本当の愛

 ざざ


 そこは美しい海辺だった。夕日に彩られたオレンジ色の海。穏やかな波がやさしく音を立てる。その間を女性が走っていく。サンダルで浜辺に足跡をつけながら楽し気に。


 ゆるやかなウェーブの掛かった髪、整った顔立ちと大きな瞳。彼女は後ろを振り向いてあかんべーと舌を出す。そしてぱっと花の咲くように笑う。水着の上に白のパーカーを羽織った彼女を一人の男性が追う。


「まってくれ。愛梨!」


 精悍な顔立ちの青年だった。その青年が呼んだ「愛梨」は「またなーい」と軽く返す。二人は笑いながら海辺を走っていく。



 そこは屋外のレストランだった。星の瞬く夜を天井に食事をする場所。


「カズマ、かーずまー」


 愛梨はしゅわしゅわと音を立てるシャンパンの入ったグラスを持っている。顔はほのかに赤い。カズマと言われたのはあの青年だった。彼はアロハシャツを着たラフな格好で笑顔で答える。


「なんだよー。愛梨」

「よんだだけー」

「なんだよそれ」


 そして笑いあう。二人はたわいのないことで笑いあった。幸せそうなその表情に振り向く人もいた。ふと、カズマは真剣な顔になった、愛梨はいぶかし気に小首をかしげる。


「なあ、愛梨」

「なぁに? カズマ」

「結婚しよう」

「え……!」


 時が止まったようだった。愛梨は口を開けて目を見開いた。少しして両の目が潤んだ。


「うれしい」


 心の底からそう思うのだろう。泣きじゃくりながら「うん」といそして「かずま、ありがと」と返した。そしてカズマも泣いた。


「俺、俺、愛梨を幸せにするよ! 絶対! 誓う」


 ざざ、


 ざざ


 ざざざざ



 香華カリューの顔は笑顔のままだった。


 彼女は両手でタブレットが持っている。そこにはどこかの南国のビートで抱き合いながら愛を語り合う二人が並んでいる。


 何の変哲もない日本家屋の居間は静まり返っていた。ただ楽し気な声がタブレットの動画から流れてくるだけだった。時折のノイズが映像には混ざる。


 愛梨とカズマはカリューの目の前で座っている。脂汗を浮かべながら下を向いてる。愛梨は唇を噛んでいる。


 その二人を見つめる4つの目。愛梨の横にはカズマとは別の青年がいた。眼鏡をかけた男だった。カズマの横には茶髪の女性がいる。その二人は何も話すことなくじっとすさまじい形相で愛梨とカズマを見つめていた。


「ぷ、ぷらいばしー、プライバシーの侵害よ」


 愛梨が絞り出すように言った。彼女はカリューをにらみつけた。


「こ、こんな盗撮をするなんて、あ、あんた。は、犯罪でしょ。こんなの。おかしいわよ」


 愛梨は気が付いてなかった。彼の横にいる眼鏡の青年の目が冷たくなっていくことに。


「そ、そもそもこんなの言葉遊びじゃない! たまには遊びに行くことだってあるし!」

「……! そうだ。気分が乗って言っただけだ」


 愛梨とカズマは叫んだ。カリューはタブレットの画面を操作して「ホテルに入っていく二人」の画像をだした。それで黙った。

 

 愛梨とカズマは既婚者だった。お互いに別のパートナーがいたのだ。カリューはタブレットを置いて言う。


「ま、私はしがない探偵ですから。依頼をされたことをやっただけですのであとは当人たちでどうぞ。まあ大人ですから、遊ぶこともありますよ。遊んだ後に後始末するのも大人ですよね」


 カリューは立ち上がりそこを離れようとした。その背中に愛梨は言った。


「何よあんた! 私だって毎日毎日大変なのよ!? 家事ばっかりさせられて、少し息抜きしただけで何が悪いのよ! ……カズマは私のことを大切にしてくれたの」


 カリューは言う。


「そうですか」

「……!」


 その相手にしない態度に愛梨は掴みかかった。カリューは少し後ろに下がり、愛梨の両手首をつかむ。


「危ないですよ」

「うるさいうるさいうるさい! バカにしてんの? あんただって顔だけは良さそうだから遊んでんでしょ!? ……わたしは、私っは私をちゃんと大切にしてくれる本当の愛がほしかっただけなの!」


 カリューから引きはがそうと眼鏡の男性が慌てて立ち上がった。カリューはそれを視界の端に見ながら、愛梨の耳元へささやく。


「本当の愛ですか?」


 カリューの声は甘い。優しさを装う心地よさがあった。


「あなたの恋人さんのカズマさんは多額の慰謝料を請求されちゃいますよね。仕事にも影響が出るでしょう。でも、あなたの旦那さんは浮気もせずに真面目ですしカズマさんからのお金も入りますよ」


 愛梨の目が見開かれた。


「愛に目覚めましたか?」


 カリューはささやく。


 彼女が手を離すと愛梨は力なくその場に崩れ落ちた。眼鏡の男性は手を伸ばそうとして、やめる。だが

その手にすがるように愛梨は両手でつかんだ。


「雄君……ごめんなさい。私、本当に愛しているのが誰かわかったの」


 愛梨の目はきらきらと涙が浮かんでいた。カズマは「お、おい! 愛梨!」と叫ぶ。


「近寄らないで!」


 愛梨も叫んだ。眼鏡の男性を愛梨は「雄君」と呼ぶ。彼女は必死に言う。


「本当に好きなのは雄君だけなのあいつとは遊びなの、これから何でもするから。だから許して」


 眼鏡の男性は何も言えずに後じさりする。逆にカズマが飛びだした。


「なんだよそれ、こいつが給料低くて使えねーやつだって言ってたじゃねえぇか!」

「そんなこと言ってない。ていうかあんたも奥さんの事をふけたとかうるさいとか言ってたじゃん!」

「はあ? お前自分だけ助かろうとしているんじゃねぇの!? ふざけんじゃねぇよ」

「ふざけてなんかない! 本当に愛する人が誰かわかったのよ!」

「それは俺だって言ってただろ」

「あんたも奥さんと離婚するって言って私は3年も待ってたんじゃん!」


 ぎゃあぎゃあとわめく二人。その二人を見る眼鏡の男性と、茶髪の女性はそれを汚物を見るような顔で見ていた。カリューはそれに背を向けて廊下に出ていく。


「…………愛ってむずかしいですねー」

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