【篤斗】

 階段を駆け上がる。

 ビルの四階程度なら、エレベーターを待っているよりも早く着ける自信があった。今は少しでも急ぎたい。俺は腕を振り、一段飛ばしに踵を鳴らしていった。

 予定より三十分の遅刻。遅れるつもりはなかったが、予想以上に話が長引いた。

 全く、黒木さんめ――。

「いらっしゃいませー」

自動ドアを抜けると、入り口脇のレジに立っていた坊主頭のスタッフが、威勢よく挨拶する。それを皮切りに、店内の至る場所から出迎えの声が届けられた。

「石本で四名、予約してたと思うんですが」

 訊ねると男は、「少々お待ちください」と丁寧に頭を下げ、手際の良い対応で席まで案内してくれた。

「お疲れ様です!」

 俺の顔を見るなり声高に発したのは、石本だ。

 今しがた耳にした店員の声に負けずとも劣らない体育会式の挨拶。やや遅れて、お疲れ様です、と二つの声が重なった。

 個室タイプに区分けされた四人掛けのテーブル席には、すでに三人の部下たちが顔を並べている。

「部長、まさかの遅刻ですか?」

 口元に笑みを浮かべ、坂口が言う。

「待ちきれなかったんで、先にやってましたよ」

 右手にビールジョッキを掲げ、津久井が続いた。手にしたジョッキの中身は、殆ど空に近かった。

「すまん。遅くなって悪かったな」

 三人の顔を見回し、ひと言謝罪の弁を述べる。

「いえいえ、編集長と一緒に黒木さんの部屋に呼ばれたあたりから、なんとなく予想できてましたからね。今頃、編集長も向こうの人間に頭下げてるんじゃないですか」

 流石は坂口だ。暗黙の了解というべきか、この辺のやりとりに関して、うちの人間は実に物わかりがいい。普段から遅刻はご法度だぞ、と言い聞かせている手前、俺にも立場ってものがある。だが黒木さん特例法なるものが浸透しているらしく、察しのいい部下の対応に救われるかたちになった。

「部長もビールでいいですよね」

 呼び出しボタンを押した津久井が、やってきたホールスタッフに追加のビールを四つ注文した。

 三人は儀礼的に――というか、残ったビールを旨そうに飲み干すと、真新しく注がれた追加のビールジョッキを手に、仕切り直しの挨拶を待っている。俺は一度咳払いをした。

 一同に視線を回す。最初と締めの挨拶だけは、部長らしく、風格のともなった弁舌をするように心掛けている。

「それじゃあ今月も、残り一週間とちょっとだ。来週からは一段と忙しくなると思うが、営業内でより密にコミュニケーションを取り合い、良い誌面を完成させるために、一丸となって頑張っていこう。……ってことで、今日は思いっきり飲んでくれ」

――乾杯。

 俺の声を合図に、テーブルの中央に寄せられたビールジョッキが、宙で小気味いい音を重ねる。俺はジョッキの縁から零れ落ちそうな泡を、急いで啜った。

 うちの会社では、月に二度、こうした飲み会を開くことが恒例となっている。本日行われているのは、締め切り一週間前の金曜日、営業部と編集部が別々の場所で開く会で、建前上は、各部署ごとに行われるミーティングとなっている。

 主に、締め切りに向けた進捗状況などを確認する意味合いが強いのだが、実態は、簡素な確認事項をさっさと済ませ、激動の一週間を前に、一旦、社員のガス抜きをする要素の方が強かった。

 俗に言う『飲みニケーション』である。

 堅苦しい話はさておき、無礼講はもちろん、普段、あまり口にしないような愚痴を聞いてやる場としても、重要な飲み会となる。

 二度目の会は、締め切り明けに、黒木さんを含めた全社員で行われる慰労会。これらの会を定期的に開くことが、黒木さん曰く、組織力の強化には欠かせないらしい。


 石本が器に盛ってくれた鍋を箸でつついていると、正面に座る坂口が訊ねてきた。

「ところで部長。黒木さんとの話って、例のアレですか?」

 坂口智彦は、入社四年目の二十七歳。

 同じく四年目の津久井康平も、同い年の二十七歳だ。二人は入社時期も近く、数か月、坂口の方が先輩にあたるのだが、共に血液型がO型であるなどの共通点もあってか、同期の桜よろしく、コンビ愛さながらに仲が良い。

 今しがた坂口が言った『アレ』とは、先週、黒木さんの口から飛び出した『ウォー・レンジャー』の人選についてである。

 赤、青、緑、黄、桃と社内から選抜された五人の勇士――というか厳密には生贄たちについて、俺と編集長に黒木さんを交えた三者のトップ会談で、今後の予定が決められたのだ。

 あの日の翌日、黒木さんの口から件の内容を告げられた社員たちは、一様に視線をそむけていた。『Kの衝撃』と恐れられている黒木さんのアイディアは、案の定、社員の心を震撼させた。それこそ人間の防衛本能とでも言うべきか、今、黒木さんと視線を交えることに、どれほどのリスクが伴うのか、誰もが直感的に悟り、危機回避運動を試みていた。

 唯一、石本だけは、黒木さんからお呼びの声がかかるのを待たず、「是非やらせてください!」と右手を高々にあげ、自薦したのだが……。

 リーダーで主役格のレッドには俺が予定通り着任し、レッドの両脇を固めるブルーとグリーンには、編集部と営業部からそれぞれ一名を選ぶ手はずになっていた。

 ブルーには、入社六年で編集部ナンバー2である花村一貴はなむらかずきが、グリーンには坂口が渋々と内定し、石本がイエローになることについては誰からの異論もなかった。

というよりも、石本ほどの適任がいなかったのだが、残りのピンクについては大きな問題が残ってしまった。

 戦隊物でピンクとくれば、すなわち女。女性が演じる役回りに他ならない。これは絶対だ。俺が幼少期から見てきたどんな戦隊物にだって、ピンクは話の構成上、ヒロインとしての重要な一翼を担ってきた。万が一にも、男が演じていたことなんてことは、ない。

もしゃもしゃ頭に全身ピンクのコーディネイトをトレードマークにしている日本一のピンク愛好家。あの林家一門の漫談家にだってオファーはなかったはずだ。

 これは俺たち『ウォー・レンジャー』にしても同じこと。男がピンクを演じるなんてことは、ない。否、断じてあってはならない。

 しかし、このピンクに白羽の矢があたったのは、唯一の女性社員、編集部の佐伯彰子であった。

 彼女は入社五年目の二十八歳。腰まではあろうかという艶深い黒髪を一本に纏めるのが定番のスタイルであり、一重瞼の切れ長な目は、妖艶さながらの雰囲気を醸し出している。文字通り社内の紅一点でありながら、同時に彼女は『鉄の仮面』という異名を持ち合わせる。社内一、仕事のできるスタッフなのだ。

