フィオナの隠し事
翌朝目を覚ますと、フィオナの姿が見当たらないことに気付いた。
ベッド脇のサイドテーブルには、
『先に登校します。朝ごはんはキッチンに置いてあるからね』
という書き置き。
確かにフィオナは早起きな方だが、それにしたって早すぎる。
調理時間も考えると、夜明け前に起きたのではないだろうか?
(ふん、俺に見せたくないものでもあるのか)
おそらく下駄箱の手紙関連であろうな、と目星をつける。
これは本格的に探らねばなるまい。
俺は身支度を済ませると、大口を開けて朝食にかじりついた。
時間がもったいない。さっさと行かなくては。
最後の食パンを口にくわえ、猛牛の如き勢いで外に出る。
医療課クラスのある棟はここから歩いて五分、走れば二分、飛べば三十秒の距離にある。
「飛ぶか」
またルークがごちゃごちゃ言ってきたらぶっ飛ばせばいいしな、とそれこそ暴れ牛レベルな思考を繰り広げつつ飛び上がる。
ボボボボ、と背中から火を噴き出しての登校。
いくらなんでも空中で女子生徒と衝突することなどあるまい、と昨夜のフィオナの発言を思い返す。
――いいエイデン? 絶対に食パンをくわえながら登校しちゃ駄目。そういうことをしたら遅刻しそうな女子とぶつかって、その子が彼女になっちゃうんだからね。お姉ちゃんとの約束だからね。
それはあくまで陸路の話であって、空路とは無縁のことだ。というか俺の人生は元々女とあまり縁がない。
「……」
前世の不毛な青春を思い出していると、前方から「遅刻遅刻~」という甲高い叫びが聞こえてきた。
意識を現実に引き戻し、視線を前に向ける。
一人の女子生徒が、こちらに向かって突っ込んで来るのが見えた。
茶色い髪を二つ結いにした、気弱そうな少女である。
この学校の制服を着込んでおり、襟元には医療課一年A組の証。
そう。
俺以外にも、空を飛んでいる女子生徒がいたのだ。しかも軌道を見る限り、間違いなくぶつかる。
「……フィオナは予言者か何かなのか」
それとも女の勘というやつだろうか?
唖然としたままホバリングしていると、ツインテールの女子生徒は真正面から俺と衝突した。
「きゃあっ!」
直撃した拍子に、少女の懐からバサバサと紙きれが落ちた。
ひらひらと降下していく無数の長方形は、俺の目には大量の手紙に見える。
魔法で視力を強化し、書かれている内容を読み取る。
「……拝啓フィオナ・フォーリーお姉様……どうか一度でいいからお胸に触らせてください。貴方の鼓動を確かめたいのです。体温を感じさせてほしいのです。お姉様の体に興味があります……」
読んでるだけで頭が痛くなるような、危険極まりない恋文であった。
なんだこれは?
完全に現行犯ではないか。女同士だからって越えてはならない一線があるだろうに。
俺は目の前でオロオロしている、背徳のツインテール少女を観察する。
可愛らしい顔をして、一体どれだけの闇を内包しているのだこやつは。
「嘘……私以外にも飛べる一年生がいるなんて……!?」
「この程度の魔法、産まれた時から使っていたがな」
「くっ!」
茶色いお下げをなびかせ、少女は逆方向へ飛び去ろうとする。
が、それを黙って見逃す俺ではない。
ボッ!
