モノローグ③
あいつの名前は
郡司晴香は、自ら罪を認めたと聞いた。
自分を裏切った女子マラソン部に今になって情が湧いたのか。無関係な一年部員が救急搬送されたことは計算外だったということもあるのかもしれない。彼女は、誰も助けてくれないという状況――まさに一年前の自分と同じ――に彼らを陥れて恐怖を与えようという程度の認識だったようだから。この蒸し暑い時期に体調不良者が出ることくらい予測しているとばかり思っていたが。
郡司晴香が犯人だと断定する証拠はなかったというのに、馬鹿なことをしたものだ。
甘過ぎる。復讐というものは生半可な覚悟では成功しない。揺さぶられてもしらを切り通すのが復讐者の矜持だろうに。
それもこれも、あの剣持唄のせいだ。
――いっそ、消すか?
いや、と5048は首を振った。計画にない殺人はボロが出やすい。そんなことをして、真の計画を妨げる結果になっては元も子もない。
それに、剣持唄はまだ5048が一連の事件を起こした理由に気づく素振りすら見せていない。所詮は高校生の子供なのだ。いくら賢いとしても、探偵は犯行の残滓から推理という名の妄想を膨らましているだけだ。それには、限界がある。眼の前の事件に気を取られ、見るべきものを見れていない。
剣持唄は、シャーロックにはなれない。5048がピカレスクたる覚悟を決めたように、彼女も探偵たる覚悟を決めなければ、同じ土俵にすら上がれていない。
不意に眼底に重い痛みを感じて、眼球の斜め上の窪みを指で押した。眼精疲労が溜まってきたらしい。しかし、もうひと踏ん張りだ。
もう少しで、あいつを殺す準備が整う。
何もしていない人を痛ぶり、笑っていられるサディスト。
そのくせ、被害者意識が強いから、いじめ加害者は自身の異常性に気づかない。武勇伝のように居酒屋の肴にされることもあると聞く。罪の意識がないまま、安らかに眠る者ばかり。
許してたまるものか。
気づかせてやれ。
お前は、殺されるほどのことをしたのだ。
いや、ナイフで刺しただけではまだ通り魔に遭った被害者だと思って死ぬかもしれない。
苦悶を浮かべる顔の横についた耳に囁いてやろう。学校名、クラス、そいつの出席番号、5048の本名。
そのとき、どんな感情が全身を飛び回るだろう。失禁でもしてくれたら、百点満点だ。どんな格好をつけた者も、小便を垂れていたら笑いものだろう。耳元でそれを馬鹿にしてやっても良いかもしれない。
ああ、愉しみだ。
上手く行ったら、これからはいじめ被害者による復讐計画のコンサルタントに転身してみようか。顧客はこの国には腐るほどいる。世界にだって、いるだろう。
不意にあることを思い出した。
虐められていたとき、美術の授業で使うはずだった彫刻刀で、父さんや母さんにはバレないように学習机の天板にあいつの名前を小さく彫った。デスクマットを捲ると、天板の右下に一箇所だけ木材内部の白さが顕れて、あいつの名前を形つくっていた。
『こいわい』
待っていろ。
お前が笑っていられるのも、今のうちだ。
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