 あの黒木さんも一目を置くほどの辣腕ぶりは、何事にも整然とした事の運びを重視する。冷静沈着、頭の回転は社内の誰よりも素早く、どんなイレギュラーでも迅速に対応する。多用な仕事が飛び交い、限られた時間の中で並行して進められる締め切りの間近の激務を、何食わぬ顔で平然とこなしていく彼女の貢献度は、非常に高い。焦った顔ひとつ見せることなく、泣き言のひとつだって口にすることはない。あの年齢で、何をどうすればあれだけ肝が据わるのか、彼女の生い立ちを詮索してみたくなるほどの不動心ぶりを見せる。社内の誰もが一目を置く存在なのだ。

 佐伯彰子の辞書に、『動揺』という文字は存在しない。

 鉄壁のA型女子。

 その佐伯に、先手を打たれてしまったのだ。

 いや、流石は佐伯と褒めるべきか。

 あの場面で、誰が何を語るよりも早く、「私はピンクなんてやりませんよ」と一息に述べ、屈強な砦を築きあげてしまった彼女の防御網。それを崩すのは、決して容易な作業ではない。

「ピンクじゃなくて、シルバーだったら良かったのにね。駄目なの? シルバーって綺麗だし、カッコいいじゃない」

 部外者の梨佳子は、他人事のように太平楽を並べていたが、当の俺たちにとって、ピンクが不在とあっては死活問題にもなり兼ねない。

 馬鹿野郎! シルバーなんて宇宙刑事じゃねえか、と黒木さんに一喝される姿が目に浮かぶ。

 結局、細身のポッキーを女装させる妥協案までもが出たのだが、それでは黒木さんが納得しなかった。ならば黒木さん自身が説得を試みればいいのでは、と諫言するも、俺が言ってしまえば佐伯も断りにくくなる、と都合のいい発言を楯にして、早々に交渉のテーブルから離脱する始末。断れないのなら、それでいいじゃないですか、とは抗議しない。どうせ、何事にも自主性を持って取り組みたい、とか、お前ら二人は何のためにいるんだ、なんてことを言い出すに違いない。とある諸事情につき、黒木さんも佐伯には弱いのだ。

 仕方なく、俺と編集長があの手この手をつかい、この一週間をかけて、彼女を口説き落としたのである。文字通り、あの手この手を使って、だ。

 その最終報告を兼ねて、つい先刻まで、黒木さんとの打ち合わせにハマっていたのだが、最後の最後で 俺は、編集長が差し出してきた隠し玉に、愕然とさせられることになる。

紙 切れ一枚、A4サイズの見積書。

 それを視線に捉えた俺は、ひと目で事態を把握した。その紙が意図するところは、ただひとつ。

 ――本当にコスチュームまで作るのかよっ!

 もちろんこの事実は、程よく酒が回るまでの間、坂口には黙っておくことにする。


「なーんだ。オレもやりたかったな、ウォー・レンジャー。部長のレッドなんて、超カッコいいじゃないですか」

 営業部では、唯一難を免れた津久井が、飄々とした口振りで、軽口を叩いている。見るからに他人事。完全なるお気楽モードだ。

「別にいいんだぜ、そんなにやりたいなら変わってやるか? グリーンだけど」

 隣に座る坂口が、手にした枝豆をグリーンに見立て、津久井の顔の前にちらつかせる。

 当然津久井は『ウォー・レンジャー』になるつもりはない。こいつは典型的な太鼓持ちタイプで、営業部きってのお調子者。いつだって、口を開けばこんな感じになる。

 ――人は持ち上げてなんぼですよ。

 そう堂々と揚言する姿は、年齢の割に、世の中を達観しているかのような懐の深さを感じさせる。が、実のところ、こいつの底は、非常に浅い。まあそれも、あと一時間も経たないうちに露呈するはずだ。

 営業にしても、やはり津久井は調子よく相手を持ち上げては契約をとってくるタイプだった。しかし、あまり深くを考えずに安請け合いするものだから、後始末が悪い。再三に渡り、自らの首を自分で締めあげては、手に負えなくなったといって、泣きつくように助け船を求めてくる。

 但し、誰もが想像もしてなかったような会社から、突如大きな契約を取ってくることもしばしばで、それがこの男の微妙なポジションを確立させていた。

 大物釣りの津久井。

 いつしか部内では、津久井のスタイルをこう称するようになったのだが、今月もまた、津久井は大口の契約を釣り上げることに成功し、そのおかげで、誌面の予算も早い段階からクリアすることができた。

(津久井様様、である)

 だからだろう。津久井の表情には、既に仕事をやり遂げているかのような、優越感にも似た余裕の色が窺えた。

 この津久井を筆頭に、我が社の面々は、なかなかにして個性的なメンツがそろっている。

 個性を尊み、マンネリを切る。

 黒木さんならではの組織作りは、よくこんな話に例えられる。

 曰く、牛乳にどれだけイチゴを加えてみても、イチゴミルクから突き抜けることはないだろ。イチゴにバナナ、メロンやリンゴが加わることによって、未知なる味が創造されるんだよ。

 似たり寄ったりの仕事をする人間ばかりを集めてみても、新しいものは生まれない。衝突なんて大歓迎。バチバチするような意見交換を避ける人間に、用はないんだよ――。

 ご理解いただけただろうか。

 だからこその『ファイターズ』なのである。


 ふと横に目を流せば、俺の隣に座っている石本が、何やら難しそうに眉をひそめ、だんまりを決め込んでいた。何かを警戒しているのか、それとも恐れているのか、どちらとも受け取りようがあり、ひと目には判然としない。

 だが俺は、その理由に行き当たると、口にしたビールを噴き出しそうになった。

「おい石本。間違っても津久井は、お前からイエローの座を奪ったりしないぞ」

「へっ? そうなんですか」

 ただでさえ大きな目を、これでもかと大きく見開き、間の抜けた顔で津久井を見つめる。

「なんだ、そういうことか。大丈夫、大丈夫。オレ、レッド以外に興味ないから。石本ちゃんから大切なイエローなんて取らないよ」

「嘘つけ、本当ならレッドだってやらないくせに」

 坂口に指摘され、図星の津久井は遠慮もなくニヤケ顔だ。

「でも、黒木さんって本当に凄いですよね。ウォー・レンジャーなんて、絶対にカッコいいですよ。うん。やっぱり凄いと思います」

 イエロー強奪の疑いが晴れてほっとしたのだろうか、石本は、ひとりだけ見当違いの方向に、話を向けている。

 僕たちは、まさに戦地に向かう特殊部隊ですよね、とひとりブツブツ納得するように頷き、景気よくビールを呷っている。その石本を、俺たち三人の視線が取り囲む。

「……石本。たぶんそれ、勘違いしてるぞ」

「もしかして部長、まだ石本ちゃんに説明してなかったんですか?」

 坂口に続き、津久井の責めるような視線が俺に向けられる。

 そういえば……と、俺は記憶を遡った。

 二杯目のビールを飲み干し、ほどよく酔いが回り始めているせいか、頭の回転が速くなっているような気がする。いや、逆か。でも確かに訊かれたことはなかったな、と首を捻り、顎筋に手をあてる。

