何かを続けることの難しさについて

 継続は力なり、という言葉がわたしは嫌いだ。


 続けなければ力にならず、力にならなければ成果は出ない。苦しくても、辞めたくても、続けなければならない。嫌なことでもしばらくはやってみるものなのだと。

 石の上にも3年という言葉もある。これらの言葉はある意味で正しく、そしてある意味で間違っている。わたしが嫌いなのはこの曖昧さと傲慢さだ。


 一つ何かを続けてみる。けれどその成果が出るのは一体いつになるのだろう?1ヶ月で出るならまだいい。1年後、10年後、それが死ぬ直前に実を結ぶこともある。

 無駄に時間を浪費した先にあるのは行き止まりという名の地獄だ。それ以上進むこともできず、そして引き返すこともできない。

 だから、時には辞める必要もあるのだろう。まずは手をつけて、感触を確かめる。これは自分に向いているのか?それとも辞めた方がいいものなのか?判断する。そして必要であればきっと辞めたほうがいいのだろう。


 今回何故このテーマで書くことにしたのかというと、わたしは最近日記を書くことを再開したからだ。


 結論を最初に書けば、わたしはLINEに日記をつけることにした。


 これから経緯をかく。

 かねてよりわたしは幾度も日記を書くことに挑戦してきた。常々疑問に思うのだが、世間のみなさんはどういった経緯で日記を書こうと思ったのだろうと思う。ふと思ってまずは日記の定義を調べてみると



日記にっき

 1.毎日の出来事や感想などを書いた記録。日誌。

 2.「日記帳」の略。

  「卓上―」



 といった答えが得られた。1の意味については簡潔だが、これ以上に表現しようがない定義だ。日本なら遡ると平安時代、もしかしたら文字が生まれた時から、日記というものは存在するのかもしれない。そのほかネットで検索をかければ「日記 続け方」、「日記 アプリ」など様々なワードが出てくる。それほどまで日記というものは人々の中に根ざしており、そして時には憧れの象徴だったりするのかもしれない。だが、ここにある疑問が生まれる。


 別に日記なんて書かなくても生きていけるよね?


 実際そうなのだ。わたし個人もそうだが、世の多くの人は自分の人生の10%も記したことがないと思う。何故なら決して日々を書き記し、文章で振り返らなくても残念ながら明日を生きることはできるから。たぶん、多くの人が日記を始めて挫折するのは細かい経緯はあっても結局ここに収束するのだ。だからまずは動機を決めるべきだと思った。


 自分はどうしてこれを始めようと思うのか?


 それが初めて行おうとしていることならば、なんとなくで始めてもいいと思う。何故なら時にはスピードが肝心なものもあるからだ。事前準備がハードルを上げてしまうことで最終的にはやらなくなってしもうこともある。だったらなんとなくで始めるのもありっちゃありだ。

 けれど、一度挫折した習慣をもう一度始めてみようという時には工夫がいる。前回と同じやり方で始めてしまえば、前回と同じ失敗を繰り返し、挫折するのは目に見えている。だから前回なぜ挫折してしまったのかを分析し、一部の条件を変更してみる。うまくいけば継続すればいいし、不満があれば改善をし、無理ならやめればいい。

 そういった経緯でまずは動機付けを行うことにした。

 今でもわたしが日記を書こうと思うはっきりした理由を述べることは難しいのだけど、強いていえばこの先の道標になることを期待したからだ。

 人間の記憶というものは曖昧である。苦い過去があったにもかかわらず、自己を守るためにマイルドに修正することもあるし、楽しかったことは120%くらいに盛ってしまうこともあるだろう。ただし、その時、その場所で文字として書き記されたものは過去を強く再現してくれる。その点でいくと映像が最強だとは思うけれど、現実的ではない。何故なら自分の人生をずっと撮影してくれるカメラマンも、人生を100%撮影できる高性能なカメラもこの世に存在しないからだ。

