に巻きつけられている。
「馬鹿!」耳元で真希が叱る。
「ごめんなさい」
「あんたがいなくなったら、私、一人になっちゃうんだからね。子供が親より先に死ぬようなこと、絶対にしないで」
「うん。約束する」
丹恋は真希の背中に手を回した。
「うん。おかえりなさい、丹恋」
「まだ家じゃないけど?」
「馬鹿ね。おかえりなんて家じゃなくても言っていいの」
真希の屁理屈が今日は胸にじんと沁みた。
「ただいま、お母さん」
真希が鼻をすする音を聞いて、丹恋は安堵と申し訳無さで涙が溢れた。本当に良かった。死ぬ準備もできていないときに、死なずに済んで。生きて帰ってこられて。
ぽんぽんと真希が丹恋の頭を叩いたのを合図に、二人は抱擁を解いた。
八幡が涙ぐんでいるのが目に入って、丹恋は居た堪れなくなった。高校生にもなって母親の胸で泣いているところを見せつけていたと思うと、羞恥心の極みだった。
「八幡さん、水木さん。娘がお世話になりました。連続強盗致傷事件の帳場がこちらに立ったとき以来ですね」
「お久しぶりです。珍しい名字なもんで、もしかしたらとは思っとったんですが」
どうやら本庁の真希と刑事課の八幡らは顔見知りだったようだ。世界は狭いな、と丹恋は苦笑した。
脇腹をつんつんと指で突かれて、丹恋は羞恥から引き戻された。
「どうしたの、唄?」
「もしかして、丹恋さんのお母さんは警察の方ですか?」
「言ってなかったっけ? 警視庁捜査一課の刑事だよ」
「な、なるほど。世界って狭いですね……」
「ね、びっくり。八幡刑事達とも面識あったなんて」
「え? あ、はい、そうですね」
微妙に会話が噛み合わない感覚があり、丹恋は首を傾げた。
「剣持さんの保護者の方にも連絡がついて、もう到着するはずですよ」水木が唄に声をかけた。
「そうですか……。父が来るんですね」
「どうしたの? なんか嬉しくなさそうっていうか」
「単に驚いていたんです。あの父が、今日は来るんだと」
思い返せば、三者面談には唄の叔母が代わりに来ていた。唄の進学先は唄の父親が勝手に決めたとも聞いたし、唄にどんな感情を寄せているのかわからない。唄本人にもわからないから、困惑しているのだろう。
親なんだから心配してるに決まっている、と無責任に励ますことは正しいのだろうか。期待裏切られたら、丹恋も唄を傷つけた共犯になる。
正面玄関の自動ドアから、ストライプ柄のスーツを着た長身の男性が入ってきた。白髪混じりのオールバックヘアと険しい顔つきが只者ではない雰囲気を醸している。もしや、暴力団関係者だろうか。入念に磨かれた革靴の踵をリノリウムの床にカツカツと打ち鳴らしながら歩く先には、丹恋達がいた。丹恋は庇うように唄の前に立った。
「怪我はしていないそうだな」
「はい。すみません、心配をおかけして」
「全くだ。いつからそんなお転婆になったんだ」
思わぬ会話に振り向く。改めて見比べても全く顔は似ていないが、どうやら彼こそ唄の父親のようだ。
「剣持検事正、御無沙汰しています。検事正が唄さんの?」
「現場を離れてから、刑事さんと接する機会が減ってしまいましたからね。はあ、なるほど。巡査部長、今は階級が上がって警部補でしたか? 警部補が、このお嬢さんの保護者というわけですね。狭い世界です」
唄の父親は検察官だったのか。刑事の娘と、検察官の娘が偶然知り合ったということになる。唄の狭い世界、という言葉はこのことを示していたのだ。
「私がこの子の母親だと聞いてらしたんですか?」
「いえ、簡単な考察ですよ」
唄の父親の受け答えが、唄の姿と重なった。丹恋はそのとき初めて二人が父娘なのだと実感した。
「私のせいで、唄さんを危ない目に遭わせてしまって申し訳ありませんでした」
「謝る必要はない。悪いのは犯人ただ一人だ。しかし、もう唄には推理はさせないでくれないかい?」
今回、一歩間違えたら唄ともども危害を加えられていた。当然の要望だろう。承諾しようとしたところで、唄が囁くような声量で抵抗を始めた。
「――勝手なことを言わないでください。私は自分の意志で推理をすることにしたんです」
「珍しく意見を言うと思ったらこれだ。お前はただの高校生で、警察官や検察官でない以上、捜査権のない素人でしかない。素人が中途半端に首を突っ込むから今回のようなことが起きたんじゃないのか?」
「私が推理をしたから、殺人を防ぐ事ができたんです」
「それは結果論だ。今後もそう上手くいくわけがない。推理力など日常ではトラブルを招く悪因でしかないとお前は身をもって理解しているだろう」
「そのうえで言っているんです。どうせ何も考えないようにしようとしても、見たり聞いたりしたら勝手に頭が動き出します。お父さんだって、そうでしょう? それならせめて誰かのために力を使いたいんです」
「そんな簡単なことではない。お前は謎に立ち向かえるほど、強くないだろう」
「一人なら、すぐに挫けてしまうでしょう。それでも、丹恋さんとなら乗り越えられます。友達として、近くにいてくれるから」
唄は潤んだ瞳を父親から逸らさなかった。
問題用紙が盗まれたとき、唄は事件に関わることを拒んだ。それを丹恋が説得して推理をしてくれることになった。それからずっと無理をして推理してくれているのだ、と丹恋は思っていた。自分に付き合わせてしまっているのだと。
「私は、私の力に自信を持ってみたいんです。そうでなければ、私自身が私を好きになれないから」
唄の抱えている苦悩が、丹恋にひしひしと伝わった。誰もが羨む力を、本人が認められているとは限らない。
唄の父親は眉を八の字にして、丹恋を見た。
「君もなんとか言ってくれないか。友人ならば、唄を利用するようなことはやめてくれ」
「はい」
「良かった。それじゃあ――」
「と、答えるつもりでした。ですが、気が変わりました。私はこれからも唄と謎を暴く側でいます」
「探偵ごっこに唄を利用しないでくれ、と言っているのに困ったものだ」
「お言葉ですが、友達は利用し合うものだと思います。それが嫌じゃない関係になって初めて友達だと言えるんだと思います」
言いながら、何様なんだ、と丹恋は自分に指摘したくなった。
唄の父親は、目を丸くして丹恋を見つめていた。しかし、不思議だった。見つめられているのに、見つめられている気がしなかったのだ。
少しして、唄の父親はまた険しい顔に戻り、唄に視線を戻した。
「もう好きにしろとは言わない。が、信頼できる大人の管理下で力を使うのならば、考えなくもない」
「本当ですかっ?」
「考えなくもないと言った。保留ということだ。とにかく、今日はもう帰るぞ。私ももう心労でヘトヘトなんだ」
改めて、刑事課の二人や真希に挨拶をしてから、剣持父娘は正面玄関を抜けて行った。二人の背中を見て、唄に言うべきだった言葉を思い出した。
――親なんだから、心配してるに決まってんじゃん。
さ、と真希が手を叩いた。
「私達も帰りましょうか?」
「仕事は?」
「同僚に頑張ってもらうから今日は何も考えない。八幡さん、水木さん、ご迷惑おかけしました」
二人で頭を下げてから、長慶寺母娘も警察署をあとにした。
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