 そうこうしていると、「いいか、石本」そう言って箸を向けた坂口が、説明役を買って出た。

「そもそも石本は、『タウンズ・ウォー』の『ウォー』が、戦争を意味してると思ってたんじゃないの?」

 何の疑いもない。当然ですよ、といわんばかりに石本が頷く。

 それでも場の異変を感じ取ったのか、直後に「えっ、違うんですか?」と勢いよく立ち上がり、大袈裟に驚きを表現した。それを見た津久井が、やっぱりか……と俺を一瞥し、ほくそ笑む。

「違うんだよ。あの『ウォー』は戦争って意味じゃないの。あれは『ウォー』っていう叫びなんだよ。わかる? ウォーって叫び声」

 事情が飲み込めないのか、石本は行き場なく視線を彷徨わせ、茫然と立ち尽くしている。坂口の説明に、俺が補足を加えた。

「黒木さんは、街の叫び声を届けたかったんだよ。商店街の声であり、企業の声であったりな。街中を歩いてれば石本だって耳にしたことがあるだろ。『ただ今○○○のセール期間中です!』なんて具合にさ。一生懸命、通りを行き交う人たちへアピールしている声を。黒木さんは、あの声を形にしようと思ったんだよ」

 街の声を届けるフリーペーパー。それもただの声じゃない。叫び声だ。おそらくは黒木さんの中で、叫び声といえば「ウォー」だったのだろう。街が発する叫び声。それが「ヤ―」とか「ダー」じゃなかっただけ、マシだったのかもしれない。

 なんにせよ俺たちは、日頃から特殊部隊だのなんだのと言われてるもんだから、石本が勘違いするのも無理はない。社名だって『ファイターズ』なんだから、ややこしいにも程があるってもんだ。

「なるほど! 街の叫びですか。魂の叫びってやつですね!」

 本来なら、ここは肩を落としてもいい場面のはずだが……、それを勝手に誇張して喜ぶあたりが石本らしい。煌々と目を輝かせ、うんうん、と名の由来を噛みしめるように顎を上下させている。いいですよ、叫びなんて気合いが伝わりますもんね、ときたもんだ。

 坂口と津久井は苦笑い。俺は半ば脱帽したくもなった。

 やはり石本は、黒木さん級の大物になるのかもしれない。

 と、そこで津久井が、何かを思い出したように「そういえば」と手を叩いた。

「石本ちゃん、部長に聞きたいことがあったんじゃないの?」

 水を向けられた感のある俺は、唐揚げに伸びかけた箸を止めた。

「ほら、まさに今がチャンスだろ」

 後押しするように、坂口が石本を促す。

 なんだ、何かあったのか? と俺は石本に目を向けた。

「はい。あの……実はですね。その、部長にお願いがありまして」

 なにやら石本は、神妙な面持ちをしているが、この男の場合、かえってそれが胡散臭くも見えるのが弱点だ。

「なんだよ。勿体つけて」

「ああ、いや、別にそういうわけでは……」

「いいから、続けろよ」

「えっと、じゃあストレートにお願いします。部長、その唐揚げを食べてもらえませんか?」

「何?」思わず俺は、訊き返した。

 大仰な前フリに構えていた分、俺はいささか拍子抜けしてしまう。

なんだよそれ。たった今俺が食べようと思った唐揚げを、食べろ、だと?

 俺は津久井に視線をぶつけた。何か裏がありそうな予感する。酒の入った席で、俺を罠に嵌めるべく策を講じるのは、この男の仕業だ。けれども、奴の様子を窺う限り、暗に悪戯を仕掛けているようには見えなかった。

 俺は目を細める。

 坂口に向かい、いったいどういうことなんだ? と視線で探りをいれる。

「部長。石本は今、軽い壁にあたってるんです。コイツは『美味しい』以外のコメントが見つからないみたいなんですよ」

 坂口の説明を受け、ようやく俺は合点にいきあたる。

「なるほど、そういうことか」

 つまりは、俺に見本をみせろってことだな、と。

 全くコイツは、相変わらずの説明不足というか、らしい、というか……。ほんとにしょうがないな、と呆れながらも、俺は言われた通り、目の前の唐揚げを箸でつまみ上げた。鼻先に近づけてみる。

確かにこの唐揚げなら、いい勉強になるかもしれない。

「なあ坂口」唐揚げを持ったまま、呼びかける。

 これって、どんな名前がついてるんだ?

「あっ、はい」と頷いて、坂口はメニュー表を取り上げた。

 坂口の説明からすると、俺がつまみ上げている唐揚げは、『ザンタレ』という名前の商品らしい。北海道フェアなる期間限定メニューの中から選んだもので、北海道では、唐揚げのことを『ザンギ』と呼ぶようだ。

 そしてこの『ザンギ』には、飴色に艶がかったあんがかけられており、白髪ネギがトッピングされている。『ザンギ』にあんダレをかけるスタイルから、『ザンタレ』と命名されたのだと思います、と坂口は口添えした。

 なるほど、『ザンタレ』とは本州の人間には耳慣れないネーミングだな、と思いつつ、本場北海道の『ザンタレ』がどんなものであるかも気に掛かる。家に帰ったら検索してみるか。

 とにもかくも、俺自身、この『ザンタレ』は、初めて口にする食べ物には違いない。俺はあらためて器に目を落とす。盛り付けられた格好は、揚げ出し豆腐を彷彿とさせる。もちろん、食べて揚げ出し豆腐ってこともないだろうが……。

「じゃあ食べるぞ」

 そう言ってから俺は、多少の期待を込めて、唐揚げを口の中へ放り込んだ。一度、二度、口の中で噛み砕くように味わい、頷く。

 ――甘じょっぱい味付け。

 ひと言でいえば、それが俺の素直な感想だった。

 厳格な吟味は必要ない。見た目からじゅうぶん想像できる味わいであり、残念ながら、俺の想像を超えることはひとつもなかった。

 敷いて挙げれば、あんに酸味がかった部分がなかったという点だろうか。一瞬、酢豚のような味付けも想像していたのだが、あん自体は、昆布だしを加えた、みたらし団子のような味わいだった。

 まあ、そうはいっても普通に美味く食べられるし、特に文句をつけるところはない。が、これといった感動も、ない。

「ほんとですね」

 隣の石本が感慨深そうに洩らした。俺は唐揚げを飲みこむ。

「なっ、言った通りだろ」

 津久井の声に、石本がぶんぶん相槌を打っている。坂口は、想像通りの展開でも見ているか、どこか愉快そうに、口元を緩ませていた。

「なんだよお前ら、気味悪いな。俺はまだ、何も言ってないぞ」

 俺に出された課題は、この『ザンタレ』を食べた後の感想じゃなかったのか?

