都合のいい話

 そのバーには一人の探偵がいる。


 彼女はカウンターの隅でウイスキーを飲んでいる。黒の丸サングラスをかけ、黒のハイネックカットソー。それに艶やかな金髪が印象的な女性だった。


 彼女はたまにノートPC を開いて打ち込んだり、店に流れるジャズに耳を澄ませて目を閉じたりしている。そして時間になればふらりといなくなる。お代はたいていグラスの下に敷いている。現金払いが好きだった。


 だが今日は探偵のお客が一人いた。カランとドアの鈴が鳴る。そこから初老の女性が入ってくる。ととのった身なりだが髪には白髪が混じっている。彼女は金髪の探偵を見つけると近寄って頭を下げる。


「香華さんですか」


 探偵は振り向くにこりと笑う。


「はい。香華カリューと申します。カリューとお呼びください」


 その不思議な名前に目をぱちくりとさせた女性だが、すぐに真面目な顔つきに戻った。彼女は横に座りバーのマスターにソフトドリンクを頼んだ。


「お酒は飲めないの……ごめんなさいね」

「いえいえ。ここのマスターさんはそんなこと気にするような人ではないですから」


 バーのマスターは黒髪の男性だった。彼は少し困ったよう顔をしながらドリンクを持ってきた。彼は「お気になされず。ごゆっくりしてください」と声をかけた。


「ありがとう」


 女性は頭を下げる。カリューはそのあとに仕事の話を始めるため名刺を渡す。そこには香華探偵事務所と書いてあった。


「とりあえずお話はなんでしょうか?」

「人を……探してほしいのです」

「なるほど。あ、その前にお名前を」

「……ああ、ごめんなさい。私は斎藤和美と言います。

「斎藤さん。よろしくお願いいたします。それで人というのはご家族ですか?」

「いえ」

「……なるほど。では借金をして逃げた人とか」

「いえ。ちがいます」

「……まあ、これ以上は野暮ですね。とりあえずできるだけ情報が欲しいのですが、名前とかわかりますか」


 それを聞くと斎藤は手に持ったバッグからクリアファイルを取り出した。そこにはペンで整然とした字で情報が書かれている相手の名前や住所など詳細に書かれている。カリューは怪訝な顔をした。


「これだけわかっているのに探しているのですか?」

「これは前の住所で今はここにはいないのです。私にわかるのはこれだけです」

「なるほどなるほど。しかし、十分だと思います。あといくつか質問をさせてもらいますが。その前に」


 カリューは手を口元に当てて笑う。


「お値段は10万円になります。全額前払いになります。これとってもリーズナブルです」

「……かまいません」

「承りました。では、ご質問をさせてください」


 ☆


 もともと情報が集まっていたこともあり相手はすぐに見つかった。田舎に住んでいるようだった。なんてことはない平凡な家庭だった。カリューはその情報をまとめて、斎藤に連絡をした。


 情報の手渡しはどこでも構わなかったがバーに来るということで時間を合わせてあった。


 封筒にまとめた情報を女性に渡す。斎藤がその中身を確認している横でカリューはウイスキーを飲む。流し目で斎藤の様子を眺めながら。


 斎藤は真剣な目で調査票を見ていた。少し手が震えているように見えた。カリューはいろいろとあるのだろうと思ったが、仕事は終わりだった。


「それじゃあ。これで私のお仕事は終わりですね」

「あの」

「はい。なんでしょうか? ご質問ならちゃんとお答えしますよ」

「香華さん……そのよかったら私についてきてくれないかしら。この人に会いに行きたいの。その……初めての場所で迷いそうで」

「申し訳ございませんが、私事に踏み込むつもりはございませんので……」


 カリューはにべもなく断る。だが斎藤は言う。


「なら……正式なお仕事として10万……いや20万お支払いします」

「いつ行くんですか?」


 ぱららとカリューは手帳を開いて予定を聞く。現金な態度に斎藤は困った顔をした。


「あ、でも私は前払いだけですよ。それでも安いですからね。これほんと」

「…………」


 斎藤は苦笑した。



 田舎と形容がそのままに当てはまる田んぼに囲まれた道。そこを一台のレンタカーが走る。カリューが運転席で斎藤は助手席にいた。天気のいい日だった。なんとなく自分に似合わないなとカリューは思いつつ走る。


 ついたのは古びた民家だった。カリューは言う。


「それじゃ。私はここで待っていますから」

「……悪いわね」


 斎藤は外に出た。そして民家に入っていく。カリューはスマートフォンをぽちぽちとさわり。民家の前でハザードをつけて待っている。


 叫び声がした。そして何かが割れる音がした。カリューは顔をゆっくり上げて車を出た。民家の玄関から中をそっと覗く。そこには叫び続けている女性がいた斎藤ではない。歳は彼女より少し若そうだった。


 ――人殺し!!!


