嘘つきには嘘が来る

 バーテンダーがシェーカーを振る音がする。


 彼の後ろには様々な酒が並んでいる。それらはバーの柔らかな灯りが照らしている。


 静かに流れるジャズと少ない客。歓楽街の中の片隅という言葉がしっくりくるこの場所に探偵は一人でウイスキーのグラスを揺らす。からからと中で氷が回り、琥珀色のそれが音をたてる。


 彼女は香華カリューという探偵だった。黒のタートルネックにクラシックなデザインの丸サングラスをかけている。艶やかな金髪はハンチング帽で隠れていた。


 からんからんと店の入り口の鈴が鳴る。若い男が一人入ってきた。


 背は高い。コートを脱ぐとぱりっとしたスーツ。彼は店の奥にいるカリューを見つけるとかつかつと革靴を鳴らしながら近づいた。


「香華さんですか? 探偵の」 

「はい。そうです。私に何か用ですか?」


 カリューはちらりと上目遣いで男を見る。紅い瞳がサングラスの下から見えた。男は柔らかい顔つきをしている。黒髪を整えて、その口元には笑みを浮かべている。


「仕事を依頼に来ました」

「そうですか。お話しをお聞きしましょう。ちなみに依頼料は10万です」


 カリューは首を少し傾けてにやりと笑う。サングラスを取ったその姿はどことなく蝶のような愛らしさと蜂のような鋭さがあった。



「なるほど。高校以来の彼女さんが不倫をされていると」

「……そうです。最近は頻繁に相手の男と合っているようです」


 カリューと男はバーのカウンターに並んで酒を飲む。男の名は荏田 匡(えだ はじめ) といった。その相談内容は不倫の話から始まった。


「それで? 荏田さんは彼女さんと不倫相手の男さんが一緒にいるところの証拠を得て別れるときに何かしたいのですか? 別に結婚しているわけでもなければ慰謝料とかは難しいと思いますけど」

「別れるなんてとんでもない! 私は彼女を愛しています。これからもそうしていきたいと思っています。むしろ彼女を傷つけないように男の素性を調査してほしいのです。

「男性の素性?」

「そうです。私は相手の男性のこれ以上彼女に近寄らないように警告したいのです」

「……そうですか……うーん」


 カリューは両手を組んで考え込んだ。両目を一度閉じて、片目だけ開いて荏田を見る。


「でもですよ荏田さん。さっきも言った通りあなたは別に結婚しているわけでもないなら徒労におわる、というか私に10万払って無意味な話になるかもしれませんよ?」

「かまいません。彼女のためです。……僕は、僕は彼女をためにできるだけいい方法を考えたいんです」


 荏田の声は温度を持っていた。カリューは荏田の様子をじっと紅い目で見て、じゃあということで仕事を引き受けることにした。



 相田まなみ。それが荏田の彼女の名前だった。


 高校は進学校だが、専門学校に進み今では病院で医療事務をしているという平凡な経歴を持った女性だった。


 カリューは彼女の素行を調査するうえで生い立ちや家族構成を調べた。4人家族で妹が一人である。父方の祖母、祖父は長野県にいるという。


 しかし、男との関係はすぐにわかった。仕事が終わった後によく食事をしている。


 デートにしては質素にファミレスなどで彼らは食事をして、楽しそうに会話をして帰る。何度かのデートに1度は泊まることもあり、カリューはデートの様子を写真に抑め、その会話を録音できるときはそれを行った。


「…………あらあら」


 調査後にカリューは駅のカフェの窓際で取得した証拠をばらりと広げた。


 あまりに堂々としたその不倫の様子にカリューは頬杖をついてふーと息を吐いた。カフェで出すチョコレートケーキを食べながら彼女は思考を整理した。


 カリューはスマートフォンを取り出して画面を開く。そこには相手の男の写真が写っていた。平凡な見た目である。不倫という行為自体はよくあることだ。特別な人間の行為とまでは言い切れないように世の中にあふれている。


