人間の体、魔族の心
闘技場の入り口は、二手に分かれていた。
壁の案内板に目を向けると、右が男子用、左が女子用と書かれている。
俺とフィオナは互いの健闘を祈りながら、コロシアムの熱気に身を投じた。
リリアは少し迷うような様子を見せたが、俺の後をついてくると決めたようだ。
「貴様ら蝙蝠教師は、ゼノンが女になったと思い込んでいるのではないのか? なぜ俺の試合を見学するのだ」
「……貴方がルークに殺されそうになったら、止めるのが私の役目」
「ふん」
これは少々目を覚まさせてやらんとな、と首を鳴らしながら薄暗い廊下を進む。
暗がりで戦わされるのかと思ったが、場内に到着すると一気にあたりが明るくなった。
天井がぽっかりとくり抜かれており、頭上には青空が広がっている。
「見世物というわけか」
よほど観戦需要があるらしい。
円形の闘技場をぐるりと取り囲むように、三百六十度余すことなく観客席が並んでいるのだ。
収容人数は優に数万人を超えるだろうか?
しかも驚いたことに、ほぼ全ての座席が埋まっている。
観客の種族はバラバラだが、全員が制服姿だ。
そんなに新入生の腕試しは面白いか? と呆れていると、
「やあエイデン」
涼やかな少年の声。
視線をそちらに向けると、俺がやってきた方とは別の通路から、ルークが出てくる。
左手で自慢の金髪をかき上げ、右手には剣。材質はおそらく鋼。
ゴミだ。
前世の時代ならば、オリハルコンやダークマターを用いた剣が市場に出回っていたものだが。
魔法が衰えた結果、武具の加工技術すら衰退してしまったようだ。
ルークは俺と二十歩ほど離れた位置で止まると、にやけ面で言った。
「そういえば鍵の開け方を教えてなかったけど、どうして僕に聞きに来なかったのかな? ははは、たった一言『教えてください』が言えなかったばかりに、君はこうして私服のまま来ることに――せ、制服姿になってる? なんでだ?」
「あれは魔法鍵だろう? 別に誰に教わらずとも開けられるものだと思うが」
「……どうやら君はよほど予習が好きなようだね。魔法鍵の外し方は本来三学期に教わるものだが……まあいいさ」
ルークは全身をわなわなと震わせながら、俺に剣を向ける。
「ここは君の適性を調べる……ということになっている。実戦形式でね」
「知っている」
「降参するなら今のうちだよ? さっきと違って、もう僕に油断はない。武器だって持っている。……君、今すぐ膝をついて謝りたまえ。さきほどの無礼をお許しくださいってね。そうすれば命だけは見逃してあげてもいいよ」
「お前、死闘を希望なのか?」
俺の言葉に、ルークは片眉をピクリと上げる。
「――は。ははは。決まってるじゃないか。そうさ! これは実戦形式なんだよ⁉ 死者が出てもしょうがないよね⁉」
「殺してもいいのか。その方が俺としてもやりやすい」
その時、後方から「駄目」と囁く声が聞こえた。
声の主は一匹の雌蝙蝠。リリアだ。
「その姿のままでも喋れるなら、最初からそうすればいいものを」
「……相手を死に至らしめた生徒は、その場で退学となる決まり。ルーク・ハワードはそれを忘れるくらい頭にきてる。降参して、エイデン・フォーリー。未来ある少年が死ぬのを見たくはない」
少しは教師らしいところがあるようだな、と俺は笑う。
「黙って見てろ。蝙蝠の浅知恵が通用する場面ではない」
「……でも」
「俺は負けないし、殺さない。絶対だ」
「……そう」
それだけ言い残すと、リリアはパタパタと二階の観客席に上がり、人化して腰を下ろした。
「さあ、始めようかエイデン……もう合図なんて要らない。僕が望んだ時に始まるんだ、なぜなら僕が風紀委員で君が無様に死んで負ける決まりだからァ! はははははははははっ!」
狂った雄たけびを上げながら、ルークは右手の剣を高々と掲げた。
「
叫ぶや否や、鋼の刀身はパリパリと音を立てて帯電し始める。
どうやら剣に魔力を注ぎ込んでいるらしい。
もはやどこから指摘すればいいのかわからない道化ぶりだ。
そんな回りくどいことをせずとも、自分の体に電流を流して強化すればいいだろうに。
どうもこの時代は、「身体強化は土属性の専門分野」という誤った知識が普及している節がある。
おかげで土以外の属性に生まれた者は、馬鹿の一つ覚えで武器に魔力を込めようとするのだ。
「ひでえ……あの一年生、真っ二つだぞ」
「副会長の雷撃剣は、岩をも砕くって評判だからな」
……散々もったいぶった末に、たかが岩しか砕けないのか?
