【篤斗】

「じゃあ、次回は来週の火曜日ですね。いつも通り、十五時で」

 頷いたマスターに向かい、よろしくお願いします、と一礼する。

「こちらこそよろしくね。来週の撮影も頼むよ!」

 返された笑顔、声の調子から、今日の仕事に合格点が出たことを実感する。

 マスターは丁寧に、ドアが閉まる寸前まで見送りに出てくれた。

 毎度のことではあるが、その温かい対応に気持ちが和む。

 俺は去り際にもう一度、木製のドアにはめ込まれた網入り硝子を通して、会釈した。

 外に出てすぐに、空を見上げる。

 思っていたよりも天気は良かった。とはいえ、晴れ間が広がっているわけではない。ただ今朝流れていた情報では、午後から次第に天候が崩れ、曇りから雨空に変わる予報が出ていた。

 だから俺は、てっきり雨が降っているとばかり予想していた分、少しだけ救われた気持ちになった。

 もう一度見上げる。太陽の位置さえ確認できないほどに、鉛色をしたぶ厚い雲が、空一面に広がっている。頬に触れる、湿り気を帯びた外気が近くに雨を予感させるが、それでもまだしばらくの間、降らないだろう、と判断する。

 いや、正確にはもう少しだけ持ち堪えて欲しい。

 半分は祈るように、もう半分は運だめしのつもりで、伊勢佐木町の商店街を歩き出した。

 次の予定は十七時から。時間的には、まだ三十分以上のゆとりがある。当初の予定よりは若干早い。天候次第だが、この分なら多少のんびり歩いても問題はないだろう。打ち合わせ場所の日ノ出町までは、腹ごなしついでに歩く距離としては丁度いい長さだ。

 俺は左手の指先を滑らせ、ベルトとお腹の隙間を確認する。

 一瞬、ベルトの穴をひとつ横へ移動させようかと迷ったが、思い留まった。

 たった今終えた仕事は、『タウンズ・ウォー』の次回号に掲載する、広告の打ち合わせ。

 といっても、実際は打ち合わせを前提とした、半分は頼まれ事のようなもの。けれどこの仕事の場合、そこが重要なポイントでもある。

『キッチンくろんぼ』は、伊勢佐木町に並ぶ飲食店の中では歴史の浅いお店だ。今年八月に二周年を迎えたところで、俺とは開店当初からの付き合いでもある。

 その『くろんぼ』のマスターに、新メニューの試食とメニュー名を考えて欲しい、と依頼されたのだ。もちろん、次号の広告掲載という条件付きで――。

『くろんぼ』とうちの会社は、年四回、広告の定期掲載を契約している。それをベースに、季節ごとの新メニューを考案するのがお決まりのパターンとなっていた。

 もっとも、この秋の新作については、先日発行した十月号で掲載したばかりなのだが、今回のように、突然新作のアイディアが閃くことも度々あり、その時はイレギュラー的に掲載の話が舞い込んでくる。

 先程、俺が試食をしたのは、オムライスとカレーライスの二品。

 洋食中心の『くろんぼ』では、どちらもお馴染みの品であるが、当然、新メニューなりのアレンジが施されている。

 まず初めに食べたオムライスは、椎茸や舞茸、ハタケシメジなど、旬のキノコを軽めにソテーし、そこへ『くろんぼ』特性の濃厚なクリームソースを合わせる、クリーム系のひと品。

 ソースは風味付けに加えたチーズが大きなポイントで、北海道産のゴーダチーズを使用しているのだが、北海道のどこそこといった詳しい場所までは、絶対に教えてくれない。

 それでも乳製品全般を扱う大きな会社ではなく、個人で経営している牧場の直売店、とまでは聞きだすことができた。しかしその先の情報は、完全にシャットアウトされてしまう。

 どうやら評判が下手に吹聴されることで、安定した供給ができなくなるのを恐れているらしい。取引先が有名になることは、マスターにとって都合が悪い。そして、これは生産者サイドにしても同様の見解らしく、『知る人ぞ知るお店』程度の扱いが丁度いいようだ。

 そんなこだわりチーズの旨味が溶け込んだソースが完成すると、それを若干固めに焼いた卵の裾へ、片側半分を覆い隠しながら三日月型に盛り付ける。

 卵の中身はケチャップライスではなく、鶏肉の出汁から炊いた風味豊かなチキンライス。こちらはベーコンから浸み出たほど良い塩味が決め手だ。

 さらにはチキンライスと、ソースに絡められたキノコの味わいを、固めに焼いた卵が見事に調和する。

 ソースの反面には、色彩を意識したサラダが添えられ、彩り豊かなワンプレートが完成するのだが――。

 さて、ここからが俺の仕事となる。

 出来栄えを見極める、試食の開始だ。


 ここのマスターは、きまって俺が完食するまでの間は、口を真一文字にして固く閉ざしている。

別段、食材についてだとかの質問をすれば答えてくれるのだが、向こうから「味はどうだ?」と意見を催促されることはない。

 ましてや「美味いだろう」なんて感想を押し付けられることは、絶対になかった。

 まるで、これが食の審査であるかのように、目を光らせて、俺の一挙一動を熟視している。

 で、これが普通の作り手であれば「いやー、とっても美味しいですよ!」なんて褒め言葉を期待しているのかもしれない。けれど、うちのクライアントに限って、いや、このマスタ―に限っては、そう容易く事が運ぶことはない。

 なぜか――と問えば、答えはひとつ。

 そこに熱き職人魂があるからだ。

 試作品とはいえ、人に食べさせる以上、当然マスターには美味い食べ物を作っているだけの自負がある。

 それだけの試行錯誤は繰り返しているし、この作業は、過去二年という月日に渡って、俺とマスターの間で幾度となく交わされてきたやりとりでもある。

 つまりは、このマスタ―の作るものに限って、不味い、と感じることはない。もちろん、好みの問題もあるのだが、俺の舌に限っていえば「ない」と言いきれた。だからこそ、単に「美味しい」では済まされないのだ。

 スプーンを置いた俺は、ひと呼吸、溜めてから訊ねた。

「マスター。旬のキノコって謳うと、どうしても風味を連想しませんかね? 旬の食材の楽しみ方で言えば、食感や香り……」

 マスターは、黙って顎を引く。

 只でさえ熊のように大柄な体躯をしてるのに、それが目の前で仁王立ちだ。これが初対面の人間であれば、身も心も萎縮してしまうだろう。

 職業病のようなもので、俺は仕事柄、よく人様にキャッチフレーズやネーミング付けをしてしまうのだが、この人の場合『クッキングベアー』と形容する以外、当てはまるものがない。まさに野生の熊と相対するような威圧感満天の中で、俺は続ける。

「だとすれば、せっかく旬のキノコを使ってるのに、その香りの部分が損なわれているような気がするんですよ。食感は申し分ない。キノコのボリュームも丁度いいし、細かいことを気にしなかったら、普通に美味いです。――ただ僕の場合、濃い目も十分イケますけど、これが女性なら……若干くどいと感じるかもしれませんよ。終盤にもなれば棘を感じ出す人もいるでしょうね」

 マスターは何かを思案しているようで、自分を納得させるように数回頷くと、ここで初めて口を開いた。

「なるほど。だとすれば」

「――バターですかね」

 率直に、且つはっきりと、俺は指摘する。

 ここでマスターに先を越されては意味がない。作り手の見解ではなく、食べた側の意見として伝えるのが重要なのだ。

「バターかな?」と訊かれて「そうですね、そうかもしれません」では意味がない。俺は続けた。

「このクリームソースの中にあって、キノコの風味を無くさない仕上げ方は、正直、僕にはイメージできません。その魔法はマスターにかけてもらうとして……。あとはサラダのドレッシングかな。これだけメインが主張してるんだから、サラダはあっさりと食べたい。気になるのはそんなところかと」

 俺は腕組みをして、空になった皿を見下ろす。

「まあオーダーの際に、チョイスして貰った方がいいんじゃないですかね。事前に二種類くらい用意といて。僕なら和風系で、ある程度の酸味があった方がサッパリしていいですけど、まあ、その辺はお任せで」

 最後は自分の好みを主張した上で、選択肢を与える。全てを決めつけることはせず、やんわりと締め括った。

 それが良かったのかどうかは、マスターの目を見ればわかる。新たに戦いを挑む少年のような瞳。大丈夫。間違いはなかったはずだ、と。

 これに俺の勝手な憶測を付け加えるのなら、マスターは、ここまで見せた俺の反応も、ある程度は予測していたのだと思う。そもそもキノコをバターでソテーすれば、どうしたってクリームソースの味を損なう危険性がある。要は味の増長だ。旨さの中にも棘が出てきてしまう。完成されたこの上ない濃厚なクリームソースに、あらたにバターを加えることの弊害。それを素人の俺の舌が感じるのだから、料理人のマスターが気付かぬはずもない。