 嬉しかったこと、悲しかったこと、人には言えない恥ずかしかったこと、その全ての行動と感情を把握しているのは誰でもない自分だけである。

 だから書き記す必要がある。過去を最も正確に記すのに適した媒体が文字であり、文字をまとめ、留めておくことができるのが日記だからだ。



 動機が決まったので次はシステムを考える。

 ここまで読んでくださった方々が思う通りわたしという人間は怠け者かつ愚か者である。今まで多くのことをはじめ、挫折してきた。その中の原因で多くを占めるのが


 なんとなくはじめてみたけど、めんどくさくなったからやめるわ


 といったものだ。人間なんだからしょうがないと思うこともあるが、残念ながら怠けている人間には何も成すことはできない。やっぱり怠惰は7つの大罪の主要メンバーになるだけのことはある。

 話を戻すが、こういった怠け者が何かを続けるためにはモチベーションを上げるだけでは不十分なのだ。ここで外部からの圧力、すなわちシステムが必要になってくる。物事を習慣化させるにはここが重要だ。つまり、気分に左右されずにどんなに面倒だと思う日でも作業感覚で行えるよう予め整備しておく。

 先ほどは日記で挫折する原因を動機の方から分析してみたが、今度は方法、ハード面から分析してみた。

 こちらも結論から言えば日記を書くまでのハードルが高すぎるのが原因なのだ。

 日記を書くときに障害となるのは


 ①日記は書かなければならない。

 ②文章を考えなければならない。

 ③ノートなど一つのものに記さなければならない。

 ④その日の終わりに書かなければならない。


 ぱっと考えただけでもこれらの障害が挙げられる。


 ①日記は書かなければならない。

 当たり前のようだが日記は文章を書かなければならない。特にノートに書く方式であれば机に向かい、手を動かす必要がある。これは意外とハードルが高い。スマホに慣れきった現代人にとって、特に受験勉強から解放された社会人には机に向かうという時点でハードルが高い。そして文章の量が多くなるほど、物理的に書くことは疲労の元となる。この手書きというのも難点である。これはわたし個人の体験だが、わたしは仕事柄水や汚いものに触れる機会が多く、手が酷く荒れた時期があった。手はボロボロで手袋をしなければそこかしこに血液や漿液がつく有様で、ペンを握ることすら辛かった。わたしはレアケースだが、さまざまな理由で手書き自体ハードルが高い人間も多いだろう。それを一日の終わりにするのだ……とこうして文章に書き起こしてよくよく考えてみると、手書きで日記を記すということは結構ハードルが高い行為なんじゃないかと思う。


 ②文章を考えなければならない。

 文章は考える必要がある。個人的にこれに関してはそこまで心配はない。文章は書き始めれば自然と出てくる。どんな人間でも100文字くらいの出来事は一日に起きているはずだ。それを淡々と書き続けるだけである。でも人によっては文章を考えるという行為自体が苦痛なのだと思うので、ハードルの一つとして挙げておく。


 ③ノートなど一つのものに記さなければならない。

 紙媒体のノートについてである。個人的には紙媒体はそこまで嫌いではない。本だって電子書籍よりは紙のほうが好きなくらいだ。けれど、こと日記に関しては紙媒体と相性は良くないんじゃないかと思う。理由はノートとペンがなければ何も記せないこと、それゆえ場所を選び、まとまった時間が必要になること、ノートは破損したり紛失する可能性があることなど多岐にわたる。本は大量に生産されているから最悪代わりがあるけれど、日記に関してはそうもいかない。この世でオンリーワンなので当然代わりはいない。


 ④その日の終わりに書かなければならない。

 当たり前だが日記はその日に起きたことについて書き記すものである。起きてないことを記すことはできない。したがって日記を書くのは夜に書くことが多い。夜に書くことは色々と問題点がある。こちらも当然だが一日の終わりの夜は疲れている。疲れている時にその日にあった出来事を振り返られ、机に向かい、手を動かすのは怠け者にはまあハードルが高い。良い出来事があればウキウキで筆も進むと思うが、嫌なことがあった時は同じようにできる自信はない。

