モテ男の裏の顔

 備品室まで到着してから、丹恋は引き戸の上部についた小窓から中を見ようとしたが、内側から何かで覆われていて不可能だった。

 廊下でうろうろしていると、剣持どころか他の生徒にまで目撃されるリスクがある。丹恋は勢いに任せて、戸を開けた。

 部屋には引き戸側の壁以外の三方にスチールラックがあり、そこには開封された段ボールや文房具等が収まっていた。カーテンが引かれて日光の入らない部屋の様子がすぐにわかったのは照明が点いていたからで、恐らくスイッチを押したのだろう人物は丹恋から見て右側のラックに寄りかかっていた。

 澤田琢磨。新聞の写真と概ね変わらない顔だが、突然の開閉音と丹恋の登場に驚いたせいで間抜けに目を見開いている。彼自身が呼び寄せた相手だと気づくと、食物連鎖の頂点にいる生物のような自信に満ちた野性的な笑みを浮かべた。


「長慶寺さん、来てくれてありがとう」

「悪戯かと思ったんだけど」

「悪戯なわけない。俺は本気だ」

「本気って、話すの初めてだよね?」

「一目惚れした。体育の授業中、その綺麗な髪が風にたなびくのを見て、惹かれた」


 澤田がまっすぐ射抜くような瞳を丹恋に向ける。男らしい眉毛と筋の通った鼻梁が迫ってくる。


「つい昨日も告白されたばかりで……」

「付き合ってほしい。俺、大切にするから」


 いつの間にか澤田は距離を詰め、丹恋の両肩を力強く掴んだ。彼の掌の湿り気のある熱が伝わり、丹恋は一歩後ずさった。恋にかける情熱とは別のものを感じ取った気がしたから。

 目の前の男子は格好が良くて、誠実そうで、人気者なのに、警戒心を解くことができない。告白の言葉も、空虚に聞こえる。中二病を拗らせて書いたポエムのほうが、真に受けることができる。

 部屋に流れる空気は異質だ。掃除の行き届いていない公衆トイレみたいだった。臭いはしないが、嫌悪に満ちていた。


「あ、あああ、あの」


 背後からDJがスクラッチしたようにつっかえた女の子の声が聞こえた。聞き覚えのある、頼りないその声をどこかで丹恋は待っていたような気がした。

 澤田の手が肩から離れ、不機嫌そうに顔を顰めると背後の彼女に向かって怒鳴った。


「今がどういうタイミングか見りゃわかるだろ。邪魔すんなよ」

「わ、わかったから邪魔してるんです」


 丹恋が振り向くと、そこには震えを抑えようと両手をお腹のあたりで握り締めている剣持がいた。本当は逃げ出したいくらいに怯えているのだろう。

 前髪に隠れていない左目にだけ、怯えとは違う、逞しさが宿っているように思えた。


「どういうこと?」


 丹恋が剣持の耳に囁くと、剣持は「ひゃんっ」と艶めかしい声を上げた。


「別にいやらしいことしてないでしょ!」

「わ、私の耳がもうお嫁に行けない」

「耳だけ嫁に行く予定ないでしょ。もう、質問に答えてよ」


 訴えるような視線を丹恋に寄越したあと、剣持は溜息をついた。あなたといると調子が狂うんです、とぶつぶつ文句を言うと、左目で澤田を睨んだ。


「く、クソ野郎の悪行を校内に流布するべきかと思いまして」


 怯えながら喧嘩を売っている台詞に丹恋は思わず吹き出してしまった。笑いながら、澤田の顔を見ると、明らかに彼の表情は爽やかさとはかけ離れたものになっていた。これが、彼の本性なのだとしたら、彼女になる選択肢は絶対にない。


「お前、さっきから何なんだよ。何を根拠に悪行だとか言ってんだ」

「あ、あなたの告白が隣の保健室まで聞こえてきまして。そ、その中に推測を立てるのに充分な不可解ポイントがありました」


 不可解ポイント、とはどういうネーミングセンスなのだろう。

 聞き慣れない組み合わせの言葉に首を傾げながらも、丹恋は隣で語る剣持に釘付けになった。昨日、保健室でついた嘘を論理によって見抜かれたときは、畏れていた。しかし、今は目の前の少女と、子供の頃大好きだった変身ヒロインとが重なった。同世代の女の子に、こんな気持ちを抱いたのは初めてだった。

 いつの間にか剣持の色白で小さな手が、丹恋のブレザーの袖口を遠慮がちに摘んでいた。


「一つ目。あなたは体育の授業中の長慶寺さんに一目惚れをしたと言いましたね?」

「あ? それが何だよ」


 どういう訳か、剣持の口調は昨日と同じ淀みのないものに変わっていた。


「私が保健室で休んでいたとき、偶然聞いたのですが、廊下側の席に座るあなたと話すため、廊下に女子生徒の列ができたりするそうですね?」

「それが何だ?」

「廊下側に座っているのに、どうやって体育の授業を見ることができたのか、と思いまして」


 澤田は眉根を寄せて小悪党のように鼻を鳴らした。


「たまたま席を立つタイミングがあった。それだけだ」

「あなたが授業中の彼女を見ていないという根拠は他にもあります。あなたは綺麗な髪が風に靡くのを見たと言った。しかし、おかしいんですよ。たまたま保健室から授業の様子を見ていましたが、長慶寺さんは髪を頭の後ろに纏めていたんです。ドッジボールなんて激しい動きをするんですから、女子なら当たり前の行動です。つまり、揺れることはあっても、靡くことはない。これで、あなたの口説き文句は嘘だったとわかります」

