推理の終着点
事情を訊かせてほしいと言われて、丹恋と唄は所轄署までパトカーに乗せられた。パトカーに乗る機会なんてなかなかないだろうと丹恋は興味津津だったが、発進してすぐに眠ってしまい、目を覚ましたのは署についたときだった。既に夜の八時半を過ぎていた。
悪いことはしていないが、市役所などとはどこか異なる警察署の雰囲気に丹恋は背筋が伸びた。所轄刑事時代の真希に小さい頃連れてこられたことはあるはずだが、そのときは真希の姿しか見ていなかったのだと思う。家とは違う雰囲気の母親は別人のようだったから。
二人はドラマに出てくるような圧迫感のある取調室ではなく、会議室のような広い空間に通された。二メートル近い幅の長机なのに唄は丹恋と肩が触れる位置に椅子を移動させて座った。向かいには学校に来た制服警官ではなく、半袖Yシャツを着た皺の深い男性と、ビジネスカジュアルスタイルの女性が座った。
「疲れているところ申し訳ないね」
優しい声で男性が言うと、女性が釣られるように頭を下げた。強面の男性だったが、優しそうで丹恋は強張っていた身体を少し緩めた。
男性は
「生活安全課の方に君達の学校から『SNS上で殺人予告ともとれる投稿があった』と相談されたのが一昨日のことでね。刑事課の方にも連携があって、様子見をしようという判断になったんだ。我々の対応が後手に回り、長慶寺さんに傷を負わせる結果となったこと、本当に申し訳ない」
八幡一人で決めたことでもないだろうに頭を下げ、その拍子に頭をぶつけそうになっていた。
もとより、丹恋は警察を責める気はなかった。明らかに不審な動きを見せていた人物を追跡しようとしたのが軽率だったし、警察が様子見をせずに捜査を始めていたとしても事件は起きていたはずだ。
「それと、剣持さん。君がいなければ、長慶寺さんは取り返しの付かない状況に陥っていただろう。無事に犯人を確保することもできた。刑事課を代表してお礼を言うよ」
八幡は頭を下げてから、
「危険な行動はいけないと注意しなければいけないのかもしれないが」
と、笑った。八幡は茶目っ気がある。
水木が手元にあったコンパクトな手帳のボールペンが挟んであったページを開いた。
「剣持さん、急行した警察官から、校舎の一室で一人の教員が気絶した状態で発見され、なぜか刺股が教員の傍に立て掛けてあったと報告がありました。あなたが確認するように言い残したそうですね?」
「あ、は、はい。そうです。刺股もありましたか」
「なぜこんなことがわかったんです?」
「そうだねぇ、剣持さん。そもそも、どうして長慶寺さんの居場所がわかったんだい? すぐに長慶寺さんが帰ってこなかったというのは聞いているけれども、それでは居場所まではわからないだろう?」
丹恋も同感だった。それを訊かなければ、気になって眠れない。
「わ、わかりました。緊張するので、皆さんそんなに見つめないでください」
丹恋の細い腕に、さらに細い腕で掴まりながら、唄は顔を赤らめた。エアコンがあまり効いていない会議室だから、触れた部分が一瞬で汗ばんだ。
思えば、唄による生推理を聞くのは久々だった。彼女の鮮烈な推理はリモートでは勿体ないと思ってしまうのは不謹慎だろうか。
「刑事さん達は殺人予告の前にも三件の事件が起きていたことを知ってるのでしょうか?」
「さっき、学校側から説明があったよ。学校内で解決したと聞いているが」
「はい。ですが、それぞれの事件は不可解さを残したままでした。一、二件目の、いじめ被害者に犯行計画を与えて復讐をさせるという構造自体は納得できましたが、なぜ顔を隠して襲うといったシンプルな計画ではいけなかったのか、どうにも腑に落ちなかったんです。そこに何か犯人の思惑があるのではないか、という想像は前からしていたのですが、二つを繋げる線が見えてきませんでした。そこに、三件目の構造すら異なる事件が起き、共通していた構造すら変わってしまったことで、犯人の思惑がさらに見えなくなってしまいました」
「犯人の気まぐれ、とは考えなかったのかい?」
「気まぐれにしては手が込んでいますから。労力を割いてでも、事件を起こさせる価値が5048にはあったんです。あ、5048というのは」
「聞いています。殺人予告投稿をしたアカウント名ですね?」
「はい。それぞれの事件の犯人と区別したいので、そう呼ばせてください」
刑事二人が頷くと、再び推理が始まった。腕には唄の手が添えられたままだった。