「…………ん」


 カリューは写真をめくりつつ、眉をひそめた。



「それでどうでしたか?」


 バーで仕事の報告をするため荏田とカリューは待ち合わせた。隅のテーブル席を取り、カリューは証拠を広げた。相田と不倫相手が一緒にいる写真は短い期間でもかなりの枚数があった。


 それを見て柔和な顔をしていた荏田の表情はどんどん強張り、食い入るように写真を眺めている。彼はふーと息を吐いてにこっと急にカリューに語り掛けた。


「ありがとうございます。これでわかりました。彼のことは後は私がやります。それで、彼の素性はどのようなものだったのですか?」

「…………ああ、それ」


 カリューは両手を組んだ。じとりとした目で荏田を見る。彼女の長いまつげが小さな影をつくる。


「相田さん、ここ数日は男の人とずっと一緒でした。言ってはなんですが幸せそうとすら感じるように」

「……あの男に騙されているんですよ」

「食事をして、休みの日には相田さんの実家に一緒に行かれていましたね」

「……」


 荏田の両手が握りしめられる。唇を噛んですさまじい怒りを押し殺しているのが見て取れた。それをカリューは冷えた瞳で見る。


「平凡な交際に平凡なデート、そしてありきたりな実家での両親への紹介。まあ、そんなところですか」


 カリューは手元に資料を引き寄せる。


「彼女の経歴も普通ですし、職場でも評判は上々といったところですね。まあ、仕事なんてまじめにやってて愛想がよければこんなものでしょう」


 資料をぱらぱらとめくる。


「普通、普通、普通。なんですよ。荏田さん。相手の男さんも普通の人です。ここに調査資料があります」

「! 見せてください」


 荏田は立ち上がろうとした、カリューはそれを手で止める。


「あなた、なんなんですか?」


 冷たい声だった。


「は?」


 荏田は眼を見開いていう。


「なんなんだ、って、いったいどういうことですか?

「そのままの意味ですよ」


 カリューの目は彼をまっすぐ見つめる。


「ぜーんぶ普通なんですよ相田さんと不倫相手さん。なにもおかしいことはない。彼らは高校が同じようなのですが、むしろ荏田さんは彼女を高校からの彼女だったと言われていましたね? 私に頼むまでもなく男のことを知っておられるのではないですか?」

「いえ。流石に高校の人間全員覚えているわけではありませんから……」

「ああ、なるほど。そうだ、荏田さん」

「……なんでしょうか」


 カリューは指をさす。


「ここで彼女に電話をしてもらえますか?」

「…………なんでですか?」

「彼女。の様子を調べてみたいのですよ、浮気をしている彼女さんのあなたへの態度を」

「そんなことなんの関係があるんだ? おまえ」

「穏やかではないですね」

「……俺は依頼主だ、金も払っている」

「そうですね。お返ししますよほら」


 ぽんと10万円を机に投げるカリュー。ばらりと広がって落ちる。

 カリューはもう一度彼を見据えた。


「相田さんの交際関係にあなたはいないのですよ。荏田さん。いや、ストーカーさん」


 その瞬間に荏田の顔は笑っているような、怒っているようなくしゃくしゃにゆがんだ。彼は両手を握りしめたカリューの前に無言でいた。


 しばらくして彼は落ちた10万を拾い集めた。資料はカリューが先にまとめていた。男性の情報は渡すわけにはいかなかった。荏田は無言でドアから出ていく。からんからんと音を立てて。


