絶体絶命

 首筋を踏まれているような鈍痛によって丹恋は目を覚ました。両手首、両足首をそれぞれ縛り上げられているのにまず気づき、口をテープか何かで塞がれていることに少し遅れて気づいた。

 自分がどういう状況にいるのか、記憶と照らし合わせて理解した。どうやら自分は、校内で誰かに気絶させられ、拘束されている。

 現実感があるのは首の痛みだけだから、不思議と恐怖心は持たなかった。

 誰に襲われたのか、段々と思い出してきた。あの人を追いかけたときに、襲われた。丹恋には襲ってきた相手の顔は見えなかったが、同一人物と見てまず間違いない。

 あの人が、5048なのだ。だが、襲われてもなお信じられなかった。何より、動機が不明だ。

 幸いにして目は塞がれていない。だが、ここがどこなのかはっきりしなかった。寿命間近なのか明滅している蛍光灯がストロボのように照らし出すのは木製のドア、どこかへ続く階段、金属製の引き戸。

 突然、木製のドアが開いた。ドアの向こうに広がる景色で居場所は明らかになったが、今はもうそんなことはどうでも良かった。

 ドアを開けたのは、5048なのだから。

 5048はどすどすと足踏みをするみたいに丹恋に近づくと、黙って顔を平手打ちした。強い痛みはすぐに引いたが、麻酔を打ったときのようなじんじんとした感覚が頬に広がった。


「お前のせいで、計画が崩れるところだった! お前のせいだ! お前の!」


 肩を上下させ、般若のように顔が歪んでいる。今までは、目の前の人物の仮面を生肌と思い込んでいただけだったのだと、この瞬間でようやく実感できた。

 途端に、丹恋の恐怖心が大きくなった。殺されるかもしれない。いや、殺される。5048にはもうあとがない。見られてはいけないもの全て、丹恋は目にしたのだから。


「あまり身体に傷をつけると整合性がとれないから、このくらいにしておく。それに、もうすぐメインゲストが来る。お前は後回しだ。どうせ助けは来ないし、それまで、来世で良い人間に産まれ変われるように祈っておけば?」


 助け、か。

 そのとき、丹恋は自分がハンバーガー店に唄を残して来たことを思い出した。出るときに、戻ってくるまでの目安を伝えたはずだ。もしも、唄が戻ってこないことを不審に思って学校に来てくれたら――。


「何か言いたいことでも? 大声だしたら、殺すから」


 5048はナイフをちらつかせて脅してから、口のテープを乱雑に剥がした。唇の皮が少し剥けてしまったようで、血が滲んだ。

 助けが来ることに賭けるなら、可能な限り時間を引き延ばすしかない。


「あなたが待ち望んでいるメインゲストって、誰ですか?」

「教える必要ない」

「どうせ死ぬなら最後に気になることは聞いておきたいんです。あなたが5048で、これから誰かを殺そうとしているのなら、誰を殺そうとしているのか知りたいんです」


 5048は貧乏揺すりをしながら首を鳴らし、「まあ、いいか」と呟いた。


「コイワイ」


 ――コイワイ、って結莉のこと?

 この学校に他に小岩井という名字の生徒がいるのは聞いたことがない。

 5048は復讐のために、殺人をしようとしているのではないのか? 結莉がこの人から恨みを買うようなことをするか? 何より、結莉が殺されようとしているなんて。


「どうして殺すことにしたんですか?」

「この学校で、会ったから」

「それだけで?」

「今なんて言った?」


 5048が丹恋の髪をむんずと掴み上げ、どすの利いた声で確かめた。


「殺すには充分な理由だろうが! あいつのせいで、忘れようとしてたことを全部思い出したんだ!」


 丹恋は選択を誤ったことを悟った。引き延ばすどころか、逆鱗に触れ、自分とナイフとの距離を縮めただけだった。

 5048がナイフを振り上げたとき、耳障りな甲高い音がドアの向こうから聞こえてきた。5048は一瞬首を竦めてから、勢い良く振り返った。

 長方形に縁取られた夜の闇が、現れた。


「誰っ?」


 5048の問いに対する答えはなかった。5048はナイフを突き出しながら闇の方へ走って向かっていく。闇に足を踏み出した途端、5048が夜闇に姿を消した。

 一瞬の出来事に呆気に取られていると、夜闇から待ち望んでいた姿が現れた。息を切らしている彼女に向かって叫ぶ。


「ここにいるよ!」


 彼女は我武者羅に駆け寄り、丹恋のロープを解いた。


「会いたかったよ、唄。本当に会いたかった」


 我慢していた涙が嘘みたいに溢れてくる。


「落ち着くのはあとにしましょう。時間稼ぎはもう――」

「ふざけんなよ、てめぇ!」


 5048がナイフを頭上に持ち、丹恋達の元へ向かっている姿が見えた。頭から血が流れている。


「まずいです!」

「大丈夫だよ、唄。ここから逆転開始するから」


 唄は息を短く三度吐いて、目の前の獲物を真っ直ぐ見据えた。

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