「あっ、もちろんコメントも頂きますよ。だけど違うんですよ。その前に、三人で話してたことがあるんです」

 津久井の後に、坂口が続く。

「部長が本当に美味しいものを食べたら、口に入れた直後に、自然と口角が上がるはずだよ、って話を、前もって石本にしてたんです。部長が頷く間もなく『旨い』って反応したときは、本当に美味しいんだよ、って。もしそうじゃなくて、ただ黙って何度か頷いた場合は」

「場合は?」

「たぶん、それなりの旨さなんだよって、話してました。で、それでも部長なら、適当に上手なコメントを見繕って言うんじゃないかって――そう話してたんです。で、部長。実際その『ザンタレ』って、どうでした? 旨かったですか」

「いや、別に普通だよ。これといった感動もなく、ごく普通に旨かった。それだけだ」

 俺は正直な感想を述べた。

「ですよねー。だからこそ、楽しみにしてるんですよ。部長の、コ・メ・ン・ト」

 津久井の目が、厭らしく間合いを詰めてくる。部長、ここは決めてくれるんでしょうね、と。

「ったく、お前らもしょうがねえな。わかったよ。わかった。じゃあ今からコメントするから、ちゃんと聞いとけよ。特に石本。元々はお前の為のレクチャーなんだからな。ちゃんと聞いとくんだぞ!」

「はい! わかりました」

 返事をするなり石本が、しゃきっと姿勢を正した。

「あっ、部長」

「何だ?」

「その、わかってると思いますが……コメントは文字数が決まってますからね。キャプションを除いて、百二十文字ですよ」

 その通り。俺たちは、テレビ番組のレポーターとは違い、コメントを述べた後にも仕事が残っている。誌面の掲載にあたっては、当然、枠内の文字数制限だってあるのだ。

 半笑いの津久井を軽く睨みながらも、俺は苦笑いするほかにない。

 ――全く、余計なハードル上げやがって。

「わかってるよ。だけどちょっと待てよ。百二十って、ざっとだからな。ざっと。厳密に構成かけんなよ」

 津久井を視線でけん制し、釘を刺す。後でこまごまといちゃもんをつけられても敵わない。

「大丈夫ですよ、部長。まさかボイレコで録ったりはしませんよ。なっ、坂口」

「あれ? 録らないのか。それなら文字数判定できないだろ」

「……ですって。部長、どうします?」

 この野郎。好き勝手煽りやがって。

「いいぞ。そこまで言うならやってやる。ちゃんと録っておけよ」

 俺が言うなり石本は、いつになく俊敏な動きで鞄からボイスレコーダーを取り出した。準備万端です、と言わんばかりに、目をギラギラと輝かせている。

 全くコイツは、こういう時に限って仕事が早いとくる。

「では部長。最高のコメントを、お願いします」

「ああ、わかったよ。任せとけ」

 よこせ、と言って石本からボイスレコーダーをぶん取り、録音の準備を始める。

 そうこうしながらも、俺は必死に頭の中を整理していた。

 わざとらしくもあるが、俺は間を引き延ばすように、一度、二度、咳払いをした。

 本音を言えばもう少し時間が欲しいところだが、こうなったら、なんとなく浮かんでいるフレーズを即興で組み合わせるしかない。

「よし。じゃあ行くぞ」

 そう言って俺は、録音ボタンを押した。

「これぞ盲点! 『ザンタレ』という一風変わったネーミングが作り出す、絶妙な組み合わせ。定番の唐揚げに、熱々の和風あんをからめた新定番。北海道でザンギと言えばコレ(唐揚げ)のこと。海鮮ばかりが北海道じゃない、と主張する北のB級グルメ!」

 言い終えて一呼吸。俺は、よし! と心の中でこぶしを握った。

 危機を脱した喜びと、我ながら上々の出来栄えであったことを自賛しながらも、表面上は、涼しい顔を繕ってみせる。余裕だよ、と部下たちに見せつけるように。

「流石です部長! 最高のコメントですよ」

 石本の声に、気分が高揚する。

「そうだろ。まあ、食の取材を七年もやってればこんなもんだよ」

 内心は冷や冷やものだったけどな、と心では本音を洩らす。

 あとは多少、文字数が気になるところだが、長年培ってきた感覚が、イイ線いってるんじゃないかと期待させる。

「でも最後の北のB級グルメってのは、どうですかね?」

 陶酔気味の俺に、横やりを入れるような津久井の一声が刺さった。

「北の……って言うと、なんか北朝鮮のイメージがありませんか? あとは北の最終兵器。あっ、あれは違うか。でもせめて、北海の、あたりの方が良かった気も……」

 馬鹿野郎、即興なんだからしょうがねえだろ。細かい修正は後からでいいんだよ。と言い返すところを、不覚にも俺は、北の最終兵器の方に気を取られてしまう。津久井、それはウクライナの格闘家、ロシアンフックの使い手、イゴールボブチャンチンだろっ――。

 と、余計なことに気を削がれはしたが、気を取り直し、レコーダーから聞こえる自分の声に、耳をそばだてた。なるほど、確かにこのご時世、「北の」って響きは、北朝鮮を連想させなくもない。

「いやでも、前半のくだりは完璧じゃないですかね」

 坂口のナイスなフォローを肴に、俺は揚々とビールを流し込む。

 いいぞ坂口。もっと言ってくれ!

「定番の後にくる、新定番。この辺の流れが部長の上手いところですよね。どうだ石本、参考になったか?」

「はい! もちろんです。すごく参考になりました」

 そうか、なら良かった、と俺も応えたいところだが……まてよ。少しひっかかる。ここは聞き流さない方が良さそうだ。

「なら石本。具体的に、どの辺が参考になったんだ」

 一瞬石本は顎を引き、押し黙った。

 津久井と坂口に視線を回し、唾を飲みこむ動作が窺えた。明らかに困窮しているのが見て取れる。だが――。

「コメントの中に、『美味しい』って表現を使わなかったことです」

 石本は一息に言い切った。

 おお、と俺は思いがけず、感嘆の声を洩らしていた。的外れな回答を予期していた分、本当に驚いたのだ。

「驚いたな。いいぞ、石本も少しはわかるようになってきたんだな。これも成長の証か?」

「違いますよ、部長」

 割り込んだ津久井の声が、笑っていた。

「今、石本ちゃんが言ったのは、部長が来る前に、俺と坂口が教えてたやり方です。慣れてくると、『美味しい』ってフレーズは、滅多に使わないんだよって」

「なっ、そんな、酷いですよー。津久井さん、それは内緒にしておいてくれないと……」

「あれ、駄目だったの?」

「駄目に決まってるじゃないですかー」

 石本は、狼狽気味に手をばたつかせ、俺と目があった途端、しょんぼりと項垂れた。

 が、俺は別の意味で、がっくりと項垂れた。呆れて二の句が出てこない。だけどまあ、逆にその方が、石本らしかったりもするのだから、仕方ないと諦めもつく。

 津久井に暴露され、石本が、大きな図体で身悶えている。赤面なのか、酒に酔っているのかは判然としないが、それでも赤らんだ顔が、尚のこと印象を強くさせている――壊れたロボコンみたいだ。

