ホットティーチャーリリア

 首の後ろを抑えながら、早足で通路を歩く。

 特にどこかを痛めたわけではないが、これは俺の癖みたいなものである。

 なんとなくだが、出生直後に座ってない首を傾げてゴキリとやった後遺症な気がしないでもない。


 深刻な健康被害はないのだが、暇な時に後ろ首をさするのが習慣になってしまっているのだ。

 

「首痛めてる系主人公」などとフィオナに揶揄されたことがあったが、その単語の意味するところはよくわからない。

 なんでも「エイデンみたいな黒髪ツンツンヘアーで目つきが悪くてでもよく見ると格好良くて朴念仁でいつも首押さえてる男の子はやたら女の子が寄ってくるんだから! お姉ちゃんは知ってるんだから!」だそうだ。

 要するに、フィオナは弟離れができていないのである。


 やれやれ。俺が女生徒会長に勧誘されたと知ったら、どんな反応をしてくるのやら。

 姉というのは、まことに難儀な生き物よ……。

 ため息をつきながら廊下に出ると、そのフィオナが壁に背を預けて立っていた。


 見ればあの姉、俺と同じように首のあたりをさすっている。

 血の繋がりとは実に不思議である、何気ない動作が妙に似通ってくるのだ。


「先に試合を済ませたのか」

「……あ、エイデン」


 フィオナは首元から手を離すと、ぱっと笑顔を浮かべた。

 飛び跳ねるようにして駆け寄ってくる様子は、まるで飼い主を見つけた犬のようだ。


「魔力量4万って言われた。女子の最高値更新だってさ!」

「やるではないか。姉さんは並の人間にしては素質がある方だからな」


 フィオナは「ほんと?」と言いながら俺に抱き着きこうとして、すんでのところで踏みとどまった。

 さすがに校内ということもあって、過剰なスキンシップは遠慮しているのかもしれない。


「エイデンの対戦相手って風紀委員の人だっけ。なんか焦げ臭い匂いしてきたけど……大丈夫?」

「問題ない」


 あいつは無傷にしておいた、、、、、、と返す。


「姉さんの対戦相手はどんなやつだったんだ?」

「……綺麗な女の子だった。どうにか勝てた……のかな? でも水属性だから医療科って言われちゃった。戦うのには向いてないんだってさ」


 馬鹿馬鹿しい。

 どこまで物を知らないのか、この学院の者どもは。

 水属性はきちんと鍛えれば、攻守ともにバランスの取れたサポーターに育つのだが。

 これは少々、手荒な内部改革をしてやる必要がありそうだ。

 

「まあいい。俺も医療科だ」

「そうなの? 一緒だね! 何クラス?」

「E」

「……え?」


 フィオナは怪訝そうに首を傾げる。


「私、Aクラスって言われた」


 医療科Eクラスの弟と、医療科Aクラスの姉。

 それが意味するところは――


「――私、抗議してくる」


 絶対私よりエイデンの方が優秀なのに、と息巻くフィオナをなだめる。


「気にするな。どうせ俺の目的は勉学でないのだから、どうでもいいことだ」

「でも……エイデンの凄さがちゃんと評価されないなんておかしいよ。こんなの間違ってる」


 俺はとしてはゼノン同性愛者説の方が遥かにおかしくて間違ってると思うので、エイデンとしての評価がどうなろうが眼中にない、が本音なのだった。

 こんな邪説は一刻も早くこの世から消してやりたいのだが、さてどうしたものか。


 もうこんな世界は滅ぼしてしまえ的な思考さえ湧いてくるが、それでは俺こそが恐怖の予言で名指しされた破壊者だった、というオチがついてしまう。


 ……俺らしくもない。

 今何をなすべきか考えて、頭を冷やすとしよう。

 頭を振って、思考を整理する。


 ・生徒会長にスカウトされた。予言についても問いただす必要がある。

 ・番号札を受け取れという指示があった。


 そうだ、番号札。一体どこにあるのだ?

 アーティファクトの音声に従って出口まで来たというのに、それらしきものは見当たらない。

 まさか手違いではあるまいな? と眉根を寄せたとことで、闘技場の方から一匹の蝙蝠が飛んで来るのが見えた。


 リリアだった。


 小柄な蝙蝠は天井付近で人化すると、音もなく着地した。

 

「……ん」


 ずい、と差し出してきた両手には、二枚の番号札。

 片方は「医療科A組17番」と書かれており、もう片方は「医療科E組19番」と書かれている。

 俺とフィオナはそれぞれの札を受け取ると、ポケットにしまった。


「クラス分けはこれで済んだのか?」

「……ん」


 リリアは小さく頷く。動きに合わせて、銀色の髪が揺れる。

 何を考えているのか知らないが、以前よりもさらに不愛想になったようだ。


「俺達はこの後どうすればいい」

「……他の新入生の魔力測定と適性検査が終わるまで、数日かかる。入学式までは自由時間。寮で寝たり、校内を見学したりすればいい」

「要するに適当に暇を潰せということか」


 なら生徒会長に話を聞きに行く時間もありそうだな……とピンク髪の上級生の顔を思い返していると、リリアが音もなく俺の右手を取った。


「?」


 さらさらとした女の肌の感触が、急速に俺の意識を現実に引き戻す。

 この童顔教師、男子生徒の手を握って何をするつもりだ?

