冷めた和

小石原淳

第1話

 逆紅さかべにに続き、北田きただが車を降り、ともに門扉を目指して歩いていると、小学三、四年生ぐらいの男の子二人が、そこから相次いで飛び出してきた。枝のような細い棒を手に、フラフープに似た金属製の輪っかを転がし、追い掛けている。

「坂があるから、外に出てはだめと言っただろう」

 逆紅が穏やかだが強い調子で注意すると、少年達は「はーい」と言いながら、輪っかを掴まえ、門の内へと戻っていった。

「――子供はいなかったよな?」

「親戚の子らだ。以前、外でやるのを許していた頃、あの輪がどこまでも転がっていってね。人や車が通れば、危ないところだったんだ」

 逆紅の説明に、北田が頷く。

 漫画家・逆紅三太郎さんたろうの家は、小高い丘のてっぺんにある。鳥瞰すれば、顔に見えるように建てられていた。家屋が髪と鼻筋、庭にある二つの丸い池が小さな目、オーロラを模したオブジェが口、敷地を取り囲む塀が輪郭、そして二つある車庫が耳といった具合だ。来客が駐車場に車を停めると、色とりどりの髭が生えていくように見えなくもない。

 が、大勢がひっきりなしに出入りしたのも昔の話。今は、爆発的ではないが安定した人気を保つ連載二本を抱えるベテランに収まっていた。

 人気絶頂だった頃、ファンが押しかけると煩わしいからという理由で、交通の便の悪い土地に作られた。周りも林ばかりで、ご近所と呼べる家並みは皆無。家の正面と裏とに、下り坂がだらだらと麓まで続く。おかげで現在はまことに静かで、漫画を描くのに適した住環境と言えた。

「元々は、自転車だったんだ、あの輪。がたが来て壊れる前に、分解してああいう遊び道具にしたら、結構受けた。夏はともかく、冬は他の遊びが乏しいからな」

 お盆の頃と年末年始は、逆紅の家に親戚や知り合いが集まって過ごすのが恒例になっていた。仕事の関係者はほとんど呼ばないが、たまに例外がいる。今年末の北田もそうだ。彼は逆紅の描いている雑誌の編集者である。かつての担当で、今はよき理解者で相談相手といった存在だ。

「冬、ここに来させてもらったのは初めてだが、寒いねえ。晴れた日の昼だというのに、池に氷が張っているじゃないか」

 池の脇を通りながら、北田は首を竦めた。逆紅も筋肉の乗った肩を、今はすぼめている。

「ああ、あれは親戚のちび共に好評なんだ」

 逆紅の笑いを交えた声が、北田の耳に届く。風が強くて続きがしかと聞こえない。二人は家の中に入った。応接間に向かう。暖房が効いていて、人心地つけた。

「氷がどうして子供に好評なんだろう?」

 フランス窓から中庭を眺め、改めて池の氷を確認した北田。逆紅は一段と大きな笑い声を立てた。

「分厚くて頑丈な氷が勝手にできるからさ、スケートをするのにいいんだよ。あんたを迎えに出発するまでは、あの子らが滑ってた。二人ぐらいがちょうどいいんだ。一つの池が直径三メートル足らずだから単調だし、大勢だとよほどうまく滑らないと頻繁にぶつかる」