 すると場の空気を察した坂口が、はい、と言って手をあげた。

「えー、気になる文字数ですが……。句読点は別として、ざっと百十文字ってところですかね」

 坂口の発表に、俺は胸を撫で下ろした。とりあえずは、面目躍如といったところだろう。

 よし、と言って俺は、柏手を打った。

「それなら次は、ロボ……いや、石本の番だな。こういうのは、実際に場数を積んでかないと、どうしようもないしな」

 俺はテーブルの中央にある鍋を指差した。すでに半分ほど手を付けられているが、海鮮鍋に違いはない。味付けは、キムチ風だ。

「石本には、その鍋を食べたコメントを発表してもらう。文字数は気にするな。まずは思いつく限り、ロジカルに言葉を並べてみればいい」

「えっ、いきなりですか?」

「いきなりも何も、お前も食の取材を始めだしたんだから、やらなくちゃなんないことが山ほどあんだよ」

 そう。石本は今月から、食の取材のデビューを果たした。

 果たした、と言えば、いささか大袈裟な物言いにも聞こえるが、実際のところ、食の取材は容易な仕事ではない。俺の経験上、最も難しい仕事だといっても過言ではないだろう。

 街の情報を扱うタウン誌に於いて、食のページは、誌面の構成上、花形的な役割を担っている。読者が最も注目し、期待している部分。欠かすことができない絶対領域だ。

 読者の欲する食の情報。味も匂いもしない紙の上から、写真と文章だけで、食欲をそそらせるテクニック。これは決して簡単な作業ではない。

 旨いものは旨い。そう口で伝えることは簡単なれど、文字に変換させると途端に難解さを帯びてくる。もちろん、味には好みもある。

 男女間の違いであり、年齢差の違い。

 その中で、読者は俺たちのコメントを頼りに、次に行ってみたいお店、食べてみたい商品を選択する。これは大役だ。俺自身の味覚が、世界基準でなければならないのだから。

 ゆえに掲載するコメントは、慎重にならざるを得ない。

 だから俺は、自分の感情に三段階の目安をつけていた。

 これは七年の間、食の取材を積み重ねてきた中で、俺自身が生み出した、食に対する答えでもある。


 まずひとつ目は、最大級の評価である、感動的な旨さ。

 これはもう、ひと噛みした瞬間に、旨いという言葉が口をすり抜けている。旨いな、これは旨い、なんて考える暇もない。顎は一瞬にして上がり、口角は自然と緩みだす。次に噛むことを忘れさせるほどの美味しさが、口の中を幸せで包み込む。

 膝下を叩けば、自然と足が跳ね上がる。あれと一緒だ。深く考え込む必要は、ない。

 まあこういった感動に出会うのは、大抵の場合、自分が過去出会ったことがない食材か、そうでなければ、食材そのものが圧倒的に高級なものであるケースが多い。年に数回あるか、ないか程度の貴重な体験である。

 で、次の段階は、感心させられる旨さ、とくる。期待を超えた旨さ、と言い換えてもいい。

 実のところ、長く食の取材を続けていると、大抵の料理は、見た目の段階で味の想像がつくようになってくる。香りであり、色彩であり、視覚と嗅覚を駆使することによって、おおよその見当はつくようになる。

 頭の中で、こんな味だろう、というパズルが勝手に出来上がってしまうのだ。

 そういった先入観を、いい意味で裏切ってくれる料理。

 人を唸らせる演出ができる料理こそ、感心させられる旨さ、となる。

 但し、前述した感動と感心、この二つの段階に於いては、感動が上位に位置するが、それほど大きな差がないことだけは付け加えておく。

 そして最後の段階は、普通の旨さ、である。

 これはもう、説明するまでもないだろう。先程俺が口にした『ザンタレ』が、表現としては、そっくりそのまま当てはまる。

 見た目も味も想像通り。旨い、確かに旨いのだが、これといった感動や感心は味わえない。

 仮にあの場面での心境を例にとるならば、俺は器に盛られた『ザンタレ』を見た段階で、唐揚げ自体につけられた塩加減と、あんの甘さを予測できていた。つまりは甘じょっぱい味付けか、もしくは、酢豚のような甘酸っぱさの、どちらかだと。

 もちろん、甘酢を使用していれば、多少は酢の香りが舞っているはずだった。但し、俺が遅れて来たこともあり、料理自体が、多少冷めていたことも考えられた。よって俺は、酸味が飛んでいる可能性まで、考慮に加えたのだ。

 それでも結果としては、俺の範疇から突き抜けるような料理ではなかった。旨い。確かに料理としては旨いのだが、口に入れた瞬間に、心が躍動するような場面は訪れなかった。

 ただひとつだけ、アイディアとしては面白い料理だったと言える。

 別に『ザンタレ』という料理を擁護するつもりはないが、唐揚げといったごくごく定番の料理に、ありそうでなかった、あんを加えた部分。気付きそうで気付かない。まさしく盲点をつくような見た目の真新しさに、「何だこれは?」と興味を惹かれたのは事実である。

 と、こういった具合に、俺は評価基準を設けていた。

 これらの感想をコメントに反映させ、読者にできる限りのイメージを作り出してもらう。写真と文章を組み合わせることで、食欲をくすぐり、生唾を呑み込ませるような広告を作り出すことが、プロとしての仕事だと自負している。

 とはいえ、実際に誌面が出来上がってみると、俺たちは、予想外の角度からの反響に悩まされることもあった。

「どうしてうちのコメントには『美味しい』って書いてないのに、あの店のコメントには『美味しい』って書いてあんだよ。これならうちよりも、あっちの店の方が旨いみたいじゃねえか」

 こんな詰問を受けたことは、過去、一度や二度ではない。

 旨いものを、旨い、とストレートに表現できないもどかしさ。

 こうした背景が、俺に独自のルールを作らせた。

『美味しい』や『旨い』といった表現の上に位置する、最上級の評価。『逸品』という二文字を、文末に、さりげなく使うようにしているのだ。

 営業は、気苦労が絶えない。

 本当にややこしい問題ではあるが、こういったクライアント間とのバランスも加味した上で、必死に知恵を絞り出しながら誌面を作り上げていることを、ご理解頂きたい。

 だからこそ、だ。石本は、これから多くのことを学んでいかなくてはならない。

 ただ「美味しいです」と繰り返すだけでは、クライアントだって、納得はしない。その瞬間、瞬間で、俺たちは料理人を唸らせるようなコメントを用意しなくてはならないのだから。

 さっきの『ザンタレ』にしても同じこと。あれがクライアントを前にした話であれば、当然俺は、別な感想を述べなくてはならない。

「普通に旨いですよ」では、クライアントだって馬鹿にされてると思うだろう。旨いのは当たり前だ、と。

 料理人のプライドを軽視してはならない。だからきっと、俺はこう述べたはずだ。

「いいですね。この組み合わせ、絶妙のバランスですよ。人によっての好みの差もあると思いますが、僕はこの甘めのあんがいい仕事をしてると思いますね。なんていうか……唐揚げの、知られざる魅力を引き出してくれたって感じですかね。うん。旨いですよ」

