モテキとラブレター

 まだ数時間しか経っていないのに、丹恋の右腕は筋肉痛で悲鳴を上げていた。

 受験勉強で極限まで弱体化した肉体を酷使すると、こうなるのか。運動部に所属するつもりはなかったが、個人的に軽く筋トレくらいはしないとさすがにまずいか、と背中と胸の間にある筋肉を揉みながら考えていた。

 結莉と璃子は部活の見学に行くとかで、今日も一緒に下校はできなかった。丹恋は独りで二階の昇降口にある下駄箱まで来て、不意に体育の授業中にグラウンドから保健室が見えたときに剣持のことが頭に浮かんだのを思い出した。昨日の一件があってから、彼女のことを思い出すと、自分の情けなさを思い出してしまう。

 自分は望んで会いに行ったわけではないことまで見透かされていたから、反論の余地すらなかった。

 なんだかなぁ。溜息が漏れる。

 一年二組二十七番の蓋を上げると、入学に合わせて買ったFILAのスニーカーが見えた。百五十五センチある背丈より少し高い下駄箱の一番上が丹恋に与えられている場所なので、スニーカーを入れるのも一苦労だ。

 スニーカーを取り出そうと手を伸ばしたとき、何かが手にぶつかった。一瞬、入学早々靴に悪戯を仕掛けられたのかと思ったが、感触からしてそうではないようだ。これは……紙?

 まさか、悪口が書かれた手紙? いやでも、校内でそんなに目立った行動はしていないし。

 丹恋は恐る恐るそいつを手に取った。

 見れば、シンプルな白の封筒。予感が的中してしまった。

 どんな罵詈雑言が書かれているのか。いっそのこと受けて立ってやろう。丹恋はなぜか好戦的になって、封筒から便箋を取り出した。


『長慶寺さん、突然手紙を送ったりしてごめんなさい。この手紙を書いたのにはわけがあります。僕はあなたを好きになってしまったんです。今日の放課後、備品室で待ってます。一年四組 澤田さわだ琢磨たくま


 これは、恋文とかラブレターとかいう都市伝説じゃないか? しかも、この澤田という男子を丹恋は知っていた。彼はこの学校にサッカー推薦で入っていて、地元の新聞でも期待の新星として紹介されていた。いつもピカピカのスパイクを履き、華麗なドリブルでディフェンダーを躱しまくる。実家は小さな寿司屋だとかなんとか。外見も爽やかで、中学時代はさぞやモテただろう。既に桜日高校でも澤田と話そうと廊下に短い列ができていたという噂も小耳に挟んだ。

 でも、どうして自分に手紙が? この人とは話すどころか、会ったこともないのに。

 璃子のモテキという言葉が過る。

 いやいやいやいや。高校生になって、髪を染めてメイクを覚えたとして、会ったこともない相手からラブレターを投函されるほど可愛くないはずだ、と丹恋は自己評価していた。澤田の名前を騙った悪戯だろうか?

 だけど、このまま手紙の存在を無視して帰宅するのも良くないか。ひとまず、備品室に顔を出して……あれ? 確か、そこって。

 脳内の校内マップを広げて確認すると、やはり備品室は保健室の隣にあった。昨日突然敷居の高くなった場所のすぐ隣に行くのは気が引ける。

 悩んでいると、あまり話したことのないクラスメイト女子の数人のグループが見えた。悪いことをしているわけでもないのに、丹恋の頭には手に持ったラブレターを彼女達から隠すことで一杯になった。ラブレターを下駄箱に戻し蓋をしたせいで、スニーカーを取り出せなくなったことに気づいた。


「長慶寺さん、どうしたの?」

「あー、教室に忘れ物したって気づいて、今から引き返すとこ」

「そっかぁ、じゃあまた明日ねー」

「うん。また明日」


 嘘がバレないように廊下を教室のある方向に歩きつつ、彼女達が昇降口からいなくなるのを待ってみたものの、なんとも邪魔になる位置で待合室で出会したお婆ちゃん達のように喋り続けている。

 これは、帰るなということなのか。

 丹恋は占いや一期一会、因果応報のような運命の絡んだ言葉を信じるタイプだった。丹恋は長く息を吐いたあと、廊下を進み、彼女達から見えない位置にある廊下奥の階段から一階に降りた。

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