泣きじゃくる友達
〝事件〟が起こったのは、正確に言うと、事件が起こったことに教師達が気づいたのは五月二十六日の朝だった。
しかし、生徒達には事件が起きたことは知らされることはなく、丹恋はいつもと変わらない学校生活を送っていた。
昼休み、丹恋は結莉、璃子と、最近体育の授業で仲良くなった
丹恋としては唄がここに加わってくれたら嬉しいのだが、誘ってもいつも断るので諦めている。
昨日さぁ、と未里が話し始めた。
「観たいドラマあったのにそんな時間なかったよ……。寝る前に
國山とはこのクラスの英語を担当している教師で、神経質そうな女性だった。微妙に感覚がずれているのか、その日のうちにやれというにはハードな課題を出したり、共感できないような発言がこれまでにもあり、昨日はまさにその災厄が降り掛かった。
「ワークを学校に忘れてさぁ、部活終わって電車乗ってところをわざわざ引き返したんだよー。学校に全然人がいなくて、夜の校舎まじで怖すぎた」
「部活けっこう遅かったのにそれから取りに行ったの?」
「だってさぁ、國山一つでも課題できなかったら成績がくんと落とすって評判じゃん? 私、指定校推薦欲しいから」
「なるほどね。でも、先生達ってそのぐらいの時間ならまだ残業してると思うんだけど、なんでいなかったんだろ」
未里と知可子は二人とも硬式テニス部だから、何時のことだったか知可子にはすぐにわかったのだろう。焼けた肌が眩しく光る知可子の疑問に結莉が答えを出した。
「昨日のバイト帰り、うちの先生達が繁華街の道で騒いでるの見たよ。あれは、飲み会だったんだろうなぁ」
「そういうことね。こっちには課題を出して、そっちはギャーギャー騒いでたってわけ? あー、ムカつく」
「ま、大人には大人の息抜きが必要ってことじゃない? 私は職場の飲み会とか参加したくないけど」
「わかるー。パパの話聞いてても、それ仕事じゃんって思っちゃう」
結莉が夜遅くまで働いているのは知っていた。高三になってから予備校に通うためのお金を自分で捻出しようとしているとのことだった。今どき珍しい苦学生と褒めそやすのは何か違うし、知ったときは丹恋はそうなんだと頷くだけだった。社会人が飲み会をする時間帯、それも酔っ払って歩いていたということは店をはしごしていたのだから夜もかなり深まっていただろう。そんな時間まで働いているなんて、やはり結莉は見た目の何倍も真面目だ。
「網野、ちょっといいか?」
遠山が丹恋達の席に近づいてきて、誰かを咎めるときのような強張った顔で未里を呼んだ。
皆、まずいという顔をした。さっきまで教師の文句を言っていたから、聞かれたと思ったのだ。
しかし、未里だけを呼ぶのは違和感があった。
「いいか、網野。食事中すまないが」
「はぁい、何ですかぁ?」
「教室の外で。な?」
遠山の声は小さかったが、丹恋達には聞こえてしまった。未里が何かやったのか、という勘ぐりは一瞬過ぎったが、未里の気の抜けた表情を見る限り彼女にも心当たりはないようだった。
気のせいだったか。もしくは、身内に何かあったか。
未里が午後の授業に出席しなかったことで、やはり身内に不幸があったんだと言葉にしないにしろ、クラスメイトにはそういう認識が生まれた。
その認識が間違っていたとわかったのは放課後だった。
保健室にいる唄に顔を出し、いつもと同じように家から持ち込んだものでくつろいでいるのを確認してから、廊下を歩いていたとき、階段の裏のスペースで女性がすすり泣く音が聞こえた。
はじめ、学校に出現するという幽霊を想像した。そんな階段や七不思議を丹恋は聞いたことがなかったが。
声を上げそうになったが、泣き声を聞けば聞くほど、現実の声に思えてならなかった。階段や壁のコンクリートに響く感じが、幽霊なんてか弱いものが出す声には思えなかった。
――まさに今、女の子が泣いている。もし、あそこから動けなくなってたら?
人目から逃れるようにあんな場所で泣いている可能性はあったが、それなら自分が責められればいい。
丹恋が階段裏を覗いてみると、そこには見知った女の子が体操座りして泣いていた。
「未里、どうしたのこんなところで? 怪我でもした?」
声に気づいた未里が褐色の両腕の中から頭を出すと、丹恋の方を向いてわっと泣き声を強めた。高校生もまだ子供なのだと思い出させるような、外聞を気にしないような、波打った泣き声だ。
丹恋は子供をあやすような口調になって話を聞くことにした。
そもそも、忌引だとしたら今は校舎の中にいない。つまり、未里は遠山に呼び出されてから今の今まで授業にも出席できない状況で校舎内に留め置かれていたのだ。何かあった。どうしてそんなことに?
心臓が体育測定で久しぶりに走らされたときみたいにどきどきしている。
自分が突っ込んで聞いて良いことなのかもわからない。しかし、丹恋の頭には未里の力になりたいという思いだけが心臓と同じリズムで脈打っていた。
嗚咽が落ち着くまで未里の背中を擦ると、鼻声で泣いている理由を語りだした。
呼吸も話の脈絡も乱れた〝理由〟を理解するには時間を要した。理解したとき、未里がピンチだというのに、うとうとしながら授業を受けていた自分を許せそうになかった。
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