 もう一度だけ言おう。

 営業は、気苦労が絶えないのだ――。

 ちなみに俺の師匠でもある黒木さんは、その昔、現場でよくこんな台詞を使っていた。

「流石ですね。この料理には愛を感じます。それも、一級品の愛情です」

 当時まだ二十三、四だった俺は、よくもまあこの人は恥ずかしげもなく、歯の浮くような台詞が言えるものだと、呆気にとられていたことを記憶している。あの当時の俺には、口が裂けても言えるような台詞ではなかった。

 けれど、今なら黒木さんの真意に触れることができる。

 あの人が語った通り、間違いなく、料理に愛は存在する。手間暇かけて深い愛情を込めた分、美味しさは輝きを増していく。

「愛情とは、極上のスパイスである」

 黒木さんの得意文句でもあったこのベタな台詞を、数年ぶりに復活させるのは、今や俺の役目か。それとも、石本なんだろうか……。

 俺は横目に石本を窺った。

 石本は、今も海鮮鍋を前に奮闘している。

 食べてはコメントし、また食べてはコメントをし、坂口と津久井に駄目を押されては、同じ作業を繰り返している。傍目には、コメントありきなのか、単に鍋をたいらげたいだけなのかさえ、見分けられない。

 頑張れよ、石本。早く一人前になって、愛を語れるような男に育ってくれよ!

 今後もこうやって、俺はコイツを導き、また歩んでいく軌跡を見守っていくんだろう。おっちょこちょいで早とちりな性格から、やきもきさせられることも多々あるが、それが上司としての役割でもあるわけで、また楽しみでもあった。


「――ところで部長。今月号のあの企画、面白くなりそうですね」

 石本が鍋を完食したタイミングで、津久井が切り出した。

 今月号の企画、と言われると、答えはひとつしかない。

「○○を見破りました、のことか?」

「そうそう。あれ、超ウケますよねー。俺も今度試してみようと思ってんですよ」

「馬鹿。お前だったら逆に試されるパターンだよ。それよりも、お前の元カノから投稿がくる方の心配をしておいた方がいいと思うぞ」

「どうしてだよ」

「どうしてもだよ」

 坂口の指摘に合点のいかない津久井はさておき、俺と石本は、互いのジョッキを指差し、笑みを漏らす。

「っていうか、津久井。お前って、彼女いたのか?」

「あっ……、部長も痛いとこ突きますよね。そこを聞いちゃいますか?」

「いや、特に興味はないけど、絶賛失恋中なんじゃなかったか?」

 ――地雷ですよ、部長。と坂口が囁くも、狭い個室の中では全く意味がなかった。


 津久井の失恋話に逸れてしまったが、件の企画は、本誌に於いて、重要なファクターのひとつだ。

『タウンズ・ウォー』のようなフリーペーパーは、誌面の大半を、収入源となる広告が占めている。うちの会社では主に、一般広告、企画広告、スポンサー広告と色分けしているが、そのどれもが、企業やお店が、読者へ向けた宣伝を主とした内容になっている。

 しかし誌面の構成上、広告ばかりが目立ってくると、読者の目は誌面から離れがちになってしまう。悪く言えば、飽きがくる。真新しい新規の広告であれば自然と目を惹くのだが、契約上、『ハートサポート・銀』のように、数か月に渡り同じ内容の広告を差し込むケースもある。これが企業名を押し出した代わり映えのないスポンサー広告なら、尚更だ。

 だから誌面には、見せる要素に加え、読ませる要素が不可欠になってくる。その他にも、本誌を読んだ読者の声や、投稿コーナーはもちろん、投稿してくれたハガキを対象にした読者プレゼントを、毎月五十名分用意する。さらには、作り手の人間味を打ち出した編集部談義であったりと、定番と真新しさを混在させるのが誌面作りのポイントだ。

 なかでもうちは、読者との距離をより密接に保つため、メールや返信用のハガキを介した投稿企画のやり取りには力を入れている。

 そこで今月、新たなコーナーとして産声をあげたのが、『私はこうして○○を見破りました』という企画だった。

 ちなみにこれは、俺と編集部の花村が考案した企画でもある。

 我が社ではこうした企画を組む際に、営業部と編集部の人間がタッグを組むことが通例となっている。俺と花村。編集長と坂口。津久井は佐伯と組んで、石本は市倉考太いちくらこうたとポッキー(平松渉)の若手三人衆で、知恵を出し合っている。

 とかく営業と編集部は、確執や軋轢こそ見られないものの、かたや社内に張り付いて、かたや社外にでずっぱりにもなる。インドアとアウトドア。対局に位置する集団が意思疎通し、合致してひとつの作品を作り出すのだから、円滑なコミュニケーションを生み出すために、日頃からこういったやり取りが重視されていた。

 そして今回、俺と花村で知恵を絞った企画趣旨は、身の回りで発見したあるあるチックなエピソードから学ぶ、主観的な解析の募集となった。

 その掲載事例が、これだ。


■彼女の猫かぶりの見破り方

・彼女は普段からとても可愛らしく、「うぶ」「可憐」「清純」なんて言葉がぴったり当 

 てはまる、理想の天使。

 だけどその彼女。本当に天使なのでしょうか?

 もしかして、猫をかぶっているなんてことはありませんか?

 可愛らしい仕草や丁寧な言葉づかいに惑わされていませんか?

 いやいや僕の彼女に限って……なんて甘い妄想に浸っていると、手痛いしっぺ返しを喰らうことになるかもしれませんよ。

 そんな貴方に、一度試してもらいたい方法が、こちらです。


【実践方法】

・彼女が熟睡している時を見計らい、多少強引に起こしてみる。 

 →この『多少強引に』がポイント。

 間違っても、優しく声を掛けてはいけません。

「おい、起きろよ」とか「なあ、なあってば」といって、体を強めに揺することが効果的。


【検証結果】

・其の一

「何、どうしたの?」「もう起きる時間?」といった具合に、普段通りの口調で目覚めた場合。

 →猫をかぶっていることはまずないでしょう。

 心清き乙女の安眠を妨げたことをお詫びし、その後も安心してお付き合いを継続させてください。


・其の二

「うるさいなあ。まだ寝てんのよ!」「なによもう。起こさないでよ!」といった具合に、これまで耳にしたことのない声色で、不機嫌に言い放った場合。

 →これは完全にアウトです。猫、かぶりまくりです。

 恋の魔法が解けた暁には、彼女の罵詈雑言が突き刺さること間違いなし。なので「あっ、お前の本性発見しちゃった」と耳元で囁いてください。その際、彼女の動揺ぶりも寛大な心で受け止めましょう。


【結論】

 どれだけ猫をかぶろうが、睡眠中の自分は隠しようがない。


 いかがでしたか? 本誌に目を通しながら、肝を冷やしている女性も多いのではないでしょうか。いえ、あまり多いということは男性にとっては有り難くない結果なのですが……。それでも今回の事例は、決して女性だけに限定されたものではありません。男性にだって猫をかぶっている人はいます。(ご注意ください!)

