トリックはわかっている

「――私が持ってる情報はこれだけ」


 唄は顎に手を当て、熟考を始めた。声をかけるのが許されないような空気が漂ってきたとき、神野先生がコンビニのビニール袋を片手に保健室に戻ってきた。唄の背後の窓から、引き戸まで空気の通り道ができて、唄の後ろ髪がふわっと揺れる。


「あら、仲直りしたの?」


 神野はふふふと笑いながら、買ってきた二リットルのコーラやコーヒーを冷蔵庫に入れ、ポテトチップスは机に置いた。すぐに食べるつもりらしい。


「ご心配おかけしました」

「私は何もしてないしねぇ。それより、唄ちゃんは探偵やる気になったわけ?」

「探偵になるかはわかりませんけど、今回は協力してくれるって」

「そうなんだ、うふふ。あ、コーラ飲む?」

「あ、私は大丈夫です」

「あらそう。もう一人は今はそれどころじゃないかなぁ?」


 顎に置いていた手はいつの間にか両方の人差し指でこめかみをマッサージするようにポジションを変えていた。


「うーん、わかりません」


 顔のパーツをぎゅっと中心に寄せるように難しい顔をしている。


「唄でもどうやって深夜に盗んだのかわかんないの?」

「いえ、そっちは既に見当がついてます。問題はその先で――」

「ちょっと待った! わかったの?」


 ぱちくりと瞬き、


「え、はい。どうやって盗んだのかですよね? そんなのは消去法でわかりますよ」

「わかったなら、わかったって言うでしょ?」

「まだ犯人が特定できたわけでもないですし、確証はないので」

「唄ちゃん、マイペースねぇ」

「そうですか?」

「そうだって。とりあえず、仮説でもいいから教えてよ」


 こほんと軽く咳払いしてから、唄は推理を語り始めた。


「教師達が校舎を出てから、校舎に入ったのは網野さんだけだというのは事実なんでしょう。カメラに映らずに門を抜けることはできず、女性ですらフェンスを超えることも難しいことは丹恋さんが証明してくれましたからね」

「それだと、未里が犯人だってことじゃん」

「いいえ、結論を出すのが早いです。そもそも、悪事をしようとしている人が何の策もなく、カメラの前を通りますか? この点からも網野さん犯人説は疑わしい。では、発想を変えてみましょう。夜が無理なら昼に盗む方法は本当にないのか、と」

「だから、日中は職員室には誰かしらいたんだって」

「本当にそうですか? 問題用紙の盗まれた日には何がありましたか?」


 問題用紙が盗まれたのは、五月二十五日。

 立て続けに色んなことが起こるものだから、ぱっと思い出せずに丹恋は保健室の壁にあったカレンダーをちらりと見た。

 二十五日のマスにはぐるぐると線で囲まれた『避難訓練』の文字があった。


「避難訓練? それがどうかした?」

「避難訓練では生徒だけでなく、教師全員が校庭に移動しました。つまり、避難訓練の間に限っては職員室は無人だった」

「でも、生徒も全員校庭に出てたってことじゃん。各クラスで人数確認もしてたし、こっそり抜け出すことはできなかったよ」

「いいえ、思い出してみてください。避難訓練では、校庭に避難するだけでしたか?」


 丹恋の頭に、校舎から白い袋が滝のように地面に向かって落ちる光景が浮かんだ。


「校舎からの脱出訓練だ。あのとき、各クラスの出席番号一番の男女は校舎の中に入っていった。そのときに、問題用紙を盗んだ……。ん、犯行からして計画的だったけど、避難訓練は抜き打ちだった。脱出訓練をするのが出席番号一番の生徒だってことも生徒達はわからなかったわけじゃん? 矛盾してない?」

「知らなかったのが、一年生だけだったとしたらどうでしょうか?」

「え?」

「あの日の校庭にはサイレンがなった直後なのに、普段より生徒が多く校庭に出ていました。小学生と違って、昼に校庭で遊ぶ生徒なんて希少生物ですから、目的があったんですよ。そして、昼休みにサイレンが鳴った。避難訓練は公式には通知していないが毎年同じタイミングで行われていた。違いますか、神野先生?」

「そうね。時間も流れも毎年一緒だから二年生と三年生は知っていたと思うわ。けど、脱出訓練の隙に問題用紙を盗むのは無理だと思うわ」


 コップに注いだコーラをぐびぐびと飲み干した神野先生が口を挟んだ。


「生徒達が校舎に入ってから全員が滑り終わるまで十分程度。脱出袋のある教室で滑り方を教えるときにまた人数を確認される。職員室で問題用紙を盗んで、戻ってきて、滑り降りる。自由に動けたとすれば、二、三分だし、手際良くやっても間に合わないでしょう。だから、教師達もその可能性を排除したのよ」

「そんなところだろうと思いました。ですが、古典的なトリックさえ使えば、可能です」

「古典的なトリック?」


 はい、と肯定して、両手の人差し指を立てた。


「単独犯だという前提に根拠がないんですよ。共犯がいれば、入れ替わりができます」


 共犯がいれば、Aが問題用紙を盗み、Bが脱出する、という風に役割分担が可能だ。しかし、現実味がない。


「共犯って言っても、全校生徒の人数確認はされてるわけじゃん? 代表者以外の生徒が校舎にいることなんて無理じゃない? それに、入れ替わってもすぐにバレるよ」

「もう答えが出たじゃありませんか? その二つの問題点を解消するのにうってつけの共犯者が犯人にはいたんですよ。AとBではなく、AとA。つまり、一卵性双生児の犯行だということです。付け加えるなら、片方はこの高校の生徒ではないと思います」

「は? 双子? ミステリーで出てきたら一番腹立つやつじゃん」

「そうですね。ですが、現実でやられたら厄介ですよ。神野先生、この高校に双子の生徒はいますか?」

「三年に湯本ゆもと兄弟がいるだけね。お察しの通り、出席番号は一番じゃないわ」

「出席番号は五十音順ですからね。犯人が双子トリックを使おうとするときに一番気にするのは双子であることを知られることでしょう。ミステリ小説でも、双子が出てきた瞬間に読者が双子トリックの可能性を疑いますよね? それと同じです。ですから、学外に双子のもう一人がいる可能性が高いと思いました。ただ教師の目を欺くとなると、学外にいるだけでは不十分です。同居していれば、家族構成くらいは教師はデータを保有していますからね。両親の離婚等で双子が離れ離れになっているケースが当てはまりそうです」


 双子トリックを使用した、という出発点からここまで推論を広げられるものなのか。丹恋は鼻水を垂らした小学生男子みたいに口を開けて、唄の推理を聞いていた。


「さあ、警察なら聞き込みをして特定することが可能でしょうけど、私達には捜査権なんてものは逆立ちしてもバク転しても手に入りません。この事件は双子トリック自体ではなく、どの生徒に双子がいるのかを突き止めることが難題なんですよ」


 黒髪を手櫛で梳きながら、唄が覇気も元気もないトーンで言う。

 どうやって突き止めろというのだ。猶予は三日しかない。片っ端から話を聞いているうちにタイムオーバーだ。


 ――もう、どうしたらいいの?


 泥水のような色をした雲が空に立ち込めているのが見えた。

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