名探偵の鼻血(第二章完結)

 昼休みの保健室で、丹恋が買ってきたコンビニスイーツを食べながら、唄と小さなお祝いをしていた。誘ってはみたものの、邪魔しちゃ悪いからと神野先生は職員室に行ってしまった。

 食べ終わったとき、スマホがポケットで振動した。丹恋は画面を確認して、そろそろだ、と呟いた。


「何がそろそろなんです?」

「推理してみたら?」

「あのですね。私はエスパーじゃないんですよ。なんの手がかりもなく言い当てられませんよ」

「じょーだん、じょーだん」

「なんかにやにやしてません?」

「ソンナコトナイ」

「なんで片言なんですか? 嫌な予感がします」


 唄が怪訝そうな表情で言ったとき、保健室の扉が開けられた。


「失礼しまーす!」


 鼓膜の破れそうな声とともに一人の女子生徒が勢い良く入ってきた。ポニーテールを揺らす、日焼けサロンに行ったみたいに満遍なく焼けた肌。今回の事件に巻き込まれた網野未里だった。さっきは事前の打ち合わせ通り丹恋にメッセージが来ていたのだ。

 丹恋は軽く未里の額をチョップして、


「声でかすぎ」

「ずっと引きこもってたから体力が有り余ってるんですぅ。あ、剣持さん、会いたかったよー!」


 テーマパークのスタッフのように未里が手を振ると、唄は丹恋の背中に隠れてしまった。


「えー、怖がんなくてもいいのにー。別に醤油ダレで食べたりしないって」

「塩ダレなら食べそうな言い方すんな!」

「あはは、ごめんごめん」


 おじさんのように手刀を切って謝ると、ようやく本題に入った。


「私としては、二人は命の恩人みたいなものだからさ。真犯人が捕まってからどうなったのかの連携と、お礼をね、直接話したくて」


 醤油ダレだか、塩ダレだか口走った未里ではあるが、根っこはかなり真面目なのだ。でなきゃ、今から指定校推薦を狙って良い成績を目指すなんてことはしない。

 丹恋としては、かしこまって感謝を伝えてもらわなくても良かったのだが、唄にとって良い経験になるはずだと思い、未里に保健室まで来てもらう形にした。


「まず、処分だけど、勿論なし。遠山先生が昨日うちに来てぺこぺこ謝ってた。悪いのは先生じゃなくて、武野だと思うけど、そこはもういい。昨日の欠席は、出席扱いにしてくれるとも言ってたし、遠山先生が買ってきてくれたケーキを二つ食べたのでお釣りが来た感じ」

「そっか。良かったじゃん」


 うん、と目を一本線みたいに細めて笑うのを見ると、未里は完全復活したみたいだ。実のところ、未里はショックを引きずっているのに空元気で誤魔化しているのではないかと思っていたから、笑顔を見てようやく安心できた。


「……網野さんは、強いんですね」


 丹恋の背後で唄が小声で言った。


「そんなことないよ。こうして立ち直れたのは、二人が私の無実を証明してくれたからだもん。丹恋は何でもない風に言ってたけど、遠山先生からどれだけ二人が頑張ってくれたのか聞いてる。本当に強いのは、二人だよ」


 未里が前屈するように深々と頭を下げた。


「ありがとう。もし、解決してくれなかったら、この先、人を信じられなくなってたと思う。二人は未来の私も助けてくれたんだ。これからも、人を好きでいられる」


 未里の言葉の一つ一つがじんわり沁みていく。

 フランクなありがとうではこうはならなかっただろう。彼女はそれを理解していて、真剣に感謝を伝えることを選んだのだ。言葉って凄い。軽くて、重くて、鈍くて、鋭い。

 こちらこそです、と唄。唄にしては大きな声。


「今回の事件がなければ、私は謎を解くことから目を逸らし続けてたと思います。ですが、謎を解いた先に網野さんのように救われる人がいるなら、私の考えすぎも、悪くない気がしてきました」


 急に未里が「うっ」と胸を抑えた。


「どうしたの、未里?」

「剣持さんが良い子過ぎてキュンとした。あー、尊い」

「紛らわしいわ! あ、てかもう、昼休み終わりじゃん。帰るよ、未里も」

「あ、うん」


 未里が頷いて出口につま先を向けたと思った瞬間、いきなり丹恋に抱きついた。未里の方が十センチほど身長が高いから肩のあたりに柔らかいものが当たった。そんなことより、暑い。


「やっぱ言葉よりも、ハグ。丹恋、剣持さん、これが私の気持ち」


 未里の両腕は後ろの唄にまで届いているらしい。


「わかったから離れて。こっちは二人にサンドされて暑いんだって」


 にひひ、と歯を見せて悪戯っぽく笑うと、未里は保健室から走り去った。

 最後の最後にかましやがってと思いつつ、悪い気はしないのが未里の魅力なのかもしれない。


「ちょっと元気になりすぎだね」

「そうですね。コーヒーカップのアトラクションに乗せられた気分でした」

「言えてる。でもすごいじゃん、唄。いきなりハグされたら気絶でもするかと――って、ちょっと!」


 言いながら振り返ると、しっかり事件が起きていた。


「なんです?」


 きょとんと見つめる唄の鼻の穴から、つーっと赤黒い血が伝っていた。

 気絶の次は、鼻血。

 彼女が人並みに青春を送るまでの道のりは、やはり険しそうだ。

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