第2話 出会い

 風もそよぐ、夕暮れ時。

 私は野狐の姿で、村はずれの山道に出た。辺りはうっそうと木々に囲まれ、脇には小さな沼もあった。人目につかぬであろうこの場所で、私は獲物を待つことにした。 

「さて、どうするか」

 考えを巡らせながら、沼の岸辺の手ごろな石に飛び乗った。

「やはり、こうか」

 目を閉じ、私は農家の若者に化けた。村といっても、田畑ばかりが広がる小さな村だ。この姿が最も自然だろう。

 それにしても、人間の味とはどのようなものだろう。昆虫共より噛みごたえがありそうだが。野兎と同じようなものだろうか。喰ってくれと言わんばかりに、鈴虫がりんりんと鳴いている。よだれが出そうになるのを抑え、私は大人しく人間を待った。


***


 間もなく、人影が一つ近づいて来た。目を懲らし、よく観察する。十かそこらの、日に焼けた男児だった。大切そうに胸の前で何かを抱え、ひょこひょこと歩いている。いかにも農家の子らしく、紺色の粗末な着物を身につけていた。

「何だ、あれは」

 私は落胆した。ちょいと捻れば折れそうな、あのか細い手足。肉も何も、あったものではない。

 しかし、どうも様子が変だ。男児は泣きべそをかき、なんとも情けない面構えでこちらに向かって来るのだ。汚らしく、鼻水まで垂らしている。

「情けない顔だな」

 近くまで来たところで、私は声を掛けた。袖で目をこすり、男児は栗のように大きな眼をこちらに向けた。

「捨てたくないが、捨てないといかんのだ」

 男児は腕の中に視線を落とした。抱えていたのは、ただの石だった。

「これは?」

 黒ずんだ石には、妙な模様が刻まれていた。一見すると人の形のようだが、どうも違う。頭上には皿、水掻きのある手。甲羅を背負い、右手には釣竿を携えている。

「河童か」

 男児はこくりと頷いた。

「尖った石で傷をつけて描いた。だが、母ちゃんに気味が悪いから捨てろと言われてな。そこの沼に沈めに来た」

 大きな瞳から、再び涙が浮かび上がる。

「えぇい、泣くな!」

 怒鳴りつけると、男児はびくりと肩を震わせた。

「どれ、貸してみろ」

 男児が怖々と石を差し出す。それを受け取り、まじまじと見つめた。

「ふむ。よく描けておるぞ」

 気の抜けた目元が、知り合いの河童によく似ている。

「本当か?」

 今度は嬉しそうに、男児は私の隣に腰掛けた。

「あ・・・・・・」

 途端に、男児が目を見張る。

「どうした?」

「な、何でもない」

 私の背後に虫でもいたのだろう、男児はすぐに元に戻った。

「俺は誠之助。お前さんの名前は?」

 尋ねられたが、困った。私には名前などない。

「一太郎と呼べ」

「そうか。一太郎か」

 それらしく名乗ってみたが、上手くいったようだ。

「それにしても、これを気味が悪いとは。お前の親は変わり者だな」

「弟が泣くからだ。三つになったばかりでな。これを見ると、ひどく怖がる」

「泣いたら、黙らせればよいのだ」

「黙らせる?」

 誠之助は、きょとんとしてみせた。

「兄弟というのは、一度言うことを聞けば、調子に乗ってどこまでも付け上がるぞ。兄ならば、脅して黙らせるなり、無視してやり過ごすなりすればよいのだ」 

 誠之助は、ぽかんと口を開けていた。

「どうした?」

「一太郎は間違っとる」

「何?」

「弟は可愛いがって面倒を見る。それが兄貴だ」

「可愛いがる?」

 私は首を傾げた。

「あぁ、そうだ」

「可愛いがるとは、どうやるのだ?」

「遊んでやったり、添い寝してやったりだ。背中を優しくぽんぽん叩いてやると、安心してよく眠る」

 その状況を、自分に置き換えてみた。兄が私に添い寝し、あのたくましい前脚で背中を――。想像しただけで吐き気がした。

「どうした? 怖い顔して。腹でも下したか?」

 誠之助が、不思議そうに目をしばたたかせる。

「いや、何でもない」

 おぞましい情景を掻き消すように、私は頭を振った。

「それにしても誠之助。なぜ、これを描いたのだ?」

「妖怪に会ってみたいからだ」

 誠之助はにっこりと笑った。

「妖怪に?」

「皆は怖がるが、悪い奴ばかりでないと思う。俺は妖怪と友人になりたい」

 親も親なら、子も子か。誠之助も、相当の変わり者らしい。

「俺は釣りが好きだから、河童にした。河童は釣りが好きだろう? だから、一緒にやりたい」

 私の知る限り、河童は釣りなどしない。否定するのも面倒なので、黙っておいた。

「そこまで強く思っているならば、捨てることはないだろうに」

「だが・・・・・・」

 誠之助はしゅんとして俯き、腕の中の河童をぎゅっと抱きしめた。

「そうだ、誠之助。つくも神を知っておるか?」

「つくも神? それは何だ?」

「長い歳月が経った物には、霊が宿ると言われておる。それが化ける能力を獲得し、妖者として動き出したもの。それがつくも神だ。お前のそれも、いずれ魂が宿り妖怪になるかもしれん」

「本当か!?」

 誠之助が目を輝かせる。人の子とは、皆こうなのだろうか。言葉一つで、くるくると表情を変える。

「だが、長い年月とはどれくらいだ?」

「さぁな。聞いたような気もするが、忘れてしまった」

「そうか」

 誠之助は再び肩を落とした。拗ねたように、細い足をぶらぶらと揺らしている。

「な、泣くでないぞ」

 怒鳴りつけるのは、どうも性に合わない。子供の怯えた顔は美しくない。私は穏やかな声色を作り、誠之助の肩に手を添え、顔を覗き込んだ。

「あはは」

 どういうわけか、誠之助は笑い声を上げた。

「今の一太郎は、まるで兄貴のようだったぞ」

「そ、そうか?」

 ふむ。人にとっての兄とは、こういうものか。少々くすぐったい気もするが、悪い気はしない。

「俺、捨てるのはやめる。つくも神になったらわかるよう、隠しておく」

 誠之助は悪戯っぽく、にっと白い歯を見せた。

「なぁ、誠之助。狐の妖怪ならどうだ? 会いたいか?」

 尋ねたことに、深い意味はない。単なる好奇心だった。

「まだ少し怖い。だが、本当は優しいと思う」

「は?」

 私は「会いたいか」と聞いたのだが。どちらともつかぬ返事だった。

「もう帰らんと」

 誠之助が立ち上がった。

「一太郎、明日もここにいるか?」

「あぁ」

 頷くと、思った通り誠之助は笑顔を見せた。

「俺も、明日も来るぞ!」

 微かな夕日の光を受け、誠之助は威勢よく駆けて行った。

「可笑しな子供だ」

 遠ざかる誠之助の背中を、私は喰うことも忘れて眺めていた。


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