 カリューはソファーに深々と座り込んだ。


「あー-、無駄働きしちゃった」



「あ」


 カリューがバーで目を開けるとバーテンダーに揺り起こされていた。腕時計を見れば12時前である。彼女はコートを羽織って急いで店を出る。


「さむさむ」


 夜の街をカリューは歩く。ネオンの中を、行きかうタクシーのライトが彼女を照らす。


「タクシーは使えないなぁ。無駄働きしたから節約……あーあ」


 コートのポケットに手を突っ込んで。肩にかけた資料の入ったカバン。サングラスにハンチング帽。少し大きな歩幅でブーツをかつかつと鳴らしながら歩く。


 彼女は近道に路地裏に入る。吐く息が白い。


 夜の闇の中でかりりと音が鳴る。何かを引きずるような音に彼女は振り返った。


 かりり、かりりと引きずる音。


 道の先に人影があった。それは鉄パイプのようなものを地面に引きずるように持って歩いてくる。


「カリューうぅうう!!!」


 人影が叫びながら走る。カリューはとっさのことに驚いた顔をしてカバンで身をかばった。次の瞬間にフルスイングされた鉄パイプに殴り倒される。


 すさまじい衝撃にカリューは倒れこんだ。カバンがなければ死んでいてもおかしくはない。何の容赦もない一撃だった。


「てめぇ、女の分際で、うるさいんだよ、金を払ったんだから、俺の言うこと、聞けばいいだろ、くずが……」


 スーツを着崩したその男の顔は見えない。ギラギラとした瞳だけが光っている。かりりかりりと鉄パイプを引きずりながら倒れこんだカリューに近づいてくる。


「男の情報をよこせ、くずが、そしたら殺してやる……」


 支離滅裂の言動をしながらゆらゆら影が動く。人影はパイプをぎりぎりと両手で握りしめて上段に構えた。渾身の力で振り下ろせば、きっとカリューの頭が潰されるだろう。


 乾いた音が響いた。


「え?」


 荏田は間抜けな声を出した。彼の前には倒れこんだか弱いはずの女性がいる。だがその手には『銃』が握られていた。小型のリボルバー式のその銃口からは白煙が上がっている。


「は?」


 鉄パイプをおろして、さらに声を出す。


「ぺっ」


 カリューは『銃』を手に立ち上がった。彼女の後ろには月が見える。


「たまにいるんですよね。暴力を使えば何とかなるだろうって甘ったれた考えをしている人。ねえ、荏田さん」

「お、おまえそ、それ」

「これですか? これはよく警察さんが使われている銃ですよ。ありふれたものです」

「な、なんでそんなもの」


 銃口を突きつけたままカリューは近づく。逆に荏田は下がった。


 荏田が下がるとすぐに壁に背中が当たった。


「なんでこんなものを? そりゃああなたが自分でどういう行動をしたか思い出してくださいよ。護身用ですよ。倒れてたから外しちゃいましたけど」


 カリューは荏田の肩を持ってその口に銃口を入れる。


「もが」

「よくできました。そのまま咥えててくださいね」


 かちりとカリューは撃鉄を起こす。荏田はその銃口の冷たさと音の無慈悲さに顔を振る。目には涙をためていた。


「ひゃ、ひゃめてくれ」

「ばーん」

「ひ」

「ほら、手が滑ったら大変ですよ。だって」


 カリューは荏田の耳元でささやく。


「殺しちゃうから」


 その麗しい無慈悲な声に荏田は眼を見開いて震えた。カリューのほほは少し血が出ている。


「荏田さん。世の中にはいろんな暴力があることを知ることができてよかったですね。人生いつも勉強、これほんとうですよ。死ぬ間際まで勉強できるなんて素敵ですね」


 ニコニコとするカリュー。彼女の真っ赤な口が開く。荏田はその顔に悲鳴を上げた。


「それじゃあ、さよなら。来世ではいい彼女さんができるといいですね」


 もう一度乾いた音が響いた。



 男は白目をむいて壁からずり落ちた。その周りを花びらが舞う。


 カリューは手に持った「銃のおもちゃ」をこつんと自分の額に当てる。


「言ってませんでしたっけ? 私うそつきなんですよね。ってもう聞いてないですね」


 カリューは気絶した荏田を蹴ると手早く知り合いの警察を呼んだ。近くには凶器の鉄パイプが落ちている。彼女はほほに手をあてて「いてて」という。そしてそこから離れようとして、ふと思いついて荏田のところに戻る。


 懐から財布を取り出して13万ほどいただく。残りは近くの川に捨てた。


「慰謝料いただいておきますね」


 べっと舌を出して、カリューは夜の闇に消えていく。

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