「そうか、わかった。確かに俺は嘘をついた。だけどな、告白するときに多少ロマンティックな表現にしたって許されるだろ。お前に罵倒されるような行為じゃない」


 澤田は腕組みをして顎を上げ、どうにも腹の立つ角度で剣持を見下した。彼女を論破し、勝ち誇ったつもりなのだろう。確かに、彼の反論も尤もらしい。しかし、簡単に覆される論理で澤田に喧嘩を売るような真似はするようには丹恋には思えなかった。

 剣持は左目を丹恋に向け、


「長慶寺さん」

「えっ、何?」

「あなたは、つい昨日も告白されたばかりで、だなんて絶妙に腹の立つ発言をしましたね?」

「したけどさぁ、そんな言い方しなくて良くない?」

「もし、あなたが告白するタイミングでそれを言われたとしたら、なんて返しますか?」

「それは……先を越された、とか、付き合ったのかなとか気になるから、それを確かめるけど」

「だそうですよ。私も同意します。で、あなたは何て言いましたっけ? そんな言葉を意に介さず、付き合ってほしい、とだけ言いましたね。それだけ自信があった可能性もありますが、先ほどの虚言をふまえればダウトでしょう。つまり、あなたは、昨日の告白を断っていたのを知っていた」


 澤田は買っておいたデザートが冷蔵庫からなくなっていたみたいに口を開けた呆然とした顔で立ち尽くしていた。間が空いて、彼が反論しようとすると、剣持がつかさず、


「たまたま見て知っていた、とでも言いますか? スポーツ推薦のあなたは既にサッカー振の朝練、放課後練習に参加していますから、長慶寺さんとは登下校の時間が被りません。それとも、長慶寺さん、あなたは告白されたことを不特定多数に言いふらしたり、早朝や夜に出歩くタイプですか?」

「いや、そんなことしてない」

「そうですか。やはり澤田さんが知っているのはおかしいですね。なら、どのようにして長慶寺さんが昨日告白されたことを知ったのか。消去法を取れば自ずと答えは出ます。あなたは告白をした側からその事実を聞いた。単純な話です。しかし、その翌日に今度はあなたが告白をした。妙な話です。純粋な恋愛感情からした告白とは思えない。何のためなのか。考えたとき、あなたに常々抱いていた疑問と繋がりました」


 剣持は勝手に丹恋の右手を持ち上げ、人差し指を伸ばし、指先を澤田に向ける。


「ちょい、勝手に人の手を――」

「あなた、どうやってお金を稼いでるんです?」


 澤田の顔がさあっと青くなった。告白の嘘を見抜かれたときよりも、深いところで動揺している。

 お金と嘘だらけの告白。いったい、どう繋がるのだろう。丹恋なりに考えを巡らせてみるものの、それらしい結論が出なかった。


「地元紙であなたが取材されている記事を目にしたことがあるんですが、スパイクが毎回違うんですよ。どれも新しく買い替えているようで。あなたがつけている腕時計も高校生が簡単に手の出せるブランドじゃない。あなたの実家がそれほど裕福ではないことは失礼ですが推察できますし、スポンサーがつくのはプロになってからですよね」

「それは、バイトを」

「部活に明け暮れているのに、そんな時間ありますか? となれば、あなたは時間をかけずに稼ぐ手段を手に入れているんじゃないかと思った次第です」


 唾を飲み込む音が備品室に響いた。澤田の顔の青さはより深みを増し、卒倒するのではないかと心配になるほどだ。そして、それは真実に近づいている証拠でもある。


「不自然極まりない告白と合わせて考えると、一つの仮説が立てられます。あなたは自分の人気を利用し、依頼を元に女子と交際、その後は依頼者の得になるような行為をする。見返りに金銭が発生するということは、まぁ、恐らくは相当にプライベートな画像とか。事実なら、まあ一発で退学処分、刑事事件にも発展するかもしれません。既に被害者がいるでしょうから、警察が捜査すれば証言者は見つかるはずです」


 プライベートな画像の意味がわかったとき、ドス黒い感情が湧いてきた。


「最っ低、死んで」


 するりと剥き出しの言葉が口から滑り出た。誰かに直接死ねなんて言う人間にはならないと思っていたのに、澤田の卑劣さがどうしても許せなかった。

 澤田は俯き、肩を震わせている。俯いていても、丹恋からはその顔が見えた。顔のパーツが一致団結して中央に寄り、青かった顔はリトマス試験紙みたいに赤に変わっている。恥ずかしさ、ではなさそうだ。だとすれば……。