「付き合ったばかりの頃は凄く優しかったのに」「硬派だと思ってたら、甘えん坊だったのよ」なんて経験を味わったことのある女性も少なくないことでしょう。

男女を問わず、こうした苦い経験の数々が、人の年輪を作り上げていく、なんてうまい具合に締め括ろうとしていますが……。

 あらためまして、今月の投稿テーマは、こちらです↙


『私はこうして○○を見破りました』


 家族や夫婦間のエピソードから、彼氏彼女、お友だちとの間で発見した〇〇の見破り方を、ここぞとばかりに投稿してください!

 浮気や嘘、へそくりの隠し場所、などなど。

 衝撃(笑撃)の秘蔵ネタを、編集部一同、お待ちしております。

 

 ――と、概ねはこんな感じの流れになるが、また今月も、一風ふざけた調子を組み合わせた企画が差し込まれることになった。

 ちなみに前もって用意した事例は、もうひとつあった。

『ナルシスト男子の見分け方』という内容であったが、社内選考を実施した結果、前者が採用されたのだ。

「――で、ボツになった『ナルシスト男子の見分け方』って、どっちの経験なんですか?」

 ビールジョッキを手にした津久井が、食い気味に身を乗り出してくる。

 津久井が口にした「どっち」とは、俺か花村のことを指しているのだろう。やや瞼の落ちた目をにやつかせ、俺の回答を待っている。

「ああ、あっちは俺の経験じゃないぞ。一応は、花村の友人話みたいだけどな」

「けどな……ってことは、ちょっと怪しいですよね。もしかして、花村さん本人のことなのかも」

 坂口の声に、心の内で苦笑する。

「あー、あり得る。花村さんって、あの顔でナルシストっぽい傾向がありますもんね」

「馬鹿、あの顔は余計だろ」

 窘める坂口をもろともせず、津久井は続ける。どうやら花村は、失恋話のとばっちりを受けたらしい。

「だってそうじゃんかよ。髪型も服装も、ザ・モード系でスタイルも悪くない。だけど肝心の顔がヒラメちゃんでしょ。それって、酷な組み合わせだと思わない?」

 不意打ちとばかりに目を向けられた石本が、口を貝にした。

が、場の空気を読んだつもりなのか、直後にコクリと顎を引く。

 その様子が、俺の悪戯心をくすぐった。

「そうか。なら俺から花村に伝えておくぞ。石本が花村をヒラメ面扱いしてたぞ、ってな」

 携帯片手にからかうと、石本は震えたように頭を動かした。

「そんな。部長、勘弁してください! それに、あの、ですね。ヒラメって言っても、あの魚は高級魚じゃないですか。だからその、これは、悪口じゃなくて、その……褒め言葉っす!」

「――褒め言葉じゃねえだろ」

 苦しまぎれにもほどがある言い訳に、一同がツッコミを入れる。

 だが、俺も多少の悪ノリに反省しつつ、ここは花村の名誉の為に言っておく。

 入社が後になる坂口と津久井は知らないが、その昔、花村はアメカジをこよなく愛する男だった。それが今のスタイルに成り変わったのは、彼が密かに想いを寄せている佐伯の影響に他ならない。

 つまりは恋ゆえのスタイルチェンジだったのだ。

 プライベートにも鉄壁の牙城を築きあげている佐伯のこと。仕事以外に接点を見いだせない花村は、少しでも佐伯の趣味に近づきたかったのだろう。花村にしても、目の付け所は悪くなかったはずだ。

 ……が、花村は知らない。

 自分が佐伯のストライクゾーンから、遠く的を外してしまっていることを……。

 と、ネタ元にあげられた花村にとっては気の毒な話だが、こんなくだけた話題で盛り上がる雰囲気が、日頃のストレスを緩和させるには丁度いい。

 特に、普段から多用なジャンルの人間に膝を突き合わせる機会の多い営業職には、適度なガス抜きは必要不可欠だ。昔の俺がそうであったように、営業先で嫌なことがあったとしても、溜めこんだ鬱憤を晴らす場として、飲み会は重宝される。

 だからといってはなんだが、俺たちが飲み会を開く際には、絶対に営業先になりえないような場所を選ぶことにしている。この店も同じ。東京に本店を置き、関東一円に裾野を広げる大手の居酒屋チェーン。資本拠点が県内にない以上、俺たちはそれを外敵とみなすのだが、この時ばかりは、日頃の敵を味方につける。

 当然、クライアント内にも適当な飲食店は多いのだが、とてもじゃないが、お世話になっているクライアントに対し、体たらくな俺たちの姿は見せられない。というか、本音を打ち明けるなら、文句のひとつも言えないような環境で、回りの目から隠れるように窮屈な酒なんて旨いわけがない――というのが、俺たち営業の叫びでもあった。


 俺の胃が程良く満たされてきたところで、突然、津久井がぐいっと飲み干した空のビールジョッキを、テーブルに振り下ろした。

 ドンっ、と傍迷惑な音が耳を刺激する。

「しっかし、部長たちも災難ですよねー。ウォー・レンジャーなんて、カッコ悪いったらありゃしない」

 先程までは、徐々に落ちかけていた瞼を自力で見開いていた津久井だったが、今ではあえなく重力に引き落とされている。酩酊しているのは、誰の目にも明らかだった。

 さあ来たぞ、と俺と坂口はアイコンタクトで示し合う。

 飲み始めてからおよそ一時間。ビールジョッキを五杯飲み干したところで、津久井のスイッチが入ったらしい。

 津久井は、典型的な太鼓持ちタイプの人間だ。が、それは津久井本来の性格ではない。営業という仕事用に、本人が演じている性格ともいえる。プライベートでも交友のある坂口は、よく目にしているようだが、社外で殆ど顔を合わす機会のない俺は、毎月二度、こうした津久井を垣間見ることになる。とはいっても年二十四回。変わらず四年も見続けているのだから、俺にしたって、慣れたものだと言えた。

 今の津久井の状態を、俺たちはスイッチが入った、と揶揄するが、直訳すれば、単に酒癖が悪いのだ。しかも相当に悪い。かろうじて、面識ある人間との上下関係が成り立つのだが、それが精一杯。傍若無人な津久井をコントロールするのは、相棒であり、お目付役である坂口の担当となる。

 今も追加のビールを注文したいのか、津久井がオーダー用のボタンを連打しているのを、相棒が必死に手を伸ばし、制御している。

 津久井にとってのアルコールとは、彼本来の性格を開放させるアイテムだと、本人を除く誰もが認識していた。当人は、この酒癖の悪さで人生の三分の一程は損しているだろうが、幸いにもうちの社員であることが、津久井にとっては救いだったのかもしれない。そういった意味でも、うちの人間は日頃から黒木さんに鍛えられている分、寛容なのか、もしくは神経が図太く仕上がっている。

