第2話
北田のそばに立った真理夫は、そんな売り込みをしてきた。逆紅とかなり似た顔立ちだが、頬が若干こけたような顔貌をしているから区別は簡単に付く。しかし病的という雰囲気は欠片もなく、今出た誘い文句にも、金に困っているオーナーの必死さは感じられない。
「機会があれば、寄らせていただくとしますよ」
当たり障りのない返事をしておいた。現実問題として、真理夫による金の相談が漫画家・逆紅三太郎の仕事を停滞させるような事態になるなら、売り上げに貢献してやるのは意義があることかもしれない。
「ほとんどみんな酒を口にしてるな。全員泊まってくのかな」
北田はふと気になり、多部信子を掴まえて聞いてみた。酔った者を帰し、そいつが車で事故を起こしたとなると、逆紅の名前にも傷が付く。
「ええ。関さん親子だけ、お帰りになりますよ。あの方は飲んでいないはずです」
「なるほど」
安心した。関誠子とは今日が初対面だが、北田の眼にはしっかり者に映った。配達先に子連れで招かれたという背景もあってか、気が張っているようだ。子供達の姿が見えないが、さっきプレゼントされた車のおもちゃを見せっこしていたから、どこかの部屋で遊んでいるのだろう。
パーティは予定していた段取りをほぼ消化し、最後にクリスマスらしく、ケーキの切り分けが行われて、自然にお開きとなった。あとは各自が思い思いに振る舞う。
「どうする?」
北田は逆紅に尋ねた。このあと、浪川を交えて年明けからの仕事の相談を少しするつもりでいるのだが、逆紅の意向の最終確認をしておく。酔いの度合いが傍目からでは分かりにくいし、酔ってないにしても弟・真理夫との話を先に片付けようとするかもしれない。
「ああ。そうだな……」
機嫌はよいが眠そうな眼で、逆紅は応じた。
「先に真理夫と会っておく。さっき、そういう約束をしたんだ。長引くかもしれん。だから、もし遅くて待ちきれなかったら、さっさと寝てくれてかまわない」
「分かった。浪川君にも伝えておくよ」
北田は一人、資料室を兼ねた図書室で待っていた。浪川から、この家で仕事上の話や打ち合わせをするのは、たいてい応接間だと聞いていたが、逆紅の指定でこの部屋になった。なるべく人に聞かれたくない、重要な話をするつもりなのかもしれない、と北田は解釈した。図書室というだけあって、空調は適切だし、防音もしっかりしている。あのユニークな池を眺められないのだけは、ちょっと残念だが。
部屋には先ほどまでは浪川がいたのだが、しきりに船を漕いでしまっていた。待たされてしびれを切らした、というよりも眠気に勝てなくなった彼が宛がわれた部屋に引っ込んでから、もうすぐ十分。
と思っていると、ドアが乱暴に開き、逆紅が息せき切って現れた。
「十時三十五分か。思ったよりは早かったね」
北田が腕時計から視線を上げながら言うと、相手は呼吸を整えつつ、何度か首を縦に振った。
「そんなに急いでこなくても、大差ないのに」
苦笑混じりに北田は言って、逆紅に茶の入ったコップを渡した。それを飲んで、逆紅はようやく声を発した。
「すまん。説得に時間が掛かった」
「差し支えなければ、どうまとまったのか聞きたいな」
向かい合わせに座り、落ち着いて会話のできる状態になった。
「条件付きで少額の融資をすることになった。三月末までに立て直せなかったら、店を畳むという条件だ」
「ふむ。まあ、穏当なところか。だが、情にほだされ、ずるずると先延ばしされやしないかね」
「いや、それはあり得ない。……元々、金を出すことに乗り気じゃなかった。ある意味、こっちが説得されたことになるなあ。ま、小さい頃は本当に仲がよかったんだ。男兄弟にしては珍しいと言われるくらい。ちょっとやそっとじゃ、完全に嫌うなんてできない」
逆紅がそう答えたとき、部屋のドアがノックも適当に開けられた。振り向くと、真理夫がノブを持ってドアを押し開けた姿勢で立っていた。
「邪魔したかな?」
「いや、まだ本論に入ってなかった。どうした?」
「急用ができたんで、帰ろうと思う」
「こんな時間にか?」
「ああ。仕事のことで、思い付いたことがある。手を打っておきたい」
「そうか。遅いから、駅まで送っていってやろう。鍵はどこへやったかな」
ポケットをまさぐりながら逆紅が立ち上がろうとするのを、北田は袖を引っ張って止めた。
「まだアルコールが抜けてないだろ。肝心なときにへまを起こすことになるぞ」
「……だな。他にも運転できそうなのはいないか。関さんも帰られたあとだからな。しょうがない。真理夫、タクシーを呼べ。金なら出してやるよ」
鍵を探していたはずの手で、財布を取り出した逆紅。そこから紙幣を何枚か出すと、弟に向けた。掃除機に飲み込まれる紙切れみたいに、紙幣は真理夫の手に移動した。
「ありがたく、使わせてもらうよ」
薄笑いを浮かべ、軽く手を上げると、真理夫は立ち去った。ドアを閉める音が残った。
* *
「――と、いうことで、生きた真理夫の姿が確かに確認できたのは、これが最後です」
「確かに確認、ね」
「……」
刑事は明らかに鼻白んだ。だが、以前に比べると許容する器が大きくなったらしく、「二重表現でしたな」と苦々しげに応えた。
「続きを言ってよろしいですかな、地天馬さん?」
「もちろん。その前に断っておくと、二重表現が間違いだと言っている訳ではないよ。単に無駄だと感じているに過ぎない」
「……えー、その後……次に真理夫が見つかるのは、遺体になってから。翌朝八時過ぎ、逆紅の家のある丘を下りきったところにある、川の畔に横たわっていた。見つけたのは、朝食のあと、思索を兼ねて散歩に出掛けた逆紅と北田、浪川の三名。死亡推定時刻は――」
「花畑刑事、ちょっといいかな。家からその川辺まで、高低差と距離はそれぞれ何メートルぐらいあるんだろう?」
地天馬が手を挙げ、質問を挟む。花畑刑事は嫌そうな顔を一瞬見せたが、手帳のページを繰って、すぐに答えた。
「高低差は調べていないが、距離なら分かる。直線距離にして約九百メートル。どうしてこんなことを気にするんで?」
「寒い日の朝っぱらから、わざわざ散歩に行くような距離かどうかだね。それも、平坦な道のりではなく、帰りは確実に上り坂になるというのに」
「言われてみれば、変だな……。先を続けます、よろしいかな? ええと、死亡推定時刻は前日の二十三時から日をまたいで一時の間で、死因は撲殺。頭の前と後ろを一回ずつ、硬くて平らな物で殴られたと見られる。凶器はまだ見つかっていない」
「丘の下まで歩いて行き、タクシーを待つ間に、通りがかりの強盗にでも襲われたのかな?」
私が思い付いた感想を述べると、花畑刑事が「どうでしょうな」と疑問を呈した。
「強盗に限らず、誰かがふらりと通り掛かるような場所じゃないんですよ。その上、金目の物はそっくり残っていたし、タクシーを呼んだ形跡もないと来ている」
「タクシーを呼んでいない?」
つい、叫ぶような声で反応してしまった。話の流れからして、当然、呼んだものと考えていた。
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