ならそこまで硬度を上げなくてもいいか、と身体強化魔法を唱える。
うむ、これでよし。
ルークの方も準備ができたらしく、腰だめに剣を構えて突進してきた。
「はははは! 直撃だねエイデン⁉ さあどうする⁉ もう避けられないよねこれぇ⁉」
「確かに直撃であろうな」
腕組みをして、ルークの剣を受け止める。
この程度の攻撃、回避する必要もない。
「……え?」
予告通り、ルークの剣は俺の脇腹に命中し――ポキリと折れた。
「え? え? え? え? なんで? なんで? どうして? なんで?」
衝撃を殺しきれなかった刀身は、くるくると回転しながら宙を舞う。
それはルークの足元に落下し、深々と床に突き刺さった。
「どうなってんだありゃ⁉ 魔法剣を受けても平然としてんぞ⁉」
「おそらくあの新入生は土属性の使い手と見たね。全ての魔力を使い切って硬化を唱え、防御力を強化したのだろう。しかし彼は今や、立っているのもやっとなはず。それに対してルークはまだまだ余裕がある。この勝負、ルークの圧勝と見たね」
「な、なるほど。さすが委員長だ、眼鏡キャラなだけあって高度な分析だぜ」
見当違いの分析が観客席から聞こえてくるが、無視である。
全くこの学校のガキどもは……と視線を上に向けると、口をパクパクとさせているリリアと目が合った。
あの表情からすると、あやつは俺が今何をやったのか気付いたようだ。
「く。くくく……そうか。そういうことかいエイデン。君は今までトリックを用いて自分を火属性に見せかけていたが、本当は土属性だった。そういうからくりなんだね?」
やはり的外れな推理をしながら、ルークがスパークを乱打してくる。
俺は紫電の弾幕に包まれながら、ゆっくりと直進し続ける。
こんなもの、絹のカーテンに包まれているのと何も変わらない。
「……なんで……!? どうして電撃を受けて平気なんだよ! 君は!」
「同系統吸収なんぞ、基本技能であろうが。俺は火属性なのだから、熱や光に由来する攻撃を吸い取るなど造作もない。常に全身をこれで覆っているゆえ、光系統の攻撃では俺に傷一つ付けられんぞ?」
「きゅ、吸収……? 嘘だ……嘘だ! それは神話時代の魔王が使っていたものだ! 人間にできることじゃない!」
中々勘がいいな、と感心する。
俺は最強の魔族だったのだから、魔王を名乗る資格は十分にあったのだ。
ちょくちょく人間の戦士に絡まれては撃退していたが、ひょっとするとあれは勇者と呼ばれるものだったのかもしれない。
「おいあの新入生、土属性じゃないっぽいぞ。火属性だから光を吸えるとか言ってんだけど。委員長的にはどうなんだ?」
「おそらくこの勝負、あの一年生の圧勝と見たね。あれはもう神様の領域だよ。僕は最初からこうなると見てたね。いや実は最初から気付いてたんだけどね。さっきのは無知な君達に合わせて解説してみせただけなのさ」
「ふざけんなテメエ! 潔く自分の間違いを認めろや!」
なにやら観客席で乱闘騒ぎが起きているが、やはり無視である。
俺はルークと目と鼻の先に距離にまで近付くと、拳を振りかぶった。
「ひっ」
たじろく顔に、全力の右ストレートを叩きこむ。
「ごぶっ⁉」
まるでさきほどの剣をなぞるかのように、ルークはくるくると回転しながら宙を舞った。
そのまま顔面を強打する形で落下し、床に大量の血をぶち撒ける。
「降参しろルーク。お前は全ての能力で俺に劣っている。千回戦って千回負ける男だ」
ルークは芋虫のような動きで這い、ずりずりと俺から離れていく。
まさかあれで逃げているつもりなのだろうか?
