21. 転落
日曜の昼頃、外は土砂降りで、俺は洗濯物を部屋干ししていた。
除加湿機能付きの空気清浄機を乾燥モードにして、洗濯物に向かって風を思い切り当てる。コツコツお金を貯めて買った甲斐があった、このおかげで部屋干しの臭いが全くなくなったからな。買った方がいいランキングベスト3には入るな、これは。
なんて考えていると、仕事に行っていたヒカリさんから通帳の写真を送って欲しいと連絡があった。
言われた通り、俺はナツキとヒカリさんの部屋の押し入れの中にあるプラスティックの4段チェストの一番上を開ける。こんなチェストあったんだな。そこにヒカリさんの言うように小さなファイルがあった。
さっさと送るかと思いそこにあった通帳の写真を撮って送信すると、ヒカリさんからお礼の返信がすぐに来た。家事に戻るためすぐに棚を閉めようかとも思ったが、奥の方にあるものに、つい目を惹かれた。
これ、卒業記念品っていうのか?小学6年のときに思い出創作として自分でつくる木製の箱だ、何かしら小物をしまえるんだよな。ヒカリさんの時代もこの創作ってあったのか、多分これオルゴールとかついてる奴だよな。
奥から取り出し、ヒカリさんが小学6年のときに描いたであろう木箱の絵を見た。結構上手いな。その蓋に版画風のイラストで、三毛猫が虹のかかる晴れ渡った空の下を気持ち良さそうにこちらに向かって歩いている。
オルゴールも鳴るのかなと思って開くのか試したが、ダイヤルロックで鍵がかかっていたので開かなかった。ヒカリさんが帰ったときに、どんなオルゴール鳴るのか聞くかな。
ヤバッ——木箱をチェストに戻そうとしたが、誤って床に落としてしまった。バキッという嫌な音の後に、一時代に流行りだった曲がオルゴールで流れる。木箱は、開けた口を下にしてひっくり返っている。まずい、絶対壊れた。
俺はとりあえず片付けようとする。木箱の現状回復は後でだ。中から散らばったのは、束になった手紙だけ——なるだけ見ないようにした——に見えたが、部屋の隅に小さな布袋とともに、そこから飛び出たであろう指輪を見つけた。
ダイヤの指輪だ。見つけて良かった、でもこんなの持ってたんだな。ヒカリさんがつけてるとこ一度もみたことねぇけど。
だが、よく見てみるとある懐かしさが質感をもってどっと押し寄せてきた。
——母さんが、わざわざ自分の宝箱から取り出して、俺に指輪を見せながら幾度となく話してくれたことを思い出す。
「パパが三年かけて買ってくれたのよ」
「この言葉はどういう意味ー?」
「お父さんからお母さんへ、一緒に暮らして僕の奥さんになって、って意味よ」
「へーかっこいい」
「これはナツキが大きくなったらナツキにあげるつもりなの」
「えー俺は?俺も指輪欲しい。じゃあ母さんが今つけてるやつちょうだいよ」
「これは結婚指輪だからダメ。そうねぇ、じゃあそっちは先に結婚した方にあげようかしら」
「じゃあ俺が先に結婚するよ」
「はいはい、じゃあ私も大事にとっておかなくちゃね」
おかしい、何でこれをヒカリさんが持っているんだ?
live with me and be my love.という英語とともに、父から母へと名前のイニシャルが彫られていた。
これは、母さんの婚約指輪じゃないか。
——俺は奥底に押し込めた記憶を引っ張りだし必死に辿っていく。
夕焼けよりもずっと赤い水溜まりが床にできている。
左手から滑り落ちたのだろう、そこに浸っている一冊の父の本。
左手の人差し指から、ポト、ポトと滴り落ちる液体が一定のリズムを刻んでいる。
胸に垂直に突き刺さった鈍く光る刃物。
右の台所の前には、母が俯せたまま同じく真っ赤な水溜まりをつくっている。その背中にも真っ赤な染みができている。
町役場から夕方のサイレンが鳴り響き、女性のアナウンスが聞こえてくる——5時になりました。外で遊んでいる子どもたちは、気をつけておうちへ帰りましょう。
部屋にある棚という棚は開け放たれ、衣類や書類などが床中に散乱していた。
でも、どんな顔だっただろうか。その唐突さへ驚きを露わにしていたのか、自分を刺した者への憎しみに歪んでいたのか、自分の最期に対しての諦念だったのか、それとも、俺らを残すことを悔いたものだったのか。
俺は、よたよたと電話機に向かった。サッカーソックスにじっとりと血が染みこんでいくのを感じながら、震える手で受話器をとる。
「……お父さんと、お母さんが死んでいます」
そこでバンッと玄関の扉が勢いよく開いた。
「ママ、パパ、ユウにぃ、ただいまー!」
元気にナツキが玄関に入ってくる。
何で、俺らの家だったんだろう。
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