 とはいえ、それが直接「不味い」には繋がらないから、やっかいとなる。俺が表現したように、くどめに感じるか否か。あとは好みの問題になってくる。だから言った。

「女性なら、若干、くどいと感じる――」と。利用客の大半を女性が占める、この店の客層を推し量った上で、だ。

 まあ、さらにほじくって詮索するのならば、マスターは、とうに女性向けのアレンジだって用意しているのだろう。

 あえてそれと比べさせなかったのは、次の試食に、カレーが控えていたこと。

 おそらく来週の撮影時には、女性向けにアレンジされたものが出てくる。それを食べた俺の感想を踏まえて最終イメージをすり合わせる。そこまでを見据えた上での、段取りなのだろう。

 もっと言えば、今日食べた仕様だって、無駄になることはない。

 いくら女性客の比率が多いといえ、このオムライスを注文する人の中には、当然男性客だっているはずだ。その際には今回と同量のバターを使用する可能性だってある。これは、その確認作業でもあったはず。マスターは、見た目から野性味あふれる豪快なイメージばかりを連想してしまうが、その実、繊細で周到な料理人である。

「――で、いつものお願いなんだけど。今回は、どんな名前がいいと思う?」

 マスターは、淹れたてのコーヒーを運んでくると、テーブルの角を挟むように座り、言った。この店では、これも大切な俺の仕事。

 新メニューの命名だ。

「いただきます」と頭を下げてから、目前に立ち昇る湯気をみて怯む。カップの縁を、一瞬唇に当てた程度で離すと、鼻からすーっと湯気を吸い込んだ。

 コーヒーとは、まず初めに芳香をいただくものだ、と誰かが言っていたような、いないような……。猫舌で臆病な自分の行動を、都合よく美化したうえでカップを置き、それから切り出した。

「これって、限定で出すんですか?」

 まず最初に確認すべき点。グランドメニューに加えるのか、期間限定なのか。マスターは眉間に深い皺を寄せ、「う~ん」と低く、喉を唸らせた。目を閉じていたら、本物の熊が威嚇しているみたいに。

ちなみに、この店の看板スイーツである『クマさんのプリン』とは、焼き目をつけたカスタード生地の中に、ハチミツを使っていることがその名の由来なのだが、訪れる人たちは皆、熊のような大男が作っているから、と誤解しているらしい……。

「――正直なところ迷ってる」

 マスターは言葉通りの表情を覗かせ、口元にたくわえた髭をいじりながら、続けた。

「ほら、うちの店ってさ。クリームスパが人気じゃない。二番目がオムハヤシで、三番目がオムスパ」

 俺はテンポよく相槌を打った。スパゲティのクリームソースが一番人気だという店は、横浜広しといえど、このお店くらいのものだろう。

 カルボナーラではない。あくまでホワイトソースのクリームスパゲティなのだ。それでいて、屋号が『くろんぼ』なのだから、心中は複雑だ。というより、どんな皮肉だよ、と胸の内で苦笑する。

 実際、七百五十円という低価格であの味を堪能できるなら安いもの。ドリンクを付けても、千円札一枚でこと足りてしまう。

「クリームのオムはさ、前々から常連さんのリクエストがあったやつで、ニーズとしては申し分ないんだよな」

 出せば売れるとわかっている。でも出したくない。そう言いたげに、マスターは渋面を作る。

「確かにクリームのオムなんて、オムライスの専門店なら定番ですもんね。お客さんにしてみれば、今までおいて無かったことの方が不思議でしょうがない――みたいな」

「そうそう。だけど、本音で言えば」

「――もっと、カレーを売りたいんですよね」

 割り込むように、俺は確信を突いた。

「うん。そうそう」マスターは嬉しそうに頷き、わかってくれて嬉しいよ、と頬を弛緩させる。

 開店以来、このお店はスパゲティとオムライスが圧倒的に人気で、訪れる女性客の大半のオーダーが、この二つに集中する。

 しかし実際は、マスターが一番手を掛けて作っているのは、カレーなのだ。何種類ものスパイスを調合し、仕上げる。その為の専用スペースを、厨房から離れた場所にわざわざ作っているほどのこだわりをもっている。

 俺は開店当初に一度、どうしてそんなことをする必要があるのかと、訊ねたことがある。

「カレーはフロアの傍では作りたくない」マスターは即座にそう答えた。

 その料理人らしいこだわりと言うか、マスター独自の見解を要約すると、こうだ。

 ソース作りに一切の妥協はない。

 それがカレーであっても、デミやクリームであっても。但しカレーに限っては特に注意が必要らしく、業務用の缶やパックに入ったカレーならまだしも、何種類ものスパイスを調合して一から仕込んでいくと、店中には、そのスパイスの匂いが飛散してしまうのだそう。そしてスパイスの匂いは、一度滲みついたらなかなか取れるものじゃないんだよ、となる。

 そんな作業を厨房でしてしまえば、どうしたってスパイスの香りは客席にまで行き渡ってしまう。これがカレー専門店ならまだしも、洋食をベースにしている以上、他のメニューへの影響を考えれば、スパイスの匂いは最小限に抑えなければならない。臭覚は味覚への先入観に直結してしまう。だからカレーを仕込む為だけに、わざわざ厨房の横へ、換気設備の整った個室スペースを用意した。

 と、こんな感じだ。

 だけど、そこまでこだわったカレーなら、専門店だと思われてもいいのではないか? 仮にそうでなくとも、カレーへのこだわりは十分に伝わるんじゃないか?

 業務用のカレールウなんて使ってませんよ! 

 何種類ものスパイスを調合して、一から丹精こめて作り込んでますよ――と。

 俺はストレートに投げかけた。

 ……が、これに対しての回答は実に長かった。しかもマスターの青春時代のエピソード付きだ。おそらく、一時間近くは聞かされていた記憶がある。だからこれは、できる限り短く要約する。

 今や昔のその昔、マスターが大学生時代に付き合っていた彼女は、大のイタリアン好きだったそうだ。

 その当時、大学生の間では、お洒落なデート中の食事といえば「イタリアン」が相場と決まっていたらしい。「イタリアン」や「イタ飯」、「スパゲッティ」ではなく「パスタ」を食べに行く、という言葉の響きに憧れる。そんな時代だったようだ。

 もっともマスターに言わせれば、「パスタ」なんて言葉はイタリアの麺類の総称であって、結局日本人の大半が食べているのはスパゲッティなんだから、「パスタを食べに行こう」なんて、恰好つけなくていいんだよ、となる。

 だってそうだろ、トンカツや天ぷらを食べるのがわかってるのに、いちいち「揚げ物を食べに行こう」なんて、恰好つけて誘う奴が何処にいるんだよ。それじゃあ恰好つかないだろ。だから日本人が口にする「パスタ」なんて、言葉のファッション以外の何物でもない。と、語調に力を込める。

 まるでパスタに対する恨み節のようにも聞こえ、それほど「パスタ」に嫌な思い出があるのか、と聞いてるこっちが訝ってしまうほどの言われ様。

 普段からパスタを常用している俺にしても、立ち位置は複雑だ。

 そして話は急展開し、マスターは自供する。

「俺はスパゲッティよりもカレーが食べたかったんだ!」と。

 つまりは我慢をしていた。いや、俺にとってのデートとは、我慢の連続だった、と熱を込める。

 デートの度に思った。嬉しそうにスパゲッティを食べる彼女の前で、旨いカレーを食べることが出来たなら、どれほど幸せだったろうか。カレーさえあれば……オレがイタリアンを否定なんてしなければ……要らぬ喧嘩をすることもなかった。俺たちは別れなくても済んだんだよ、と哀愁を漂わす。

 恋人と別れた真意について、マスターはそれ以上語らなかったし、俺も詮索はしなかった。けれど、つまりはそういうことなのだろう。

 食べ物の恨みは恐るべし……とはいささか大袈裟な例えだが、どちらにせよ、マスターのカレー好きが別れの一因を担っていたことは間違いなさそうだ。

 パスタも美味しく食べることができる。カレーも美味く食べることができる。そこへオムライスとハヤシライスが加われば、恋人たちの間に喧嘩なんて起こるはずがないんだ、とマスターの持論は拍車掛ってくる。

 自分が経験した若かりし頃の過ちを、今この時代を生きる若者が再び繰り返さないために、専門店の味を引っ提げて作った、マスターの理想郷。それが『キッチンくろんぼ』の姿なのだ、と。

 まあ結局のところ、マスターのほろ苦い失恋体験を背景にしたこだわり――と、これだけの説明で良かったのかもしれないが……。

 しかし、だからこそ、この店の人気がスパゲティとオムライスへ集中してしまうことが、マスターには歯痒いのだろう。


 と、俺が口直しのコーヒーを殆ど飲み干したところで、二品目の試食へと移るのだが……。

 その前に、結局オムライスの名前は『クリームオムレット 秋の彩』に決まった。

 オムライスではなく、オムレットとフランス語にした意味は、特にない。しいて言えば、商品の彩りから受けたニュアンス、か。

 今日の時点でレギュラー化するか否かの点については未定であったが、ベースはあくまで『クリームオムレット』とし、これを限定化するのであれば、『秋の彩』の部分を変更する方式を採用した。