「逆紅さんは滑れたっけ?」

 窓際を離れ、ソファに腰を下ろした北田は、記憶をたぐった。確か、スケートだけでなくスキーも滑れないか、滑れても上手ではなかったはず。

 すでにソファに収まっていた逆紅は、苦笑しながら首を左右に振った。漫画家というイメージにはそぐわない、肉体派の彼には専用の大きなソファが置いてある。

「試しに滑ってみたが、全然だめだった。滑り芸は苦手だな」

 自分の台詞が気に入ったのか、逆紅はまた声を立てて笑う。北田は少し考え、昔、連載が短期で終了したギャグ漫画のことを言っているのだと気付く。

 北田が気付いたことを察してか、逆紅は「僕の本領はやはり、サスペンスにある」と付け加えた。

「よい原作があれば、ぜひ描きたいもんだ。前にも言ったけどさ、吾妻橋あづまばしきょうさん辺り、肌が合うと思うんだよな。いや、絶対に」

 吾妻橋京は現代一線級の人気作家で、出す本のほとんどが映像化されるほどだ。当然、小説誌だけでなく、漫画の原作依頼も殺到している。

「そのことなんだが、逆紅さんにクリスマスプレゼントがある。うちの社で口説き落とせそうなんだ。先方も、逆紅三太郎先生ならと乗り気になっている感触がある。いや、私の立場は、そういう報告を受けているだけなんだがね」

「本当か? そりゃ凄いプレゼントだ。ぜひ実現させてくれ。大ヒットを飛ばしても体力的に保つのは、この先数年だろうからな。わははは」

 逆紅が笑っていると、彼の妻が温かい飲み物を運んできた。

 エプロン姿の彼女、多部信子たべのぶこは北田に挨拶しながら、前のテーブルにカップを置いた。逆紅よりも一回りほど年下で、小柄だが美人で通っている。今日は忘年会を兼ねたクリスマスパーティが開かれるが、そこで供される料理のほとんどが彼女の手作りだと聞く。

「どうも、奥さん」

「北田さん、お久しぶり。くつろいでいってください」

「準備の方は大丈夫だな?」

 逆紅の言葉に、信子は「もちろんよ」と快活に応じた。その明るい表情を転じ、少し眉根を寄せると、夫に耳打ちする。北田には聞こえなかったが、あまりよい話ではなさそうだ。その証拠に、逆紅の顔に苦渋が走った。

「――分かった。あとで話そう」

 多部信子が立ち去るのを待って、北田はなるべく気軽な調子で尋ねてみた。

「何かあった?」

「たいしたことじゃない。追加融資してほしいと、弟に頼まれているんだ」

「弟というと、確か真理夫まりおさんとか言ったっけ。レストランをやってる」

「ああ。何かと苦しいらしい。店じまいして、それなりのところで雇ってもらう道があるんだから、もう金を出すつもりはないんだが」

 それから逆紅は何かを思い起こす風に、天井を見つめた。

「そういえば、車がなかったな。自慢のスポーツカーで来なかったってことは、ひょっとしたら手放して金に換えたのかもしれん」

 弟の店への執着心を感じ取ったか、逆紅は深い深いため息をついた。そのまま大きく伸びをして、ソファから立ち上がった。

「今、話した方がいいかな。嫌なことを後回しにするのは、性分に合わない」

「私が口出しすることじゃない。パーティの雰囲気を悪くされると、ちょっと困るがね」

 北田は冗談交じりに言ったが、逆紅は真に受けたらしい。立ったまま腕を組み、迷う仕種を見せた。

「……パーティ中でもあいつが言ってきたら、そのとき考えるとしよう」


 クリスマスパーティには、以下の面々が参加した。

 ホスト役の逆紅夫妻、北田、多部真理夫の他に、信子の兄夫婦とその息子、逆紅宅に食料などを届ける配達業者の関誠子せきさとことその息子、逆紅の学生時代からの親友にして資料集め専門のアシスタントを務める浪川英志なみかわひでし。都合十名になる。担当編集者や描く方のアシスタントとの慰労会は、すでに別の形で開いたあとだ。

 パーティは騒がしくも陽気で賑やかに進んだ。逆紅と真理夫の仲も、北田が懸念したほどではなく、険悪な空気が流れるどころか穏やかに会話を交わしていた。小さな子供が場におり、隠し芸やカラオケといった定番のレクリエーションが繰り広げられているせいもあったかもしれない。

「北田さん、一度でいいですから、関係者一同で店に来てください。サービスしますよ」


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