生きている意味

三鹿ショート

生きている意味

 自分は、何のために生きているのだろうか。

 腹が減れば何かを食べるが、そのためには金銭が必要であるために、一日を生きることができるほどの金銭を稼ぐことを繰り返している。

 誰でも可能な仕事をこなし、趣味も無く、友人も恋人も存在せず、後世を担う子どもを育てているわけでもない私は、存在している価値があるのだろうか。

 だからといって、この世を去りたいわけでもない。

 私という意識が消えることを恐れているゆえに、自らの手で生命を絶とうとしないのだろうか。

 私という人間は、我が儘を言い続ける人間よりも性質が悪いようである。


***


 帰途に存在する飲食店で空腹を満たすことが、私の日課だった。

 毎日のように食事をするために、常客といえば常客なのだが、私の存在が希薄なのか、私のことを憶えている店員は少ない。

 その数少ない一人が、彼女だった。

 彼女は常のように明るい笑顔を見せ、私に対応する。

 彼女は他の客に対しても同様の対応であるゆえに、私が勘違いをするようなことはなかったが、私のような人間に対応されるよりは良い気分だった。

 食事を終えると、自宅に戻り、風呂に入った後、眠る。

 まるで機械のような生き方だが、私には感情というものが存在している。

 だが、それを示す機会は皆無だった。


***


 その日、私は彼女の口の端に痣が出来ていることに気が付いた。

 通常ならば即座に注文する私が無言で己の顔を見つめていることに気が付いたのか、彼女は苦笑を浮かべると、

「実は、恋人と喧嘩をしてしまったのです」

 彼女に恋人が存在しているということを初めて知ったが、特段の衝撃は無かった。

 しかし、交際相手に手を出すなど、褒められた人間ではない。

 私ならばそのようなことはしないと簡単に言うことはできるが、恋人が存在したことなど一度も無い私の思考は、脳天気そのものだった。

 私は、助言することができるような立場ではない。

 彼女に何かを告げることもなく、私は常のように注文した。


***


 彼女から恋人と喧嘩をしたと告げられた翌日、彼女の姿は無かった。

 体調でも悪いのだろうと考え、私は他の店員に事情を訊ねることはしなかったものの、彼女の不在が一週間も続くとなると、流石に気になってしまった。

 だが、他の店員に訊いたところで、子細を語ってくれるとは限らない。

 加えて、彼女の自宅も知らないために、訪問することも不可能だった。

 しかし、彼女の事情を知ったところで、私に何が出来るというのだろうか。

 例えば、恋人に暴力を振るわれた結果、入院することになってしまったため、彼女の代わりに報復でもしようというのか。

 例えば、本当に体調を崩しているだけならば、見舞い品を渡しに行くつもりなのか。

 そこまで考えたところで、私は思わず口元を緩めてしまった。

 まるで、私にとっての生きる意味の一つが、彼女の無事ということになっているのではないか。

 私の中で彼女という存在がそこまで大きくなっていたということなのだろう。

 それを自覚したと同時に、私はこの土地から離れることを決めた。

 生きる意味というものを失ったとき、私の精神は大きく乱されてしまうに違いない。

 ゆえに、失う前に自分から離れてしまえば、傷を負うことはないのだ。

 食事を終えると、私は職場に戻り、辞職することを伝えた。

 元々入れ替わりが激しい職場であるために、上司は特段気にする様子を見せなかった。


***


 選り好みしなければ、仕事は幾らでも存在する。

 思いつきで別の土地へ移動したとしても、私が仕事に困ることはなかった。

 以前と変化が無い生活のように思えるが、一つだけ変わったことがある。

 それは、報道を目にしなくなったことだった。

 もしも彼女が恋人との喧嘩によってその生命を奪われたと知れば、別の土地へ移った意味が無くなってしまうからだ。

 これで私の生活における数少ない行動がさらに減ったことになってしまったが、心を乱されることのない日々を送るためには、仕方の無いことである。


***


 職場からの帰り道に、私は数人の少年に襲われた。

 私の金銭を奪うことが目的だったらしく、余計な怪我をしないためにも抵抗はしないつもりだったが、どうやら奪う過程も重要視しているらしい。

 少年たちは笑い声をあげながら私を殴り続け、私が動かなくなると、ようやく金銭を奪って逃亡した。

 殴られた場所が悪かったのか、私は立ち上がることができなかった。

 だが、助けを求めるなどということはしなかった。

 己の意志では無く、予期せぬ外部からの影響で自身の人生が終わるのならば、運が悪かったと諦めることができるのだ。

 薄れていく意識の中、自分の人生を振り返る。

 結局のところ、私は何のために生きていたのだろうか。

 少年たちに遊ぶ金を奪わせるというだけの人生ならば、何とも恵まれないものである。

 しかし、私とはその程度の人間なのだ。

 後世のために何一つ行動しなかった私の末路としては、少年たちを喜ばせることができたのならば、上出来といえるのではないだろうか。

 死者が向かうという世界が存在するのならば、両親に笑い話として伝えることにしよう。

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