 季語を変えてもいいし、食材の名前を当てはめてもいい。仮にクリームソースと相性の良い、ロールキャベツを付け合せるのであれば、『緑の彩』といったように、自由度は高い。

『秋の味覚は継続中! 待望というべきか、どうして今までなかったの? と誰もが疑問に感じたオムライスの特製クリームソースがけ。満を持して、限定メニューとして登場!』

 俺は頭の中で浮かんだキャプションを、パズルのように組み替えながらイメージを膨らませる。

『Coming Soon』とシンプルに表現し、写真を前面に押し出すのもアリだな。

 どちらにせよ、ターゲットは今までの顧客を意識した作り方。待望的な、とにかくもったいつけた感を前面に押し出したベタなノリの方がいいだろう。

 こうして、なんとなく広告のイメージが浮かんだところで、俺はカレーの試食へと移った。

 但し試食といってみても、このカレーについては事前に俺が提案していたものだったので、おおよそのイメージはついていた。というか、殆ど描いていた青写真通りの出来栄えだった。

 槐えんじゅと呼ばれる木で作られたマグカップを四つ用意し、それを木製の器に見立て、カレーを盛り付ける。

 このマグカップは、以前にマスターが北海道で買ってきたもので、普段からコーヒーを飲むのに愛用しているものだ。

 それを見た時に、俺はピンときた。このマグカップは何かの器になるんじゃないか? ……で、そこから閃いたのが、お皿ではなく、マグカップで食べる新しいスタイルだった。

 実際は、マグカップといっても一般的なサイズと比べるとやや大きめ(とはいえ、マスターにはあくまで標準的)のサイズを使用する。

 それを四つ葉のクローバーの形を模るように白い平皿の上に並べ、それぞれのカップには、種類の違うカレーを盛り付ける。

 スパイシーな香りと、ほど良い辛さが食欲をかきたてる、マスターこだわりのオリジナルくろんぼカレー。そこへ昆布をベースにした和風出汁を加え、昔懐かしい風味に仕上げた和風カレーが出来上がる。

 お次は辛さを倍増し、チーズのコクとまろやかさで味を調えた、スパイシーチーズカレー。これは表面にのせたチーズをバーナーで炙り、焼き色をつけるのがポイントだ。

 そして最後は、カレーとみせかけたハヤシライス。これも当然、こだわりのデミグラスソースを使用している。

 また、マグカップの木目にカレーという組み合わせが、見た目に単調な色合いなので、ガーリックチップやアーモンドスライス、クラッシュトマトやドライパセリなどをトッピングし、色彩のバランスを整える。

 これらの四種を基本スタイルとし、トータルで六種類のカレー(+ハヤシライス)から、お好みで組み合わせることができるアラカルトスタイル。

 ちなみにこのアイディアは、我が家のポストに届けられていた、宅配ピザのチラシを見て閃いたもの。

 ピザ一枚で四つの味ならぬ、ひと皿に四種類のカレー。名前もそのままに、『クワトロ・カレー』と命名した。

 他にも、あれもこれも食べたい、というイメージから『よくばりカレー』という案もあったのだが、それだといかにも男性的なので、女性や子供連れにも注文しやすいネーミングを選んだ。

 注文する面白さであったり、食べ比べする楽しみをトッピング。

 男女を問わず、複数で来店する人たちが、スプーンとマグカップを片手に、ワイワイ楽しみながら食事をする。新しいスタイルのカレーが、ここに誕生したのだ。

「――あのカレーなら、間違いなく売れるな」

 歩みを進めながら、俺は呟いた。

『くろんぼ』でのやりとりを回想しながら、あらためて確信する。

 今後、あの二つの商品を、うちの媒体を介してどういった形で宣伝をしていくのか、それは俺のディレクションに掛っている。

 広告という限られたスペースの中に、どんな写真を撮り、どんな見せ方をするのか、インパクトのあるキャプションを付け、どうやって見ている人の心を引き寄せるのか。

 開店してからの二年間。マスターと俺が戦略的に進めてきたのは、女性が来店しやすい店としてのイメージ作りだった。

 もちろん、それは当初にマスターが思い描いていた姿とは掛け離れていたのだろう。あの昔話を聞けば、尚更だ。けれども俺は、店のメニューを見た際に、思い切って路線変更を進言した。

 始めのとっかかりとしては、女性層の票を集めましょう。その為のアイテムが、ここには十分揃ってますよ――と。

(熊のようなマスターの見た目を除いて、だが)

 俺は、構想を膨らませる。

 ここまでは順調と言っていいだろう。だが次は女性目線だけではなく、男性目線からも利用しやすい店づくりを目指す。それこそが、『くろんぼ』が次のステージへ進む為のテーマなのだ、と。

 そして、その道の先には、マスターの求める理想郷が必ず存在するはずだと言い聞かせる。

 ここからが本当の腕の見せどころだ。

 気合いがみなぎってきた俺は、よし、見ていろよ! という意気込みを込め、どんっと一発、胸板を叩いた。

 一瞬、すれ違ったマダムが訝しげな視線を向けていたが……見なかったことにしよう。


 さて、横浜といえば、中華街やみなとみらいにばかり目が向きがちな傾向にあるが、俺個人としては、ここ伊勢佐木町の商店街を絶対にお勧めする。

 ホットスポットならぬ、ほっとスポット。

 生い茂る木々の優しさに包まれ、緑豊かに伸びる自然のアーチは、伊勢佐木町ならではの顏。

 古くは青江美奈が歌った名曲『伊勢佐木町ブルース』に始まり、近年、といってもすでに十年以上は経つが、今の日本を代表するフォークデュオである『ゆず』が、松坂屋の前で路上ライブをしていたことで、その名を轟かせた聖地でもある。

 商店街の魅力は、歩いて、見て、食べて初めてわかるもの。

 旅行者向けのガイドブックばかりに目を向けていると、見落としてしまうような優良店は数多い。

 まあ、その辺りの詳細については、毎月五日に発行している、うちの誌面を読んでもらえればいいのだが……とにもかくも、この街を訪れるなら、素通りしてしまうことだけは避けた方がいいスポットである。

 歩みを進めながら俺は、忙しく視線を移動させていく。

 伊勢佐木町に限ったことではないが、俺にとっての商店街とは、ビジネスチャンスの宝庫であり、同時に四季の移り変わりを感じさせる場でもある。同じお店、同じ店主が顔を並べていたとしても、その表情は日々異なるもの。視界に入ってくる情報を敏感に察知し、ひとつひとつを解析しながら先へ進んでいくことが、俺の楽しみであり、仕事となる。

 またこれは俺の持論となるが、理想の商店街とは、どこかひとつでも歯が欠けている状態であってはならない。隣同士、立ち並ぶ店同士が手と手を繋ぎ合うことで、団結し、活性化していく。その途中、空き店舗ができるということは、繋ぎ合う鎖を断ち切ることになってしまう。たった一店舗の閉店。そのわずかな綻びでさえ、衰退への序章になることを肝に銘じなければならない。これは、伊勢佐木町も例外ではない。

 針路を日ノ出町に向ける俺は、老舗の時計店の角を右手に曲がった。アーケードから脇道に逸れて進む。ただ一歩向きを変えただけ。

 それだけであるはずなのに、目の前に広がった光景は、大きく様変わりする。伊勢佐木町と隣り合わせに広がった街。

 それが、福富町だ――。

 この街は、任侠もののB級映画など、映画撮影の舞台となることが多い。そのせいか、巷では『暗黒街』などとブラックな比喩で例えられ、敬遠する人も少なくない。……だが、それもあながち的外れではない実状が存在する。

 キャバクラやスナックをはじめ、ソープランド等の風俗店がひしめき合う歓楽街であり、同時に暴力団やチャイニーズマフィアと呼ばれる輩が、街の至る場所に潜んでいる。言葉は悪いが、賭け事や喧嘩の類は日常茶飯事だ。この街では、不法に営業されるカジノ店の摘発だって聞き慣れた話。暴力団の資金源の宝庫。これも言い過ぎではない。

 俺は以前に一度、この街で道端に落ちている銃弾を拾ったことがある。けれどそれが実弾か、はたまた映画の撮影で使用した偽物なのかさえ判然とはしなかった。

 物騒なこと極まりなく、何時、自分が事件に巻き込まれるかもわからない。負の可能性を肌で感じる。

 今だってそう。ただ通りを歩いているにもかかわらず、うっすらと心拍が上昇し、緊張が身体全体をねっとりと包み込む。耳が拾う些細な物音にも反応し、意味もなく振り返っては、自分の背後に怯えてしまう。

 まあ、ここまで言ってしまうと、随分オーバーな例えにもなるが、実際のところ俺は、とある事情から、自分の背後を気にする癖ができてしまっているのだから、これも仕方のないことだった。

 先に暗黒街という表現があったが、もうひとつ。この街には別の顔が存在する。

 それが多くの韓国人が経営する、本場韓国料理の専門店街としての顔だ。

 横浜といえば、山下町の中華街を真っ先に連想する人もいるだろう。横浜=(イコール)中華街。横浜の顔であり、言わずと知れた観光名所である。

 しかし、そこから車で五分足らずの場所に、韓国料理の銘店が軒を連ねていることまでは、あまり知られていない。事実その中には、俺自身が贔屓にしている隠れ家的な店もある。タウン誌を扱っている身でありながら……であるが、なるたけ公にしたくないのが本音だ。