 視線を手元に向けると、身長差のせいかリリアの胸元が視界に入った。

 白い鎖骨と、谷間の始まりがくっきりと見える。


 ……教職者にしては露出の多い服装だ。

 肩が出ているだけでなく、襟元が大きく開いている。

 かがんだら中身が見えてしまうかもしれない。


 どことなく無防備なところがあるし、無自覚に生徒を勘違いさせているのではないか? などと考えていると。

 ……いると。


「リリア? ……リリア先生? 何を考えてる?」


 この教師、どうして俺の手を自らの胸に持っていく? 

 このままでは手が触れるどころか、押し潰すような形に――


「!?」


 ふにん、という手触り。

 ――言わんこっちゃない、と声にならない声で叫ぶ。


 俺の手のひらは、懸念した通りリリアの乳房に当たっていた。

 いや当たるを通り越し、揉んで押してさすると形容すべき動きをさせられていた。

 ……幼児体型かと思っていたが、存外に女の形をしているようだ。


「何を考えているのだお前は……? 生徒に乳を揉ませる教師など、前世でも聞いたことがないぞ……?」


 俺は慌てて手を離し、フィオナはもはや失神寸前となり、リリアは一人でふんふんと納得している。


「……ちゃんと動揺してる。貴方、女性に興味があるのね?」

「あ、当たり前だ。俺をなんだと思っている」

「……同性愛者じゃ、ない?」

「もしやそれを確かめたかったのか?」

 

 リリアの紅い瞳は、今や爛々と輝いている。生きる理由を取り戻した、といった感じに。


「……エイデン・フォーリー。貴方は姿を変えて帰ってきた、ゼノン様。しかも女の子に興味がある普通の男子。合ってる?」

「う、うむ。理解したならいい。主を探し求めるのは使い魔の生態であるからな。先ほどの無礼は不問といたす」

「……私はまだ貴方の使い魔じゃない。契約を済ませてない」

「む、それもそうか。ならここで主従の議を執り行うか?」

「……主と認めるには、それなりの対価が要る」

「ほう?」


 蝙蝠の分際で、俺に何を望むというのか。

 無欲な顔して案外計算高いではないか? と警戒態勢に入る。


「言え、蝙蝠。お前は何と引き換えに使い魔になるのだ。富か? 魔力か? 寿命か?」

「童貞」


 俺の聞き間違いか? と聞き返す。


「……私、エイデンの童貞が欲しい。それさえ貰えたら、貴方の使い魔になる」


 リリアは下唇に人差し指を当て、ねだるような顔を作る。

 幼い顔立ちのくせに、表情一つでこうも淫靡になるとは。

 これだから女は魔物なのだ……!

 いや女のことなど何もわからぬのだが……!

 

「お、お前は自分が何を言ってるのか理解してるのか?」


 一体どうしてこの惨状でフィオナが怒らないのかと不思議でならないが、よく見ると壁にもたれかかるようにして失神していた。

 この地獄絵図、ブラコン少女には刺激が強すぎたらしい。


「……校内で何かあったら、すぐ呼んで。教師の権限で、大概のことは揉み潰せる……」

「今聞き捨てならぬことを口走らなかったか?」

「……私はこれから職員会議があるから、もう行く」


 とことこと歩き去っていく小さな後ろ姿を目で追いながら、フィオナを背負った。

 これは目を覚ましたら面倒なことになるぞ、とため息を吐きつつ足を動かす。

 向かう先は俺達の寮だ。



 未だ気絶したままのフィオナを背中に担ぎながら、廊下を進む。

 柔らかな二つの膨らみが、肩甲骨に当たって押しつぶされているのがわかる。


 同年代の女子の平均を遥かに超える大きさだが、これで心を動かされることはない。

 なぜならフィオナは、血の繋がった実の姉。

 女に免疫のない俺でも、肉親であればなんとも思わないから不思議だ。


 俺は首を後ろに動かし、すぅすぅと寝息を立てるフィオナの顔を見やる。

 白い肌。長い睫毛。押せば指を弾きそうな、形のいい唇。

 家族以外の男ならドギマギしてしまいそうな、なんとも悩ましげな寝顔だ。

 ……が、少々疲労の色が浮かんでいるように見える。


(さては魔力検査で苦戦したな)


 いくらなんでも俺とリリアの一件を見たくらいでは、ここまで疲弊しないだろう。

 フィオナは俺と違って普通の人間なのだ。

 新天地でいきなり実戦をやらされれば、気疲れもする。


 そこに溺愛している弟と女教師のふしだらなやり取りが加われば……まあ、こうもなろう。


 俺は一抹の申し訳なさを感じながらドアに触れ、『エイデン・フォーリー』と名乗る。

 内側から鍵が外れ、一人でに扉が開く。

 帰って来たのだ、二〇五号室に。


「フィオナ、フィオナ。まだ寝るのか?」

「……」


 返事はない。

 俺はとりあえずフィオナをベッドに下ろした。

 次は着替えだ。

 別に制服を脱がせて、より眠りやすい恰好にしてやってもいいのだが――


「親しき中にも礼儀あり、と言うからな」


 俺はフィオナ起こさないよう、足音を殺して部屋を出る。

 魔法で施錠を済ませると、生徒会長の元へと向かった。

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