「いっ、いやだ、いやだ。僕が負けるわけがないんだ……。僕が一年生なんかに……! いやだいやだいやだ、こんなの認めない、本当じゃない! つまらない仕掛けがあるに決まってる!」
「強情だな」
「ふへ、ふひひ……ぼ、僕は降参しない……何があってもだ。くくっ、君を勝たせるくらいなら死んでやる。この出血量なら、放っておけば本当に死ぬかもしれないね? そしたら君は退学だ、あはっ、あはは! あひははははははははははははは!」
「――そうか。なら死ね」
「え?」
俺は指を鳴らし、「内燃」の魔法を詠唱した。
刹那、ルークの目から炎が噴き出す。
続いて鼻、耳、口からも火の粉がこぼれ落ちる。ありとあらゆる穴から炎が噴き出していく。
それは瞬時にルークを包み込み、灼熱の拷問が始まった。
「ぎゃああああああああああああああああああああああ!」
一本の火柱と化したルークは、苦痛に悶えながら床を転げ回る。
「どうしたルーク? まだ全身を焼かれただけではないか。痛覚を遮断させよ。皮膚を再生させよ。焼け落ちた眼球を治せ。できないのか? それで本当に魔法使いなのか?」
「ごあああああああああああ゛あ゛あ゛あ゛アアアアアアアアアアアア゛ア゛ア゛!」
きっと声帯が焦げたのだろう。ルークの声は、途中から人の声ではなくなっていた。
なんと愚かな。
脆弱な人間風情が、魔族に殺し合いを挑むからこうなるのだ。
殺し合い?
「おっと、相手を死に至らしめたら退学であったな」
俺はルークの身を包む火を消し、回復魔法「
一瞬で爛れた皮膚が復元され、肉の焼ける臭いが消えていく。
衣服が焦げ、裸に近い状態ではあるが、ルークの体は傷一つない状態に戻っていた。
「さあ立ち上がれルーク。お前の心が完全にへし折れるまで戦おうではないか? もう二千通りほど試してみたい焼き方がある、蝋燭は蝋燭なりの矜持を見せるがいい」
「ひっ、あっ……。く、来るなっ、来るなあああああああぁ!」
観客席から息をのむ声が聞こえる。
「……信じらんねえ……あの治癒力はもう、治療を通り越して蘇生だ。あいつ本当に火力馬鹿の火属性なのか?」
「なんなんだろうな、あの再生力。あれで新入生だって? なら俺がここで学んだ二年間はなんだったんだ? 俺学校辞めてキャベツ農家なるわ」
「普通じゃねえな、あの一年……あ、俺はレタス農家なるわ」
「おっと僕を忘れてないかい? 僕はもう自分の分析力に自信がないから、これからはインテリ農家を目指すよ。皆で辺境に引っ越して、開拓から始めようじゃないか」
「委員長! お前の頭脳が加われば大豊作間違いなしだぜ!」
なんだか楽しそうだなと観客席を眺めていると、リリアがひらりと飛び降りるのが見えた。
黒衣の女教師は、俺の右腕を掴んで持ち上げた。
「……ルーク・ハワードの戦意喪失を確認。教員の裁量により、エイデン・フォーリーの勝利とする」
見ればリリア以外にも教師が降下しており、担架でルークを運び出そうとしている。
そんなことをせずとも、あの小僧は命に別状などないのだがな。
「……さっきの魔法、何。ルークが勝手に燃えたように見えた」
リリアは紅い目で俺を見上げながら、淡々と聞いてくる。
本当にその話題に興味があるのか? と言いたくなる口調だ。
「人体発火現象くらい聞いたことはあるだろう」
「……何、それ」
「それも知らんのか。……人の体は脂肪の塊ゆえな。内側から燃やしてやれば生きた松明と化す。俺の場合、目標の血液を油に変換するアレンジも加えてあるのでな。なおのことよく燃える」
「……内側から……? ……ありえない。火属性魔法は、見えているものにしか着火できないはず。……体内は、死角……」
「お前達は見えないものを燃やせないのか?」
場内が一斉にどよめく。
――化け物。
誰かがそう呟く声が聞こえた。
その通り。俺はお前らと違って怪物だ。
人の心を持たない、戦うために生まれた種族。
たとえ人間の体になろうとも、魔族の性質が変わることなどない。
良心を持たず、殺すことを恐れず、傷つけることをいとわない。
最強最悪と名高い、業火の怪物。
「……一体なんなの、貴方のその力……?」
困惑するリリアに、俺は告げる。
「これが火属性の力だ。お前達が劣化属性と蔑むな」
――そして俺がゼノンの生まれ変わりだ、と高らかに宣言する。
直後、天井付近に設置されていたアーティファクトがけたたましく声を発した。
どこか機械的な、女の声だった。
『エイデン・フォーリーの魔力値を計測完了。総量99999999999999――ガガッ――測定不能――』
ボムッ! と音を立ててアーティファクトが砕け散る。
あとにはただ、真っ白な煙だけが残された。
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