 とはいえ、一般の認知度が低いのは、この福富町という土地柄のイメージが大きく影響を及ぼしている。多くの人たちが足を踏み入れることを躊躇してしまう敷居の不穏さ。

 スポットライトとは無縁の闇が似合う、いや、闇の中でこそ生える街――。


 歩みを進めながら俺は、頬に受ける空気に微妙な変化を感じ取った。思い出したように空を見上げる。

 立ち並ぶビルの合間を埋め尽くしている雲は、たっぷりと水分を蓄えたスポンジのようで、今すぐにでも雨粒を落としそうな表情をしていた。いつ雨が降ってもおかしくない。顎を引いた俺は、歩くペースを速めた。

 一方通行の流れに逆らうように、商店街を一路日ノ出町に向かっていく。

 但し商店街といっても、実際は活気などという言葉は縁遠く、これから訪れる目覚めの時を待つように、今はただ、ひっそりと静まり返っている。

 あと数時間もすれば、この街は真の姿を表すことになるだろう。

 夕暮れ時のこの時間帯は、さしずめ街全体が準備中といったところか。賑やかさとは掛け離れ、まるで時間軸ごと、この街だけがずれてしまっているかのようだ。

 老婦とすれ違った。掘り深い皺の刻まれた顔は、一見すれば日本人に見えなくもないが、違う。今のは韓国人だろう。この街の歴史は一世紀を超えると言われているが、あの老婦は何時から移り住んでいるのだろうか、そんなことを考える。

 老婦から視線を移すと、通りを挟んで反対側の軒先に、立ち話をしている二人組の男たちが見えた。一方はタバコを加え、一方は缶コーヒーを手にしている。中国人だ。

 同じアジア系の顔立ちでも、韓国人とは異なる顔つきをしている。

 昔は見分けがつかなかった時期もあるが、今ではすんなり見分けられるようになった。

 俺の勝手なイメージを述べるなら、濃い顔をしている。よく言う顔の作りというよりは、内面に流れる血液から滲み出る濃さ、といった方が正しい。アジア直系の純血種と言うべきか、中国人には怒られそうだが、とにかく濃い。そんなイメージだ。

 だからこそ、視線は無意識に日本人の姿を探してしまう。すれ違う車の中、店の奥に見える人の影。ようやく見つけたのは、通りの先にある角の店先で、履き掃除をしている黒いスーツ姿の男だった。

あれはキャバクラの店員だろう。目下、開店前の下準備中ってわけだ。

 男は友達でもなければ、お得意先の顔見知りでもない。数秒後には、ただすれ違うだけの関係。それでも俺は、男に対して妙な親近感を覚えていた。見ているだけで、何故だかほっとする。

 ここだって日本なのに、な……と思わず苦笑する俺に、男は訝しげな視線を向けていた。


 日ノ出町の駅に着いたところで、俺はあらためて時間を確認した。

 約束の十七時には、まだ十分程度の時間が残されている。読み通り。丁度いい頃合いだ。

 俺は駅の反対側へ針路を取り、裏手に顔を覗かす野毛山公園に向って歩き出した。

 カレーにオムライス。流石に二品も食べた後のウォーキングは堪えるものがある。食後くらい少しは休憩しろよ! と胃腸から猛烈な苦情が届けられていた。

 だがこれも致し方ない。この後に、我が家で待ち構えている夕食のことを思えば、今は少しでもカロリー消費に努めたい、というのが本音なのだから。

 ついうっかり、とはこのことで、俺は今朝の段階で『くろんぼ』の打ち合わせが入っていたことを、完全に忘れていた。当然、梨佳子には伝えてない。

 事情を知らない梨佳子は、何一つ疑うこともなく、夕食の準備に取り掛かっているはずだ。俺は包丁片手に、キッチンに立つ妻の姿を想像する。

 そんな最中に、よもや夫の胃の中が、オムライスとカレーで埋め尽くされているなんて、思いつくはずもない。

 このミスに気付いたのは、『くろんぼ』でオムライスを目の当たりにした瞬間だったのだが、俺は連絡すべきかどうかを迷った末に、やめた。

 今日の流れなら二十時までには家路につくことができる。多少遅いが、夕食の時間には間に合うはずだ。来週を過ぎれば『タウンズ・ウォー』の締切に追われる日が続き、一家団欒の時間は極端に少なくなってしまう。だから今時期は、少しでも家族が揃う時間を大切にしたかった。流石に遥希の食事は済ませているだろうが、梨佳子なら、きっと俺が帰るのを待っているはずだ。

 また俺も仕事柄、食べることには慣れているので、もう一食くらいであれば食べきる自信はある。それが梨佳子の手料理なら尚更だ。

 とはいえ献立は、カレーとオムライスだけは避けてもらいたい。

……が、俺はローテーション的にも、そろそろカレーが出る頃じゃなかったか? と心配になる。

 ふと、鼻先を何かが掠めた。

 瞬時に俺は、それが雨だと察した。天を仰ぐ。額にポツポツ落ちてくる雨粒に、目を瞬かせた。

 足元では、雨雲と同系色のアスファルトが、より一層濃い色へと、上塗りされていく。

「ギリギリ間に合ったな」

 呟くと俺は、眼前にそびえ立つビルの入り口へと、飛び込んだ。

 エレベーターに乗り込んだ俺は三階で降りると、すぐ左手にある入口の前に立つ。シンプルモダン。コンクリートの打ちっぱなしでデザインされたこの建物には、いささか不釣り合いな、木製の分厚いドア。

 視線を横に流し、通路の右奥に見えるガラス張りのドアと比較する。普通に考えれば、あちらが標準仕様に違いない。二カ所のドアを見比べると、この入口が一層浮いた印象を醸し出して映る。

 一見すれば、喫茶店かお洒落な雑貨屋のような佇まい。

 次の打ち合わせ先である『ハートサポート・銀』は、このドアの向こうにあった。


「失礼します! ファイターズの登坂です」

 ドアを開けすぐに、元気よく挨拶する。次いで「先生、十七時からの打ち合わせにお伺いしました」と呼び掛け、相手の応答を待つ。

 入り口の先に広がる空間。三十畳程のスペースには、ゆったりと座ることのできる革張りのソファが、無垢材の一枚天板で作られた大型テーブルを挟むように向き合っている。

 天井と壁は白く、壁には腰の高さほどにパイン材がはめ込まれ、床も同様に、無垢のパイン材で敷き詰められている。

 調度品の類は天然木に統一され、要所に置かれた観葉植物が気持ちを和ませる、温もりに包まれた空間。鼻先をくすぐる、木の優しさが心地よい。

「――なあ。今の件は本当に必要か?」

 奥の机に座っていた男がペンを置き、面倒臭そうに顔を上げた。

 呆れ顔、それに揃えた呆れ声。

 俺は薄く笑みを浮かべ、靴を脱ぐ。靴の向きをきちんと正した後で、一番広い三人掛けのソファへと腰を下ろした。

 相変わらずスプリングの固さが丁度いい。俺好みの座り心地。うちにある三万円で購入したソファとは大違いだ。

「一応、お前も大切なクライアントなんだし、当然だろ」

 俺が答えると、男は席に座ったままの姿勢で両手を高々と持ち上げ、大きく伸びをして見せる。

「大切なクライアントねえ……。で、その大切な取引先のソファで、偉そうに踏ん反り返ってるのはどこの誰だ?」

「どこの誰? ……こりゃ失礼。自己紹介が遅れまして。私、株式会社ファ――」

「だから、その件はいらないって」

 男が続きを遮る。口調は強い。が、だからといって腹を立てている様子ない。どちらかといえば、悪戯好きな子供をなだめるように、穏やかな表情をしている。

「コーヒーでいいんだろ。今淹れるから、少し待ってろよ」

 あくまでマイペースを貫く、男のそっけない対応。

「なんだよ。折角来たってのに、相変わらずお前って、釣れないよなぁー」

 全く、つまんない奴だね。零しながら俺は、男に向って人差し指を突き出した。


 男の名は、汀銀太郎。

『ハートサポート・銀』を経営するカウンセラーであり、俺とは中学校時代から続く親友の間柄。

 先程は「先生」と呼んでみせたが、本来は馴染みある呼称で「銀」と呼んでいる。この呼び方は昔からずっと変わらない。銀にしても同じで、俺のことを変わらず「篤」と呼ぶ。

 学生時代からの呼び名というものは、年齢を重ねることによって変化することもある。とりわけ社会人ともなると、得てして「苗字」で呼び合うことが多くなったりもするのだが、俺たちは違った。

