調査中止
「――では、あれは単なる脅しだけで、殺人は起きないと考えているんですね?」
「そう。結構、良い推理だと思わない?」
神野先生のデスク近くにある頑丈なキャビネットに腰を掛けた唄が、蟀谷を何度か指でとんとんと打ち、そして首を振った。神野先生は空けていたが、二人の他に体調不良者の女子生徒が一名いたため、小声で話し始めた。
「犯人の狙いの中に、いじめの抑止効果はあったのかもしれませんが、それだけだとはとても思えません」
時間をかけて選んだプレゼントを酷評されたような気になって、丹恋は「どうして?」とつい強めの口調で訊いてしまった。それでも唄は気分を害した様子は見せずに、推理の欠落を指摘した。
「丹恋さんの推理の出発点は、5048が自身の存在を知らしめるために鳥山先輩に暴れさせたというものですよね? それは強ち間違いではないと思います。ただ、それなら三件目の鳥山先輩の事件を起こせば済むじゃないですか。一件目、二件目ともにトリックを使用してまで事件を起こさせた理由が説明できません」
ぐうの音も出ない。丹恋は閃いたこと自体に興奮してしまい、他の事件を全く考慮していなかったのだ。
「じゃあ、やっぱり殺人は起きるってこと?」
「恐らくは」
「そっか……わかった。もうこれ以上は5083に関わるのは止めよう」
丹恋はきっぱりと言った。
「あ、はい、危ないですからね。でも意外です。丹恋さんなら、何がなんでも犯人を捕まえてやるって言うと思ってました」
「私もそんな向こう見ずじゃないって。唄に何かあったら、自分のこと許せなくなりそうだし」
「私のことを心配してくれるんですね」
瞳を潤ませて、唄が丹恋を見つめた。丹恋は妙にそわそわして、視線を逸らした。
「そんなの、当たり前じゃん。友達を危ない目に遭わせたい人なんていないって」
「でも、そうなんだとしても、嬉しいんです、すごく!」
唄は丹恋の手をぎゅっと握り、ぶんぶん縦に振った。その熱烈な握手に比例して、声量も強まってしまったために、カーテンの向こうのベッドから注意するように二回こんこんと咳が聞こえてきた。
小心者の唄は途端に萎縮してしまって、消え入りそうな声で「すみません」と謝罪した。
それから、持ってきていた弁当を突きながら、丹恋は努めて事件以外のことを話していたのだが、頭の中は事件のことで一杯だった。
唄の指摘していた一件目、二件目の事件を計画した理由は何なのか。
問題用紙が盗まれたこと、女子マラソン部が軟禁されたこと。共通点は5048と、いじめ被害者による復讐という点だけだ。それとも、ミッシングリンクが存在しているのか。
ぼんやりと考えているとき、丹恋には5048の心情の輪郭がわかったような気がした。彼だか彼女だかはわからないが、5048自身がいじめ被害者で、殺す相手はいじめ加害者なのではないだろうか。だとすれば、犯人はやはり自分と同じ高校生だ。自分が友達と駄弁っているときも、その生徒は殺意を隠し持っている。
それを思うと、自問自答が続く。
被害者が加害者になることは正しい乗り越え方なのか。
加害者生徒が殺されたときに、自分は他の生徒が殺されたときと同じように悲しむことができるか。
自分が不用意に誰かを傷つけたことがないと断言できるか。
「丹恋さん」
唄が箸を置いて言った。
「丹恋さんが私の身を心配してくれるみたいに、もしも丹恋さんが危ない目に遭ったときは私の持てる力を全部使って助けますから」
「いきなりどうしたの?」
「何となく、言っておかないと、と思ったんです」
「そっか、何となくか。じゃあ、その何となくで少し楽になったよ」
「どういたしまして」
ふふっと笑い合って、また箸を手に取った。
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