 ――やば、刺激し過ぎた。


 丹恋は剣持をさっと自分の後ろに隠して、巨大異星人のように手を構え、足を縦にぐっと開いた。


「調子乗んなよ、お前ら。何もチクれなくなるくらいてめぇらの顔面ボコボコにしてやるよ」


 筋が張り、醜く顔を歪めた澤田が拳を振り上げ、丹恋達に向かってくる。

 サッカー部でも人に暴力をふるうときは手を使うんだ、なんて緊迫感のないことを思いながら、丹恋は澤田の拳より外に向かって距離を詰めた。

 鈍い音と、唾まじりの呼気が澤田から生じた。

 澤田は仰向けで地面に伸びている。焦点の合わない両目からして、気絶したらしい。

 頭は打たないようにしたし、死んでないよね? そっと脈を測ると、澤田はしっかり生きていた。

 ずるずる引き摺って、澤田を棚に縛り付けたところで、丹恋はふうと息をついた。


「え?」


 私はドン引きしています、と表明しているような顔で剣持がこちらを見る。


「……その筋の人だったんですか?」

「いや、どの筋!? こんなか弱い女子に何を言うか」

「運動部の男子をのしたのに?」

「それは、まあ、この人が激弱だっただけじゃない?」

「いや、体捌きが絶対に素人のそれじゃなかったです。何らかの武道経験者に違いありません」

「あのー、このことは黙っていてもらえると……。さすがに入学早々、怪力キャラにはなりたくないというか」

「大丈夫ですよ。話す友人もいないので」

「なんか、ごめん」


 別にいいです、とつんとした態度で剣持は言うと、未だに気絶している澤田の制服のポケットの中を探し始めた。


「何してるの?」

「スマホを探してるんです。顔認証か指紋認証が使えるなら、気絶してる今が証拠を残しておくチャンスなので」

「そっちこそ、なんか慣れてない?」

「こんなの初めてに決まってます。努めて冷静に対処してるだけです」


 剣持は丹恋に背を向けたまま、澤田の胸ポケットからスマホを見つけ、澤田の親指でロックを解除した。背後から丹恋が覗くと、画像フォルダに自分と同年代の女の子の裸の画像が百近くあった。女の子が自分で撮ったもの、誰かに撮られたもの。女の子は恥ずかしそうな顔をしながらも、嫌がってはいなかった。画像を見る人が自分を裏切ることはないと、信じていたのだろう。

 丹恋は澤田の頬を思い切り平手打ちした。んぐ、と澤田は寝言のように呻いたが、目を開けることはなかった。


「バイオレンスですね」

「だって、ムカつくじゃん。誰かの好きな気持ち利用して、金にして」

「暴力は所詮一時的なものです。本当にダメージを与えたいときは、正統な手順を踏むか、殺してしまうのか。この国では原則殺人は裁かれますから、前者を選択するしかない。というわけで、この卑劣な人の処罰について理事長に話してきます」

「理事長って、まずは職員室じゃないの?」

「トップに伝わるまでに人が関与すればするほど、穏便に収めようとする悪しき日本人が介入する確率が上がりますからね。彼をこの高校から排するにはその方が手っ取り早いんです」

「でも、そんな気軽に会えるもの? 校長ならまだわかるけど」

「大丈夫です。父の知り合いなので」


 剣持は淡々と言うと、スマホを片手にして猫背気味に備品室を出て行った。取り残された丹恋は澤田が逃げ出さないよう見張るほかなかった。

 十分くらい経って、いつまで見張っていればいいんだろう、と溜息をついたとき、遠山と体育科の武野たけのが備品室に現れた。

 相撲部屋の親方のような体格の武野が澤田の顔面を何度か平手打ちして目を覚まさせた。


「おい、起きろ」

「武野、先生? そうだ、俺、そこの女に暴力を」

「もうお前はこの学校の生徒じゃねえ。退学処分が決まった。チッ、面倒事を増やすんじゃねえよ」


 武野の言い草が丹恋は気に入らなかったが、こういうタイプの大人は正面からぶつかるとろくなことにならないと口を噤むことにした。

 武野が澤田の首根っこを掴んで備品室を出て行ったあと、遠山が丹恋に声を掛けた。


「怪我はしてないんだろ?」

「まあ、はい」

「無事で良かったよ。合気道の黒帯はやっぱり違うな」

「ど、どうしてそれを?」

「内申書に書いてあった」

「あー、なるほど……そういえば、あいつの退学処分決まるの早くないですか?」

「理事長が校長に、早急に対応するよう指示したんだ。澤田のご両親にも既に話は行ってる。警察に通報するかはさすがに未定だけどな」

「剣持さんって何者なんですか?」

「お前と同じ生徒だよ。ちょっと特別だけどな」

「特別って?」

「それは、本人の口から聞いてみろよ。神野先生言ってたぞ。長慶寺には剣持は心を開くかもしれないって」


 あの先生口軽いな、と苦笑しながら丹恋は剣持のことを思い浮かべていた。

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