「銀」と「篤」。互いに三十歳という節目の年を目前に控えるも、顔を合わせれば途端に学生時代へ逆戻りするような感覚は、いくつになっても色褪せることがない。

 仲が良い証拠なのか、単に俺たちが大人になりきれてないのか、どちらにせよ、この関係はこの先も変わりそうにない。

 変わらないといえば、もうひとつ。

 銀は昔から大のアウトドア好きだ。趣味の登山をひと月に一度のペースで繰り返し、季節を問わず、欠かすことはない。

 そのせいか、普段からアウトドア系のブランドを好んで着こなし、今もカーキ色のチノパンに、暖色系のチェックシャツを組み合わせている。どちらもティンバーランド製である。

 筋肉質ではあるが、細身のしまった肉体に百八十センチを超える身長は、一見すればモデルのようでもある。着る物を選ばず、どんな服でもすらりと着こなしてしまう。

 銀よりも十センチ低い俺を無遠慮に見降ろし、「裾上げなんて必要あるのか?」と、さもそれが当然だと言ってのける。コイツは遠慮ってものを知らない。

 相手の性格を推し量る基準に、なんでも血液型を当てはめるのは、うちの会社の悪い癖かもしれないが、銀は、俺の身近で数少ないAB型である。

 それも一般に聞く、AとBの両面を併せ持っているタイプ、というよりも、仕事中はA型、プライベートはB型と、異なる人格を器用に使い分けてしまうような男だ。合理的且つ、理論的。クレバーな分析力に長ける、頼もしくもあり、手強い相手。

 非効率さに意地を張り、効率の壁を飛び超える優越感に喜びを感じる。例えるなら、急事の場ほどエレベーターを使わずに階段を駆け上がっていく俺とは対極に位置する性質の持ち主である。

 コイツの前で嘘と隠し事はご法度だが、あえてそれにチャレンジすることが、ひそかな俺の楽しみでもある。

 その銀が、この仕事を始めたのは三年前。

 開業当初から、俺たちはビジネスパートナーとしての契約を結んでいた。いや違う。厳密には『ハートサポート・銀』と『株式会社ファイターズ』の間で、といった方が正解か。

 当時の俺は、馴染みの間柄ということもあって、公私混同を避けようと、意図して気を使っていた部分があった。

 けれども銀が、いつものお前らしく振舞ってくれないと調子が狂うから止めてくれ、と訴えたことをきっかけに、以後の俺は、この場に限り体面的なスイッチをオフにしている。ゆえにコイツと話をする時に限って、俺を縛るものは、何一つない。

 とはいえ、仕事に一切の妥協をしないのが互いのルール。余計な遠慮もなければ擁護も無く、必要であれば言い争いさえ受け入れる。

 また銀は、カウンセラーと呼ばれること嫌い、自らをアドバイザーやサポーターと呼ぶ。だってカウンセラーなんて偉そうだろ、とは、どこかの会社にいる社長さんのようだ。

 曰く、カウンセラーなんて呼び方は、商売上の商標みたいなもので、そこが何をしている場所なのかを知らせる為だけに存在すればいい。それ程特別な言葉じゃない。付け加えるなら、カウンセラーなんて、その気になれば誰でも簡単に名乗ることができるんだから、となる。

 実際、世の中にいる「カウンセラー」を名乗っている人間の多くは、医師のような国家資格を持っているわけではない。精神科医療とは似て異なり、治療や診断といった医療行為をする権利はない。

従って、民間で定められた独自の資格をバックボーンとしている者が大半を占める。

 以前、銀がこう例えていた。

「この業界と似てるわかりやすい例があるよ。鍼灸師っているだろ。あれになる為には国家資格が必要になる。はり師ときゅう師それぞれの国家資格を所持している医療従事者だな。だけど最近主流になってきた整体やカイロプラクティックだとかってものに、国家資格はない。あると思ってた人は、単に看板なんかに書いてある『東洋医学』って言葉に惑わされているだけ」

 鍼灸師には国家資格が必要。これは俺も承知している。だが思い起こしてみれば、鍼灸師という言葉自体は、久しく耳にした記憶がない。

 ましてや「あん摩マッサージ師」なんて呼称は、絶滅危惧種にでもなったかのようで、今では整体師や、カイロプラクタ―という呼称に、埋め尽くされた感が否めない。

「カイロなんかの類って、大抵は専門学校みたいな場所に一年くらい通うんだけど、酷いところになると、短期コースなんてのがあってさ。驚くことに一週間程度で修了証を貰えるような場所だってある。嘘みたいな話だけど、つい先日までは何も知らなかった素人同然の人間が、気付けば整体師を名乗っている、なんてことが平然としてあるんだよ。――驚かないか? 仮に最初からそんな説明があったら、どうする。『私は一週間コースで猛特訓したんですよ』だなんて……。そんな場所、俺は絶対に遠慮したいね。それに実際の話、リラクゼーション目的にマッサージを受けに行ったら、肋骨が折れたとか、傷めていた腰を余計に悪化させたなんて、とんでもない相談が国民生活センターに届けられてるんだ。全くもって酷い話だと思わないか」

 俺は迷うことなく首肯する。

「酷いどころの話じゃないだろ」と、120パーセント同意した。

 整体師の類が民間の資格だということまでは理解できる。それはそれでいい。別に国家資格じゃなくとも、ある一定期間そこで講義研修を受け、修了した者であれば、最低限開業する資格は得られるのだから。

 しかし、だ。

 銀が訴えたように、たった一週間程度で修了してしまうような講座と、一年かけてじっくり受講する講座とでは、修了課程に於いての技術の差は歴然。雲泥の差だろう。

 こっちはそれを知らずに身をあずけるのだから、冷静に考えてこんなに恐ろしいものはない。仮にも人の身体を扱う職業だ。それが痛みに苦しむ人を、どんな人間が施術するのか、受ける側が知らないなんて。

 さらに加えれば、雑誌なんかで見かける通信講座にも、整体やカイロプラクティックの講座をみかけることがある。通信講座とは、本来DVDなどを使って自宅で学ぶもの。だとすれば、実際に人の身体を触れ、実技を学び、技術を会得する機会は何度あるのだろうか。

 結局のところ、俺たちはそれさえも見極める術を持っていない。

 所詮は、壁に下げてあるたいそうな額縁の中の認定証で判断するしかないのだが……。それ自体も、どんな場所で技術を学んだ認定証なのかを知る術がない。

 開業をするにあたってのガイドラインさえ線引きされていない実態。技術力の明確な基準が設けられていない事実。実際に報告されている事故例の数々。こうした現実を、殆どの人間は知らずに通り過ぎてしまっている。

「――だけどな」

 切り出した銀の口振りは重かった

 俺たちカウンセラーにしても、結局は似たようなもんなんだよ。

 と、穏やかさの中に切なさを押し込んだ声音で、先を続けた。

「カウンセラーやセラピストを名乗っている人間だって、整体師やカイロプラクターとさほど変わりはない。確かに精神科医ともなれば、国家資格は必要になる。あれは医師だからな。けど――」

 カウンセラーとカイロプラクター。聞こえのニュアンスは確かに近い。と妙な部分に気を向けながら、本題は違うだろ、と雑念を払う。居住いを正し、真っ直ぐに銀を見つめる。話の途中で余計なことに気をとられるのは、俺の悪い癖だ。

「実際の話、カウンセラーと謳っている職業に、国家資格なんてものは必要ない。あの業界と一緒で、民間の講座の中からどれかひとつを受講すればいい。要は修了課程を示す、それっぽい認定証が壁に貼ってあればいいだけの話だからな」

 自分の職業の話をしているのにも係わらず、銀の言葉には熱っぽさを感じない。まるで他人事のように、淡々と語っていく。

「それにもっと極端なことを言えば、そんな紙きれさえも必要ない。過去の経験から、何かしらのバックボーンを謳うことで、カウンセラーを名乗ることができるんだ。『私は○○に特化した分野で活躍してきました。実績はこれこれこんな感じです。だからその相談であれば、力になることができますよ』なんて具合に、さ」

 ――篤だってわかるだろ。と投げ掛け、俺が頷くのを待ってから、先を続ける。

「カウンセラーってのは聞こえの良い響きだけど、その実、内面が凄く不可視化な業界なんだよ」

 一見すれば怪しく見えるような同業者は少なくない。一緒くたにされるのは不本意だけどな。そう零し気味に続けて、真っ直ぐに俺の目を見据えた。その視線は俺の目を通り抜け、直に頭の中を覗き込まれているようにも感じられる。

 なんだよ。俺の何を待ってるんだよ。と訝れば、頭の中で何かが繋がった。「怪しく見える」というキーワードを元に、あるフレーズが浮かび上がる。

 それは『心霊カウンセラー』という固有名詞。

 雑誌で見たか、それともネット検索をしている最中だったろうか。

 ともかく俺は、過去いずれかの場面でその名称を見た記憶がある。

 そして率直に感じた。

 なんだこれ? 怪しくないか――と。

 銀が示唆した中に、この『心霊カウンセラー』が含まれていたのか、真意は定かではない。

 けれど、これもまた然り。つまりはそういうことなのだろう、と銀の目を見返し、解釈する。そしてそれは、銀がうちの会社と契約を結んだことにも直結する。

 ぽっと出のカウンセラーに信用なんて言葉は当てはまらない。これは絶対だ。実績がない以上は、信用に値する土台は皆無。だけど銀の仕事には「信用」という二文字は絶対に不可欠である。だったらその信用をどうやって具現化すればいいのか。当時の銀は考えた。

