モノローグ①

〈5048〉の悪意

 誰かが、言っていた。

 出会いによって、人は変わる。

 この言葉が、嫌いだ。

 なんて綺麗事なのだろう。出会った人によって、善が悪に染まることはある。しかし、悪が善に染まることがどれほど少ないことか。

 学校という名の虫籠は性善説という錯覚に囚われているがために、加害者を守り、被害者を見放す。加害者にも未来があるから、被害者は加害者を許せと繰り返し言う。受け入れられない方が器の小さい人間だとでも言わんばかりだ。

 全く、反吐が出る。

 一階のキッチンにある両開きの冷蔵庫から水出しコーヒーを取り出し、ガラスのコップになみなみ注いだ。これから頭脳労働だから、カフェインを摂取しておきたかった。

 自室に戻るときも、寝室にいる両親を起こさないように、息を潜めてゆっくりゆっくり階段を上がる。

 両親は自分が夜遅くまで起きていることは気づいているだろう。口出ししないのは、遅くまで授業の準備をしている真面目な子供だと思っているからだ。

 そんなことは学校にいる間に終わらせている。

 取るに足らない動画で時間を消費したわけでもない。

 ゲーミングチェアに座り、真横に向かって回転させれが、部屋の壁に寄せてあるホワイトボードが視界に現れる。

 小学生の頃から自分の思考をまとめるには、黙って熟考しているより、ざっと書き出す方が向いていた。脳内の思考が位置関係をもって把握しやすくなる。頭の中にしまっておくより、自分のものだという感じがした。

 ホワイトボードにはA1サイズの模造紙が貼られている。ホワイトボードに直接書きたかったが、両親に見られないようにするには毎回クリーナーで消す必要があるから、面倒だった。用が済んだら剥がして、クローゼットにあるプラスチック製の筒にしまっておく。必要になったら、また貼る。

 改めて見返すと、とても崇高なものにも、愚劣なものにも思えてくる。どちらにせよ、書いては消されを繰り返した模造紙にはもはや愛着すらある。時間と労力を注ぐと、どんなものにも擬似的な命が宿るのだろう。

 絶対に成功させる。愛情を注ぎ尽くした計画だ。きっと恩返しだと言って、守ってくれる。

 自分自身を安心させるように頷くと、机の抽斗の中からスマホを取り出した。

 校内で利用者の多い若者向けのSNS、Linkyy。読み方はリンキー。水色の可愛らしいデフォルメされた猿がアイコンになっている。タップして、マイページを開く。


〈5048〉


 アカウント名は四桁の数字だ。校内でその意味に気づく者はいない。

 さあ、一つ目の滴を落とそう。

 悪意の滴だ。

 一滴の悪意が、自分自身を救うと信じて。

 救いの傍らで誰かのはらわたが溢れていようとも。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る