 さて、ここまでグダグダと日記を書けない理由について述べてみたが、これらの大部分を解消する方法をわたしは現在試している最中である。それが冒頭に述べたLINEを使った方法だ。

 たぶんこの方法で文章を書き溜めたりしている人はそこそこいると思う。以下に方法と利点を挙げる。


 利点について

 ①ネットがあればどこからでもアクセスできる。

 ②手書きの疲労がない。

 ③文字制限が無い

 ④部屋の場所をとらない。

 ⑤画像も気軽にあげられる


 ざっとこんなところだろう。これらについては長くなるので解説は割愛する。前述の続かない原因などと照らし合わせれば自ずとメリットは理解できるだろう。デメリットを強いてあげるとするならば、LINEの引き継ぎが失敗した場合データが消えるところだろうか?正直データの消失についてはノートだろうと紛失のリスクはあるのでどこも同じなんじゃないかと思う。なんならデータであればバックアップも容易に取れるし、書いてて嫌になったら一瞬で消すこともできるのでむしろメリットかもしれない。



 方法について

 まずは自分がLINEで所属しているグループ一覧を出す。そこで人数を見て1人になっているところを探す。特に少人数、かつ昔作ったグループとかであれば他のメンバーが抜けて自分1人のグループになっているものが見つかりやすい。

 そのグループをお気に入りにし、名前を「日記」とかに変更する。必要であれば、今までのトークも削除して日記帳の出来上がりだ。

 たぶん自分一人でグループを作る方法も世の中には存在するのだろうけど、調べるのも面倒だし、既に機能していないグループの整理にもなるのでこちらの方法がわたしは好みである。

 あとは普通に日記を書く。ここでいくつか心がけて書く。


 ①原則その日にあった印象深いことを一つ書く。

 ②筆が進むようならいくらでも書いて良い。

 ③時間はいつでも良い。朝起きた時でも良い。


 こんなところだろうか。


 ①原則その日にあった印象深いことを一つ書く。

 単純に文章を長くしないためもあるが、後から振り返りやすくするためでもある。書くのに当たってハードルはできるだけ下げたいが、せっかく続けるのなら有益なものにしたいという意図である。


 ②筆が進むようならいくらでも書いて良い。

 自由度を求めた。今書いている文章もそうだが、何事も楽しくなければ意味がないし、続きづらいと思う。時には苦しむことも大事だが、別にお金をもらって書いているものでもないし、何も責任はないのだから、筆が進む日は自由に書くべきだ。逆に書く気力が湧かない日は1行でも書けばいい。きっとその日はそんな日だったのだろう。


 ③時間はいつでも良い。朝起きた時でも良い。

 前述したが夜日記を書くことへの回避案だ。夜にかければベストだが、他人との付き合いや趣味に没頭した結果、日記を書くことを忘れて次の日になってしまうことになる。黎明期に大事なのはクオリティではなく続けること。どんなに質が低くても毎日書くことが重要になる。だから気づいた時点で書くことにした。朝書こうかなと思ったら、その日起きそうなことを書くことにしている。実際それらが起きなかったとしても特に修正しない。事象は起きていなくても、そこに文章を書いたという実績は残るからだ。


 以上が日記の基本的な運用法だ。続けていくうちに改善点が見られてくると思うので、その時は都度改善する。


 さて、ここまで日記を例に挙げて「続けること」について述べてきた。

 結局のところ自分に合ったやり方を見つけてトライアンドエラーを続けるしかないという身も蓋もない意見に落ち着くこととなった。一応共通点を挙げておけば


 ①自分の特性を知ること

 ②限界までハードルを下げること

 ③毎日続けること


 この辺だろう。正直なんでこんなことを続けなければならないんだろうと思う日もある。けれど始めることでしか見られない景色があり、続けなければ理解できないことが世の中には多い。人々はそれらを求め、今日も何かを続けるのである。

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