 至ってシンプルに、且つ合理的に。

「今の俺の信用度は限りなくゼロだ。断言してもいい。自分で言うのも変だけどさ。だけど『タウンズ・ウォー』というフリーペーパーには信用がある。何年もこの街で読み続けられ、情報を提供し続けてきた。そこには読者の求める情報があり、篤の会社は、その期待を裏切ることをしない。俺の知る限り、ファイターズって会社は地域との繋がりを大切にし、読者との信頼関係を重視する。俺はいわば、その信頼関係を利用するんだよ」

 わかるだろ。俺はお前の会社に乗っかるんだ。と銀は平然と言ってのける。大丈夫、俺の見立てに間違いはない――と。

『タウンズ・ウォー』に掲載されている広告なら信頼できる。もちろん、最初は構え、一線を引き、訝る人がいるかもしれない。しかし最終的に、読者はこう口にする。「タウンズ・ウォーに載ってるんだったら、大丈夫なんじゃないの?」と。

 読者にとっての判断基準。

 すなわちそれは、これまで培ってきたうちの会社と読者間とに介在する信頼関係である。安心感と言い換えてもいい。銀はこのメリットに目を付けたのだ。

 マイナスの符号が向けられる可能性を排除する手段。手っ取り早く、より確実な方法で。うちの誌面の認知度と信頼度を使って間口を確保する。銀の狙いはここに集約される。

 既に蔓延しているカウンセラーに対しての評価。一部の聞き苦しい噂話。それらの悪評と同じ土俵に、銀は絶対に乗らない。

 その後、開業してから丁度一年が経った頃。銀はこんなことを口にしていた。まだ、この仕事が軌道に乗る以前の話だ。

「結局はさ。この業界も需要と供給なんだよ。『あそこは怪しい』だとか『あの人は評判が悪い』なんて言って、十人中九人が批判したとする。でも、その内の一人でも信用してくれれば仕事としては成り立ってしまう。誰にでも求められる形を需要というのか、コアなごく少数の人たちが求める部分を需要と呼ぶのか。ただそれだけの違い。もちろん、どちらを選ぶのかは俺たちカウンセラーの自由だし、自分の信じる道を進めばいい。――だけどさ。この仕事は攻めの姿勢よりも、実際は待ちの要素が強いだろ。偉そうに虚勢を張ってみたところで、結局は受け身なんだから待つしかない。最終的な判断を下すのは人。評判を広めるのだって人。唯一できることといえば、来てくれた人に対して最善を尽くすことくらいなもんだよ。俺はこの一年世間に出てみて、それが凄く実感できた」

 一年分の鬱積を吐き出すように述懐すると、こうも続けた。

「最近になって、つくづく思うよ。俺が持ってるあの紙きれなんて、たいした意味なかったなって」

 銀は壁側にある飾棚の上で、やはり立派な額縁に入っている認定証を指差した。

 臨床心理士の有資格者である証。

 銀は大学から大学院を経て臨床心理学を学び、その資格を得た。

 これは文部科学大臣より認定を受けている日本臨床心理士資格認定協会という機関で得られる、知名度、所得難易度からしても民間資格の最高峰にあたる証である。

 たいした意味は、存分にある。

 けれど、意味がないと思えるくらい、この頃の銀は千辛万苦していたのだろう。自らが信じるカウンセリング方針と、ビジネスの融合に、だ。

 通常この手の有資格者であれば、医療機関や行政機関など、その「肩書き」を十分に発揮させた職に就くことができる。銀にしても同じ。その為のレールが、目の前に伸びていたはずだ。けれど、この男の考えは違った。

「俺はさ。困っている人たちが皆、背中を丸めずに相談できる場所を提供したかったんだ。心の病を患っている人にとっての病院ほど、居心地の悪い場所はないからな。ほら、心療内科や精神科の待合室に座っている人たちを想像してみろよ。周囲の視線を避けるように顔を伏せ、一様に肩を落としている。そんな場面を幾度となく目にするうちに思ったんだよ。この人たちは、この場所にいるだけで、不必要な心の負担を背負わせられてしまっている、ってね。本来、癒すべきはずの病院の中で、だよ。それで確信した。俺の役目は、ここにはないって」

 それから二年の月日が経った。

 銀の船出はあさからず厳しかったはずだ。けれど揺るぎない信念を貫き続けることで、真の信用を得るまでに成長し、多くの依頼者に必要とされるまでになった。

 今でこそ、銀はこう打ち明ける。

 臨床心理士の肩書があったからこそできた、人との繋がりがある。

 それは紛れもない事実だし、カウンセリングをビジネスとしていく上で、肩書に助けられたことも否定しない。けれど実態は、肩書じゃなくて、その中身なんだよな。肩書を得るために努力した八年が、開業してからの三年を支えてくれた。この三年を積み重ねることができたのは、あの八年があったからだってことが、身に沁みてわかるよ――。


 銀が淹れてくれたコーヒーが程良く冷めたところで、カップを口へ運ぶ。ゴクリと喉に流し込んでから、鞄を開き、次号の『タウンズ・ウォー』に掲載する広告の校正を差し出した。

「――で、来月の内容も予定通り同じパターンでいくけど、特に変更したい部分なんてあったか?」

 広告枠は一ページの一/六サイズ。うちの誌面の中では、最も多く使われている大きさだ。

「ないよ。予定通り年末まではこれでいい」

 銀は、手に取った内容を一瞥しただけで、あっさり声を返す。俺は確認の意味も込め、もう一度広告へ目を向けた。

『僕はアウトドアを趣味にしています。休日は堅苦しい枠組みから抜け出して、自然の中を気ままに歩く。たったそれだけのことで、世界は全く違うものに変わります。まずは一歩を踏み出すだけでいい。日々の喧騒から抜けだし、視点を変えてみる。これまでの自分が気付くことのなかった小さな発見から、大きな感動が生まれるのです』

 広告のメインスペースをコラム形式で綴った構成。カウンセリングとしての直接的な訴えは重視していない。一見、何のことかもわからない内容。カウンセリングを必要としない人にとっては、全く意味を持たない文章である。

 けれど、これが背中を後押しする場合がある。後押しされる人がいる。それがこの広告の狙いだった。

 至ってシンプルな作りではあるが、このかたちを六カ月連続で掲載することになっている。所謂、刷り込みと呼ばれる手法だ。

 またこの文章の脇に、銀の顔写真を載せた。相手の顔が見える安心感。これは掲載当初から一貫している部分であり、構成上、最も重要なポイントでもある。

 特に銀の場合は、清潔感があり、見た目にも誠実そうで、朗らかな印象を受ける。これを広告に利用しない手はない。

 だけどはっきり言おう。俺は昔から、コイツの顔の造りがいいことは口が裂けても褒めないようにしている。だってそうだろ。天は二物を与えないんじゃなかったのか? 顔も良い。背も高い。そこに加えて頭脳まで明晰とくるなんて、二物どころの話じゃない。そんなの絶対に不公平じゃないか――。

 俺の醜い嫉妬を嫌ってか、奥のデスクにある電話機が音を鳴らした。機械的な電子音。単調なリズムがどことなく懐かしい。

「悪い。ちょっと席外すな」

 右手を軽くあげ、ゴメンのポーズを作る。気にするなよ、と言って、俺は手元に残ったコーヒーを飲み干した。カップを片手に席を立つ。二杯以降、ここはセルフサービスだからな。

 電話口に立つ銀の声が聞こえる。別に耳をそばだてているわけではない。けれど仕切りのないこの部屋の性質上、どうしたって電話の声が届いてしまう。

 電話の相手はクライエントなのだろう。

クライエントとクライアント。どちらも同じスペル(Client)で、依頼人という意味なのだが、「ア」と「エ」の違いにこだわる業界ごとの奇妙な棲み分け感が、俺は毎度まどろっこしくもある。

 対応具合から察すると、電話の相手は新規の予約らしくも聞こえる。ならば電話を寄越してきたきっかけが、うちの誌面であって欲しいと願いつつ、ソファに腰をおろす。今度は耳をそばだてた。

 ついさっきまでの銀とは違う、もう一人の銀。カウンセラー然とした柔和な受け答え。ごく自然に流れ出る声音。電話口にもかかわらず、普段の俺に対しては絶対に見せることのない表情を覗かせる。

 その顔は、完全な仕事モードに切り替わっていた。

 一般にAB型の印象を尋ねると、二重人格という意見が最も多くなる。他には天才肌だというプラスの特徴だってあるのに、どうしてもマイナスイメージが先行してしまう。

 だけど思う。はたして二重人格とはマイナスイメージなのだろうか。銀のように、仕事用の自分と本来の自分、プライベート用と言い換えてもいい。この両面をきっちり使い分ける奴だっている。

