フィオナの太刀筋
「おはようエイデン君」
「おーすエイデン」
「くははははは! 僕は! あれから! 教科書を丸暗記してきたんだ! これで君には後れを取らない! 六×六=リリア先生!」
廊下を歩いていると、すれ違う同級生が当たり前のように挨拶してくる。
風紀委員と乱闘騒ぎを起こして以降、クラスメイトは俺にやたらと馴れ馴れしい。
一人だけノイローゼに陥ってる輩がいるようだが、あの眼鏡は放っておいても大丈夫な問題児であろう。
下心が漏れてるしな。あれで復讐鬼は務まるまい。
引き戸を開け、E組の教室に入る。
昨日と同じ席に座って、頬杖をつく。窓の外は快晴だ。
「おはよおエイデン君」
隣の席に、気弱そうな女子生徒が腰を下ろす。
入学当初は怖がって目も合わせようとしなかった少女。それが今では、恐る恐るといった様子ではあるが挨拶してくるようになった。
俺がフィオナのために暴れた、あの昼休みから。
「ああ」
右手を軽く上げ、雑な返事をする。
ただそれだけの関係だ。「おはよお」と「ああ」ではコミュニケーションとすら言えない。
けれど怯えた視線を送られるだけだった昨日に比べれば、格段の進歩と言えるかもしれない。
……進歩か?
十代の小娘に話しかけられるようになったとして、それがなんだ?
クラスの連中と慣れ合うことが、世界の崩壊を防ぐことに繋がるとはとても思えない。
(だが、あの蝙蝠の予言は百発百中だったのだ)
俺は疑問を抱えたまま、午前中の授業をこなした。
再び教科書の間違いを訂正し、新理論を黒板に書き込んでリリアを喜ばせ、ますますおかしくなっていく眼鏡をクラスの連中がなだめる。
これが俺の新しい日常。こんな毎日が、これから三年間続く。
「はーい。今日の魔法体育は剣術実技ですよー」
例の肉感的な体育教師に率いられて、E組一同は体育館に向かっていた。
昼飯を食い終わってすぐに運動というのはスケジュール的にどうなのかと思ったが、
「食後すぐに動くトレーニングも兼ねてるのよ」
と言われたので、そういうものかと納得する。
妙なところだけ実戦的な学校である。
それなら服装も体育着ではなく甲冑にすればいいものを、と思うのは俺だけだろうか?
どう考えても俺に白い運動着は似合っていないのである。
「今日は医療課全体の合同授業なので、皆さん張り切ってチャンバラしちゃってくださいね。クラス対抗戦ですよぉ」
うちはエイデンがいるから大丈夫だろ、と声が上がる。
やっとこいつらもわかってきたようだな、と俺は頷く。
「でもよぉ、B組には宮廷剣術の使い手がいるらしいじゃねえか」
「A組はエイデンの姉ちゃんが凄いらしいからなぁ。まさかの姉弟対決もあるかもな」
確かにフィオナは俺が直々に剣技を指導してやったので、それなりの腕に育っている。
この学校の剣術がどの程度のレベルかはわからないが、そうそう後れを取ることはないはずだ。
……まあ、俺の本領は魔術師であって剣士ではないから、達人の域に達しているわけではないのだが。
よもや剣術まで衰退しているなどということはあるまいな?
そんな風に勘ぐっているうちに、俺達は体育館に到着していた。
天井が高く、壁は魔法防御を施した素材で作られているように見受ける。
ただの教育施設にしては、いささか過剰な防衛能力であろう。
窓の外を見ると、建物の周辺を囲むように水が広がっている。
堀があるのだ。
館内に食料を詰め込めば、数ヶ月は籠城できるのではないだろうか。
――この学校、戦を想定して建造されている?
預言の年が訪れたら、学院が前線基地として機能するようにしたのかもしれない。
あれこれと推測していると、笛の音が鳴った。
「はーいみなさーん。注目、ちゅうもーく」
体育教師が笛を吹き、生徒達の注意を引く。
俺達は体育館の脇に整列し、男女に分かれて座る。
背の順で並ぶ決まりだそうなので、俺は後ろから二番目だ。
「先生はこれから木剣を取りに行きますから、そのまま待機しててくださいね」
パタパタと走り去る教師を目で追っていると、視界の端にフィオナの姿を見つけた。
A組の生徒は俺達とは直角になる位置に集まっているようだ。
フィオナはあのクラスで最も背の高い女子らしく、列の最後尾で三角座りをしている。
「……顔色が冴えないな」
今日もまた、休み時間にモナから妙なアプローチを受けていたりするのだろうか?
模擬戦で対戦相手を思いっきり打ちのめせば、少しはスッキリするかもしれない。
その対戦相手がモナだとなおさらスッキリするかもしれない。
そんなことを考えているうちに、A組とB組の生徒はパラパラと立ち上がり始めた。
既に木剣が配られており、これからペアを作る作業に入るらしい。
無論、そのペアはこれから激しく剣を交えることとなる。
フィオナは黒髪の女子生徒と向き合うと、一礼して剣を構えた。
これが今日の第一試合だ。
しかも美少女同士の対決となると、注目が集まるのも無理はない。
館内中の視線が、二人の少女剣士に注がれる。
やがてA組担当の体育教師が近付き、旗を振って「はじめ!」と叫んだ。
同時に、フィオナは風の速さで斬りかかる。
「やあああーっ!」
気合一閃、上段に構えた剣が刹那の速さで振り下ろされる。
身長差を生かした、堂々たる一撃だ。あれをまともにいなせる女子は未だ見たことがない。
「あうっ!」
フィオナの対戦相手は木剣を叩き割られ、背中から倒れ込んだ。
相変わらず容赦がない。これが真剣だったなら、対戦相手は脳天を叩き割られていたことだろう。
……だが、剣筋に焦りが見えるのは気になるところだ。
フィオナの腕を考えれば、もっと負担の少ない技で試合を決められたはずだが。
もしやフィオナは、本調子ではない?
あれは短期戦で終わらせたがっているがゆえの技運びなのだろうか。
風邪でもこじらせたのか? と観察を続けていると、体育教師がズルズルと箱を引きずって戻って来た。中には無数の木剣が収まっている。
「はーい、お待ちかねの剣ですよー」
E組の生徒は群がるように箱に集まり、それぞれの手に合った剣を探しに行く。
俺も自分の得物を受け取るべく、ゆっくりと腰を上げたのだった。
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