第二章 盗まれた問題用紙

耳障りなサイレン

 桜日高校では、新入生へのフォローアップという名のもとに一年生にも三者面談がある。

 丹恋の面談の日程は八日前、五月十七日だったのだが、面談がスケジュール通りに開催されるのか、ずっとひやひやしていた。そして、心配はやや、的中した。五分だけ、母である真希まきが遅刻したのだ。

 寝坊ではもちろんなく、単に真希の仕事の都合だった。母は警察官だ。それも、警視庁捜査一課の刑事。

 所轄刑事時代からの母を見ているので、栄転が決まったときは自分のことのように嬉しかった。しかし、忙しさが普通ではなかった。娘の用事にはほとんど顔を出せなくなり、真希の手料理を最後に食べたのですらいつか思い出せない。仕事の重要性にケチをつける余地はなく、面談への遅刻も五分だけだし特に不満はなかった。

 テレビの画面には丹恋の好きなコントが映っていた。丹恋が興味があるというので、家から自分のコントライブDVDを持ってきたのだ。このコント芸人は賞レースでも評価が高く、トーク力はまずまずだが段々とバラエティ番組にもキャスティングされ始めている。

 彼らのネタに面談というシチュエーションで進行するコントがあり、何の捻りもなくこの前の面談について思い出した次第だった。


「面談いつ?」

「来週ですね。親は来ませんが」

「二者面談ってこと?」

「いえ、叔母が来るそうです。こういう学校の用事は今までも叔母が」


 何となく親近感のある話だ。丹恋の家庭の場合は、シングルマザーで近くに頼れるような親戚がいないから母の都合が悪いと誰も来てくれないのだが。

 唄に父親がいるのは知っている。母親も忙しいのだろうか。死別している可能性もあるから無神経に聞くのは止めた。


「遠山先生とはどんな話になりましたか?」

「私の場合は進路。あくまでふわっとだけどさ。もうすぐ、期末試験もあるし、希望の大学があるなら最初が肝心ですよって」

「ああ、それなら私は大丈夫ですね」


 心底ほっとした様子で言っているから嫌味ではないのだろうが、丹恋は少しイラッとして意地悪を言いたくなった。


「そっちは人間関係でしょーが。入学からふた月近く経ったのに私以外と仲良くなろうとしないし。結莉と璃子とも話してみてほしかったのにさぁ」

「だって……私は丹恋さんと話せればそれで」

「三年しかない高校時代なんだよ。私とだけじゃもったいないって」


 駄々を捏ねる唄に正論を説きながらも、丹恋は正攻法を試したところで唄に効果はないのではないかと思い始めていた。

 以前保健室に結莉と璃子を連れてきたとき、唄はずっと丹恋の背に隠れていた。丹恋のブレザーを掴みながら、


「ギャル怖い、ギャル怖い」


 と、怪談師か落語家のような言葉を囁き続けていた。幸い二人に聞かれることはなかったが、丹恋の頭に思い描いていた〝作戦〟は泡沫となった。

 結莉と璃子は嫌々ついてきたのではなく、唄にクラスメイトとして純粋な興味があったから足を運んだのだけれど、そんなに怯えられては逆に申し訳ないと言って、それ以降は一緒に保健室に来ることはなかった。

 どうしたものか。ああ、そうだ。


「探偵として活躍すれば、唄がどんなにコミュ障でも人は集まってくるんじゃない?」

「だとしても……嫌です」

「謎は積極的に解くべきじゃないって言ってたもんね。でもさ、私のときみたいに救われる人もいる。そんなに悪いこと?」

「……だとしても、です」


 唄は腕組みしてぶんぶんと首を横に振った。

 やはり探偵活動について唄は頑なに拒否する。丹恋を助けてくれたのは、厄介事に巻き込まれていることを察してしまった手前、見殺しにするのは良心が痛んだからなのか。たまたま気が向いたからなのか。

 もうすぐ、昼休みが終わる。ライブの続きは放課後に見ようと、空になった弁当箱をランチバッグに詰めていたときだ。

 天井近くの壁にあるスピーカーから耳障りなサイレンが鳴った。


 ――中学生のときにも聞いたことあるやつだ。ええっと、そうだ、避難訓練。


 サイレンが鳴り終わると、恐らく教師なのだろう男の声で地震が発生したため机の下に隠れるようアナウンスが流れた。少しして、全校生徒は校庭に整列するよう案内があった。


「こんな抜き打ちみたいに訓練あるんだ」

「予め日程が決まってるより効果がありそうですね」


 休み時間のうちから校庭にいた生徒――どういうわけか普段よりも人数が多い――をはじめとしてクラスごとに列ができ始めている。


「私も行かないと。唄は?」

「一応校庭には出ようかと」

「一応って何?」


 丹恋の純粋な疑問は口笛を吹く唄によってはぐらかされた。

 神野先生が保健室にいないから戸締まりをするべきかと思ったが、肝心の鍵の在り処を知らない。校庭に続々と生徒が集結しているし、戸締まりは諦めた方が良さそうだ。ランチバッグは一旦保健室に置いたままにして、二人は昇降口から校庭へと向かった。

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