 仕事用の銀は、大袈裟に言えば聖人っぽくも映る。仕事柄、どうしたって悪人ってことにはならないだろうし、当然、人当たりも良ければ、受けもいい。

 特筆する部分で言えば、その印象に裏面を感じさせないことだろう。それが素の性格だと、疑う余地はない。

 作ってるのか? と訊けばそうではない。単に仕事用というひと声で片づけてしまう。俺は一人しかいないだろ、と。

 だからと言って、プライベートの性格が真逆に位置しているわけではない。こちらも同様に裏表のない性格だ。表現はいたってストレート。言いたいことは、はっきり言うし、遠慮だってない。実にわかりやすいもんだ。

 これが変に隠しごとをしたがるB型と比べたら、よっぽどわかりやすい性格なのかもしれない。(と、俺が語っている場合ではないのだが……)

 ゆえに、この性格を片面ずつ評価するのであれば、決してマイナスの印象が際立つことはないはずだ。どちらかと言えば、両者ともにプラスだといえる。

 けれども、その両面を併せ持つことで二重人格というマイナスイメージが出来上がってしまうのは、もはや都市伝説に近い。

 プラスとプラスは、足しても掛けてもプラスのままだ。マイナスにはなり得ない。なのに何故? といった疑問が膨れ上がる。

 それでも実際は、AB型と耳にした段階で、ひととなりを見ずに二重人格というイメージを植え付けてしまうことが原因なのだろう。

 B型だって同じこと。「B」と言った途端に「えっ」と返されるのは、「山」「川」の合言葉も真っ青の反応である。

 まあ、あらぬ先入観は粗探しに直結する。AB型といっても、実際はひとりの人間なのだから、性格が二つあるものと決めつけるのは早計ってもんだろう。

 仮に二つあるとすれば、それは人格ではない。思考パターンと表す方が、説明がつきやすい。二重人格ならぬ、二重思考。うん、と俺はひとり納得する。我ながら上手い例えだと思った。

 と、そこで電話を終えた銀が、席に戻ってきた。

 腰をおろすなり上下に視線を走らせると、なにやら不満そうに顎を突きだした。

「なんだよ。おかわり、自分の分だけ持ってきたのか? まさか俺の分を忘れてたわけじゃないだろ」

 銀は空になったカップを持ち上げ、底を見せるようにヒラヒラと揺らしている。

 ――何を突然、と思ったが、それにしても「なんだよ」とは俺の台詞だ。電話を切ったら、途端にスイッチもオフなのか? その便利なボタンは何処に付いてんだよ! 

 と抗弁したくなるのをぐっと呑み込んだ。前言撤回。やっぱりお前は二重人格だよ!

 だから俺は「おいおい、俺にもさっきの電話みたいな対応してくれよ」と注文してから、「僕の分もコーヒーを淹れてくれますか、だろ?」と仕返しのつもりで、電話口での口振りを真似して見せる。

「僕」の部分をあからさまに強調してやった。が――。

「よせ、気持ち悪い」

 即答で秒殺。あまりに素っ気ない態度なものだから、俺の戦意も先細りになる。

「それに、俺が使う『僕』なんて、篤に比べたらいい方だと思わないか?」

 口を次いだ投げ掛けに、困惑する。どういう意味だ、と訊き返す間もなく銀が続けた。

「篤の場合、基本的な一人称は『俺』だろ。それが仕事となれば『僕』に変わり『私』にもなる。しかも、『私』は必要に応じて『わたし』であり『わたくし』に変化する。そうして対話相手に適した自分をチョイスし、演じていく。――どうだ? それに比べたら、俺の方がよっぽど自然体に近いと思わないか」

 なるほど。確かに銀の言うことはもっともだ。使い分けでいえば、俺の方が選択肢は多い。だけど――。

「しょうがねえだろ。それが俺の仕事なんだから」

 幾分投げやりに言った俺を見て、銀がほくそ笑む。わかってる、といった表情。

「だろ。俺もそれが仕事なんだよ」

 今度は勝ち誇った笑み。全く、どこかの社長が憎らしいのも限度を超えると可愛げに変わるって言ってたけど――絶対に嘘だな。

「はいはい。おっしゃる通りですよ」

 俺は両手を上げ、降参した。潔く負けを認めたうえで、教えを請う。

「だけどよ。何で銀は『私』って使わないんだ?」

「別に使わないってこともない。ただ、その機会が少ない。それくらいの差じゃないかな。それでも仕事中に限って、特にクライエントに対してだけいえば、ない。そこだけは言いきれる」

「なんでだよ。私じゃ駄目なのか」

 たいして考えもせず、訊き返す。俺の問いに、銀はやんわりと口元を引き結んだ。悩んだり、何かを躊躇っている素振りはない。一旦、気持ちをリセットするような仕草だった。

「距離感、って言えばわかるかな」

 銀は諭すような口ぶりで切り出した。仕事に直結する質問だったせいか、今の銀は、カウンセラーの顔をしている。

「ああ、わかるよ。男相手に私って言われると、一線引かれてるような気がするよな。極端に言えば、私と貴方は別次元の住人です。みたいに聞こえなくもない」

 事実、俺が私と使う場合は、一線引いているからな。

「――正解。別次元ってのは言い過ぎだけどな」

「だから、極端に言えば、だよ」

 全く、揚げ足を取るカウンセラーなんてお前くらいだ。

「この仕事ってさ。俺はこの部屋で腰を据えながら待ってるだけなんだけど、クライエントは当然、この場所まで足を運んでくるわけだよ。で、その道中は、けっして心中穏やかではない。足取りは重く、精神面は凄く不安定な状態なんだ。ただでさえ悩みを抱えてる人が、カウンセラーっていうだけで、どんな人間かもわからない奴に悩みごとを打ち明ける。誰だって最初は『――ああ、いったいどんなカウンセラーが出てくるんだろう』って身構える。それだけでも、心には負担がかかってしまう」

 納得いく説明だ。人に悩みを打ち明けるってことは、相当な勇気とエネルギーを必要とする。きっと最初は、予約の電話を掛けることにだって、何度も躊躇するのだろう。

 そこまで想像し、俺は目を細める。

 銀は俺の様子を窺っていた。

 話の主導を握っている時の銀はいつもこう。相手が会話の内容を理解しているのか、きちんと話のペースについてきているのかを見逃さないよう、注意深く見守っている。

 そう。見守る、といった温かい表現がよく似合う。会話だけが先走らないように、自分だけが夢中で喋り続けないように、配慮を怠らない。これは俺が最も見習わなければならない部分でもある。視線を合図に、銀の話が再開する。

「だからさ、歩み寄ってきてくれる相手に対しての『私』はない。あえて『僕』と使うのは、万が一にも高圧的に聞こえるような可能性を排除するためだよ。もちろん、語調や会話のテンポにも気遣いは必要だ。この仕事の生命線は、相手との距離感だからな。それこそ一線引かれている内は仕事どころの話じゃない。『ああ。自分とこの人は全然違う。別次元の人なんだ』って、身構えられてしまう。必然と相談する気も失せるだろ。それじゃあカウンセラーとしては失格だ」

『一線』とか『別次元の人』って、ついさっき俺が使った言葉を利用するあたりが、いかにも銀らしいと思う。

 仕事柄というか、職業病なのか。なるべく相手が使った言葉を利用して会話の中に盛り込んでいく。専門用語は極力控え、通俗的なフレーズを選択する。

 それには相手の口から出た言葉が一番いいんだ、と以前に教えられたことがある。自然に距離感を縮めるテクニック。共通の趣味を話題にすることで、親近感を得るのと似ている。今のやり取りは、まさにそれだった。

「わかるよ。病院なんかでもただ難しい言葉を並べられると、親近感がないっていうか、ほんとにちゃんと診てくれてます? て言いたくなる。機械的な対応って嫌だよな。あれに似てる。なるほどな、だから『私』じゃなくて『僕』なんだ」

「ああ。大旨そんな感じ。七十五点ってとこだな」

 なんだよ。その合格ラインに一番届きそうで届かない微妙な点数は――と目一杯の不満を顔面でアピールする。

 だが銀は軽く受け流すと、視線で釘を刺すように「いいか」と言葉を落とし、表情を引き締めた。

 その瞬間、銀の纏っている空気が変わった。

「俺はさ、どこかの精神科医のようにはなりたくないんだ。難しい専門用語をつらつらと並べあげ、機械的に薬を処方する。ただそれだけの存在。頭でっかちの症例マニアほど、対応は淡泊極まりない。熱がこもるとすれば、それは相手の心に共鳴したわけじゃなく、症例に興味をそそられるからだ。患者は研究対象であって患者にあらず。もっとも、これはあくまで悪い例え話だから、全部が全部ってわけでもない。だから精神科医がみんなそうだなんて誤解はするなよ。俺にだって信頼してパートナーシップを結んでいる精神科医がいるからな。全否定ってことじゃない。ただ医療の枠の中で縛られている内に、本来の志を見失ってしまっている人間もいるってことさ」

 毅然と言い放った銀を見つめながら、ふと思う。これは銀の愚痴なんだろうか。仮にこれが愚痴の類だとすれば、銀にとっては珍しい行動だった。何か嫌なことでもあったのだろうか、と眉根に皺を寄せ、意識の半分で詮索する。