「わからないまま、今日を迎えてしまったわけですが、丹恋さんと連絡が取れなくなり、通報するにも5048の場所がわからないと無駄に時間を費やしてしまい、手遅れになる可能性が高いですし、あのときは職員室に先生達がいなくて電話が繋がらなかったので、私は推理するしかない状況まで追い込まれてしまいました。
事件を改めて考察するにも、新たな手がかりが出てきたわけでもない。そう思い込んでいたのですが、重要なことに気づきました。
丹恋さんが保護者への説明会と同日に襲われたのは偶然なのか。その問いから、ドミノ倒しのように壁が崩れ、上から見たときに事件の全容が現れていました」
刑事二人がやや身を乗り出していた。唄の口から語られる推理に飲み込まれているようだった。それを知ってか知らずか、唄は早口で畳み掛けていく。
「丹恋さんが5048に襲われたのなら、5048は丹恋さんに見られたくないものを目撃され、口封じに襲ったと考えるのが自然です。丹恋さんが学校を訪れたのはアクシデントで、誰にも予測できないことでしたから、丹恋さんがはじめからターゲットだったという可能性は否定できます。
となると、5048は説明会同日に事件を起こそうと計画していたことになりますね。殺人予告の投稿には、いじめ加害者への警告があったのでターゲットが生徒なのではないかと思い込んでいましたが、説明会で生徒は下校しています。つまり、狙っているのは生徒ではなく、説明会のタイミングでなければ学校に来ない人物、つまり保護者がターゲットという結論になりました。
説明会によってターゲットの保護者を誘い出すことが計画に組み込まれていたのだとすると、それまでの事件は、トラブルを大事にしたくない学校が説明会を開くように仕向けるためのものだった、と考えることもできます。
しかし、それだけではないはずです。一件目、二件目の事件は三件目の事件と比べて〝軽い〟ですから。説明会を確実に開催させるのが目的なら、はじめから罪の重い犯罪を計画するでしょうから。
次に、説明会のタイミングで殺人を行うことは犯人にとって容易いのか考えました。多くの保護者が開始十分前には集まっていて、ターゲットを探し出すのは難しそうでした。加えて、丹恋さんが学校に戻ったのは説明会が終わったタイミングです。既に犯行が終わっていたなら、丹恋さんを襲うというリスクは取らなくても構わない。つまり、説明会が開催されている間ではなく、後に殺人を実行するつもりだった。
しかし、保護者が来訪するのは勿論説明会のある時間です。5048はターゲットとなる保護者にのみ異なる開催時間を伝えなければなりません。が、保護者への連絡は学校からの一斉メール配信によって行われるので、いきなり手紙や電話等で連絡すれば怪しまれますから、保護者のメールアドレス宛に学校のメールアドレスからメールを送信できる人物でなければいけません。つまりは、教員というのが条件1です」
「いやぁ、たまげたな。君は今日、説明会が開催されていたという事実から、そこまで考えついたとは。うちの署どころか、本庁にだってこんな切れ者はいないよ」
「運が良かっただけなんです。あのう、先に進んでもいいですか?」
「どうぞどうぞ。邪魔してすまんね」八幡が手刀を切った。
「まだ条件が一つわかっただけで、犯人候補を絞り込めていませんし、何よりどこで事件を起こす予定だったのかわかっていません。
そこで、それぞれの事件の不可解な点をおさらいしました。
一つ目の事件では、なぜ体育科の問題用紙を盗ませたのか、という点が最後までわかりませんでした。濡れ衣を着せることが目的で、問題用紙自体は関係がなかったのだと思っていましたが、体育科の問題用紙を盗ませることにも意味があったのではないかと見方を変えました。
二つ目の事件はというと、旧体育館にある二つの出入り口のうち、一つの鍵穴に接着剤を流し込み使えなくすることで、中で練習していた部員を閉じ込めました。これも、復讐するなら他にやり方なんていくらでもあったわけですから、明確な意図があったはずです。
三つ目の事件では、一人の生徒に脅しをかけて暴れさせました。ここまで来て、私は三つの事件に共通する一つのピースに気づきました。体育科の武野先生です。
一つ目の事件では、武野先生のデスクの抽斗から問題用紙が盗まれ、二つ目の事件では武野先生が鍵を管理している旧体育館の錠が壊され、三つ目の事件で生徒を取り押さえたのは武野先生です」
「剣持さんは武野先生が犯人だと思ったんですか?」水木が問う。