 斎藤はその女性の前で頭を地面に擦り付けていた。その彼女の頭から水をかけられ、バケツを投げつけられる。カリューはその光景を黙ってみて、車に戻った。


 しばらくするとずぶぬれの斎藤が戻ってきた。額をハンカチで押さえている。


 すぐに車を出した。


「大丈夫ですか?」

「……へんなところ見せてごめんね」

「いえいえ。人生いろいろありますよ」

「そうね」


 カリューが走らせる車はゆっくりと田舎道を走っていく。


「何も聞かないのね。探偵さん」

「……聞きませんねー。聞いてほしいんですか?」

「……ふ」


 斎藤は視線を落とす。


「そうね。聞いてくれる人はいないから。聞いてほしいかもね」

「…………追加料金は取りませんよ」

「ありがとう」


 苦笑した。斎藤は窓の外を見ながら言う。


「私はあの人の親を殺したのよ」


 カリューは一度斎藤を見て、外からわかるような反応を見せなかった。


「私は昔看護師をやっていてね。あの人のお父さんが入院してきたの。かなり痴呆症の進んでいる患者さんで、いろんな病気が重なっているような人だったわ」


 斎藤の言葉には温度がなかった。


「私はその担当でね。ベッドに括りつけられていろんなチューブを体に付けられているその人のことを見ていたわ。話すことはできなくてね。あーとかうーとか言わんだけど、でも目は私を見ている気がするの」


 斎藤は顔をカリューには向けない。


「誰も来なかったわ。延命治療の依頼だけはあったようだけど……その人のところには誰も来なくて……苦しそうに私にうめくのよ。食事すらできないから胃瘻(いろう) って知っている? チューブでおなかに直接ご飯を入れるのよ」


 何かを思い出すように斎藤は頭を両手でつかんだ。


「うめくのよ。ずっと、ずっと。ずっと。終わりのないの。それが苦しそうで、毎日に見ると自分までおかしくなってしまいそうで……いや、おかしくなった。……気が付いたらその人の首を絞めていた。そして捕まってこの前に刑期を終えたの」


 クーラーの音だけが車内に響いている。斎藤はハッとした。


「……香華さん。気持ち悪い話してごめんなさいね。ここでいいわ。歩いて帰れるし」


 車は走る。カリューは前を見ながら言う。


「いえいえ。送り届けますよ駅まで」

「……悪いわ」

「お気になされず。それにそのおじいさんは良かったと思いますよ。苦しいのからはきっと解放されて、たぶん会いに来ない家族の人も年金とか当て込んでたんじゃないですかね」


 斎藤は寂しそうに笑った。憐れまれたのだろうか、そう感じた。彼女は言う。


「ずいぶんと、私に都合のいいことを言ってくれるのね。探偵さん」


 斎藤は顔を上げてカリューを見た。ちょうど信号につかまったとき、カリューは歯を見せてにやりと笑った。


「そりゃあ、お金もらってますからね」


 その無邪気というよりはいたずらっぽい顔に斎藤は軽く吹き出してしまった。声はあげずに笑う。彼女はカリューの言うわかりやすい理由にほんのすこしだけ軽くなった気がした。


 しばらく車は街まで来て駅前で止まった。すでに夕方になっていた。


「それでは」


 カリューは淡泊に去ろうとして斎藤に呼び止められた。


「あのカリューさん。たまにあのバーにいっていいかしら……家にはだれもいなくてね」


 カリューはサングラスをずらす。赤い目を見せた。


「何か勘違いしてませんか斎藤さん」

「えっ……ああ、そうよね」


 探偵とお金で結ばれているだけの関係なのだった。そう斎藤が理解して謝ろうとしたときカリューはいう。


「私。あの店のオーナーでも何でもないですよ。聞く相手が違います」


 斎藤はまた少しだけ笑って言う。


「お酒は飲めないけど、また行くと思うわ」


 それだけ言うと踵を返して駅の方へ消えていく。ただ一人、その背中は寂しそうに。

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