「俺が精神科医にならなかったのは、安易に『鬱』って表現を使いたくなかったからだ。『鬱』なんて、極端な言い方をすれば、医者の逃げ口上にだって等しい。出来の悪い医者が良くも診ずに『風邪ですね』って即断するのと同じ。本当に鬱かどうかなんて、労力をはたいて調べようとすることはない。知識と経験則に裏付けされた的確な診断。それが不的確だとは絶対に認めない」

 抑揚を押さえた中に眠る静かな怒り。銀が口にするひとつひとつの言葉に、確かな意思が込められる。活きた言葉。俺は、話の続きに黙って耳を傾けた。

「そもそも、『鬱』なんて言葉は、呪いだ」

「呪い……」思いがけず言葉が洩れる。

「鬱と診断された人間に待っているのは、絶望感以外に存在しない。悪魔の囁き。自分が鬱だなんて認めたくない人間にしてみれば、死刑宣告にも近い。癌と同じだよ。認めたくもないし、その可能性を口にすることだってはばかれる。それくらい、重い言葉なんだ」

 呪い。悪魔の言葉。死刑宣告。おおよそカウンセラーが口にするには、物騒な言葉ばかりが列挙する。だからといって俺は、銀が語った内容が決して大袈裟だとは思わなかった。

「だけど皮肉なことに、精神科医は鬱って言葉を使わなくちゃならない。カルテや診断書には必要な文言だし、なんらかのかたちで精神疾患を当て嵌めるのが、あの人たちの仕事だからな。なんにせよ、薬を処方し、説明をつけるには必要不可欠な言葉なのさ。――でも、俺には無理だ。実際に心の病を抱えてる人間を前にして、軽々しく鬱なんて言葉は使えない。その点、カウンセラーは日本の医療システムに縛られなくていい優位性がある。利害にかかわる病院ビジネスとの大きな違いだよ。薬を処方することに捕らわれなくていいんだから」

 ――だから俺はこの道を選んだ。

 最後は短く、静かに、そう締め括った。

 それだけで俺は、銀の心根を察することができた。

 薬の必要性を客観視できるポジジョン。さらには薬に頼ることなく、根本改善への道をサポートする役割。それこそが、銀の求めるカウンセラー像なのだろう。

 だから俺は「大丈夫。お前の進んだ道は間違ってないよ」とエールを送り、同時にこの戦友を誇りにも思った。

 

 帰りがけ、席を立とうとした俺に向って、銀がこう言った。

「そういやどうなんだ? 可愛い息子の具合は。良くなったのか?」

 なんの脈絡もない問い掛けに戸惑うが、すぐさま記憶が連結された。今日のアポを取る際に、電話口で、先日の出来事を話したことを思い出す。

「おお。それならもう大丈夫だよ。流石は俺の息子だな。熱もしっかり三日で下がったし、昨日の晩はすっかり元気になって、はしゃいでたよ」

「そうか。しっかり三日の意味は別として、治ったのなら何よりだよ。それにこの時期は、それほど忙しくはないんだろ。良いパパさんは、ちゃんと家族サービスをしないとな」

「ああ。それを言ったら、毎日が家族サービスだよ!」

 俺はこれでもかってくらいに強調し、胸を張る。

 といっても、実際は編集の締切が差し迫ってくると、家族サービスだってする暇がなくなるのが現実だ。

「まあそうだな。本格的に忙しさが増してくるのは来週以降。今時期はのんびりしたもんだよ。気を抜きがちな時期ではあるけど、部下の管理さえ怠らなかったら問題はない。今日の俺にしたって、情報収集って名目を使って、ただ街をぶらついてるだけさ」

「そうか」と言って銀は口元を緩ませる。何かを言いたそうに含んでいるのが見て取れた。

「しかし篤はわかりやすいな。素直じゃないっていうか。――お前、自分が嘘付けないタイプだってこと、自覚してるか? ないとは思うけど、間違っても浮気なんかやめておけよ。梨佳子ちゃんにはバレるからな。絶対に駄目だぞ」

「なんだよ、急に」

 浮気だなんて、銀にそんな言われ方をすると、浮気をした事実もないのに自分の粗を探したくなる。ないよ、ないはずだ。と頭の中で身の潔白を連呼しつつも、何故だか不安になる。

「いや、わからないならそれでいい」

 と、銀は勝手に話を終わらせようとする。

「ちょっと待てよ。じゃあ何か。俺に嘘付く時の癖でもあるってのか?」

「答えを教えるのは俺の仕事じゃない。導くのが俺の仕事だ」

「この野郎。随分と都合のいいカウンセラーだな」

「アドバイザーだ」

 銀はあきらかに楽しんでいる。「それはさておき」と続け、一方的に話の向きを変えられた。

「篤の場合は、プライベートが仕事に直結しているタイプだからな。家庭の充実ぶりが、そのまま仕事のモチベーションに反映されてるってわけだ。今の充実ぶりは表情を見ているだけですぐにわかるよ。あの『酷かった時期』と比べたら雲泥の差だろ」

 ――あの酷かった時期。まだ俺の中では、先程の話にピリオドが打たれていないにも拘わらず、銀の話術によって思考を強制的にすりかえられる。

 俺は頭の中で記憶の一片を拾い上げた。

ああ。あれは確かに酷かったな、と思い返し、心が懺悔に満ちていく。けれどこの話題を続けるのには、俺たち二人が高校時代にラグビー部で花を咲かせていた頃まで遡らなければならない。そしてその後に訪れる転落人生まで。

 あの頃の俺は相当に荒れてたな……と、語りだせば長くなるのは目に見えている。だから、それはまた別の話。

「そんな昔の話。今更、何を蒸し返すように言ってんだよ。今の俺は昔とは違うんだ。何やっても順調なんだよ。いいか、順風満帆ってのは、今の俺にある為の言葉だろ」

 会話の主導権をいいように握られ続けていたことが癪だったせいか、無意識に語気が強くなっていた。

 そのせいか、言い切ってから思う。多少大袈裟だったかな、と。

 銀もこちらの様子を察しているようだった。不味い。こんな時は、銀が何かを口にする前に喋り出すのが得策だ。善は急げ。後れをとるな。

「そりゃあさ。生きていれば色んなことがあるし、当然失敗だってある。辛いことなんか山ほどあるよ。でもな。人生は前にしか道がないって教えてくれた人がいるんだ。お前の足は何の為にある? ってな。失敗の延長に続く道こそが、成功への近道なんだよって。だから歩くんだろ。辛くても、前に進むんだろって、さ」

 今度は意図的に平静を装った。抑揚を押さえた声で言い終えると、かの有名なB型評論家が残した言葉を思い出す。

 ――お前はその足で前に進むしかないんだ。自分の人生は、自らの足で切り開く。立ち止まってもいい。後ろを振り返ってもいい。だけど進むのは後ろじゃない。道は前にしかないってことを忘れるな。前を向いて歩く。そうすれば同じように歩んでいる仲間にだって会えるだろう。肩を借りることも、貸すことだってできるはずだ。だから歩け。下がらずに歩くんだよ。

 そうやって頭から湯気が立つほどの熱弁をみせた黒木さん。最後には『俺の人生にだってバックギアはない!』と力説していたのを記憶しているが、俺は言いたかった。

俺の人生は徒歩で進むのに、どうして黒木さんは車なんですか、と……。

「その人は、人生に立ち向かうのが好きなんだろうな。波は乗るもんじゃなく、作るもんだっていう典型的なプラス思考だよ。篤の上司としては適任だろう」

 銀は『その人』なんて言い方をしているが、話の出所が黒木さんだということは見抜いている。面識はないが、過去、幾度となく俺の口から黒木さんの話を聞かされているのだから、当然と言えば当然か。

「まあ、順調なのは何よりだけど、落とし穴にだけは気を付けろよ」

「落とし穴?」

「そう。落とし穴だよ。人間ってのは、誰しも順調だなんだといって過信している時ほど、そういった穴を見落としやすいもんなんだ。気を付けろよ。落とし穴ってのは盲点だ。調子のいい時ほど足元に目を配ったほうがいい。石橋を叩いて渡れって、な」

「なるほどね。了解したよ」

 そんな穴、今の俺なら落ちる前に見つけることだってできるし、仮にあったとしても簡単に飛び越えられるだろう、と思ったが、ここは黙っておく。確かに過信は禁物だ。なんだか今日は癪だけど、話の半分は、素直に受けとめよう。

「だったら帰り道は、足元に気をつけなくちゃな」

 最後はそう言って、銀の元を後にした。

 しかし、この後に俺は思い知らされる。

 やはり銀は、カウンセラーとして一流なのかもしれない、と。


 多少の雨に打たれながらも、無事家まで辿り着いた俺を待っていたのは、普段通りに優しい笑顔で出迎えてくれた妻と、無邪気に笑う息子の姿。

 そして、本来であれば食欲をそそられるはずであろう、スパイシーなカレーの臭いだった……。

 ――銀ちゃん。もしかして落とし穴ってのは、これのことかい?

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