 するとビールで燃料を満タンにした津久井が、アクセル全開で『ウォー・レンジャー』について語り出した。

「はっきり言いますけどねぇ。オレは、あんな戦隊物の真似事なんて恥ずかしすぎて絶対に嫌ですよ。マジ良かったっす。もし坂口がやってくんなかったら俺がグリーンだったわけだし、マジ助かりましたよ」

 割り箸を指揮棒に見立てているのか、箸先を上下に動かしては抑揚の強弱を演出する。

 これも、津久井の癖だ。

「だいたいオレは、昔から嫌いなんですよ。ヒーロー戦隊なんて、子供だましもいいとこじゃないですか。わかりますか? みんな騙されてんすよ。いい大人が揃いもそろって、ね」

 エスカレートに拍車がかる津久井の熱弁を、俺たちの冷やかな目が包囲する。が、当の津久井はお構いなく話を進めていく。

「だって敵役のあいつらなんて、相手が変身するところを指くわえて見てるんすよ。怪人の癖に、なにボケーっと突っ立ってんだよって感じしませんか。あんなの、やつらがポーズ決め込んでる最中にやっつけちまえばいいのに。――そうでしょ。そうすりゃ巨大ロボットの出る幕なんて、端からないんっすよ。そしたらあんな玩具だって買う必要ないんだし、取り合いになって喧嘩することもなかったんだって」

 なんだか話しが妙な方向へ流れたところで、俺は津久井の幼少期を想像する。自身の兄弟か、はたまた友達同士の小競り合いだったのか、戦隊物と巨大ロボットに対して余程のトラウマがあるのだろう。

 ほぼ津久井個人の私的な恨みごとだが、これなら正義の味方も、随分な言われ様だ。

 しかし、まだ素面だった津久井は「レッドなんて超カッコいい」と羨んでいたくせに、今では本人が顔面を真っ赤に染めあげたリアルレッドと化している。見事なまでの変身ぶりだ。

 仕方がない。口では戦隊物を否定しているが、あえて命名しよう。

 津久井康平。お前は無敵のアルコール戦隊『サケ・レッド』だ。

 が、これぞ津久井節――否、津久井劇場の幕開けか。

 毎度のことではあるが、呆れ顔の坂口と顔を見合わせ苦笑する。

 まだ比較的免疫の薄い石本にしても、この辺は体育会慣れしているせいか、「大学時代の先輩にもいましたから……」と、すでにこの状態には慣れた様子で、今も黙々と、テーブルに残された食べ物の後処理に勤しんでいる。海鮮鍋に揚げ物の盛り合わせ、串盛りに刺身など、俺が来た当初はテーブル狭しと並んでいたはずだったが、今やその大半は、石本の胃袋に収まっている。

 そして津久井劇場は、尚もエスカレートしていく。

「でも黒木さんにも参りますよねー。少しはやる側のことも考えてくれないと、困るってーの」

「津久井はやる側じゃないだろ」

「ばあか。オレはいつだって皆のことを考えて、だなぁ」

「じゃあ変わるか? グリーンだけど」

「レッドでもいいぞ」

 続けとばかりに、視線で石本を促した。しかし石本は、貝のように口を閉ざすと、ぶんぶん、と頭を左右に振っている。

「やだよ。やだ。青も白も赤もやだってーの。やんないよ。オレは絶対にやんない」

 語調に力を込め、あやふやな色を並べているが、津久井、それはフランスの国旗だ。――そして石本。黄色と言われなかったことに、胸を撫で下ろしてるんじゃない!

「だいたい部長も部長なんすよ。少しは黒木さんに反対してくれてもいーのに。部長が賛成しちゃうから、オレたちが被害こーむってるんですよ。わかってますぅ?」

 津久井は鍋の残りをたいらげた石本に向かい、説教じみた口調で零している。だが内容から察すれば、俺に投げ掛けてるのは明白だ。

 もはや視点さえも定まっていない。変身したところで体力が持続しないことには、ヒーローとしても失格だ。これでは敵役の出る幕ではないし、巨大ロボットなんて絶対に登場しない。だから命名しよう。

津久井、お前の必殺技は『自滅泥酔』だ。


 予定ではあと三十分弱。この状態に耐えなくてはならない。

 二十時から始まった九十分の飲み放題コースを無事に乗り切ったあかつきには、二次会へと強行していくのが体育会色豊かな営業部の通例になっているのだが、大抵は坂口が津久井の後処理役を買って出て、夜の街へと消えていく。そして残された俺と石本が、飲み直しとばかりに別の店へ向かうパターンが定着していた。

 勢いに乗った津久井がトイレに行くと立ち上がったので、石本を見張りに同行させる。この状態で他のお客さんに迷惑をかけられるのは堪ったもんじゃない。

「頑張れよ、SP! いや、イエロー」石本の肩を叩き、送り出す。

 体を張って市民の平和を守ってこい。

 すでに千鳥足気味に、足元がおぼつかない津久井を肩に抱える石本を眺めていると、向き直った坂口が表情を一変させた。

「部長」と見計らったように神妙な声を出し、居住まいを正す。

「実は、ご相談が……」

 伏し目がちに出た声は、坂口にしては珍しく、歯切れが悪い。

 十中八九、言葉の続きが悪い方向へ結びつきそうな予感がした。

 おそらくは何かの相談……、いや、問題ごとを抱えているのだと察する。

 突然こんな態度を取られると、幾分気が重くもなるのも事実だが、これも上司の定め。だから俺は、あえて快活な声で坂口の悩みを迎え入れる。

「どうしたんだよ坂口。そんなに暗い声出しちゃって。らしくないんじゃないか。悩みごとか? だったら遠慮しないで言っていいんだぞ」

 坂口は、顎を引くと唾を呑み込んだ。覚悟を決めたように、俺の目を真っ直ぐに見据える。

「はい。実は昨日、僕が契約書を交わした新規の飲み屋の件なんですが……」

 その飲み屋については、今朝方、報告を受けていた。今月、川崎の駅前にオープンしたばかりのクラブだ。

「たしか、『レディーライン』とかって店だろ」

「はい、そうです。……そのレディーラインなんですが、どうやら『ブルーローズ系列』みたいなんです」

 きたな、と俺は眉根に力を込めた。

 飲み屋の件、と耳にした時点で、ある程度の覚悟はしていた。悪い予感は当たるもの。やはり相場は決まっている。

 しかも相手は、あの「ブルーローズ」ときたもんだ。

 全くもってウエルカムなネタではない。

 ここまでは俺も、気分よく酔っていた自覚があるが、それもこれも一瞬で醒めてしまった。

 坂口の話が本当だとすれば、これはひと悶着あるかもしれない。

 俺は心の半分では肩を落としながらも、もう一方で、上司としての責務感に突き動かされる。

 激しい葛藤に胃の奥がブレンドされ、鈍い疼きを覚えたが、部下を不安がらせてもいけない。

 俺はコイツの上司だ。

 ――腹を括るしかないだろう。

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