と空気を叩きつける感触があったかと思うと、次の瞬間には少女を追い抜いていた。
「嘘……速い!?」
続いて噴射の方向を調整し、横にエネルギーを放出。
慣性を無視した軌道で直角に曲がり、少女の正面に回り込む。
「どうした? 止まって見えるぞ」
「そんなぁ……っ」
俺と少女は、ホバリングした状態で向かい合う。
「さて。お前には色々と聞きたいことが……ある……のだが……」
台詞が途中で途切れてしまったのは、会話中に落下していく少女を目で追っているせいである。
「きゃああああああああ!」
「おいどこへ行く?」
……死にそうな顔をしているところを見るに、演技ではないようだ。
どうやらあのお下げ髪、魔力を使い切ってしまったらしい。
スカートの中身を丸出しにして、真っ逆さまに落下している。
このままいけば地面に頭を打ち付け、即死は免れない。
「事情聴取せねばならんしな」
俺は頭を下に向けると、急発進して少女の確保に入った。
本気を出した俺の飛行速度は、あらゆる物質より速い。追いつけないはずがない。
「――ふっ」
細い体を、両手でしっかりと捕まえる。
フィオナが「お姫様抱っこ」と喚いた態勢でのキャッチだが、まあこの娘が騒ぐことはないだろう。
男子に興味がなさそうだしな。
「えっ!? こ、これ、お姫様抱っこ……!?」
「なんだ赤くなるのか。男に興味があるのか?」
これと似たような質問を生徒会長にされた気がするな、と妙な感想を抱きながら高度を上げる。
他人に聞かれたくない話をするのなら、空中は最適の場所である。
「放してくださいっ! 遅れちゃいます!」
「それが命の恩人に対する言葉か?」
「……顔近いんですけど……」
そう露骨に照れると、こっちまで調子が狂うのでやめてもらいたいのだがな。
この娘、よほど男に免疫がないと見える。
「とりあえずいくつか質問がある。全て答えるまではお前を地上に下ろしてやれんな」
「そんな……っ」
「名はなんという?」
少女はしばらく唇を噛んでいたが、やがて観念したような顔で口を開いた。
「モナ……。モナ・リバノスです」
このあたりの名字ではないので、遠方の出身ということになる。
田舎からやってきたクラスメイト、ツインテール、大量の恋文。
やはりこいつがフィオナを困らせている人物で確定だ。
「モナか。属性は闇か? 長時間の飛行に耐えられないとなると、重力制御系の術式を用いたのだろう」
「……よくわかりますね」
闇属性は始めのうちこそ重力、幻覚といった方面の魔法を習得するのだが、いずれ己の内面の闇と向き合うような能力に目覚めていく。
本質的には、芸術や心理学といった分野を司る属性だ。
現代では強力な属性と勘違いされているようだが、実際はあまり戦闘向きではないと言える。
「これに懲りたら飛ぼうなどとは思わないことだな。お前の属性で自由飛行は無理だ」
「あ、貴方一体何者なんですか?」
「エイデン・フォーリー。お前が執着しているフィオナの弟だ」
「……おね……フィオナさんの……!?」
「今お姉様と言いかけたな?」
「……」
クロだな。
確信を抱きながら俺は質問を続ける。
「お前、姉さんのことが好きなのか?」
「……友達として……」
「嘘をつけ。どう考えても友情以上の感情を抱いてるではないか」
「嘘じゃないです! 私とフィオナさんは本当の本当にお友達なんですから!」
涙目で反論される。
まあいい。そういうことにしておこう。
「あまり姉さんを困らせるなよ? お前の手紙、少々負担になっているようだからな」
「……そんなこと……百も承知ですし……」
「自覚があるのにこんな真似をしているのか。一番厄介な犯罪者だぞそれは」
モナを抱えながら、医療課棟へと向かう。
この少女はあらゆる部位がフィオナより二回りほど小さいので、運びやすいといえば運びやすい。
「これに懲りたなら以後は慎むことだな」
「……そ、そんなんじゃないですし……私とフィオナさんは仲良しですし……」
到着だ。
俺は高度を少しずつ下げ、昇降口前に降りる。
周囲は当然、登校中の生徒でいっぱいだ。
「エイデンが女連れで登校してる!?」
「朝から一緒ってことは、まさかあの子を自分の部屋にお泊りさせたのか?」
「やべえよ……股間まで火属性だわあいつ……エイデン山が大噴火じゃねえか……」
今まで以上に畏怖の目を向けてくるようになったクラスメイトを適当にやり過ごしつつ、俺は下駄箱を目指して足を進める。
ついでにフィオナの下駄箱を観察してみところ、手紙の類はほとんど入っていないようだった。
「ふむ」
早めに登校して、処分したのかもしれない。
あれも苦労が続いているようだ。弟として、放課後になったら少々労ってやらんとな。
そんなことを考えながら、俺は教室へと足を進める。
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