蝙蝠の失恋

 部屋を出ると、まるで見計らっていたかのようなタイミングで蝙蝠がやってきた。

 そういえばこやつ、入学案内書を届けに来たのと同じ個体ではないか? とあたりをつけていると、蝙蝠の全身を白い煙が覆った。


「なにこれ!? この子のオナラ!?」

「未知のものをなんでも放屁と解釈する傾向は、幼い頃から変わっておらぬな」


 浴槽で噴射インジェクションを使った時も同じ反応をしていたな、などと懐かしんでいる間に、見る見る煙は晴れていく。

 そして現れたのは――


「!」


 蝙蝠ではなく、さきほどの黒いドレスの少女だった。

 感情を感じさせない紅い瞳が、じっと俺を見つめている。


「……そっか。エイデンのファン、出待ちまでしちゃうんだ」


 よくわからないことを言いながら表情をこわばらせているフィオナはさておき、改めて少女を観察する。


「……」


 艶のある銀髪。雪のように白い肌。

 あまりにも儚く、あまりにも可憐ゆえ、いっそ人間味に欠ける美貌。

 人外の怪物が「人間ってこんな外見ですよね?」と首を傾げながら模倣すれば、こうもなろう。


「人化の術か」

「……」


 少女は答えない。

 口数の多い方ではないようだ。


「……私、案内係」


 少女は消え入りそうな声で言い、踵を返す。


「ついてきて」


 俺とフィオナは顔を見合わせながらも、少女に従うことにした。

 前方に紅目の少女、後方に横並びになった俺とフィオナという、三角形の配置で廊下を進む。

 

「お前、名はなんというのだ」


 少女はこの世の全てに興味がない、と言いたげな口調で答える。


「予言蝙蝠」

「それは種族名であろう。個体名はないのか」

「……リリア」

「なんだ立派な名前があるではないか。ところでリリア、重要な話があるのだが」

「……私はこの学校の教師。ちゃんと名前のあとに先生をつけて」

「ではリリア先生。もし俺が魔術王ゼノンの生まれ変わりだと言ったら、どうする?」


 どう見ても年下にしか見えない女教師は、ぴたりと動きを止めた。

 体ごと振り返り、真紅の目で俺を射抜く。


「……冗談でもそんなこと言わないで」

「なぜだ?」

「……この学校には六百六十六人の教師がいる。その全員が女性で、予言蝙蝠の子孫」

「つまり?」

「……予言蝙蝠の一族は、人化蝙蝠と混血して人の姿を手に入れた。たとえ予知能力を失おうとも、人型の体が欲しかったから」

「そこまでして人間の姿になりたかった理由とはなんだ」

「……」


 リリアの白い頬が、ほんのりと赤みを帯びる。


「……敬愛するゼノン様と、結ばれるため」

「なんだと?」

「……ゼノン様は偉大なお方。蝙蝠にも優しかった。私達は皆あの人の妻になたいと願った。……でも、駄目だった。残された資料から、ゼノン様は筋金入りの同性愛者だと判明した。……おかげで私達は、誰もが絶望してる。毎日が虚しくてたまらない……」

「だからどうしてそのような結論に行き着く!? 学校ごと燃やしてくれようか⁉」


 年甲斐もなく声を荒げると、隣にいたフィオナが俺をなだめてきた。

 

「……ゼノン様は五百年もの間、彼女がいた形跡がない。僧侶でもなんでもないのに、貞操を維持してた。通常の男性であれば、遅くとも二十代のうちに童貞を卒業するはず。これで異性愛者なはずがない」


 サクサクッ! と見えない矢が全身に突き刺さる。

 前世の俺は、魔族の中でも屈指のブ男だったせいで色恋と無縁だっただけだ。

 ところが未来の世界では、女に興味がなかったと解釈されてしまうらしい……。


 膝から崩れ落ちた俺を、フィオナが心配そうな顔で支える。


「……その上、今でも残っているゼノン様の衣類は全部ピンク色。ほら、心が女の子な証拠でしょ?」

「ち、違う……! 俺がゼノンだった時代は赤色だったのだ! 経年劣化で色落ちしただけだ! 俺は火属性使いだったから好んで赤を着ていたのだ!」


 というかよく千年近く前の衣服が残っていたな。

 魔力で強化していたから長持ちしたのかもしれんが、おかげで中途半端に色落ちしてピンク色になったのか?

 どうしてこう、何から何まで最悪の方向に噛み合うのか。


「……わかったらもう、冗談でもゼノン様を名乗らないで。失恋した女に追い打ちをかけるなんて、最低よ……」


 もう用は済んだとばかりに、リリアは再び前方を向いてスタスタと歩き出した。

 脱力した俺は、フラフラとした足取りで後を追う。

 フィオナはというと、「エイデンがそんなに童貞を気にしてたなんて……。や、やっぱり私が協力してあげるべきなのかな?」と一人で顔を赤らめている。


 完全にぐだぐだ集団となった俺達は、無茶苦茶な空気のまま廊下を曲がる。

 何度目かの階段を下りたあと、フィオナは意を決したように言った。


「ね、魔力測定って何をするの?」


 リリアは熱のこもっていない声で答える。


「実戦形式。……在校生と腕試しをして、魔力量と適性科目を調べる」


 なんだか物騒な仕組みだね、とフィオナが不安そうな顔をする。


「……エイデン・フォーリーの魔力測定は、風紀委員のルーク・ハワードが行うことになった。彼のたっての希望」

「あれも懲りない男だな」

「……ルークの属性は光。最強の属性。対する貴方は、最弱の火属性。生徒は皆、貴方に勝ち目がないって噂してる。さっきの決闘はルークが手加減してくれただけだから、今度こそ貴方は死ぬんじゃないかって」


 よもや人化の術を使えるほどの妖獣ですら、正しい魔法の知識を知らぬとは。

 これは先が思いやられるな、とこめかみを押さえると、ふいにリリアが足を止めた。


「……ここがクラス分け用の試験会場。あそこで模擬戦を行ってもらう……」


 リリアが指差す先からは、矛を交える音と歓声が漏れ聞こえてくる。

 そこは既に、観客の醸し出す熱狂に包み込まれていた。

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