「いえ。三つ目の事件で、生徒を取り押さえたときに武野先生は本当に動揺していたそうですし、自分が犯人ならここまではっきりと関与しないと思ったので。武野先生は5048にとってのデコイにされたのだと思いました。
武野先生をデコイにするなら、どのようなミスリードのために事件を起こしたのか。私が考えた仮説なら、三つの事件を余すことなく利用できます。
旧体育館は鍵のかかっている出入り口しか使えなくなり、中に入るには武野先生の管理する鍵を使う必要がある。旧体育館で人を殺し、凶器に武野先生の指紋がついていれば、警察は武野先生を疑うはずだと。これで、事件の起きる場所がわかりました」
「ちょっと待ってください。5048は濡れ衣を着せる武野先生から旧体育館の鍵を借りたということですか?」
「水木の言う通り、その点は無理があるねぇ。怪しまれて素直に貸してくれるかは五分五分だ」
「犯人は予め複製していた鍵を使ったんです。職員室の抽斗からオリジナルの鍵が見つかったとしても、武野先生なら複製キーを用意する機会はいくらでもありますから、最後は気絶させた武野先生のポケットにでも入れておけばいいんです」
「なるほど。しかし、犯人が犯行に使おうとしていたのはナイフだ。刺股は関係がない」
「5048は犯行後、刺股にテープか何かでナイフを固定するつもりだったんでしょう」
「なぜそんなことを? ナイフを握らせれば済むじゃないか?」
「ナイフで誰かを刺殺したはずの武野先生に返り血がついてないのは不自然ですよね? 刺股にナイフを固定して襲ったということにすれば、服に血が付着していなくても問題ありません。武野先生が暴れる生徒を取り押さえるのに刺股を使うことまで予想していたのかはわかりませんが、新たに武野先生の指紋をつける必要もないので利用したのではないでしょうか? 武野先生が刺股を使っていなかったら、リーチを伸ばせる棒状のものに武野先生の指紋をつける計画だったんだと思います」
「参った。君の論理はなかなかに頑丈だねぇ」
八幡が自分の額をぴしゃりと打った。
「今の複製キーを使ったというのが、犯人の条件2に繋がります。ここまでの推理で、一つ目の事件は利用できていません。犯人にとって、一つ目の事件はミスリードのためにどうして必要になるのか。
問題用紙が盗まれたことが発覚してから、武野先生は他の教員や校務員まで巻き込んで捜索を行いました。この出来事はある程度予想できますし、もしも武野先生が一人で探そうとしたら、一大事だから皆で探しましょう、と5048が促せば良かったんです。そうすることで、武野先生が管理する旧体育館のオリジナルキーの型を取る機会を得ることが可能になったわけです」
「捜索にはほとんどの教員が加わったんだろう? それじゃ、犯人候補は絞り込めないね」
「いえ、絞り込むどころか、特定できます」
刑事二人が椅子から腰を浮かして「えっ?」と大きな声を出し、それに驚いた唄が丹恋の腕を掴んでいる手の力を一瞬強めた。
「た、武野先生の抽斗の管理はずさんで、用紙が盗まれるまでは日中、鍵をかけていないこともしばしばあったそうです。教員なら何らかの理由をつけて、彼の抽斗に触れることはできたでしょう。それなのに、5048は第一の事件を起こした。5048は武野先生の抽斗に触れる理由を作り出せない人物だった。これが条件2です。
条件を全て満たすのは一人しかいません。私もナイフを持っているその人を見るまで、自分の推理を疑っていました」
醜く顔を歪めてナイフを突き刺そうとした5048の顔を、丹恋は思い出して、ぞっとした。
今だって、信じられない。
「目を覚ました養護教諭の神野恵美から、自白を得られたそうだ」
保健室登校を続ける唄に優しく接し続けた姿も、一緒にジュースを飲んだ姿も、全て偽りだった。
「君達とは親しくしていたそうだね。そんな人から突然悪意を向けられたんだ。犯罪被害者へのカウンセリングがあるから後ほど案内があると思うよ」
「もし、問題ない、元気だと思っていてもカウンセリングはぜひ受けてください。どれだけ心が傷ついているのかは自分ではわからないものですから」
水木が真剣な顔で告げた。
これが大人と今の自分の差なのだろう、と丹恋は思った。今の今まで、元気だと、大丈夫だと自分に言い聞かせていたから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます